依存という名の執着
「凪に何言ったの?」
怪訝そうに眉を顰めた顔馴染みの破面は、非難めいたような、しかしその奥には哀しげな色味をのせた瞳でじっと見上げてきた。
「てめえには関係ねえよ」
反射的に一蹴しその場から響転で去ろうとすれば、待ってよ!と背を引っ張られるような声がぶつけられた。いつもなら無視して立ち去るのに、今日はなぜかその言葉に従ってしまった。
一歩踏み出した足をそのままに振り返りながら剣呑な目でその破面を見下ろしながら考える。何を言ったかだって?どれのことだ。
子ができたと深刻な顔をして告げてきた凪に、思わず誰の子だと聞き返したのがいけなかったのか。しかし彼女はそれに対して怒りをみせることなく、未知のものに対する恐れに怯えているかのように瞳を大きく開けたまま、そんなの、あんたしかいないと告げてきた。
何かの間違いだろとその時は突き放した。
しかし凪のあまりに思い詰めた様子とここ最近の彼女の不調さを鑑みると、嘘をついているとは到底思えなかったしわざわざそのような嘘をつく理由はどこにもなかった。
「ぼろぼろだよ、あのままだと本当に消えちゃうよ」
死という言葉はあえて使わずにその現実を突きつけてきた破面に、うるせえと噛み付くように言い返す。言われなくてもわかっている。身体的な負荷というより精神的なものの方が大きいのだろう。凪のあんなに不安に満ちた表情は見たことがない。いつもの勝ち気で生意気な様はどこかにいってしまっていた。
わかっている。凪が自分に何を聞きたいのか、何を言ってほしいのか。きっと凪は、自分が明確に何か言えばそれに反対することなく覚悟を決めるのだろう。産めといえば腹を括るだろうし、産むなといえば産まない選択をする。他人に判断を委ねるような女ではないが、今回ばかりは彼女ひとりで決められるようなものではなかったし、彼女自身も予想だにしていなかった事態をまだ受け入れられておらず、また正解を導き出せていないのだ。それは自分も同じこと。
「グリムジョーは凪にどうしてほしいの?どうあってほしいの?」
どうあって、と思わず口の中でその言葉を繰り返した。そんなもの、共に生きると決めた時からひとつも揺らいでいない。
「凪が生きてりゃ他はどうでもいい」
吐き捨てるように言い置いて、今度こそ響転でその場を去った。
凪を生かしておくにはどうすることが正解なのか。いっそ腹を殴れば全てなかったことになるのかとも考えたが、凪への影響も考えるとそれは実行できなかった(倫理に反するだろうがそんなものはじめから持ち合わせていない)。
誰がこの正しい解を有しているのか。何もわからない。古から存在している破面でさえ分からないことを、自分が分かるはずなどない。何をどうすれば彼女と共に生き続けられるのか。…そんなに高望みかこれは。
唐突に、あの夜見た夢が脳裏を掠めた。
死覇装姿の、腹に大穴の空いた凪。
あれは、腹の中から化け物が出てきたのではないか。今凪の腹の中で成長して虚と化した子が虚閃でも打ってみろ、凪の腹は破られる。内側から内臓を破壊されたら、生き永らえるのは難しい。現にあの夢で見た凪から流れ出ていた血の量は明らかに致命傷だった。夢と重ねること自体おかしいことはわかっている。それでも、思考は止まらない。
正直俺の子とかそんなのどうでもよかった。
凪が身籠ったのが凪が秘密裏に通じていた死神との子であれば、凪が死なない確率はずっと高い。そもそも人の女に手を出した奴がいたら八つ裂きにしているが、今はそうであってほしいとも思ってしまう、矛盾だらけだ。
ただ、生きていてくれればいい。
何度も死にかけた凪を目にしてきたが、そのたびに肝が冷えたし生き延びてくれたことに安堵した。
しかし、今度ばかりは。
真綿で首を絞められるかのように、時間ばかりが経っていく。
自問自答を繰り返しながら宮に戻れば、部屋の灯りをつけることなく凪が寝台で眠っていた。普段であれば霊圧ですぐに気づいて目を覚ましていたのに、最近はその感覚も鈍っているのか、全く気づくことなく眠り続けている。そばに寄って彼女の顔を覗き込めば、白いを通り越して青白くなった頬が目についた。触れようと手を伸ばすが、起こしてしまうやもと手を一度引っ込める。こんなにそばにいるのに彼女は自分に気がつかない。固く閉ざした瞳はぴくりとも動かない。目元に深く刻まれた陰は、彼女が毎夜眠れていないことを如実に示していて。それを目の当たりにし、今せっかく眠れている凪を起こすのは忍びなかった。
それでも、どうしても触れたいと思ってしまったのは自分の欲が強いせいなのか。
「…死ななきゃなんでもいいっつってんだろ」
誰に言うわけでもなく小さくそう呟き、彼女の頬にそっと触れる。凪の睫毛が微かに動くが、それ以上の反応はない。腹に目をやるがそこに何かがいるとはまだ信じられなかった。見た目の変化がないからか?それとも今という現実を信じたくないからなのか。
「てめえが死なねえならなんでもいいんだよ」
子を産もうがなんだろうが、凪がいるなら。いつの間に自分は彼女にここまで執着するようになったのか。この身の内に刻まれた破壊という衝動と同じくらい、今の自分は彼女に依存している。それはここ最近のことではない。彼女が虚圏に現れたその時から。否、その感覚はずっと前からあった気がする。何かを求めて、渇きを求めて探し続けていた。埋めたかったそれ。癪だが、それはこの女でしか埋められなかった。
「…今てめえに消えられたら、俺が殺したようなもんじゃねえか」
ぽつりと口から出たその言葉は、自分が目を背けていた一番の事実だった。
(20220809)