「氷結の錬金術師…ですか。」
キング・ブラッドレイ大総統から告げられた二つ名を復唱する。そうだ、とこの国の最高権力者が力強く頷いた。
聞き慣れないその名を持つ男は、イシュヴァール殲滅戦の後、国家資格を返上し、現在は反政府運動に身を投じているという。要は反体制ゲリラという事か。
彼が何を思って軍を離脱したのかは知る由もないが、政府へ牙を立てようと言うのなら紛れもなく敵だ。
ブラッドレイ大総統から命じられた、"元"氷結の錬金術師、アイザック・マクドゥーガルの掃討令に、私は敬礼をもって応じた。
「マスタング大佐。」
「エル。君も駆り出されたのか。…ああ、そうか、まだ中央所属になっているんだったな。」
「はい。東方司令部への正式な配属は来週からですから。マスタング大佐は捕獲の指揮を受けていると聞いています。私は別系統で指揮命令を受けている為、別行動になりますが…アイザックは氷結…水属性と聞いています。くれぐれも、お気を付け下さい。」
「君こそな。アイザックは強い。無茶するんじゃないぞ。」
「はい。」
中央司令部を出た階段でマスタング大佐に出くわし、簡単に言葉を交わす。遠くにリザさんも見つけたが、今は言葉を交わす時間は無いだろう。
では、と声を掛けその場を去ろうとすると、背中に僅かな温もりを感じた。マスタング大佐の手が、私の背中を押していた。振り返らず、右手を上げることでそれに応えると、私は夜の帳へ一目散に駆け出した。
*****
私が走り回っていた区画とは別の区画でアイザックと交戦、一時的に捕縛した後に逃亡したと報告を受けたのは、アイザックが中央刑務所に潜入した後の事だった。
紅蓮の錬金術師、ゾルフ・J・キンブリーの投獄されている牢の前の看守が氷結により殺害されていたと聞いたが、当のキンブリーは昨夜の事について何も知らぬ存ぜぬと黙秘しているという。
アイザックが何を考えているのかは皆目検討も付かないが、今夜中に始末するに越したことはない。私がその場にいさえすれば、と歯噛みすらしてしまうが、今はそんな事を考えている暇すら惜しい。
聞けば、アイザックは路地裏で何やら怪しい動きをしていたという。中央に路地裏など腐る程あるが、ひとまずは彼に逃げられた路地に向かうのが得策だろう。今は少しでも情報が欲しい。
聞いていた路地に向かう最中、全身鎧の大男と、赤いコートを着た金髪の少年が佇んでいるのが見えた。一般市民にしては目立ち過ぎる出で立ちに、少々の疑問が芽生えるが、彼らに細やかに構っている暇も無い。
「そこの少年。外は危険です、直ちに自宅へ帰りなさい。」
「あんた中央の軍人か?俺達はだなあ、」
「ここは危険だと言っているんです。子供は早く避難しなさい。死にたいのなら無理にとは言いませんが。」
「子供子供って、だーかーら!俺は!」
赤いコートの少年がキイキイ怒鳴り声を上げるが、それを聞くまでも無くその場を後にする。私は言うだけのことは言った。この後彼らが避難しそびれてうっかり巻き込まれて死のうが私に責任は無い。彼らの避難を見届けることなく走り去る私に驚いたのか、オイ、あんた!と声を掛けられていた気もするが、気に止めることなく足を進めた。
私の今の任務はあくまでアイザックの掃討。市民の安全確保までは私の仕事じゃない。その内この辺りを通るであろう軍人が先程の子供を避難させるだろう。
現場を見られなかったのは少々痛手だが、うるさそうなあの子供達に構うよりは恐らくマシだろうと、別の目撃証言のあった路地へと走り出した。
*****
無人の薄暗い路地裏に、見たことの無い錬成陣が描かれている。まだ他にここに到着した軍人はいないようだ。何だこれは、と一歩足を進めたと同時に錬成陣が赤く強く怪しい光を放ち始めた。
その光は段々と強さを増し、バチバチと空へ立ち上っていく。薄暗さも相まってその異様さに一瞬息を飲む。
そして、ここだけではない、他にも大きな錬成反応が複数。
「…同時にこの大きさの錬成反応…まさか、賢者の石…?」
呟くと、錬成陣を中心に周囲から冷気が集まり、付近が徐々に氷漬けになっていく。見る間に巨大な氷の壁が錬成されていった。まずい、このままでは氷結に巻き込まれる。
バックステップで路地から脱出し、半ば呆然とその氷結速度を分析する。複数の同様の錬成反応、もしかしてアイザックは中央司令部を氷漬けにするつもりなのか?
