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水難





 新しい死に装束を仕立てるために王都に向かうイポスに、自分も普段使いの服を見たいとフレイザも同行することになった。イポスは団で一番の衣装持ちだ。流行の発信地であり常に先端を行く王都で装束を買うとなれば、一着二着では済まない。帰りの荷物を載せるために小型の馬車を借り、フレイザは御者を兼任する意味で同行を快諾された。
 フレイザは、イポスやセン、ナンに比べれば服装の色使いは地味を好む。素材も奇抜さより肌触りの良さを優先する。上等の布地で仕立てた死に装束より、武具や防具の装飾にこだわっている。金をかける所が違うだけ、とイポスには揶揄されるが、フレイザからすると実益を兼ねた死に装束を支度する自分の感性は万人に解りやすい感覚だ。むしろ、混戦乱戦で溜息が出るような一張羅を血泥まみれにして、結局捨ててしまうイポスの感覚の方が信じられないし、心底呆れるのだった。
 装束を纏って決死の前線に踊り出すイポスだが、派手な死に装束があやうく役目を全うしかける事態に陥ることは、あまりない。昔はしばしばあったのだと本人は語るが、フレイザが魔獅子の傭兵団に加わった時、イポスは既に常人離れした剣技と戦場での勘を身につけた、歴戦の男だった。フレイザには死にかけるイポスの姿が想像出来ない。たとえ敵陣が肩先を掠めても、落ちた羽根帽子を拾う男である。
 王都までの道のりは、まったりと和んだ空気に包まれていた。大きな仕事が片付いて、傭兵団は懐も暖かく、滞在先も比較的好意的だったので上手い酒と料理にもありつけ、町に懇ろな間柄になった女や男を残して引き上げる者がいたくらいだ。居心地の良い町で労いを受けて、根城に戻ってきた後の傭兵団は、満腹で惰眠を貪る駄獅子といった具合だ。その空気感を嫌がる者はほとんどいない。それだけ、引き受ける仕事の多くは過酷なのだ。ナンの作戦があたって負傷者が少なく済んだのも、団員たちの心を軽くしていた。
 そして、休養期間を宣言したイポスは、その日のうちに自分の取り分を雑嚢にねじ込み、王都に装束を造りに出かけると総伝令のリムに告げ、「アンタは衣装箪笥の中身を把握できてるんですか」と皮肉を言われた。フレイザも同感だった。イポスの衣装箪笥は魔窟だ。団員たちはまことしやかに、面白おかしく、噂している。一度開けたら閉められないとか、貴族の道楽でもああはなるまいとか。一度、虫干しを手伝ったフレイザは、団員たちの冗談がまあまあ冗談でないことを知っている。
「お目当ての仕立屋があるんですよね。王都に」
「ああ。その前に、布問屋に寄る」
「はぁ」
 フレイザは気のない返事をした。布問屋でさんざん布地を物色してから仕立屋。これは王都に一泊のコースだ。日帰りのつもりでいたフレイザは「泊まる先に宛てはあるんですか」と確認する。
「そこは心配に及ばない」
「はぁ……」
 この旅の路銀はすべてイポスが支払う話になっているので、フレイザはなにも心配いらない。はずなのだが、イポスが布問屋でどれだけ散財するかで泊まれる宿の格が変わってしまう。フレイザは自分の路銀と服代を勘定して、最悪、自分の買い物を控えてでもマシな宿に泊まりたいと思った。自分はもちろん、イポスに上等のベッドで心ゆくまで眠ってほしかった。
 どんな仕事でも現場に立ち会うイポスは、どうしたってひりついた前線に躍り出て、命の駆け引きに夢中になる。あんなにも死と戯れては、さぞかし魂がくたびれるに違いない。フレイザなりに、心配しているのだ。
 昼前には王都に着き、二人はそこそこ空腹だったが食事は後回しにして、まず布問屋のある通りに向かった。
