I am begging to stand by you.



「そ、そろそろ、着くんじゃないか?」
「そうみたいだね、ここで浮上しよっか?」


(……何をさせているんだろう、情けない)


帰り道、狭い潜水艦の中はただ気まずい空気が漂っていて、それを払拭しようとティファやクラウドが不自然に大きな声で会話をしているけれど、元々物静かなヴィンセントは何も言わず、わたしもまたどうすればよいかわからずに俯いてしまうので、結局二人が困惑したように顔を見合わせてはわたしを見るのに申し訳ない気持ちが募った。


——もう、あなたと話すことはないわ、ヴィンセント。


彼女はとうとうわたしを視界に映すことさえやめて、ヴィンセントにそう告げると、優しい彼は何も言わずに洞窟を出て行った。眩く輝くその美しい洞窟の中で、ヴィンセントが滝の向こうへ消えるのを確認した彼女はもうその場には誰も居なくなったかのように反対側を向いて岩に腰掛けて、誰もそれ以上、声を掛けることはできなかった。クラウドとティファと外へ出れば、何も言わないヴィンセントがただ、きた時と何も変わらぬ美しい景色を眺めていた。彼の赤いマントと長い黒髪が風に揺れて、流れ落ちる滝の音だけが無言のわたしたちを包んでいた。


潜水艦が海面を出ると空はもう白み始めて、太陽は低く赤く、海を照らしていた。夕焼け空の下で見る海はスピラにいた頃から大好きで、この時間になるとよく水に足をつけて座って、日が沈み終えるまでただ夕焼けに染まる海の色を眺めていた——もうずっとずっと、昔の記憶。あのとき隣にいた彼の顔はどんなふうだったっけ。きっとわたしが大好きだった控えめな笑顔で、そう、はしゃぐわたしを諫めながらも、穏やかにわたしを、みていた。


——わたし、夕暮れのキーリカがスピラで一番好き
——そう?僕もここでこうしている時間はとても好きだよ。ユリアといっしょにいられるから


遠いどこかで、誰かが誰かと笑い合っていた。これ以上ないくらいに幸せそうに笑う二人に夕日が色を添え、背中の向こうに長い影を作っている。不意に静まり返ったその場所で、控えめに輝きはじめた月の下、長い影がそっと重なった。


——大切な思い出、もう戻ってこない夕暮れ。ここはスピラではない。空を見上げればあの時みた小さな月の代わりに、着実にこの星へ近づくメテオ。夕焼けよりもずっと赤く、怪しく輝くいくつもの流星たちがわたしを現実へ引き戻した。


わたしから少し離れて無言で佇む彼は、この星を襲おうとするあのメテオよりも随分と穏やかな深い赤の瞳をどこか遠くへと向けて、入江に静かに佇んでいる。掛ける言葉も見当たらず、近づくのもどこか気まずい。手持ち無沙汰のわたしはこの場所から動けずに、ハイウィンドがわたしたちを迎えにくるまでの間、彼と同じように夕日の向こうを静かに見つめていた。


「オッ、戻ったな。何か目ぼしいモンはあったかよ?」
「…いや、どうかな。景色はよかったな」


飛空挺に乗り込むと皆が私たちを出迎えた。気まずげに答えるクラウドに首を傾げながら、まあそう上手くはいかねーよな、とシドはカラカラを笑っていた。作戦会議室で夕食を取りながら、彼らもまた洞窟を探索したのだと話す声をどこか遠く聴いて、けれど会話は右から左へすり抜けてゆく——今日は少し、一人になりたい。


「なんだか今日は疲れちゃった。先に失礼するね」
「う、うん、ユリア、お疲れ!」


夕食を食べ切ってしまうより前に立ち上がった。シドやバレットが訝しげな視線を向けているのを感じながら、取り繕うようなティファの声を背にみんなの元を離れる。こんなことをして心配かけてしまって、この非常時に一体何をやっているんだろう。ウータイでみんなと出会えてよかったなんて、思ったばかりなのに。胸にはもやもやとした後悔が渦巻きながら、けれど足取りは迷うことなくこの場を離れてゆく。


