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唐突に、建物の外から爆発音が響き渡った。廊下からは人の駆ける音や悲鳴が絶えず響き渡り、気づけば名前の上にかかっていた重みも消えていた。外の喧騒をぼんやりと聴きながら起き上がると、周囲には先ほどまで交わっていた男の袴や足袋が、畳まれもせずに転がっていた。

「おやまァ…せっかちな方にありんす」

その袴には見覚えがあったが、今はもう、男の顔も名前も思い出せなかった。名前はその袴から反対側に脱ぎ捨てられていた自らの着物に目を移したが、何を思ったのかそれ手に取ることはなく、辛うじて身にまとっていた襦袢を軽く着直して立ち上がった。外から響いていた建物が崩れるような音は気づけば聞こえなくなくなっていた。しかし外では相変わらず、ざわざわと人が忙しなく行き来する様子が伝わってくる。名前は男の飲んでいた水のペットボトルが転がっているのをみて、それを手に取り一口飲んだ。少し落ち着くと、少し下半身に違和感を覚えるものの、脳は平常を取り戻していることを認識できた。そうして状況把握しようと考え始めた矢先、廊下から子どもの声が聞こえて反射的に襖を開けた。

「晴太!」

襦袢のままでそう叫ぶと、今まさに百華に苦無を投げつけられている少年ー晴太の前に立った。そうして晴太庇うーーではなく、投げつけられた苦無の数本を指と指の間で受け止め、残りをそれで弾き落とした。

「ね、姉ちゃん!?」

晴太の驚くような声が聞こえる。名前はそれに振り返って微笑みだけで答え、同じく驚きながらも再び苦無を構える数人の百華に対して手に持った苦無を構えた。そうして、

ヒュンッ

ほんの一瞬の間に晴太の前から、また百華の前から、女の、名前の姿は消えていた。晴太はなにがなんだかさっぱり分からない。百華に囲まれていたのを助けたかと思えば次の瞬間には消えている。そもそもあの襦袢姿の女性は誰なのか。混乱する頭が次に認識したのは、自分を囲んでいた百華が蹌踉めき、ばたりと音を立てて同時に倒れる姿だった。

「無事にありんすか」

百華の後ろに立っていたのは名前だった。よく見れば百華の女たちの頭には一本ずつ、先ほど投げつけられていただろう苦無が刺さっていた。

「あ、ああ…ありがとう…そのねーちゃんたちは…」
「死んではござんせん。心配は無用にありんす」

未だ動揺から抜けきらない晴太を尻目に、名前はそう返して頭に刺さった苦無を抜き取った。襦袢姿では手に持てる以上の苦無を持ってゆくことはできないなと考えて立ち上がる。晴太に向き直って微笑んだ。

「わっちは日輪の友人。晴太、おまえさんに何かあったら日輪も悲しむでござんしょう」
「日輪を…知ってるの?」
「勿論、知らぬものはおわせん。さあ、」

日輪に会いに行くんでござんしょ?
そう言った彼女に、晴太は強く頷いた。襦袢姿の見知らぬ遊女ではあったが、晴太には怖い人には思えなかった。名前はそれを少しだけ眩しそうに、悲しそうに見つめて苦無を構えた。奥の曲がり角から再び百華の駆ける音を耳が捉えた。それを目掛けて苦無を投げようとして

バシャリ

苦無が名前の手から離れることはなかった。

「そこのアンタ、面白そうだネ」

凡そこの場には似つかわしくないような明るい声が廊下に響いた。血に塗れた腕に貫通する百華の1人は間違いなく息絶えているだろう。晴太を隠すように立って苦無を構える。そこに立っていたのは、橙色の三つ編みを揺らし、大きな青い瞳をこちらに向ける青年だった。


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