5-6



「やっぱり此処にいたんだネ」
「神威…もしかしたら迎えにきてくれるかもなあって思ってたけど、本当に来るとは驚いたなあ」
「そう?わざわざ誰にも告げずにシンスケから船を借りて、その割には机の上にコレを置いて行ったのは俺にこの場所を教えるためかと思っていたけど」
「どうだろうねえ」


じゃあそろそろ帰ろうか。
そう言う神威に名前は頷いた。


「国破れて山河あり、ってところかな?アンタが守ろうとしたものは全て此処にあった筈なのに今は家一軒ないとはネ」


2人が立っているのは草原の小高い丘の上だった。遠くには森が見え、その向こうには山が見える。広がる草原は長い間人の立ち入った形跡さえ見えず、虫や小動物が2人にもおかまいなしにその生を紡いでいた。誰か一人の存在が欠けたところで、否、どれだけ人が死んでもいなくなっても、世界は変わらずに回り続ける。人の消えた土地にも生命は宿り、雑草が生え、そこに根付くカマキリが、コオロギが、兎が、その草原を彩っている。世界の広さに、脈々と紡がれてゆく生態系の輪に、人間の一個体というものが如何に小さな存在であっただろうか。まるで世界を支配するかのような顔で星から星へ行き来する人間達の、如何に弱いことか。


「ーー此処には、わたしが墓を立てたはずだったんだよねえ」
「墓?」
「そう、わたしが守れなかったーー守りたかった人の」


名前は数年の間此処にかつて存在した村で生活していた。
氷の星を抜け出して、地球へ、自らの種族の出身地であるこの星へやってきた彼女が逃げるようにたどり着いたこの地。


「此処で何があったのか、それはもう貴方も知っているでしょ」
「此処で村民に裏切られ、売られて春雨に戻り、戦闘を忘れた振りをして吉原に売り飛ばされたことならアンタの残した手帳に書かれていた。裏切りで全てを失い春雨に連れてこられたアンタがその美貌から戦えずとも吉原でも生きて行けると見込まれて地球へと戻って来れたこともネ」
「そう、でもわたしにはそんな記憶はないんだあ。不思議だよねえ」


ーー最早真実が何だったのかなんて、名前には何も分からなかった。
未熟な技術で脳を弄った影響は、身体や言語のような分かりやすいもので現れたわけではなかった。


「研究所にいた頃、仲良くしていた『妹』がいたの。でもある日突然その妹はいなくなってしまった。わたしによく似た顔で、いつもニコニコわらって走り回っていたかわいい子だったんだけどねえ」

「わたしの実験してた人に聞いてみたら、なんて言ったとおもう?」

「『お前に妹はいないだろう、実験で精神でも病んだのか』って」


ーーああそうか、わたしに妹なんていないのか。
名前がはじめて、自らの記憶の危うさを叱咤のはこの時だった。それ以降の彼女の人生について、彼女が自信をもって真実だと言えることなど何一つなかった。数日会わなければ、その人が実在する人間であるかどうかさえ疑わなければならなかった。


「この村でのことは毎日夢に視る」

「背の高い男がわたしを拾って育ててくれた。寡黙な人だったけど優しかった。でもある日、」

「わたしを追ってやってきた天人達を相手取って戦う最中、わたしの気づかぬうちに男は死んでしまった」


名前はその夢を鮮明に思い出すことができた。何度も何度も、全く同じ夢を見続けたからだ。しかし同時にその夢が不自然なことにも気づいていた。


「ーーあの時のことを夢に視るときはいつも、男が死ぬ瞬間の映像が頭に映る」

「わたしはそのときのことを知らない筈なのに」


気づいていた。きっとあの男は存在しなくて。
もしかしたら何か自分にとって不都合な記憶がそこにあったのかもしれなかった。他にその時のーー此処にいたときの記憶がなかったから。


「男の墓を此処に立てた。時が流れても風化しないように、大きな石をたてて」


ーーちょうど、この場所に。
彼女の立つ場所には相変わらず草原が広がっている。名前はそこを掘り返さなかった。掘り返さなくとも、そこには何もないことが分かってしまったから。


何もない草原に風が吹くと、草木が揺れて、森の方へと靡いてゆく。遠くの森がさざ波のような音を立てて。
ーー赤いワンピースも舞い上がった。



- 37 -

prevnext
ページ: