永遠を閉じ込める
どのくらいそうしていたのかは分からない。長かったような気がするし、一瞬だったような気もする。ただその時間は唐突に終わりを告げた。
どん、と何かがぶつかるような大きな音が響きわたった。静寂を破るその音を聞いて、バルビートが警戒するようにあたしの足元に止まる。思考は唐突に現実に引き戻されて、シンジと二人、緊張した面持ちで顔を見合わせた。
「あっちだな」
「うん、行ってみようか」
バルビートをボールに戻して静かに歩き出した。どん、どんと少しの間を置いて不規則にその音は響き続けている。
音の主に近づくにつれ、その音の合間に土を踏みしめて擦れたような音が混じっていることに気がついた。誰かが、走っている――?
「あ、ハヤシガメ……」
くさむらの向こうに音の主が見えてそう呟いた。シンジは木陰で、黙って様子を伺っている。
ひとまず何かまずい事件とかではないらしいことにほっとしてため息をついた。それから少しだけ残念な気持ちが湧き上がって慌てて首を振る。あの場所にいつまでもいるわけにはいかないのだからむしろちょうどよかったのだと思い直した。
平常心を取り戻して、そっと再びハヤシガメの様子を伺ってみる。
昼間、シンジとのバトルでナエトルはハヤシガメに進化したらしい。あたしはバルビートと『ほたるび』を特訓していたから直接は見ていないのだけど、夕方に休憩をとった時に話にだけは聞いていた。
「あれ、サトシの……?」
「だろうな。ナエトルのときのスピードを取り戻そうとしているんだろうが……無駄なことを」
使えないな、とシンジが吐き捨てる。
使えるかどうかはさておき、100キロを超える巨体で何度もあんな練習を繰り返すことが賢いことだとはあたしにも思えなかった。無理をして足でも怪我してしまったら戦えなくなってしまう。
サトシを呼びに行こうか、と考えたところでちょうど、反対側、つまりポケモンセンターの方から何かが走ってきた。サトシや他のみんなのポケモンたちだった。
「みんなで特訓かなぁ」
「ヌルいな」
「手厳しい」
皆で何かを話してるみたいだ。何を話しているかは当然分からないけど、手伝うよ、とか、そういう感じだろうか。ピカチュウやポッチャマがいないのはサトシたちを起こしているのかもしれない。
みんな賢いなあ、と考えたところでポケモンセンターの方から新しい足音が響いてきた。今までとは違う重々しい音。大きな人かポケモンか――影が大きくなってゆく。その形から正体に気がついて思わず「え、」と声を出した。
「ドダイトス?」
鋭い瞳でハヤシガメを真っ直ぐに見つめていたのは紛れもなく、ハヤシガメの進化形、ドダイトスだった。
ヒコザルが前に立って何かを言っている。すぐ真横で溜息を吐くのが聴こえて視線を移した。
「アイツ……余計なことを」
「あれはシンジの……?」
「ああ。昼からハヤシガメの様子を気にしていた。おおかた助言に来たんだろう」
シンジのその言葉どおり、ドダイトスははじめヒコザルと何やら揉めていたが、すぐにグライオンと向かい合って戦闘態勢を整えた。グライオンが飛び上がって、ドダイトスはまっすぐにその様子を見つめている。
そして、その2匹の様子をハヤシガメがじっと見ていた。
「シンジのドダイトス、親切だね」
トレーナー不在の場所でポケモン達だけでのトレーニングなんて危険だと思ったけど、ドダイトスがいるなら少し安心だ。少なくともハヤシガメの無茶な特訓を止めてくれた。
ドダイトスはグライオンの攻撃を微動だにせず受け止め続けている。凡そサトシの得意とするプレイスタイルとは正反対。それでもあれがあるべき戦い方なのだろうということはナエトルを育てたことのないあたしにも分かる。
「フン……物好きなヤツ」
「ふふ、そうかなあ。シンジに似たんだよ、きっと」
「オレに……?」
理解できない、という風にシンジは眉を顰めた。あたしはなんだか楽しい気分だ。ポケモンはトレーナーに似るっていうけど、あれ本当だったんだなあ。
「今日だってあたしにご飯持ってきてくれたでしょ。何だかんだで気を遣ってくれるし怪我した時は心配もしてくれたし……」
眼前ではドダイトスが隙をついてハードプラントを発動させ、地面から沸き起こる何本もの太い蔦がグライオンに直撃していた。 ちらりと横に視線を向けると、シンジはバツが悪そうに無言のまま横を向いている。可愛い、なんて言ったら怒られそうだから黙っておくことにする。
「あ、サトシたちだ」
向こうから歩いてくる人影に気がついてそう言うと、シンジはさっと背中を向けた。帰るんだろう。ちょっと寂しいけどまあ、仕方ないか。
「オレはもう行く」
「うん。おやすみ、今日はありがとう」
歩き去っていくシンジに手を振ってから、サトシやみんなの方へ歩み寄った。草陰から唐突に現れたあたしにみんな少し驚いていたけど、あたしは構わずにドダイトスの前でしゃがみ込む。
「シンジ、戻っていったから迎えに行ってあげて」
他には聞こえないように小さな声でそう囁く。ドダイトスはどうやら気がついていたらしく、頷いてすぐに歩き去って行った。こういうところもシンジに似てるなぁ、と思わず笑みが溢れた。
「ハヤシガメもお疲れ様。進化してかっこよくなったね」
「それよりナマエ、どこに行ってたんだ?」
「もう少し先の方。でももう今日は寝るよ。……あ、そうだ、タケシ」
ありがとう、と言うと、サトシとヒカリはなんのことだろう、と言うように首を傾げていたけど、タケシだけは察したようにああ、と微笑んで頷いた。
うーん、やっぱりタケシには何も言わなくてもお見通しか。恥ずかしいけど仕方ない。直接尋ねられたり何かを言われたことはないけど、シンジといるときの反応からなんとなくそうなんじゃないか、という気はしていた。それに今日はとても助けられた、と思う。後でお礼をしないとな、と思いながら3人の方へ向き直った。
「さ、寝よ? もう遅いしあたしも疲れちゃった。みんなも疲れたでしょ?」
返事は聞かずに歩き出す。疲れた、なんて言ったけど足取りはいつもより軽い。
待ってよ、と言って駆け寄ってくるヒカリの気配を感じながら右手を左胸の上に乗せて空を見上げた。頬が緩むのは抑えられない。今日も月は綺麗だな。夜に見える光の中では二番目に綺麗だと思う。
一番目はもちろん、君の放つ光だよ。正面に向き直り、ちらりとバルビートの入ったボールをちらりと確認する。ヒカリがあたしの隣に追いついてきて、「どうしたの?」と尋ねてくる。
「なんでもないよ!」
「え、何よ、そんなニヤニヤしちゃって!」
「ふふ、ナイショ」
もー、と頬を膨らませるヒカリに今度こそ声を上げて笑ってしまって、慌てて口を手で抑えた。夜だから静かにしないと、と思いながらも笑いが止まらない。
とってもいい一日だったなあ。今日を振り返って思う。バルビートも少しコツを掴んできたみたいだし、ハヤシガメも頑張ってる、それになにより。
(……シンジ、)
あの時の穏やかな表情を鮮明に思い返すことができた。そして思い返すたび何度だって思う。好きだなあ、って。