作戦会議室を出ると、数人の乗組員たちが行き来しながら飛空挺のメンテナンスをしているようだった。すれ違うたび頭を下げる彼らを見送って割り当てられた個室に戻り、シングルベッドに腰を下ろすと、ベッドが小さく軋んで音を立てる。白い壁を無機質な蛍光灯が照らす、机とベッドだけの狭くてシンプルな部屋。あの夜二人でギリギリだったベッドは一人で眠るには十分すぎるくらいに広い。飛空艇は安定して飛んでいる間は驚くほど揺れもなく静かで、神羅の高い技術力には感嘆せざるを得ないと思う——小さく吐いた自分のため息でさえ、静かな部屋には響いてしまうので。


「結局、わたしはどうしたいんだろうね?」


誰もいない部屋でひとり、呟いた。彼の考えていることはいつも分からない。彼は決して直接的な言葉をわたしにかけてくれたことはないし、きっと今後もそんな言葉はもらえないのだろうと思う——彼の中に、消えない彼女の影がある限り。


それでもいいと思っていたけれど、いざそれを目の前にまざまざと見せつけられるのはこんなにも苦しいことだったのかと思う。それでも離れられずに隣で立ち竦んでしまう自分自身。


わたしは、わたしの考えていることが一番、分からない。


「——ユリア、いる?」


コンコン、と控えめなノックの音が響いた。扉の向こうから聞こえるのはティファの声。少し落胆する自分に再びの自己嫌悪を覚えながら立ち上がって扉を開けると、ティファがひとりで其処に立っていた。


「ティファ、どうしたの?」
「あ、の…レモネード、もらったの。一緒にどうかな?」
「ありが、とう……」


一瞬悩んだけれど、両手で抱えるお盆の上に湯気を立てて並ぶ二つのグラスと、そこから香る甘い匂いに扉を大きく開いた。ありがとう、といいながら部屋に入るティファにどこか気まずい思いが胸を過ぎる。


ティファが悩んでいるときわたしは彼女に何もできなかった。しなかった、という方が正しいと思う、だって——悩みの中心にいたのがクラウドだったから。そして、わたしはエアリスのことを特別に思っていて、彼女の幸せを祈っていて——多分、彼女の望みとティファの望みは同時には叶わない、そういう類のものだったから。


「はい、どうぞ」
「うん、ありがとう…いい匂い」
「あったかいうちに飲んじゃおうと思って」


口元に運ぶと広がる暖かさと甘さに思わずふう、とため息を吐いた。
いろいろ、考えすぎていたのかもしれない。考えずにはいられなかったのだとしても。


「…あの、心配かけちゃってごめんね」
「ううん、私もミディールでたくさん心配、かけちゃったから。あの時はありがとうってずっと言いたかったの」
「そんな、こと…」


ミディールでだってわたしはティファに、クラウドに、なにもできなかったのにね。ティファは純粋にわたしを心配してくれているのが痛いくらいに伝わってくるだけに、それがただ申し訳なかった。


「ユリア、ヴィンセントとは付き合ってる、んだよね…?」
「…どう、なんだろう…」


ティファから視線を外して何もない白い壁を見つめる。あの夜以来、気まぐれに与えられる愛情のような何かは、本当にわたしに向けられた愛情なのだろうか。それとも忘れたい誰かを忘れるための都合の良い、


「わからないんだ。ちゃんとそう、言ったわけでも、言われたわけでもないから」


これ以上悪いことを考える前に口を開いた。視界の端でそっか、と頷くティファには気づかれなかったと思う。もう一度甘ったるいレモネードを口に含んだ。


「…星がこんなに大変なときに、こんなことで悩んでるのもバカらしいね」


個人的なことに思い悩んで時間を無為にしている間にも発動されてしまったメテオはこの星へ近づいている。ハイウィンドで世界中を飛び回っている間には時折ウェポンのような雄叫びが響いて、その度に体が震えるのに。それでも、考えてしまうのはやっぱり、彼のことだなんて、自分の愚かさが嫌になる。


「そんなこと、ないよ」
「ティファ?」


不意に真剣な声でそう言うティファに思わず視線を向けた。無機質な白と銀色だけの船室で、ティファの暖かな瞳だけが強く色を持って、わたしの瞳を貫いている。数日前に再会した時からは信じられないくらい——大空洞まで一緒にいた時を思い返しても初めてみるくらいに、力強い表情を浮かべている。わたしはそれに圧倒されて、思わず口を噤んでしまう。


