五枚の花びら

クソ親父が俺に与える『ヒーローになる為の特訓』は、隣の『あの家族』が居なくなってから急速にエスカレートしていった。というか、もう俺自身が遊びたいという気持ちを放棄していたせいでもあるだろう。

ただただ、普通に生まれてこれなかった自分を呪って、クソみたいな毎日の繰り返し。兄さんや姉さんが庭で遊んでいるのを見るたび、俺は空家になってしまった隣の家の庭を思って唇を噛んだ。

――俺のせいで、あの小さな幸せの詰まった家を、他人に捨てさせてしまった。



夏の終わりに、その家族は引っ越してきた。夏休みの間中ずっと工事をしていたのを、干上がりそうなほどきつい訓練の終わりに、ぼーっと眺めていた。

他にやることもなかった。
俺には遊び相手もいない。クソ親父の訓練が終わる時間は、兄も姉も、近所の子も、帰り支度をしている時間帯だった。遊びに行く時間も、友達もいない。

だから見ていた。代わり映えのない、普通じゃない自分が強いられる日常に投じられた、自分の家に比べてあまりにも小さな一軒家が出来る様を。

そして、その小さな一軒家こそが、俺の日常に投じられた巨大な石だった。

「はじめまして! わたしは、強極涼花っていいます!」
「!?」
「あっ、わたしお隣の家に引っ越してきたの! お名前きいていい? さっき玄関で見たけど、名字がぜんぜん読めなくて……」
「――と、轟。轟焦凍……」
「焦凍……ショートくん? わかった! 二学期から、ショートくんと同じ小学校だよ! なかよくしてね!」
「……!!?」

そこから、俺の一年間は猛スピードで急回転していった。あまりにも、今までの日常と違いすぎたからだ。

朝起きて、一緒に学校に行く友達。
帰り道、一緒に駄菓子屋へおやつを買いに行く友達。
訓練が終わったあと、一緒に遊ぶ友達。
冬休みと春休みの間、宿題でも遊びでも、何でも一緒に出来る友達。

――友達だ。普通じゃない俺にも出来た、俺の友達!

毎日毎日楽しくて、あっという間に季節は夏に戻った。初めて友達と過ごす夏休みは、やっぱり毎日楽しかった。訓練が日に日にエスカレートしようが構いはしなかった。血を流そうが吐こうが、訓練が終わればさっさと全部拭って、涼花に会いに行った。涼花はいつも楽しそうだった。俺も、と口にせずとも彼女にも十二分に分かっていただろう。

「あ。そうだ! ショートの『ヒーロー合宿』って、もうすぐだよね?」
「『クソ親父の自己満合宿』の間違い」
「じこまん?」
「自己満足。……別に俺のためじゃない、ってこと」

やたらめったら小難しい口調で喋る、我ながら小賢しい小学生だったと思う。だけど、同じ小学生の涼花は、そんな俺を特に嫌がりはしなかった。

ただ、笑って、頷いて、俺の話を聞いてくれた。だから俺も、どんだけ親父が憎くても、訓練が辛くなっても、訓練が終わったらすぐに家を飛び出して、毎日涼花に会いに行った。

ともかく。そんな訳で――幼かったころの俺はほとんど、俺の『友情』の九割以上を涼花につぎ込んでいた。彼女しか相手が居なかったのだとか、俺の性格のせいとか、親父のせいとか、色々原因は思い付くけれど……そんなのはどうでもいい。

「ショートの合宿が終わったら、うちで花火しようね」
「花火? 家で打ち上げられるのか」
「ちがうよ! ショートやったことないの? 線香花火とか!」
「……あんまり覚えてない。夏休みは基本、訓練が増える地獄の時間だ」
「今年は楽しかった?」
「……うん。訓練だけじゃなかったから」
「よかった! じゃあ、合宿が終わった日の夜は、今までの夏休みでいっちばん楽しくなるよ! 線香花火に、ねずみ花火に、ふつーの花火! ぜんぶやろうね、ショート!」

花火。
合宿が終わる日を、ずっと待ってたのに。

帰ってきたら、俺の大好きだった一軒家はもぬけの殻。クソ親父のせいで、涼花の家族ごと引っ越しさせられていたのだ。

涼花は俺が弱くなる原因になる、なんてアッサリと口にした親父の冷めた目とふざけた言い分は、今も脳裏に焼き付いて離れない。事実、母さんも涼花も、居なくなったところで苦しいだけだ。

――涼花は俺の、一番の友達だったのに。