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「夕霧」

そう呼ぶ声で目を覚ました。ああ、そうか、

「なんでござんしょ」

わたしの名前は夕霧といったか。そう気づくと急速に頭が覚醒して、今の状況を思い出す。

「そちはここに来て何年と経つのに、まだ慣れぬか」

…名前。
女は、月詠はそう呼び直した。

「あら、月詠だったの」
「口調」
「まあいいじゃない、私と月詠の仲なんだから」

名前はニコニコと楽しげに笑うと、月詠はため息をつきながらそれ以上は何も言わないと知っていた。
名前は変わり者だ。吉原で夕霧といえば日輪には及ばぬものの人気の高い花魁である。この吉原にきたのはまだ幼かった頃で、どこからか売られてきてすぐに夕霧という名を与えられた。にも関わらず未だに夕霧と呼ばれるのに慣れておらず、それどころか慣れる気配も見せないために月詠のように親しい人間は彼女を名前と呼ぶ。そして名前と呼ばれるときには、彼女はもはや廓言葉を使うことさえしなくなるのだった。

「ところで、何の用なの」
「日輪のお呼びでありんす」
「日輪が。なるほど、すぐに行くわ」

そう返して二、三言葉を交わすと、名前は立ち上がった。襖を開ければ月詠がいつものように、煙管を咥えて壁に寄りかかっていた。2人で並んで世間話をしつつ歩きながら、名前はここ1週間ほどの出来事を思い返していたーー晴太という少年のことや、見知らぬ銀髪の侍のこと、倒れた鳳仙や、日の登ったこの常夜の街のこと、そしてーー橙色の三つ編みに、青い瞳の青年のことを。

「日輪」
「ああ、名前かい。月詠、ありがとう」

ちょっとだけ、2人にしてくれるかい。
日輪がそういうのを、名前は驚きもせずに聞いていた。月詠も同じだったようで、礼は不要にありんす、と笑って部屋を出て行った。

名前は日輪を見ながら、あの時のことを再び回想した。特に、そうーー神威のことを。

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