「世界が危機に陥って、何をすればいいのかも手探りで、でもこんな時こそ私たちみんなが自分と向き合わないといけないんだと思う。世界を守るために戦わないといけない今だから、なんのために戦うのか、自分の気持ちと向き合って見つけないと…」
「なんのために、戦うのか……」


——なんのために、戦うのか。
言われて初めて、そんなことを考えたことさえなかったのだと、気づかされた。


この世界に突然現れて、過ごした場所はもうなくて。わたしにとってこの世界は、この旅の仲間たちのことでしかない。思い入れがあるわけでも、ない。この星を守る目的だって、エアリスがそのために命まで賭けて戦っていたから。——彼女の願いをどうしても、叶えたかったから。それだけだった。


そしてヴィンセントにとってはそれは、罪滅ぼしだ。愛した人の息子が世界を滅ぼそうとしていることを、彼女には伝えられずに。


——セフィロスは死んでしまったよ ルクレツィア…
落ち着いた彼の声が優しい嘘を吐き出すのを黙って聞いていた。胸が苦しくて、けれど彼女の境遇を恨みきることもできなくて。ひとりで背負う必要があるのかも分からないその罪のために戦う彼を——わたしは。


「…守りたい、のかな」
「ユリア?」
「うん、そうなのかも、しれない」


側に、いたい。
苦しみの中にいる彼を、光に満ちた場所に救い出すことはできなくとも。


「…ティファ、ありがとう。わたし、ヴィンセントと話してみる、よ」
「大丈夫…?」
「…うん」


わたしにも忘れられない記憶はある。罪も、罰も、今もわたしの上に積み重なっている。それを背負うのがどれだけ辛く苦しいことなのか、わたしは知っている。人ならざる身の己を決して肯定できない苦悩も。痛いくらいに知っている。


(…受け入れたい、のかな。ヴィンセントのことを…彼のその、想いごと)


過ちばかりの人生だけれど。彼のことは簡単に間違えて失ったりはしたくない。どれだけ、苦しくても。今度こそうまく笑えただろうか、ティファがどこか安心したようにため息をついた。グラスに入ったレモネードを飲み干すと、立ち上がったティファがグラスを受け取ってそろそろ寝るね、と言うのにうなずく。


「ティファ、」
「なに?」


扉を開きかけたティファに、ベッドに座ったまま声をかけた。振り返った彼女の長い黒髪が揺れて、とても綺麗で。きっとクラウドは彼女のこんなところも好きなんだろうな、なんて、思ってみたりして。


「ありがとう」


頷いて笑うティファの笑顔は優しいと思う。
エアリスはどこまでも強く、いつも背中を押していてくれた。ユフィはそこにいるだけで元気をくれる明るさがあって。ティファはどちらとも違う代わりに、どこまでも隣に、同じ場所にいてくれるような、そんな暖かさを持っていて。そのひとつひとつにわたしはいつだって支えられている。


小さな音を立てて扉が閉じると、個室には再びわたしだけが残された。
静まり返った部屋はやはり一人で過ごすには少し広い——きっとはじめて此処に来た日に彼がいたから、それが当たり前のように感じてしまうのかもしれない。ベッドに横になると、寝転ぶには十分なスペースの確保されたシングルベッド。わたし自身のこの孤独も全て背負って彼を愛することができたならどれだけいいだろう。


「…ハルクはもう、夢に出てこなくなっちゃったな」


わたしはもうそれを忘れてしまったのだろうか。それとも、彼の——ヴィンセントの与える痛みの鋭さに、それ以外の何も受け止められないくらいに溺れてしまっているのだろうか。ティファの言うように自分と向き合うというのはとてもとても、難しい。今はまだ、胸を押さえて涙を堪えることしかできないけれど。


彼の心に消えない思いがあっても、もし、わたしのこの想いが叶わなくとも、ほんとうの意味で一人なわけではなくて。ティファや、ユフィや——エアリスに。そして、旅の仲間たちに、いつだって支えられて歩いていることは変わらないのだから、いつまでも悲観してトラウマに胸を痛めては居られない。


とにかく前へ進もうと、ぎゅっと瞳を閉じればやがて意識は静かに溶けていった。