盤上で踊りましょう

「あとひとり、誰かが『Trickstar』ではなく『fine』に投票していれば……。延長戦とはならずに、『fine』の勝利が確定していたのに……!」

椚先生の言葉は、なんだか運命を感じさせるものだった。
あと一票。その一票はきっと、転校生ちゃんのものじゃないか、なんて――思ってしまうような。そんな、特別な。

とはいえ、延長戦だ。
英智の体は、正直目も当てられないほどボロボロになっている。これが一年生の時だったら、「英智くん、駄目だよ!」とか言って止めてたのだろうなぁ、と思う。

もしもの話は、見苦しいけれど。

「どうする、天祥院?」

保険医の自分としては止めたい、と佐賀美先生がいつになく神妙な顔で言っている。観客席から見る英智の目は、一瞬……静かな色を湛えた。それは諦めではなく、新しい風を見つけた時のような色で。

「――延長戦は、棄権しましょう」

これからもアイドルを続けたいから。
こんなところで、潰れたくはないのだと。そう言った彼は、本当は変わっていなかったんだと、今になって気づいた。

彼はただ、アイドルになりたかったんだ。
そのやり方は、私は決して認めないけれど。でも――彼は私の知る英智じゃなくなった、なんて訳ではなかった。

ただ……スポットライトに包まれる『Trickstar』の姿は、彼のなりたかったアイドルそのものなのかもしれない。

「――Amezing☆」

渉の声が、講堂中を響き渡った。
――『Trickstar』の勝利を告げる、華麗な宣言が!

ステージの上で大騒ぎするスバルくん、いつも通りの涼し気な顔で、けれど夢にまでみたこのエンディングに声を震わせる北斗くん、打ち震えて喜びをかみしめる真緒くん、泣き笑いで皆に抱き着く真くん。

ああ、なんて――夢みたいな光景だ!

「……ちょっと。なに泣いてる訳?」
「い、いずみっ……うわぁぁぁあん!」
「あー、セッちゃんが千夜、泣かせた〜」
「瀬名先輩! まだ『ゆうくん』さんのことで八つ当たりしているのですかっ? 我らが女王陛下を泣かせるなど言語道断です!」
「あらあら、泉ちゃんったら千夜ちゃんに抱き着かれちゃって」
「あーもう、うるさいよあんたらっ!」

泉の衣装に思いっきり涙を吸い込ませてしまった気がするけど、もう気にしない! ビービー泣いていると、泉がおずおずと背中を撫でてきた。

「おお、我が愛し子が泣いておるぞ。よしよし、よく頑張ったのう」

ぽん、と頭を撫でられる感覚。慣れていたはずだけれど、ずいぶんと久しぶりの感覚に、また涙が出てきた。

「れ、零さぁぁん!」
「うむ、心行くまで歓喜に打ち震えるとよい。我輩の胸の中で……♪」
「ちょっと、そこの兄っぽいもの。千夜の頭に置いた手を放してくんない?」
「おお、凛月! おぬしも来るとよい、むしろ来い!」
「死ね!!!」
「貴様ら……こんな時くらい行儀よくできんのか。こんな奴らが夢ノ咲の強豪ユニットとは、まったくもって度し難い……」
「あっ、敬人……!」

今回『紅月』は【DDD】に参加していなかったが、決勝戦を見に来てくれたのだろう。

「今日ばかりは許すがよい、蓮巳くん」
「はっはっは! 朔間の言う通りだ! 副会長よ、ともにこの勝利を分かち合おう……☆」
「守沢も朔間さんも、そして日渡も。派手にやってくれた……が」

敬人も、笑っている。

「そうだな。『Trickstar』の魅せた奇跡は、祝うに値する」

観客席の賑わいも相当だが、ステージでは『Trickstar』のアンコールが始まるだろう。……と思ってステージを見ると、スバルくんと英智が何か話していた。

英智の表情は、もうどれくらい見ていなかったかも分からない、打算のない笑顔だった。

スバルくんは英智との会話を終えると、マイクを一層握りしめて嬉しそうに手をあげた。

「みんな〜! 舞台に上がってきて! みんなで歌おうよっ☆」

アンコールの一曲を、皆で分かち合いたいと。本当にスバルくんたち、いや、『Trickstar』らしい言葉だった。

「さぁさぁ、『fine』も『Knights』も! 『流星隊』も『2wink』も『UNDEAD』も『Ra*bits』も! おっと、『紅月』もきてるじゃん、おいでおいで! 舞台においで!」

千秋が駆け出した。それを皮切りに、次々と皆がステージへと昇っていく。歓声は沸き立ち、光は増す。
涙が出るほど、美しいステージだ。……なんて、安直すぎるだろうか。

「ねぇ! 千夜先輩もおいでよ!」

「……へ?」

ステージの中央から、スバルくんが叫ぶ。
いらない世話なのに、スポットライトが一斉に私に向いた。眩しい、けれどこれは私じゃなくて、ステージの皆を照らしてほしい。

それに、私は盤上には上がれない。

「おいでよ、千夜」

ステージの階段に足をかけ、私に手を差し伸べたのは。

「……英智」
「僕の手を取ってくれないか?」

その顔は、晴れやかで。

「僕は二年前、君の友達だった。一年前は、君の宿敵だった。そして今は。

今の僕は――何になれるだろう? 教えてくれないかな」
「――――」

手を、重ねる。
汗の引くような疲労の中、けれど彼は私を盤上(ステージ)へと引っ張りあげた。歓声が巻き上がる。おそらく、二、三年生の声だろう。明日の校内ニュースには『皇帝と女王、和解する』とか大げさに書かれるんだろうなぁ、とか思うと気が滅入る。

滅入るけど、今は。
スバルくんの方を振り返る。彼はきらきらと瞬くような幸せを抱え、最高の笑顔を見せた。

青春とか友情とか希望とか。
このステージは、この場所はきっと……そういうもので出来ていた。

「世界中に響かせよう、俺たちのアンサンブルを!」