終わらずの輪廻
白の死覇装を身に纏い、斬魄刀を腰に挿すのは久方ぶりだった。身体は覚えているのだろう、背筋が伸びて口元も引き締まった。戦闘態勢に自分が入ったのがわかる。
織姫に無理を言って妊娠前の状態に身体を戻してもらった。そこから浦原商店の勉強部屋で鈍った身体を戦える状態に仕上げるまで一週間。僅かな時間だったが寝る間も惜しんで鍛錬をし、時には虚圏に危険承知で戻って濃度の高い霊子を浴びて霊圧の回復にあてた(あちら側から黒腔を開けてもらう必要があったから少し大変だったけれど)。
鬼道も七十番台までの詠唱破棄は問題なくできた。さすがにそれ以上はまだ難しかったが、ほぼ力は戻ってきている。あと心配なのは体力だけだが、こればっかりは死ぬ気で踏ん張るしかない。
『無茶はしないでください』
力を戻した後戦いに出ると凪が告げた時、止めても無駄だと分かっていたのだろう、浦原はため息混じりにそう言った。その子のことも話さなきゃいけないんスから、と凪の隣に寝かされじたばたと手足を動かしながらひとりあーとかうーとか喋っている赤子に視線を投げる。そうね、と凪はそれに素直に頷き、我が子の頬をそっと撫でた。生まれてきた子はとても元気な男の子だった。ほとんど人間と変わらない魂をもって生まれた子。人間を虚圏には連れて行けない。凪が現世で子とともに生きることも選択肢としてあるのだろうが、それは逆に子どもを危険に晒す可能性だってある。
目を細め我が子にもう一度触れ、凪はこの子をよろしくお願いしますと浦原の隣に座っていた織姫に頭を下げた。
そっと部屋を出て、浦原商店の入り口の扉に手を掛ける。こうやって外に出るのもいつ以来か。戸をゆっくり引いてやれば、外気が頬をそっと撫でてきた。意識して深呼吸をして外の空気を大きく吸い込む。行こう、そう思った時だった。
ふと自分にとって心地の良い霊圧が風に混じって全身に浴びせられた。凪は少し目を瞠ったが、すぐにいつもの表情に戻る。そしてついと上へと視線を向ければ、そこにはゆっくりと空から降りてくる彼の姿が。ふわりという効果音がつきそうなくらい、ゆっくりとグリムジョーが地上に降りてくる。ポケットに両手を突っ込んで、じっと凪を見ている。彼にはお見通しだったようだ。
「よくわかったわね」
再会の挨拶もしないまま凪は言う。子が生まれた夜に会った時に戦いたいと呟いた凪に、グリムジョーはそんな顔色の奴が何を言うと凪が戦うことを否定してきた。今私の顔色はどう?ちゃんと戦えるくらいには霊圧も戻した。ちゃんと、隣で戦えるよ。
「てめえの考えてることくらいすぐわかんだよ」
グリムジョーは唸るように、顎を上げて言い切った。そして思い出す。あの夜、久方ぶりに会った彼女の戦いたいという言葉は紛れもない本心だった。これは自分が止めたとしても、なんとしてでも身体と霊力を戻し戦える状態にするのだろうと。もちろん無理はさせたくなかったし地獄との戦いは日に日に激しさを増している。生ぬるい覚悟と力では瞬殺されるのが関の山だ。しかし、それをわかっていても、凪は来る。確信めいたものが自分の中にあって、案の定彼女は斬魄刀を腰に挿して、髪を結ってそこに居た。凛とした気配は少し前に子を産んだ女とは思えない。
「どうやって力元に戻した」
「織姫に力を借りた。虚圏に帰って濃い霊子を浴びたから、霊力も戻ってる」
霊力そのものは濃い霊子を浴びれば元に戻る。鎖結と魄睡が傷ついたわけではないため、戻るのは想定よりもずっと早かった。
事実を淡々と語ってやれば、グリムジョーは「は、急拵えだなぁ」と半分呆れたように鼻で笑ってきた。しかしその目は真剣だ。凪が本当に戦える状態なのか見極めているのだろう。
それを受け、凪は小さく顎を引いた。そしてその真剣な目をしっかりと受け止めて、言葉を投げる。
「あんたと並んで戦いたかったの。ただそれだけよ」
