ん、と当然のように差し出された手をとって、真夜中の砂漠に足を踏み入れる。凪が国の要塞から出るのは嫁いできてからはじめてで、さらにいうとグリムジョーの宮を出るのは刺客に襲われてから今日がはじめてだった。歩きづらい砂をなんとか足に力を入れて踏みしめながら、ペースを合わせてくれているのか努めてゆっくり歩いてくれているグリムジョーと二言三言会話する。どこに行くの?と問うても、どこだろうな・と誤魔化されるが、彼はとても機嫌が良さそうだった。月に照らされた彼の横顔はいつもよりずっと明るく見えて、グリムジョーもまだ若い青年なのだと思い知らされる。
砂漠の夜は冷える。季節柄、日中も大分涼しくなったが夜はその比ではない。出かけ際、凪に、とディ・ロイが用意してくれていたマントとストールを纏って、ただ黙々と歩き続けた。グリムジョーの足跡を目で辿りながら、その存在がそこにあるということを確かめながら、グリムジョーにただついていく。夜、国の外でたったふたりだけ。真っ暗な世界なのに、不思議と不安はひとつもなかった。
着いたぞ、と声が頭上から聞こえて凪は顔を上げる。そこは砂丘の上だった。崩れかけた遺跡が残されていて、グリムジョーは砂の上から白磁の床の上に立った。そこに凪も手を取られて招き入れられる。
「ここって…」
「遺跡だ。昔から考え事するときにひとりで来てた」
グリムジョーは胸元から水筒を取り出すとそれを凪に渡す。ここまでそれなりに距離があったので、喉が渇いていないといえば嘘になった。知らない間に口に入っていた砂のジャリジャリした感覚も一緒に水と共に飲み込んで、少しだけすっきりした感覚になれた。
「上、見てみろ」
グリムジョーに水筒を返した時、彼は視線をついと上げた。凪もまたそれにつられて視線を頭上へと向ける。
「わぁ…」
感嘆のそれが漏れたのはほぼ無意識だった。頭上に広がるのは皓々と輝く月の明かりと、無限に広がる星々たち。今にも星たちが落ちてきそうなくらい空は近くて、思わず凪はそれに見入ってしまった。
「寝っ転がるとよく見えてな。ディ・ロイたちもここは知らねえ」
凪に見せたかった、とグリムジョーはポツリと呟く。圧倒的な自然の力に凪は言葉を失い、ただ黙って空を見上げ続けていた。空と一体化してしまいそうなくらいそれは近くて大きくて、今にも飲み込まれてしまいそうだ。グリムジョーはいつもこれをひとりで見ていたのか。思わず怖くなるくらいにそれは輝き続けていて、全てを暴かれてしまいそうなくらい、光り輝き続けていた。
「すごいね、綺麗…」
「いつか俺は王になって、ここも領土にする。あんなちんけな土地だけで満足できるか」
はっと鼻で笑ってグリムジョーは言う。そうなのね、と凪は相槌を打って空から視線をグリムジョーへと向けた。
「俺の嫁になって、お前は俺が王になるのを隣で見てろ」
ぶっきらぼうだけど、彼らしいものの言い方で、思わず凪は笑いそうになる。嫁いできて、妻になることを約束した身だ。何を今更、と言おうとしたら、繋がれていた手が一度解かれた。そしてグリムジョーは、ポケットから何かを探ってそれを凪の前にかざす。月明かりに照らされたプラチナのリングがそこにはあった。
「指輪…?」
「この状況じゃまた婚姻の儀なんて面倒くせぇもんもやりたくねぇだろ。だから、これでもつけて堂々としとけ」
すっと左の薬指を取られて、それをはめられる。サイズを測られたわけでもなかったのに、それはなんの引っかかりもなく指に入って、凪は思わずそれを眼前に掲げた。プラチナの真ん中に埋められたサファイアブルーのそれは、グリムジョーの瞳を連想させる。「ついでに俺もつけてるぜ」といつの間にか自分ではめたのだろう、グリムジョーも同じものを左の薬指にはめていた。少年のように笑ったグリムジョーに、凪もつられて笑う。そして思わず彼の首に抱きつけば、彼は一切のぶれもなく抱き止めてくれた。耳元で小さく囁かれる名前。それに、なあに?と返事をする。
「お前は俺のだ。二度と怪我させねぇし離さねぇ」
「ありがとう。私はあなたのものだし、あなたも私のものよ」
ね?と目を合わせて笑いかければ、グリムジョーの左手が頬に添えられる。指輪の冷たさが頬に伝わって、少し目を窄めた。重ねられた唇は、少し砂の味がした。砂漠の真ん中で、私たちは愛を誓う。月と星がそれを見ていた。この誓いは、絶対に破られることはない。この時はそう、強く思っていた。