会議は踊り、女神は歌う?

びしょ濡れのまま海洋生物部の部室に入る。その途端、ふわりと何かが私の視界を覆った。白いタオルだ。

「はい、千夜ちゃん。ごめんね、奏汰くんが連れてくるっていうから任せたんだけど……女の子を噴水に突き落とすのは、さすがにアウトだよねぇ」
「薫くん。え、今日は海洋生物部はお昼休みから活動?」

夢ノ咲の部活動にしては、ずいぶん精力的だ。
まぁ大方違うだろうと思ったけれど、薫くんは苦笑して首を振った。あっちあっち、と親指で部屋の奥を示すので、薄暗い部屋の中でじっと目を凝らす。

「零さんと……千秋?」
「いやぁ、千夜。よく来てくれたなっ、来訪に感謝するぞ! 俺の可愛い後輩の為、ともに戦おう、勝利を掴もう……☆」
「えっ? 千秋の後輩?」
「ああ。明星だ」
「!」

千秋は珍しく神妙な顔をして頷いた。そうだ、彼はスバルくんと真緒くんと同じバスケ部だった。彼が今どういう状況なのか、別にバスケ部じゃなくても理解しているこの情勢、彼が把握していない訳もない。

しかしスバルくんを助ける、とは。
それは要するに『Trickstar』を助けることにつながる。
それは千秋も、『流星隊』も生徒会に逆らう勢力とみなされてしまうってことだけれど……。

「案ずるな。俺たちは『正義の味方』だからな。悪の生徒会に立ち向かった『Trickstar』を、このままむざむざ見殺しにはできない。そういう気持ちで助太刀しに来た」
「千秋……」
「それに、細かい作戦は朔間とお前に任せるつもりだからな! 俺はただ、派手に登場、大勝利、大爆発をするだけだ!」

ほら、簡単だろう? といって笑う千秋。
その無鉄砲さは、生徒会から見れば蛮勇と笑われるものかもしれない。けれど、今の私にとっては、まぎれもなく――

「ヒーローみたいだね、千秋」
「む? みたいじゃなくて、ヒーローなんだ」
「はは、うん。本当に……」
「な、なにっ? どうして泣くんだ? 何か悲しいことがあったのか!?」

ああ、まずい。涙腺が緩んでいたようだ。千秋を心配させまいと慌てて目元をこすったけれど、その手はやんわりと誰かに掴まれた。

「これこれ。目が腫れてしまうぞい、我輩の愛し子や」
「れ、零さんっ……」
「可哀そうに。ものの見事に籠の鳥にされてしまって、我輩に会えず寂しかったであろう? 双子も、わんこも心配しておったぞ」
「うん……でも、それより、皆に何かあったんじゃないかって……心配で……!」
「大丈夫じゃ。双子は無傷じゃし、『UNDEAD』はB1で『fine』と戦う……という趣旨の処刑台に立たされたものの、薫くんはサボりでノーカン、わんこもアドニスくんもあの程度では折れぬよ」
「ちょっと、俺だけ敵前逃亡したみたいじゃん? だいたい連続出勤とか、冗談じゃないよね〜」

薫くんが迷惑そうな声で言う。その手にはマグカップが握られており、ごく自然に私へと渡される。ココアだ。

それをこくりと一口飲むと、じんわりと体の芯から温まっていく。

「わかっておるよ薫くん。『S1』の後にあんな勝負を受けたわんこもわんこじゃ……まぁ生徒会はわんこの性格を狙って申し出たようじゃからのう。一枚かまされたという具合じゃな」
「ああ、そういう状況だったんだね。……『Trickstar』の解散命令を英智が出したってのも、『Knights』に真くんが来てたことと北斗くんのLINEからで事実ってわかったし」
「おお、氷鷹くんがLINEを。……ううむ、あの子は悩んでおったよ。今もずっと悩んでおろうの」
「……やっぱり、そうだよね。私、北斗くんに会いたい……」
「はっはっは。妬けるのう……と茶化している場合ではないか」

零さんは普段の温和な笑顔をひそめて、真顔になった。美形の真剣な表情こそ恐ろしいものはないというが、彼は本当に迫力が増す。生徒会長だったころを思い出させる表情だ。

「千夜よ。瀬名くんが天祥院くんと交わした『契約』は二つ。遊木真くんを『Knights』に移籍させること。もう一つは、おぬしじゃ。おぬしを【DDD】が始まるまでの一週間、『Knights』の専属プロデューサーにすること」
「……ああ、なるほど。もう『Trickstar』に協力できないように、見張りとして『Knights』を使ったわけ。体よく。へぇ……」
「ふむ、その顔を天祥院くんに見せてみよ。ますます『惚れられる』かもしれんぞ?」

意地悪く零さんが言う。……いったいどこまで情報を掴んだのか知らないが、英智が私に……き、キスしようとしたところまで知らないよね……? 知っててほしくないな。むしろこの世すべての記憶や記録からも抹消したい。

