Yo Bailo

「順調っすね」

腹に塗られたジェル状のものと、腹の中を見るための機械だという金属の機器がひんやりとしていて、はじめてそれが当てられた時は反射で体が震える感触がした。しかしそれも一瞬のこと。モニターに映された、はじめて見る身体の中のモノクロの映像を凝視することで他の五感など凪の中からいつの間にか消えてしまってきた。
腹の中でくるくる動いている赤子らしき姿がモニターに映されていて、ああ元気だなあと凪はぼんやりと思った。最近は四六時中腹の中で赤子がどこどこと遠慮なく暴れ回っていて、思わずその衝撃に呻いてしまうくらいには胎動もすっかり大きくなりつつある。暴れすぎでは?と思うこともあるが、グリムジョーの子だと思えばそれはそれで納得というか。

手の中の機器を動かしながら、これが顔っすね〜と解説してくれる浦原は相変わらず多才という言葉だけでは片付けられない人物だ。
どこからかエコーと呼ばれる機械を調達してきて(もしかして作った?)、赤ちゃん見てみましょ!と提案され、なされるがまま今に至る。
浦原商店に匿われて早数ヶ月。腹も目立つくらいには膨らんできた。いつ生まれるのかわからないけれど、定期的にこうやって浦原が主治医のように状況を診てくれる。その知識の豊富さには脱帽だ。たまに医師である黒崎一心も来てくれるが、彼は彼で地獄の門が開かれたことに伴い死神化して戦いに行く機会も増えているようだ。しかしそれは浦原も同じ。今平気そうに凪の相手をしてくれているが、先ほどまた大きな戦いがあって、そこに参戦していたことは小耳に挟んでいた。疲れも溜まっているはず。

こんな時に腹に子がいることで、自分がその子を産むと選択したことで、戦力を減らしてしまっているのは心が痛むし、自分を置いて戦いに行ったグリムジョーの安否だって気になるのが正直なところだ。
それを思い少し凪の目が翳ったことに気付いたのか、浦原はひとつ笑った。

「グリムジョーさんは元気に暴れてましたよ」
「…それなら良かった」

グリムジョーの安否が分かり、素直に安堵感が心を満たす。あの男がそう簡単にやられることはないと信じているが、今回の敵は未知数すぎる。未知数な敵というのはいつものことだが、地獄からの舞い戻ったかつての敵たちが相手だ。死神の隊長クラスが何人もいるというから、心配にもなる。
まあ、私に死ぬなと言っておきながらあの男が勝手にひとり死ぬことなんて絶対許されないのだけれど。

「赤ちゃんも元気に暴れてますねえ。さすがグリムジョーさんの子っすね」
「異変とかないかしら?その…」
「今のところ普通の死神の子と同じ要素しか見当たらないっすね。極端に大きいとか凪サンの身が危険とか、そういうのはないです」

自分が宿しているのは死神と破面の子だ。あまりにも未知数すぎて、本当に無事に生まれるのか、生まれたところで生きていていい存在なのか、はたまた自分自身が無事でいられるのかわからない。けれど、宿った子を早々に殺してまで生きる選択はできなかった。だから今こうやって色んな人に助けられて保護されて日々を過ごせているのだけれど。 

「…ねえ浦原さん」
「はい?」

帽子の奥から向けられた彼の目は少し疲れが見えた。グリムジョーとの契約で凪を保護し、尸魂界と虚圏、現世の橋渡しをしながら自身も戦いに行く。疲れないわけがない。正直こうやって凪の状況を診てくれるのだって、優先度的には最下位にきてもいいレベルのこと。保護されたまま、何もできない自分はお荷物でしかない。今の自分にできることを考えていた時、ついと言葉が出てしまった。

「疲れた時は私の身体好きに使ってくれていいですよ」

妊娠中にそういう行為をしてはいけないというきまりはないし、別にしてもいいらしい。幸い自分も赤子も元気だ。疲労が溜まるとそういう欲が高まると聞く。浦原もそういう欲を発散できる相手がいればと思ったがその存在の気配は身近にはないので、そういう面で助けになれるのなら…と提案したのだが。凪の予想だにしない言葉に浦原はぴたりと動きを止め、目を瞠っている。

凪は首を傾げて、今なら妊娠の心配ないですし・と続けた(だって既に身籠もっているのだから)。まぁ急にこんな提案したらびっくりするか…と冷静に思うが、今の自分にできることはこれくらいだと思っていたので自分自身は何の気もなく言っただけなのだ。それが他人と感覚がずれているとかそういうのもわからないくらい、自然に出た発想だった。
どうします?と彼の意向を聞き出そうとすれば、浦原は「失礼しますよ」と凪の腹のジェルをそばに置いてあったタオルできれいに拭き取り、死覇装の前をゆっくりと締めてくれた。

「…凪サン、藍染に何吹き込まれたんです?」

不意に出た藍染の名に、凪は思わず肩が上がる。そこまでお見通しなのはさすがというべきか。

「男は疲れた時は女を抱くとか、欲を発散することで疲労を回復させるとか」

今思えばもう昔と言っていいだろう。藍染の元にいた時、そう言い聞かせられ黙って抱かれていた頃。あの頃のことは消し去りたい記憶ではあるが、刻まれた言葉はなかなか消えてくれない(実際戦いの後昂ったままのグリムジョーに抱かれたことも数知れない)。
ただそれが事実で、戦えない自分が少しでも別のやり方で役に立てるのなら。そう思って提案したのだが。…言っておくが誰にでもこんなことは言わない。私だって相手を選ぶ。浦原さんなら後腐れなく処理してくれそうだと思ったからで。

