残像のカケラ

扉をノックすれば澄んだ声が返ってくると同時にそれが開いた。相手を確認せずに扉を開くのは物騒だとも思うが、霊圧で誰がきたのか彼女ならすぐにわかるだろうし自衛できるだけの力もあるからそんな心配は不要だったな、と彼女の笑顔を見て思った。

「いらっしゃい、凪さん」

にこりと笑んだアウラに、届け物よと凪は手にしていた袋を彼女に渡した。
織姫から調達してもらった現世の食糧。もともと人間で、現世で暮らしていたアウラにとっては馴染み深いものばかりだろう。いつもありがとうございます、とアウラはそれを受け取りざまに、お茶でもどうですか?と部屋に招き入れてくれた。断る理由もないし(ネルのところへはグリムジョーにお使いを頼んだので時間はある)、その言葉に甘えて凪は通されたアウラの部屋のチェアに座った。

「こうやってふたりでゆっくりお話しするのは久しぶりですね」

紅茶の入ったカップを運んできたアウラは言いながらそれを凪の前に置いた。確かに、アウラと会う時はハリベルかネルが一緒の時が多いし、ふたりきりで会うのは久しぶりというにはかなり間が空いてしまったように思える。…むしろちゃんと向かい合って話すのは初めてかもしれない。

「不思議なものね。お互い虚圏にいるべき存在じゃないのに、今ではここでの暮らしに馴染んじゃってる」

紅茶を一口飲んで凪が言えば、アウラはくすりと笑った。死神である凪が虚圏に来た理由は藍染惣右介を殺すため。そして今もここに居るのはグリムジョーと共に生きると決めたから。アウラもアウラで、自分のやりたいことが見つかるまではここで生きると決めた。魂葬が必要になったら凪がいる。そう言ってアウラの虚圏滞在を快く受け入れたのはハリベルとネルだ。虚圏を統治するハリベルが受け入れ、ネルが背を押したのだから、アウラが虚圏で暮らすことに意を唱える破面はいない。いたとしても、アウラに返り討ちに合うかハリベルたちが許さないだろう。

「凪さんのことは、こちらにくる前から知っていました」

不意にアウラの口から飛び出た言葉に、凪は思わず持ち上げかけたカップの手が止まる。こちらにくる前、つまり、綱彌代時灘の三界を巻き込んだ戦いの時点での話か。

「虚圏に居座る死神がいるって?」

わざとかまをかけるような言い方をすれば、動じることなくアウラは首を横に振った。

「いいえ、藍染惣右介の虚圏侵攻前からです」

ぴくりと凪は眉を顰める。綱彌代時灘か?と思えば、おそらく凪さんが今考えていることが正解です、とアウラは言った。

「魂魄をいくら削られても消失しない存在が、藍染惣右介によって隠されている。その事実を綱彌代時灘は気づいていました」
「不思議じゃないわね。あの男の情報網は尸魂界にいたときから藍染も勘付いていたし」

多少君の存在を知られたとして害はない、いざとなれば殺せばいいだけだと言い切っていた藍染を思い出し、胸が少しざわついた。あの男に身も心も捕らえられていたことはいまだにトラウマの如く凪を支配している。

「いつかお話ししようと思ってました。凪さんのことを当時調べさせていただいて得た結論としては…多分…凪さんはこちら側です」

こちら側。
アウラの示すそれがなんのことかわからない凪ではない。くすっと頬杖をつきながら凪は不敵に微笑む。

「でしょうね。私の力は、完現術者のそれに近い」
「近いというよりそのものですよ」

アウラは言い切って、ずっとお話ししたかったんですともう一度繰り返した。

「凪さんは恐らく人間時代に霊王のかけらを身に宿していたと思います。死して魂魄となって死神となった。だから魂魄を削られても最後の最後まで消えなかったのだと」

自分の特異体質は熟知している。どんなに魂魄を削られても魂魄が消失することはなく、そのせいで藍染が崩玉を目覚めさせるための実験に利用された。いっそ他の存在と同じように消えてしまえればと思ったことだってある。実際、いよいよ消えてしまうと思ったことだってあった(鎖結が傷つけられたらさすがに厳しいのは事実)。だが、人の手を借りたと言ってもまだ自分は存在していて、力は鍛錬すればそれに比例して伸びている。溢れる力の源は、生まれながらにもった才能だけではないことをなんとなく悟ってはいたが。
実際に霊王の鎖結のかけらを身に宿したアウラに言われると、それが真実なのだろうと疑いもしなかった。
といっても、今自分が完現術の力を有しているからといって何か変わるわけではない。不本意ながらも自分は死神というカテゴリに属するのだから。

「人間時代の記憶は?」
「残念ながらかけらも残ってないわ」

人間時代も何か不思議な力を有していたでしょうね、とアウラは言うが、記憶のないことを知ろうと思わないし、今だって完現術を使えるわけでもなく、ただ魂魄が強いだけ。それはそれで良いのか悪いのか(実際それで藍染に利用されていたから)。

「今後も完現術をもった者が死神になるかもしれませんね」
「能力が違うのよね、みんな。私は何か使えるわけでもなく、魂魄が強いだけだから」

しぶといだけね、と凪は少し笑う。そのしぶとさのおかげで今があるのだが。

「…凪さんは人間時代、どんな人生を送られていたのでしょうね」

アウラがふと思いついたように呟く。さぁ…と凪は答えながらも、なんとなく、碌な死に方はしていないのだろうなと思った。今の時代ならともかく、特異な力を持った人間が幸せに存在できる時代に生きていたとは思えない。それでも、これはある意味願望にも似た思いではあるが、少しだけ頭によぎったものがある。

「何の力をもっていたかわからないけれど、自分を愛してくれた人に一度でもいいから使えていたなら本望ね」

らしくないなと思いながら、凪は言った。なんの会話をしているのだろうと思わざるを得ないけれど、アウラもそうだといいですね、と笑ってくれた。
人間の時の自分に今更興味もないしそれは別人に近いのだろうけれど。与えられていた能力が愛する人の役に立っていて欲しい、そうであって欲しかった、と思うのは、今愛する人がそばにいてくれているおかげかもしれない。

そんなことを思った瞬間、ざざっとノイズがかった何かが頭によぎる。


『やっぱり、綺麗な顔』


それは自分に似た声。そして暗闇。暗闇の奥にうっすらと見えたのは、青い目。…その目を自分は知っている。ぽわっと光った緑のひかりが目の前に広がってその情景は霧散した。

…まさかね。

心の中でひとりごちて、凪は紅茶を一気に飲み干した。


(20221129)