 鷹揚な足取りで目的地に向かうイポスの後ろ姿から、どこか浮かれた空気を感じて、フレイザは少し笑ってしまう。年甲斐もなくはしゃいでいるな、とイポスの上機嫌に優しい気持ちになってから、年甲斐とは、と思いとどまった。背格好で年頃は十分類推できるが、イポスは初めて会った時からこの姿、この出で立ちで、特に変わっていないように見える。なので、いつ何時の流行りを着ても古くさく見えず前衛的にも見えず、着こなせてしまう。
 いくつかの仕立屋が、客としてというよりモデルとしてイポスに入れあげているのは団でも有名な話だが、彼から漂う奇妙な普遍性──不死ではないが、限りなく不死に近い、時の流れの外にある佇まいが、服飾の意匠を練り上げる者達の心を捉えるのだろう。彼らの気持ちがフレイザには解る気がした。イポスが素晴らしい一張羅を纏い、登壇し、団員に発破を掛ける瞬間を、穏やかな物腰の裏で焦がれるほど待ち望んでいる。抗しがたい魅力に打ちひしがれ、地獄に引きずられていく快さは何者にも代えがたい。だから、フレイザは魔獅子の傭兵団で生き残っている。
 フレイザという荷物持ちがいるからか、イポスはちょっと目に留まった上等の布、時には糸や飾り玉を、次々に買い込んだ。雑嚢からは汲めども尽きぬ勢いで金が支払われていく。稀に、フレイザには息が止まる程、高価な布もあったが、イポスは気に入れば迷わず買った。それはさながら夜の猟色よろしく、イポスの目に留まった布は統一感がないままに、次々引き取られていった。
「どうだ、まだ持てそうか?」
「持てますが、団長。これをすべて、今日の仕立てで使い切れます?」
「使い切って貰う」
「傭兵団の倉庫に仕舞うのは無理ですからね。絶対、虫に食われますし、総伝令が怒ります」
「リムに叱られたくはないな」
 イポスは面白そうに目を細めると「最後に一軒だけ見る」と告げて歩きだした。最後の一軒でどれだけ買うのだろう、とフレイザは両腕に提げた荷物を顧みる。どうしてもとなったら背中に背負わせてもらえばいいだろう。色とりどり、質感も様々な布や羽根飾りを山と抱える自分を想像すると、なんだか愉快だった。浮かれたお上りさんでも、こんな派手でトンチキな彩りをしていないだろう。
 イポスが立ち寄ったのは、いかにも格調高い上質な布ばかり扱っている問屋だった。店頭に飾られた品ぞろい、トルソに着せられたドレスから、婦人用の布柄を扱っているのは一目瞭然だ。だが、イポスには関係ない。婦人向けだろうが紳士向けだろうが、布は布なのだ。
 ドアベルを高らかに鳴らして入店したイポスに続く。店主と思しき初老の男が奥から出てきて、イポスを歓迎した。何度か行きつけている店だったらしい。
 店長はさっそく流行の柄、とっておきの生地を引っ張り出してきて、売り込みを始めた。フレイザは蘊蓄に興味が無く、二人の服飾談義に加われるだけの素養もないので、店内を適当に見て回ることにした。
 オーソドックスな花柄、鳥柄、星に月、幾何学模様、中には装飾されたレタリングをあしらった生地もある。フレイザも見知った著名な絵画を大胆に縫い込んだ布もあった。金糸銀糸の刺繍で袖や袷を縁取ったガウン、触れると指先に溶けていきそうな華奢なブラウス、光沢ある絹地の美しさだけで出来たナイトドレス、他にも、この店の生地を用いた服が参考作品として飾られている。中には、宝石をあしらった服もあった。
(どれもこれも贅沢品だな)
 生活における贅を見せつける品々に、フレイザは少し目が疲れてきた。派手さや突飛な柄なら、傭兵団の隊長格たちの方がもっと視覚に強い服を持っているが、それらはすべて、死に装束だ。生きて楽しむ贅沢とは真逆の豪奢だ。だからなのか、フレイザの目には煌めく星の儚さが見える。美しく仕立てた服を、明日も着ているか、保証はないのだ。自分も含めて。目の前にある服とは、着られる由来からしてかけ離れている。