真っ直ぐ浦原を見る凪の視線を受け止めながら、浦原は大袈裟にため息をついた。そして両手を上げながら、「いやですよ、僕、グリムジョーさんに殺されたくないんで」と努めて明るい口調で凪の誘いをきっぱりと拒絶したのだった。

「凪サン。それ、他の人に言っちゃだめっすからね。藍染の言ってたことは全部忘れること。あと、男は男でそういうとき自分で処理できるので気にしないでください」

あけすけに言った浦原に、凪は少し驚いたような表情を見せた。それを見やり、浦原は彼女のバックボーンを思って少し悲しそうな笑顔を向ける。

「凪サンは本当に何も気にせず、その子を産むことだけ考えててください。それがあなたが今一番やるべきことです」

凪はその浦原の言葉に、素直に小さく頷いた。誰にでもそれ言っちゃダメですよ!その気になる男だっているかもしれないんすからね!と浦原は凪に念を押しながら立ち上がった。立ち上がり様に渡されたのは、先ほどモニターで見ていた映像の写真。白黒ではっきり見えるものではないが、ああこれが顔なのか、とわかるくらいしっかりそれだけは認識できた。思わず写真を撫でれば、その様子に浦原が小さく安堵したように笑う。

「これ、グリムジョーさんに会ったら見せてきますからね。いつも通り、凪サンはゆっくり過ごしててください」

余計なことは考えないで、と念を押され、凪は黙って頷いた。


・・・


「お子さん元気でしたよ」

虚圏に湧いた地獄の餓鬼を一通り葬って、岩場で膝を立て座っていたグリムジョーの背後に浦原は立った。グリムジョーはちらりとそちらを見やって、ふんと鼻を鳴らす。爪の間に入った餓鬼たちの血を払って立ち上がり浦原を見下ろせば、「写真、見ますか?」と浦原が問うてきた。思わず眉間に皺が寄る。凪の命を危険に晒す可能性があるものは、自分の子であろうが容赦はしない。ただでさえ凪の体内にいるのだ。いつ腹が破られるかわからないのに、そんなもの悠長に見たくないというのが正直な感情だった。

「んなもん興味ねえ。そんなことより凪はちゃんと生きてんだろうな」
「アタシを誘うくらいには元気ですよ」
「…ぁあ?!」

誘う、という言葉の意味がどういう誘いなのかわからないほど鈍感ではない。てめえどういうことだ!と思わず浦原の胸ぐらを掴みかかろうとすれば、浦原はぴょんと空気を感じさせない軽やかさで後ろに飛びつつ「やだなぁ、グリムジョーさんがいるのに凪サンの誘いに乗るわけないじゃないですかぁ!」と顔の前で手を振りながら否定してくる。その調子の良さと声音の軽さがさらに苛立ちを助長させて、なんなんだてめえはよ!と声が荒立った。
そんなグリムジョーの様子に笑ったかと思えば、浦原は不意に声のトーンをひとつ落とした。

「真面目な話、自分の無力さに病みかけてるんですよ、彼女。不安も大きいでしょうし」

先程までの調子と打って変わって真面目な様子の浦原の言葉に、珍しく不安そうな色を目に乗せてじっと自分を見上げてきていた彼女の顔が脳裏によぎる。思わず奥歯を噛んで拳を握れば、凪と揃いの指輪が手の中でギリっと鳴った。

「いろんなことを考えすぎてしまって、藍染に言われていたことすら今になって思い出す。そしてそれを疑えない。そんな精神状態ってことです」

藍染、と久し振りにその名を口の中で呟く。凪を好きに扱っていたあの男。チッと思わず舌を打ち、凪の精神が大分追い詰められていることを悟った。あのいつも冷静な女がそんなこと言い出すとは通常だと考えられないし、ましてや藍染から受けた影響が今更ぶり返しているなんて、考えたくもなかった。

「胸糞悪い」
「意地張ってないで会えばいいじゃないっすか。今は戦いも小康状態ですし」

グリムジョーさんに会えば凪サンだって安定しますって、とまた軽い調子でいう浦原に、グリムジョーはんなことわかってんだよ、と歯噛みする。
分かっているのだ。自分達は離れてはいけない。お互いがお互いの存在で軸を保てている。それを分かっていながら凪から離れて戦いに身を投じているのには理由がある。

「賭けてんだよ、あいつが生き延びることに」

空を見上げれば、満月が周囲の雲を皓々と照らしていた。その月明かりはいつか凪とふたりで空を見上げながら他愛のない話をした時を思い出させる。
今特に欲しいものや願いはないけれど、と前置きをした上で、大切なものを断つことで願いを叶える風習が現世にあると凪が言った。尸魂界にも似たような風習があるらしく、そんな風習馬鹿馬鹿しいと彼女は笑っていたが、ついと真面目な顔をしたかと思えば「いつか神にも縋りたい何かが起こったら、まずはあんたから断つことにするわね」と一転微笑を浮かべながら言ったのだ。

凪を失いたくないから、彼女を断ってなすべきことをなす。それが今自分にできること。中途半端なことはできない。

「だからてめえは黙って凪を保護してろ。精神状態やべえってわかってんならとっととなんとかしやがれ」

八つ当たりに近い形で吠えて浦原を睨めば、ハハッと帽子を押さえながら彼は笑った。面白い人たちだ、あなた方は・と浦原が言う。
ケアはしますよちゃんとね・と続けられた言葉は、幾許か真剣みを帯びていて。グリムジョーはまたひとつ舌を打って月を見上げた。


(20220912)