Tarjeta de residencia

「Tarjeta de residencia?」

聞き慣れないその単語を凪は鸚鵡のように復唱し、それとほぼ同時に隣に立っていたグリムジョーは、なんだそりゃ・と身も蓋もなく目の前の破面に言い放った。
それに臆することなく、現世や尸魂界でいう住民票だ・と表情を変えず答えたハリベルは、グリムジョーから凪に視線を移して説明を続ける。

「まずは虚夜宮に居住していた破面たちを中心に情報をまとめようと思っている」
「なんでまたそんなことを?」

黒のインナーで鼻先まで覆っているためハリベルの形の良い口元は見えないが、凪の疑問に対し「統治する上である程度情報の精査と管理は必要と判断した」と淀みなく答えてくれた。

藍染惣右介の虚圏侵攻、滅却師たちによる霊王護神大戦、そして綱彌代時灘の三界を巻き込んだ戦いと、わずか数年の間に虚圏の勢力図を大きく変える戦争が三度も起こっている。
それに伴い、名もない虚から数字持ちの破面まで、虚圏で生きていた虚の大半が消えてしまっていた。立て続けに戦争が起こったため、誰が生き残って誰が消えてしまったのか、また新しい破面が現れたのかなど、凪自身も目まぐるしく変わっていく虚圏の現状を全く把握できていなかった。

現在虚圏を統治しているハリベルが穏健派ということもあり、世界の均衡を保つためにも尸魂界とも不可侵協定を結んでいる(尸魂界というよりも京楽隊長と、だが)。

合理的に虚圏を統治するハリベルのおかげか、その後大きな混乱は起きずに虚圏も束の間の平和と呼べる時期に入っているのだが、それもいつまで続くかわからない。
いつかまた虚圏がまだ見ぬ敵に侵攻される可能性が残っているのであれば、自分達の居場所を護るためにもハリベルが今虚圏にいる破面たちを把握しておきたいという気持ちも理解できた。
まあ律儀に現世や尸魂界にならい、「Tarjeta de residencia」で管理しようとするのが慎重で確実性を重んじる彼女らしいところなのだが。

「お前のように虚以外の住人も増えたからな。万が一私が消えたとしても、その後継がすぐに虚圏を正しく把握し統治できる制度は整えておきたい」
「んなもんてめえが勝手にやればいいだろうが」

俺たちゃ関係ねえ、と、無視されていたことに気分を害したのか、グリムジョーはハリベルの言葉に被せるように声を荒げる。ハリベルの後ろに控えていた彼女の従属官たちが、「ハリベル様の言葉を遮るな!」とすかさず吠えた。それに対しグリムジョーもまた「うっせえぞクソ雌どもが!」と大変口悪く叫び返し、凪とハリベルを挟んで罵倒合戦がはじまってしまった。

「お前たち、やめろ」
「グリムジョーうるさい」

ほぼ同時に凪とハリベルがそれぞれ制止の声を上げる。押し黙った三人娘とは対照的に、なんで俺がてめえの指図受けねえとならねえんだ!と今度は凪に向かって吠え始めたグリムジョーを、凪は手の甲で追い払うように牽制した。

「話が進まないからあんたは黙ってて。…それで?管理はじめるっていうお知らせをわざわざしに来てくれたの?」
「お前たちは書類上も一緒に管理した方が良いと思ってな。念のため問題ないか確認しにきた」
「ああ、そういうこと」

律儀にそのことわりと確認をしにきてくれたハリベルに、凪は問題ないわと即答する。
死神である自分が虚圏に居ることは虚側からすると脅威になりかねない。しかし凪自身今更虚圏の破面を斃すつもりはないし、そもそも隣にいる、今後共に生きていくことを決めた男が破面なのだ。よっぽど自分達の脅威にならない限り、グリムジョーの同胞を無意味に斃すなんてことする気も起きなかった(グリムジョーは同胞なんて思っていないかもしれないが)。

確かにハリベルの言う通り、凪のことを把握しているハリベルがこの先虚圏の統治をするのであれば問題ないが、他に統治する破面が現れた時、凪の存在を正しく把握できずに攻撃してくる可能性もある。それをグリムジョーと一緒に管理してくれることでリスクを減らそうとしてくれているのだと理解した。グリムジョーの実力は破面でも上位。今凪に攻撃などしてみれば、それすなわちグリムジョーに喧嘩を売るのと同義なのだ。

「それで、だ。お前たちの関係性はどう書けばいい?」

現世で言う続柄というやつだ、とハリベルが首を捻りながら問うてくる。ああ、これが一番聞きたかったことかと凪は合点がいった。

「関係性…ねえ?」

面白くなさそうにそっぽをむいていたグリムジョーの腕を突きながら、どうする?と見上げる。過去何度かどういう関係だと問われることもあったが、正直明確に自分達の関係を示す単語は思い当たらなかった。共に生きることを決めた同士。その程度に思っていたが、ある時グリムジョーが言った「つがい」というのが端的で分かりやすいといえばわかりやすいかもしれない(なんともグリムジョーらしい、まるで動物のようだけど)。

「ごちゃごちゃめんどくせえな。つがいって書いとけ」

舌打ち混じりにもしっかり答えたグリムジョーに頷いて、ですって・とハリベルに返す。彼女も頷きながら「厳密には続柄ではないが、わかればいいだろう」と言った。
同意した風な様子を見せてくれた彼女だったが、何か脳裏によぎったのか、ハリベルにしては珍しく躊躇するような気配を感じさせたかと思えば、凪に少し目配せをしグリムジョーに向かって言葉を投げた。

「ただつがいというと、繁殖を目的とした動物同士を連想してしまうな。お前たちはそういうわけではないだろうが」
つがいも繁殖も野生動物っぽい響きね…」

凪が苦笑すれば、ハリベルも他意はない、気にするなとすぐに返してくれた。

「確かにお前たちにとっては、つがいという関係性が言い得て妙だな」

つがいという関係性を提示したのはグリムジョーからだ。褒めてもらえてよかったね、とグリムジョーにしたり顔を投げてみれば、うるせえと返事になっていないそれが即座に降ってきた。それもいつものことだから、思わず肩をすくめながらふふ、と声が出てしまったが、それは嘲るようなものではなく単にくすぐったくて面白いから自然と出たものだった。それを彼もわかっているのか何も言ってこない。
(そもそもこんなふうに自然に笑みが溢れるようになったのも虚圏に来てからだ)

「私も虚圏にいる破面のこと知りたいし、できあがったら教えてね」

用は済んだと踵を返そうとしたハリベルに手を振れば、彼女はこくんと頷いた。フン、とすまし顔をグリムジョーに投げた彼女の従属官たちもハリベルの背を追って去っていった。

「虚圏も変わりそうね」

やっと帰ったか、と面白くなさそうに呟いたグリムジョーを見上げれば、興味ねえとまたぶっきらぼうなそれが返ってきた。
いつも通り。これが私たちの、いつの間にか当たり前になりつつあった日常だった。


(こんな日がずっと続けばいいのにね)



(20220615)