咄嗟に氷の壁に帯刀している剣で斬り掛かるが、斬撃を受けたそこはすぐにまた氷に覆われダメージが無きものにされる。小さく舌打ちをし、両手を祈るように合わせた。
両手を氷の壁に当てると進行方向を塞いでいたそれはバキバキと音を立て崩れ落ちた。一発では足りない。再生するよりも早く壊す。
恐らくこれは複数の錬成陣を組み合わせた巨大な錬成だ。一箇所でも錬成陣を破壊してしまえば他の壁も消えるはず。
錬成陣が発動してしまった以上、アイザックを止めた所でこの錬成が止まるのかは定かではない。しかし、アイザックが賢者の石を用いてこの計画を立てたのであれば、私は彼に会う必要がある。それは、至極私的な理由ではあるが。
壊しても壊してもキリのない氷の壁にもう1つ舌打ちを零す。そもそも何でここに人員が配置されていないんだ。人員不足か?仕事をしろ、仕事を。
近くの路地に引きずるような足音が微かに聞こえた。もしや、と思い目を向けると壁伝いに歩みを進める、軍服を着崩した長い黒髪の後ろ姿が見えた。
「アイザック…!」
やっと応援に駆け付けた軍人達に氷の壁を託し、アイザックの後ろ姿が消えていった路地へと走り出した。後ろから戸惑ったような声が聞こえるが、無視だ。
「…ブラッドレイ…!」
滑り込んだ路地でアイザックを挟むようにして立っていたのはブラッドレイ大総統だった。その隻眼はアイザックをキツく睨み付けている。
私は静かに銃を構え、アイザックに的を絞るが、ブラッドレイ大総統にまだ手を出すなと目配せをされた。それに気付いたアイザックは横目で私を見るが、興味が無いと言った風にすぐにブラッドレイ大総統に向き直り、低く笑い声をあげる。
狙いは中央司令部と、ブラッドレイ大総統か!
「覚悟ォ!!」
己の血を凍らせ槍のようにそれを持つと、ブラッドレイ大総統に下卑た笑いを向ける。一歩、一歩、と歩みを進め、興奮したようにどんどんと足を早める。ブラッドレイ大総統は動かない。隻眼で彼をただ見据えるのみ。少々焦るが、それでも私は彼からの攻撃許可が降りていない。
「ッ、大総統!」
銃を構えたまま思わず声を上げ、2人がすれ違った瞬間。確かにブラッドレイ大総統を攻撃したように見えたが、アイザックは笑いを携えたまま両肩から出血した。アイザックの錬成した血の槍は砕かれ、膝から崩れ落ちる。そして、アイザックはそのまま仰向けに路地へと倒れ伏した。
ブラッドレイ大総統はいつの間にか抜剣しており、彼がアイザックへ致命傷を与えたのだと瞬時に把握し、彼に走り寄る。
「ブラッドレイ大総統!ご無事ですか?!」
「問題無い。それよりも、まだ息があるようだ。私はもう年なのか、肩が痛くて敵わん。」
「…私が。」
アイザックはか細く息をしている。出血量から見るに幾ばくもなく事切れるだろうが、言外にトドメを刺せと命令された以上、彼から何か情報を得る前にそうせざるを得ない。
スラリと剣を抜き、アイザックを上から見下ろす。
「お…ま…は、まさ…か、イシュヴァ…の、ガキ、か、」
「…!」
「りよ…、れてるとも、知ら…ず…」
「おや、君の仕事は犯罪者の遺言を聞くことかね?」
「いえ。」
「…は…、みじめな…ガキ、め、」
「…黙れ。」
振り下ろした剣は心臓に真っ直ぐ一突き。アイザックは小さく血を吐き、そのまま息をすることは無かった。剣を引き抜くと血が噴き出し、私の顔と軍服を汚す。
頬に付いた血を右手でグイ、と拭うと、引き抜いた剣を空で一振りし血を飛ばした。ブラッドレイ大総統はそれまでの剣呑な瞳を仕舞い、ニコリと笑った。
「ここは私が片付けるとしよう。君はマスタング大佐の補佐へ回ってくれ。」
「…承知、致しました。」
路地に広がる赤黒い血液の中に、赤い石のようなものがチリとなって消えたように見えたが、私はマスタング大佐の元へ足を進めた。
残念ですね、と誰かの声が遠くから聞こえた。