ひみつの海へ

ガーデンテラスからの帰りは、中庭を通っていくことにした。
鳴ちゃんと喋りながら防音練習室に向かう。今日はいい天気だし、放課後涼しくなったら外でレッスンするのもいいかもね、とかそんな何気ない話をしながら。

『Trickstar』は今日もレッスンするのだろうか。『Knights』のレッスンが終わる六時より後なら、協力したって問題ない、はず。

北斗くんの送ってきたLINEの文面を、スバルくんに見せなきゃ。

「ねぇ、鳴ちゃん。一応聞くんだけど、六時より後はほかのユニットのレッスンしてもいいよね?」
「えっ? うーん……どうなのかしらねぇ。たぶん良いと思うけど……皇帝サマとの『契約』は泉ちゃんがしたから、なんとも言えないわ」

鳴ちゃんが困ったように言った。『契約』? 聞いていない単語だ。

「遊木くんを『Knights』に移籍させるって話?」
「え、えぇそうよ」
「……何か隠してるでしょ。英智は私が大っ嫌いだから、絶対何かしらの罰則を与えようとしたはずだけど」
「も、もう。意地悪しないでほしいわねぇ……。でも言っておくけど、アタシでも泉ちゃんと同じ判断をしたと思うわ。だから、『Knights』にとって不利益を被る『契約』じゃないってことだけは信じて」
「そっか」

鳴ちゃんに迫っても仕方ない。素直にこの話は切り上げた。

にしても、そうか。
英智は私に条件を教えるなって所も含めて『契約』したか……はぁ。手札が見えなきゃ、迂闊には動けない。完全に私の動向を封じるつもりらしい。
『Trickstar』にしても私にしても、かなりの警戒をされてしまったようだ。ただ裏を返せば、スバルくんたちの放った『最初の一手』は効果があったということでもある。

おそらくこの局面を打開すれば……革命になる。
それに、DDDという一大イベントを、なぜ英智がこのタイミングで出したのか。完全に挑発行為としか取れない。一種の期待の眼差しで、こちらをにらんでいる気がする。

「はぁ……」
「あらまぁ、ボーっとしてたら危ないわよ? 転んじゃうかも」
「えー、大丈夫大丈夫。レオが妄想しながら歩けるのと一緒で、私は思考しながら歩けるからああぁあっ!?」
「きゃああああ!?」

バシャーン!!!
と壮大な音をBGMに、というかSEにして、私は倒れこんだ。……水中に!

春とはいえ水温は決して高いとは言えないだろう。一瞬にして冷たい感覚が全身を駆け巡り、慌てて顔を上げる。な、なぜ水中に……ここはどこ、私は千夜……なんて、よくもまぁこんなに軽口が飛び出てくるものだと自分でも感心する。

「ってあれ? これ、噴水?」

中庭を歩いていて、水中といえば噴水一択なのだけれども。
そして気が付くと、私の右腕には人の、手が……。

「ホラー……ではないか。もー、何するのよ」

奏汰。
そう言って振り返れば、そこに居たのは、水の反射で心なしか普段の三割増しきらめく美貌の青年……もとい三奇人・深海奏汰。クラスメイトでもある彼が、私を噴水に引っ張り込んだ犯人らしい。

「ちよも、いっしょにぷかぷか、しましょう……♪」
「もうしてるんだけど……」
「やったあ……♪ ぷか、ぷか……♪」
「やれやれ……まったくもう、いつから入ってたの。手、すごく冷たいよ」

私の腕を掴んでいた手を引き離し、水にほとんど奪われている彼の体温を取り戻すよう、自分の手で包み込む。きょとん、とした顔で奏汰は私を見ているけれど、やがてゆっくりと緑色の瞳を嬉しそうに細めた。

一方の鳴ちゃんは、訳が分からないという顔だ。

「ちょ、ちょっと何々? なんなの? いきなり女の子を噴水に引きずり込むなんて……っていうか男でもダメでしょ!?」
「あなたは……あ、ちよの『こうはい』ですか?」
「え、ええそうよ。なに、千夜ちゃんのクラスメイトとか?」
「そうそう。趣味は『みずあび』の不思議ちゃん。鳴ちゃん『流星隊』は知らない?」

ユニットの名前を出されると、鳴ちゃんも理解できたらしい。ああ、と合点のいった顔をした。

「ていうか、服びしょびしょになっちゃったじゃない……どうするの千夜ちゃん?」
「どうしよ。このまま行ったら怒られるかな」
「怒られるっていうか、誰にやられた!? って泉ちゃんが怒りそうだわ。てかそういうシチュエーションの時、一番怖いのは凛月ちゃんだけど」
「あー……確かに。凛月もそういうとこはお兄ちゃん似というかなんというか……」

普段ならのんびり気ままに寝て、誰がどうなってようが気にしない人なんだけどね。凛月の怒りの琴線はレオ並みに分からないときがある。

そもそも、廊下をびしょ濡れで歩いたら椚先生に怒られそうだ。

「とりあえずは、ジャージに着替えようと思う。鳴ちゃん、本当に悪いんだけど、3Bに行って私と奏汰……深海くんのジャージ取ってきてもらえない……?」
「OK、わかったわ。噴水から出て、日向で待っててね!」
「はーい」

大急ぎで走っていった鳴ちゃんの背を見送る。さすが陸上部だけあって、とても速い。着替えは直ぐできそうだ。
さて、まずは奏汰くんを水中から引きずりだして……

「あ、あれ? めずらしいね、自分から出るなんて」

なんということでしょう。奏汰くんは自主的に噴水の中から出て行ってしまった。

「はい。ほら、ちよ。『おてて』をだして」
「あ、引き上げてくれるの? ありがと」

どうやら私を助けてくれるつもりのようだ。
素直にお礼を言って、彼の手を取る。石畳の上に着地し、地面のありがたみを痛感する。そして彼はそのまま、私の手を離さず歩き出した。

「え!? だ、駄目だよ奏汰! ここで待ってないと、ジャージが」
「……ちよ。『しーっ』ですよ……」

人差し指を自分の唇の前に持っていき、奏汰がささやくように言った。その表情はどこか真剣みを帯びている。何か目的があるようだ。

どういうことだろう、と彼の顔を見るけれど、理解できるはずもない。振りほどいていいのかも分からないので、奏汰に連れ去られたという形でついていくことにした。

「……だいじょうぶ、だいじょうぶですよ……」
「え?」
「やさしい、ちよ。『ぼくたち』は『せいぎのみかた』ですからね。『こうてい』さんから まもってあげます……」
「……!」

少し遠くの方に、零さんが立っていた。こちらへ来い、と手招きするように零さんが手を振り、踵を返す。彼は廊下をまがって消えた。向かう先はおそらく――海洋生物部の部室だ!

「ひさしぶりに ひみつの『かいぎ』ですね……♪」

『ばしょ』はちがうけれど。そういって笑った奏汰は、正義の味方。確かにそうだ。けど、昔を懐かしむ気持ちを残すなら。

三奇人……いや、五奇人が一人と言うのにふさわしい、巧妙さが垣間見えた気がした。