そう、理由はとてもシンプルなのだ。グリムジョーと並んで戦いたい。ただそれだけ。置いていかれることも置いていくこともしたくない。彼の隣に居られるのは私だけ。私だけが彼の隣に居てもいい。この関係は誰にもわからなくてもいい。誤っていると言われてもいい。子を置いてでも隣に並んで戦いたかった。だから、戻ってきた。
「お前、子はどうした」
凪の視線を受けながら、グリムジョーから赤子の話題が出されたことに少し驚いた。紛れもなく彼の子でもあるから発言自体全くおかしくないのだが、これまで彼の優先順位は子より凪だったためまさか、と。少しは親の自覚でも出てきたのかしら(でもどうやって?)なんて思いながら、こちらも正直に答える。
「織姫に託した」
「そうかよ」
「気になる?」
「…別に。てめえが決めててめえがいいならそれでいい」
この件に関してグリムジョーは何も言わない。きっと子を現世で育てるために虚圏に帰らないといえば受け入れるのだろうし(定期的に私には会いにくると思うけど)、子を誰かに託すと言っても頷いて何も言わないのだろう。
大切に思っていないわけでは、ないと思う。ただ彼は子にどう接していいかわからないのと、グリムジョーは私のことを愛しすぎている。自分で言うのはとてもくすぐったいし自意識過剰と言われればそれまでだ。しかし痛いほど伝わってくる彼の感情をずっと浴び続けているのだから、仕方ない。一緒に考えて欲しいとか、悩んで欲しいとか、そんなことも思わない。彼は彼で葛藤してずっと不安な気持ちを隠して戦っていたのだろうから(その不安は私が死なないかどうか、ということだけれど)。
凪は一瞬目を伏して息を吐く。それは諦めではなく、自分の中の未練を断ち切るものに近かった。
「…いいわけないけど、今はあんたと戦いたい」
顔をあげ、目の前のグリムジョーの手を取ってずっと思っていたことを言葉にして紡ぐ。これは私の決意だ。
「私は護り抜くの。この世界とあんたを。世界を護れば、あの子の生きる場所だってなくならない」
戦うことで私を護ろうとしてくれたグリムジョーのように、私も戦って護りたいものを護るのだ。それが正しいやり方かなんてわからないし、誤っていると言われればそうなのかもしれない。けれど、私は、私たちはこのやり方しか知らない。そして、お互いを護るためにも離れてはいけない。離れられない。そうしてしまったのは、自分たち。
「斬魄刀は戻ってんのか」
凪の腰に帯刀されたものを見ながら、グリムジョーは問う。凪は自分自身の斬魄刀を撫でながら、強く頷いた。
「ええ。卍解まで。ねえ
自らの斬魄刀の名を呼びその鞘をつうっと撫でる。柄と鞘は漆黒。その鍔だけが金。月明かりに反射してそれらが鈍く光った。
鬼道もそれなりに使えるようになってるのよ、とあえて得意げにして見せれば、ようやくグリムジョーはいつものように悪そうな顔で笑った。
「は!相変わらずだなてめえは」
「あんたもね」
少しも変わらないのはお互い様。いくぜ、と彼は珍しく手を振り払わずに、そのまま手を取って一緒に飛んだ。
霊圧を嗅ぎつけたのか、浦原商店の頭上に地獄の餓鬼とやらが数体飛来してきた。そっとグリムジョーの手を離し、斬魄刀を抜いて短くその名を呼んで始解すると同時に斬りつけた。久方ぶりに剣を振るったが、何の違和感もない。昨日までずっとそうしていたかのように斬魄刀と敵を斬った感触は手に馴染んで光悦と呼ばれる笑みが凪を彩る。斬りつけられた衝撃でゆらりとゆれた餓鬼の頭のてっぺんから股までをグリムジョーの爪が引き裂いていき、餓鬼は汚い悲鳴をあげながら地に帰っていく。
ああ、これよ、これなのよ。
一緒に戦えているという高揚感。なぜだか満たされる安堵感。やっぱり、私たちは離れられない。
「こんなときに悪いんだけど…」
餓鬼の血が降る空間で、そっと背伸びをして自分からグリムジョーの唇に自分のものを重ねた。触れるだけのそれを済ませて、少し驚いたような、怪訝そうな顔をした彼に向かって口角を上げてみせた。まだ言ってなかったから、と前置きをして、凪は小さく言った。
「ただいま」
(20220924)