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赤いワンピースに包まれた名前は無表情だった。怯えているようにも、悲しんでいるようにも、寂しがっているようにも見えなかったし、喜んでいるようにも、楽しんでいるようにも見えなかった。


「それがアンタの抱えていた『弱さ』ってワケだ」
「そうなのかもねえ」


神威にとって弱さとは憎むべきものだった。自分の弱さは決して認めることができなかったし、弱き者には存在する価値さえないと考えていた。それが少し変わる兆しを見せたのは吉原において、自らの考える強さとは相反する、軟弱な精神の、しかし夜王を倒してみせる不思議な『強さ』を持つ男に出会ったことで。そして今、


「でもそれでもアンタは此処で涙一つ見せることもなく、此処で座り込むこともなく自分の足で立ち、何の感情もみせない。俺が今から戦おうと言えばいつものように戦ってみせるんだろうネ」


ーーそれは強さだと思った。
自らの記憶に自信が持てず、いつもそれに疑問を抱き、怯えて生きてきた名前。記憶に怯えるというのは自分に怯えることと変わりないことだ。それでも彼女はその障害を得た原因である力を使うことをやめず、戦い続ける。


「この記憶が偽物だと分かったところで、わたしは何も変わらないからなあ」

「この恐怖が作り物であったとしても、こうして神威に出会えたことは作り物じゃあないんでしょう?」


ーーそれなら別にいいかなあ。
名前が求めていたものは此処にはなかった。しかし今は此処に確かに存在している。過去が全て虚ろな闇の向こうへ消える彼女にとって、今目の前の事実だけが全てであり、自分が確信できることだった。今自分が着ているワンピースは彼女の記憶を支え、今目の前で立っている男が自分の感情は間違っていないのだと保証した。


草原は遠く広がっている。
風が吹く度揺れる裾を抑えて立つ名前が無表情を崩して笑みを浮かべて、神威に一歩だけ近寄った。


ーー神威は自らの弱さを決して認めることができなかった。しかし彼は、隣に立つ女の、その強さとともにある弱さを認めることにした。彼女が力を得たその代償を。彼女が受け入れたその障害を。


「お前が過去を覚えている必要はないヨ。俺が覚えていることが真実だから」


ーーアンタは俺の横に立って、確信できる今だけを重ねて未来を紡げばいい。
名前が何か返事をする前に歩き出した。名前は一体どんな顔をしてそれを聞いただろうか。どんな反応を取っただろう。


草原に人の気配はなく、穏やかな自然はどこまでも広がっていた。
彼女の知る真実も、彼女の弱さにも、2人の会話も、全てを知る草原は何も関係ないような顔をして生命を抱く。この世界の片隅で、ほんの少しだけ弱さを認めた男と、自らの記憶と感情の証明を得た女は、もう二度とここに来ることはないだろう。



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