「まぁ、天祥院くんも大分譲歩したみたいじゃよ。本来は『fine』の専属プロデューサーとして永年契約させられるところであったのを、瀬名くんのおかげで『Knights』の、しかも一週間きりの専属プロデューサーじゃ。であれば……」
「わかってる。私が泉を恨むわけないよ。むしろ、いつも私を、レオの代わりにって守ってくれるんだから……感謝してる」

でも別に、レオの代わりもなにも、泉は泉として見てるんだけどなぁ。それに、守られるだけ守られて何もしないで良い、っていうのも違う。そこは泉と決定的に意見が違った。

けれど、私は何もいわなかった。言わなきゃ何もわかんないのに、泉ならうまくやると……勝手に押し付けていた。それがこの結果に繋がってしまったのだから、反省すべきは私の方だ。

「ふむ。我輩の出る幕など無かったな。おぬしら騎士たちの絆は、なんだかんだ言っても本物じゃ。羨ましいのう……薫くん?」
「朔間さんの放任主義がまずいんじゃない? ま、俺はありがたいけど」
「あはは。『UNDEAD』はあれでいいんだよ、二人とも。二枚看板がいて、その背中を追う後輩がいて」


ともかく、ほぼ全部のユニットが生徒会と天祥院英智にはめられた……という状況に変わりはない。

英智が【DDD】を開いたという一点だけは謎めいているが、おおむね『Trickstar』を潰し、生徒会の秩序を取り戻すという目的は一貫しているだろう。

ならば、次の一手は一つ。

「『Trickstar』を復活させる。いや、とりあえずは【DDD】までに最低二人は取り戻すか、あるいは付け足す……」
「ふむ。『Knights』から遊木くんを取り戻すことは可能かえ」
「いや……彼は完全に泉の管轄になってて、最近は『Knights』のメンバーですら会えないんだよね。もはやアレ、監禁だよ。あれはマズイから、どっちみち止めなきゃいけないけど」

零さんもいつの間にかマグカップを手に取っていた。すっかり腰を落ち着け、話し込む態勢に。一方で薫くんの姿はすでにない。もしかすると水槽の方に行って、魚のお世話でもしているのか。

「しかし、メンバーを取り戻すことは可能なのか? すでに脱退手続きをしてしまっていたら、仮に『Trickstar』が再集結できたとしても、ルール違反になってしまうぞ?」
「うん、千秋の言う通りなんだけど……遊木くんはまだ、脱退書類を出していないみたいなんだよね。泉さんに引っ張られてきただけで、僕は『Trickstar』です! って言ってた」
「なんと! あの眼鏡くんも、案外気骨があるな!」

嬉しそうにこぶしを握る千秋。ああ、こういう展開好きそうだもんね。

「これは僥倖。我輩の情報網によると、衣更くんも出していないらしい。これで少なからず、『Trickstar』は三人確保できるのう。ただ問題は……」

北斗くんだ。
おそらくあの様子だと、何かあったに違いない。
そしてあの真面目な性分から、彼はすでに脱退書類を出した可能性は高いだろう。『Trickstar』の解散届は出していないとのことだったから、まずは安心だけれど。

「ふむ、まあ北斗くんの件は難関じゃな。追々考えるのがよかろう」
「そうだね。まずは、【DDD】本番までに出場できるよう、メンバーを補充したほうが……」
「しかし、今『Trickstar』に入ろうとする者がいるだろうか? 俺たち『流星隊』もすでに出場を決めているし、ほかのユニットも大概出場届を出してしまったあとだろう」

……確かに。
人員の貸し借りはルール違反だ。『UNDEAD』や『流星隊』からメンバーを引き抜く訳にも……。
さすがに零さんも困ったのか、黙り込んでしまう。何か、何か打開策は……

と、思っていたら、突然私の制服のポケットに入っていた携帯が震えた。

「あっ!! やばい、携帯水没してないかな!?」
「鳴ったから大丈夫だろう! 出てみてはどうだ?」

千秋に促され、画面を開く。
LINEの通知だった。相手は……

「……鬼龍くん?」


『転校生の嬢ちゃんが、衣装を頼んできた。
女のアイドル衣装は初めてだから、正直うまくいったかは分からんが……最善は尽くした。

頑張れよ』

「……アイドル衣装? 転校生ちゃんの?」

なんのことだろう、と首を傾げていると、零さんが急に私の手元から携帯を奪った。真剣にその文面を眺めている……と思ったら、いきなりくつくつと笑い始めた。

「ああ、なるほどのう……その手があったか」
「どういうことだ、朔間? なぜプロデューサーがアイドル衣装を?」
「欠員補充」

私の呟きに、千秋が首を傾げた。零さんはうなずいている。
あんずちゃんの決断には度肝を抜いた。ああ、あの子も立派に『Trickstar』の仲間だ。

千秋に説明するついでに、ほかのメンバーの奪還法を零さんと話そう。おそらくこれは、【DDD】が始まる前にできる最初で最後の会議だ。