 上の方ばかり見ていたフレイザは、自然と視線を落とした。下段の棚には比較的地味な、裏地などに用いるだろう布が並んでいる。見るからに肌触りの良さそうな、絹、薄布、上等な綿、様々な無地の生地に並んで、ひらりと水色の薄布が見えた。
(これは、装飾に使うのかな)
 手に取ってみると、ひんやりと手のひらに吸い付く。光沢と透明感は、どことなく淡水魚の尾鰭を思わせる、繊細な色だった。目の前に広げてみると、視界が涼しい水中のように、薄水色に透けて見える。銀糸を混ぜ込んで織ってあるのか、時折、ちらちらと布の光沢とは違うきらめきが瞬いた。水面に差す陽射しの乱反射だ、これは清流に棲む生き物の衣だ、とフレイザは一人で納得した。とても、辺境ではお目にかかれない繊細な品だった。
「フレイザ?」
 奥の方から、イポスの呼ぶ声がする。慌てて布を仕舞おうとして、するすると滑りこしのない薄布に悪戦苦闘していると、イポスの方から様子を窺いに来た。
「何してんだ?」
「団長、すみません。棚にしまおうとして……」
 イポスの後からついてきた老店主が、フレイザの手に取った布を見るなり、にこやかに商魂たくましく話かけてくる。
「おや。意中のご婦人に贈られるのですかな?」
「そういうわけでは、綺麗だったので触ってしまって……」
 フレイザが引っ張り出してしまった布を店主に託そうとする。それを、イポスが横から手を伸ばしてつまみ上げた。清流を広げてみせるように両手で布地を広げてみてから、慣れた手つきでひらりと肩に纏う。
「どうだ?」
 聞かれて、フレイザは瞬きした。普段、襟の詰まった服を好むイポスだが、今日は仕立ての都合もあって襟ぐりの空いた、脱ぎ着しやすい服を着ている。大判の柄があしらわれて目を引く服ではあったが、彼の持ち衣装の中ではかなり大人しい服装だ。その上に、繊細な水を纏う。素人のフレイザでも、組み合わせとしてアンバランスすぎると思った、それがイポスの背格好、特に目つきと不思議なほど馴染んでいた。布の性質もあるのだろう、がっしりとしながらしなやかなイポスの体に沿ってひたりと纏わり付き、跳ねる尾鰭のように切れ端がひらひらうごめいている。
「ほう、お似合いですな」
 老店主がモノクルの奥で目を瞬かせた。商魂からというより、奇抜を好む伊達男に自分のセンスを売り込みたい気持ちから、真剣に提案してくる。
「婦人がスカーフや肌着としてお使いになる布ですが、イポス様なら厚手の布の透かしや、裏地に使われても、お似合いでしょう」
「ふうん、なるほどな。あとは、仕立屋次第ってことか」
「左様で」
 スカーフと言われ、首元に軽く巻き付けてると「どうだ?」とフレイザに視線を寄越す。滴る布のきらめきとイポスの目をまともに見て、フレイザはぎくしゃくとしながら答えた。
「団長に似合ってると思います」
「だろ?この布、ちょっとばかり懐かしい質感がするしな」
「……?」
 ふと、イポスの気配がこの場から遙か遠く、フレイザには想像も及ばないほど遠くに感じられた。フォトンの巡りの遙か彼方、ヴァイガルドの大地の息吹が届かないほど遠くの涼やかな清流で、伸び伸びと過ごすイポスの寛ぐ姿が見えた気がして、端正で精悍な面持ちをまじまじと見つめる。口元に、人を揶揄う獣の笑みが浮かんで見えた。魔獅子──と呼ぶほど剣呑ではないが、狩る気のない猫が獲物を眺める時の目を思わせる、恐ろしくも長閑な気配が漂っている。フレイザは、自分が途方もなく巨大な猛獣の前で、うっかり川遊びをした子供になった気がした。魔獅子の機嫌が良いので、水辺から引きずり込まれずに済んだが、それは本当に運が良かっただけ、という恐怖に心臓が冷たい汗をかく。
「団長、あの」
