私は、怒っていた。
「ねえ恵美」
「………」
「ねえってば」
「………」
先ほどから続く彼の呼びかけを徹底的に無視し、日が傾き始めた道を歩く。
後輩が先輩を置いてずかずかと進むさまは、ある種異質に映るだろう。
そんな考えが微かに過ぎったが、それでも抑えられなかった。
彼に対する、怒りの気持ちを。
「どうして何も答えてくれないんだい?」
「………」
「僕、何かしてしまったかな」
「自覚があるなら…っ!」
彼の一言で、私の心は一気にざわついた。
そう、私は彼に<何か>をされたのだ。
そうでなければ、私がこんな態度をとることはない。
一瞬にして、胸がふつふつと燃え上がるような怒りを覚えた。顔の熱も一気に上がるのがわかる。
歩みを止め、俯きながら荒い呼吸を繰り返す。力いっぱいに握りしめた拳が震えるさまは、きっと彼からも見えるだろう。
思考が回らず、言葉が続かない。
口をついて出るのは抑えきれない吐息。呼吸をする喉すら震えている。
「……恵美」
「………」
少しの間の後、彼が呟くように名前を呼んだ。
恋人になってまだ数か月。未だに名前で呼ばれることに慣れていないから、その度気恥ずかしい気持ちになる。
彼の一言で、荒んだ心が僅かに落ち着くような気がした。
それでも態度は変えられない。
後戻りはできない。
そんな、自分を追い詰めるような心持ちだった。
———それは、今日の昼休みのこと。
一緒に屋上でお昼を食べる約束をしていた私たち。
待ち遠しかったチャイムが鳴ると、私は早々に机の上を片付け、走るように屋上へ向かった。
風間さんたち三年生の教室は一階なのだけど、待たせるまいと息を切らせながら階段を駆け上がった。
そして屋上へのドアに手をかけた、その時。
「………私、」
女子生徒の声が、ドアの向こうから聞こえてきたのだ。
誰と話しているのか、いけないと思いつつそっと覗いてみると。
「……え…?」
そこには、私が一番会いたかった相手がいた。
でも今、彼の瞳に映っている女子生徒を、私は知らない。
私との約束は?
どうして私の知らない異性と一緒にいるの?
困惑する私に追い打ちをかけるように聞こえてきた会話に、たまらず階段を駆け下りた。
(……好きって、言ってた)
(……風間さんのこと)
自分のクラスのある階まで走り下りた私は一転、今にも止まりそうな足取りで廊下を歩いていた。
(……こくはく、だよね、あれ)
せっかく、一秒でも早く会いたいと、走ってきたのに。
私じゃない異性の人に、優しいまなざしを向けていた。
わたしは、なんなんだろう。
胃のあたりがずんと重く、顔を上げることさえできない。
教室に戻る気力もなくて、昼休みが終わるまで校舎の外でぼんやりと過ごした。
「恵美!」
放課後、彼は息を切らせて私を迎えに来た。
否、一人で帰ろうと教室を後にした私を追いかけてきた。
私は彼に振り向くこともせず、ただ歩き続けた。
「昼休み、どうかしたのかい?約束していただろう?」
「………」
「待っていても来てくれなかったし、教室にも行ったけどいなかった。具合が悪かったのかい?」
「………」
私を包み込むようなやわらかな声が、今は素直に受け入れられない。
黙って歩き続ける私の数メートル後ろを、彼は距離を縮めずついてくる。
そして冒頭に至るのであった。
「……私じゃない人と約束してたんじゃないの」
「……え?どういうことだい?」
「知らない人と一緒にいた」
「……ああ」
一瞬言いよどむような声色が、私の苛立ちをより大きくした。
「私邪魔みたいだったから」
「そんなことはないよ」
「あんな雰囲気でいるのに、どうしたらよかったの!」
何も気にせずドアを開け、割り込めばよかったのか。
彼は私と付き合っているんだと主張すればよかったのか。
そんなことできるわけない。
「…恵美、もしかして、嫉妬してくれたのかい」
「……っ!?」
いろんな感情でごちゃまぜになっていた私の頭の中は、そんな彼の一言で真っ白になった。
「……そんなこと」
「拗ねてるんだね?」
「そんなこと!」
彼のからかうような態度に耐え切れず、勢いよく振り返り反論する。
西日が差し込みオレンジ色に染まる彼の顔は、先ほどの必死な呼びかけと打って変わって、穏やかな笑顔を浮かべていた。
なんだかそれが悔しくて、すぐにまた前を向き歩き出す。
徐々に彼の足音が近づいてくるのがわかった。
「…恵美」
「………」
「恵美ってば」
「………」
「ねっ」
だんだんと彼の声色が弾むように変わっていくさまが、また腹立たしい。
「かわいいね、恵美は」
………私の負け。
絶対の言葉を持つ彼に、私はいつも敵わないのだ。
title by 子猫恋 学園生活と日常