大波のように


そっと見守ってのシンジside


 なんでオレが、というのが最初の反応だった。

 夜のポケモンセンターにて。一日のメニューを終えたシンジがポケモン達をジョーイさんの元へと預け、部屋へ戻るために廊下を歩いていた時のことだった。向こう側から誰かが歩いてくるのに気がついた。
 当然ながらポケモンセンターはシンジの貸し切りではないので、それ自体は特別なことではない。ただ、小さく眉を寄せたのはその相手に見覚えがあることに気づいたから。ここにいるのは知っていたものの、偶然すれ違いたいような相手では到底なかった。
 相手の側もシンジに気が付いたようで「お、シンジ」と気さくに声を掛けてくる。それどころか、シンジをみて何かをひらめいたようにパッと表情を明るくした。

「そうだ、シンジがいれば……うん、ちょうどよかった」
「……オレに何か用か」
「用と言えば用だな。ちょっと届け物を頼みたいんだが」

 面倒ごとを押し付けられそうな雰囲気に、シンジは「断る」と詳細も聞かず一刀両断した。だいたい誰相手だろうと届け物やら人助けやらをするような関係にはないはず。そう考えてそのまま隣を歩き去ろうとしたものの、残念ながらそれは失敗に終わる。

「まあ待て、ナマエがまた夕食を食べ忘れて特訓してるんだ」

 ナマエ。その単語を出せばシンジが話を聞くだろうと分かっているのかもしれない。シンジはピクリと反応して立ち止まる。
 オレには関係ないはずだ。そう頭では考えていたが、結局シンジは立ち止まったままタケシの方へと顔を向けた。

「……だからどうした」
「おにぎりを作ったんだ。オレが持っていってやってもいいが、シンジが行ったほうがアイツも喜ぶだろう」

 ……アイツ、何をやっている。半ば呆れたようにシンジはそう呟いたが、タケシはにこやかに笑んだまま、「ナマエも熱中すると周りが見えなくなるタイプだからな」と返した。
 知っている。そんなヤツだから特訓中に自分のポケモンに怪我をさせられたりするんだろう。この時間にまだ外にいる、ということは誰も行かなければ朝まで特訓しているのかもしれない。それで連れ戻すのも兼ねて夕食を、というところか。
 自分が行かなければならない理由はどこにもなかった。けれども、お前が行けばいいだろ、と言い返そうとした瞬間、廊下の向こうから声が聞こえた。

「タケシー?」
「お、サトシか。じゃあシンジ、頼んだぞ」

 それは目の前のブリーダー以上に会いたくない人間の声だったので、シンジの眉間の皺が更に深くなる。タケシもまたここでシンジといることに気づかれては面倒なことになると思ったらしく、さっと紙袋をシンジへと押し付けると、そのまま声のした方へと小走りで去って行った。

 廊下にはシンジが一人残された。結局言い返す暇はなかった。押し付けられた袋をそっと開くと、手作りらしいおにぎりがいくつか詰め込まれていた。

「……ヌルいな」

 一人残されたシンジはそう呟いた。



 シンジはそのブリーダーに対して特段悪い印象を持っているわけではなかった。より正確には良いも悪いもなく、単に興味がない、と言ったところか。
 ただ、時折こういうよく分からない介入をしてくることが彼に複雑な感情を齎す。だいたい、こんなふうに話し掛けられるのは今日初めてではなかった。

 ――昼間のことだ。ポケモンセンターでリョウとシロナのバトルを観ていたところに彼ら4人が駆け込んできた。特別の会話はなかったけれど、ナマエがテレビの向こうで戦う四天王の写真を両手に真剣にバトルを観ていたのがシンジの目に止まった。
 ナマエはむしタイプのポケモンを極めるためにこのシンオウ地方を旅しているトレーナー。同じ虫タイプ使いであるリョウを応援していることにはなんの不思議もない。そう思い直して結局シンジはその時、何も言わず画面の方へと向き直った。

 それから昼食どきになって、彼自身が使えないと断じたポケモンの声が聴こえて彼らの方を覗きに行くと、何故か普段は直接会話することのないあのブリーダーに声を掛けられた。それが最初のことだ。
 はじめはあのヒコザルや、シンジ自身のこと、それに兄の話をしていたはずだった。それが唐突に終わったのはタケシの言葉がきっかけだった。

「探しているのはナマエか?」
「……は?」

 どきりと胸が鳴った。彼らの特訓の理由や状況が分かって、それならば普段は相手を努めているはずのもうひとりのトレーナーの姿がないことに気が付いて。目だけで探していたのはまさにナマエのことだったが、それを直接尋ねられるとは思っていなかった。

「いや、サトシの周りを伺っているみたいだったからな。だがアイツは今ここにはいないぞ。森の奥の方へ行っている」

 特訓中だ、と続けたタケシに、シンジは気まずげに瞳を逸らした。タケシはそれを微笑んで見ていたが、結局シンジは何も言わずに会話を終わらせた。タケシの横を通り過ぎてサトシの方へと歩み寄り、ドンカラスでナエトルとポケモンバトルをした。結果は圧勝。それからはナマエの名前が出ることもなく、彼等と別れ一人でポケモンたちのトレーニングを始め、終わり、そうして今に至る。
 同じ地方を旅しているのだから宿泊地が被ってしまうことは致し方ないが、それだけ。明日にはいなくなるし、もうオレには関係ない。そう思っていた矢先の出来事だった。

 袋を通して伝わる暖かさは中に入れられた食事が出来たてであることを示している。一度大きく溜息をついた。
 まだそう夜が深まるような時間ではないが、トレーナーの多くは日が昇っている時間を有効に使うために早寝早起きをしていることが多い。ポケモンセンターの就寝時間もわりと早めだし、あと少しすれば森も建物の中も静まり返るだろう。
 女トレーナーが夜に一人で森の奥にいる。客観的に言って、それがいい状況であるはずがない。結局のところ、シンジに取れる選択肢は一つだった。

 静かな森に、ホーホーとヨルノズクの鳴き声が響いている。静かに耳を澄ませれば、それらの音に紛れて、聞き慣れた高い声が交じっているのが分かる。

「……あっちか」

 いつでもポケモンを出せるようにと夜行性のドンカラスのボールを握って声のする方へと歩き出した。近づくにつれむしポケモン独特の羽音と、陽気な鳴き声も加わる。視線の先でぴかぴかと何かが光っては消える。
 ……バルビートだ。そう思って近づいた。地面を踏みしめて、木の枝が折れる音がする。
 茂みを抜けた先で、驚いた表情のナマエと目が合った。