 フレイザが喘ぐ。イポスは黙って目を細めると、口を噤むように促してきた。大人しくフレイザが黙ると、イポスの機嫌はますます良くなったようだった。見えない、しっとりした尾鰭が頭を撫でていくのに似た、涼しい気配を感じて思わず息を止めてしまう。
「いい品を見つけたな、フレイザ。気に入った」
 一杯奢ってやる、とイポスはウィンクして、老店主に布を手渡す。奥にある作業台には、すでに買うと決めた生地の巻物がいくつか並んでいた。フレイザはほっと息をついてから、手に提げた荷物を見る。やはり、ここでの買い物は背負っていくしかなさそうだ。


 会計をすべて済ませると荷物をまとめて、二人は店を出た。フレイザがイポスの抱える袋を背負おうと申し出ると、イポスはきょとんとしてから、げらげらと笑って止めた。
「さすがに、お前に何もかも持たせるつもりはねえよ」
「そうですか、まあ、そうしていただけると助かります」
 巻かれた生地の中で、さっきの薄布だけ、人通りの微風にひらひらと揺れて、気をつけないと袋から吹き飛ばされてしまいそうに見えた。するすると滑り、はみ出した布が空中に翻る。宙に浮いた水たまりのような薄水色の生地を、フレイザは思わず目で追いかける。イポスの肩越しにはためく、それは本当に透明な銀色の鰭に見える。イポスの隣で、フレイザは不思議な快さに浸っていた。澄み切って、だが、底のない水辺に優しく足を取られて、沈んでいく心地だ。恐怖より、どこまでも深く透き通った煌めく水底への誘惑が勝っていた。
 布問屋の通りを出て、人通りのまばらになった広場に出る。噴水を横切り、仕立屋のある通りに向かう角を曲がると、イポスが不意に立ち止まり、フレイザを振り向いた。
「団長?」
 つられて立ち止まったフレイザの目の前に、するりと水の幕が下りる。滑らかで煌めく布越しに、イポスの熱い唇が唇を塞いできた。布の質感なのか、イポスの唇が濡れていたのか解らないが、少し乾いていたフレイザの唇は、短く悪戯な口づけで微かに潤った。
 驚いて目を見開く。
 イポスが、団員の数名と体の関係を持っているのはフレイザも知っている。総伝令のリムとは特に懇ろな仲の様子だったし、面倒見が良く人望篤いセンですら、そういう夜を過ごしたのは一度や二度ではないと話していた。フレイザも、前触れもなく唐突に夜の訪いを受けて逞しい体を抱いた事がある。が、こういう、休養期間に仕掛けてくる事はなかった。すべて、戦いの熱や興奮を冷ますイポスなりの通過儀礼めいた部分が、あったのだ。
(なのに、どうして)
 熱い唇はすぐに離れていったが、フレイザは声らしい声を出せずにイポスを見つめていた。どうしたんです、と言葉を紡いだつもりが、水中で泡になって立ち上るように、呼吸だけが消えていく。
 面食らっているフレイザを、イポスは面白そうに眺めていた。
「前に飲みに寄った酒場、覚えてるだろう?仕立てが終わるまでそこで待ってな」
「団長、それは」
「仕立てた服を着ていく。今晩は俺に溺れ死んでいいぞ」
 イポスは徒っぽく耳打ちすると、フレイザに被せた布を手元にたぐり寄せた。呆然としているフレイザの手から、色とりどりの布地や羽根を詰めた袋を回収していく。
 両手が塞がったままのイポスは、首を傾げて伸ばし、帽子の陰でフレイザの唇をもう一度啄んだ。
 じゃあ後でな、とさっぱりした口調で告げて、イポスはさっさと歩き去ってしまう。フレイザは上機嫌な後ろ姿を見つめたまま、ぱくぱくと口を開いていたが、結局呼びとめられずに取り残されてしまった。
(もしかしたら、陸にいながら溺死するかもしれないな)
 快い恐怖を口の中に感じながら、フレイザはぞっと身を震わせた。




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