滴、はじけて
ハスブレロを捕まえ損ねて気が立っていたこともあり、半ば八つ当たりじみた言葉をそう親しいわけでもないトレーナーにぶつけて旅を続けていたシンジは、夜になって後ろから何かが駆けてくるのに気づいて立ち止まった。
振り返ってドンカラスをモンスターボールから外へ出す。夜行性のドンカラスならば、夜でも目が効くからすぐに対応できると考えたためだった。
ドンカラスは音のする方をじっと見て、それからシンジの方へ顔を向けた。どこか困ったような鳴き声をこぼしたこのポケモンには、何かシンジにはまだ見えないものが見えているらしい。敵が迫っているとか、まして野生のスピアーの群れだとか、そういうものではなさそうだ。
一体何が見えたのか、怪訝そうな表情を浮かべながら持っていた懐中電灯をつけて音のする方へ向けると、その音の主が顕になってシンジは瞳を見開いた。
「あれは……ウィンディか」
さすがに野生個体ではないだろう。
そして、ウィンディを相棒として連れているトレーナーにはつい数時間前に会ったばかりだ。これが誰のポケモンなのか、考えるまでもなく明らかだった。
シンジの目の前で立ち止まったウィンディは、ドンカラスとシンジに向かって必死に何かを訴えるようにしきりに強く鳴いた。
何を言いたいのか、ドンカラスの方は理解したらしいが、シンジには当然わからない。わからないが、トレーナーの手持ちポケモンがこうも動揺して一匹だけで駆けてくるということは恐らくそのトレーナーについてのことだろう。
「アイツに何かあったのか?」
確かめるように尋ねたその言葉に、ウィンディは何度も頷いた。
湖に飛び込んでスピアーの群れをやり過ごすという無茶をしたらしい彼女。何度もくしゃみをしていたことからしても、体調を崩している可能性は十分に想定できる。
その結果ウィンディがこうして近くにいたトレーナーである自分のところに駆けつけてきたのだと考えれば、その焦りようも納得できる。
問題は、それに自分が付き合う義理があるのか、ということで。
スピアーの群れにはいまだ遭遇していない。夜のうちに抜けてしまいたかった。しかし、かと言ってこの状況で彼女を見捨てることは命に関わるだろう。シンジはそこまで非情ではない。
ため息をついてウィンディの方を見た。緊張したようにこちらを見るそのポケモンからは不安と焦燥が伺えた。
――だから、トレーナーが無茶など、すべきではないのに。使えないヤツ、と内心で吐き捨てて、ウィンディに言った。
「……アイツのところへ連れて行け」
ウィンディは驚きと喜びを綯い交ぜにしたような表情で吠える。感謝を伝えているのかもしれない。
ドンカラスは何も言わなかったがどうやらこちらも心配していたらしく、同じように安堵の表情を浮かべるとウィンディの頭に乗って何度か鳴いた。
ドンカラスをボールに戻すと、ウィンディが背中を向けた。顔だけをこちらに向けて何かを伝えようとしている——乗れ、と言いたいのかもしれない。
体に触れても反応はない。ふかふかとした見た目に違わぬ柔らかさと暖かさが手のひらから伝わる。背中に乗って毛をつかむと、ゆっくりとウィンディが動き出した。
初めて背中に乗せるトレーナーを気遣ってか、走る速さは全速力とは程遠い。それでも、歩くのよりはずっと速いスピードで森の木々を縫って迷いなく駆けてゆく。シンジは黙って前を見つめていた。
しばらくして、森の中に何か怪しい光が瞬いているのが見えた。ウィンディはその光の方へと真っ直ぐに走っている。
その光はエスパータイプのポケモンに特有のもので、このウィンディのトレーナーが手持ちに加えているエスパータイプのポケモンといえば思い当たるのは一匹だけだった。
「……キルリア、か」
肯定を示すようにウィンディが一度鳴いた。
近づくとそのシルエットがはっきりする。光の目の前でウィンディは止まった。
キルリアは瞳に涙を浮かべていた。その下には、バラバラと散らばる薪と思われる木の枝と、うずくまって倒れる女——ナマエだ。
予想以上の危険な状態にシンジは瞳を揺らした。しゃがみ込んで肩に触れる——熱い。全身が淡く光っているのは、キルリアがサイコキネシスで体を動かそうとしているからか。
「エレブー!」
モンスターボールを開く。エレブーは倒れているトレーナーを見て驚いたような声を上げたが、すぐにシンジの指示に従って彼女を持ち上げた。
エレブーと二人で運ぶにはエレブーの背は少しばかり低い。持ち上げた体をシンジは一人で背負って、エレブーは周辺に散らばっていた薪を拾い上げた。
持ち上げた彼女の体は熱く、耳元では絶えず苦しげな呼吸音が響く。意識が戻る様子もない。
体は軽くて背負うことに苦労はないが、それが逆に「本当に大丈夫なのか」とシンジの不安を増幅させた。
ウィンディが鳴いた。ついてこい、と言うように歩き出したのを見て、シンジたちもそれに従う。ほどなくして森の開けた場所、先ほど彼女と会った湖のほとりへと出た。直ぐ側にテントがたち、隣に服が干されている。
シンジはテントの入り口でナマエを降ろした。
そこで、キルリアが鳴く声が背後から響いた。外に置かれたナマエのリュックサックからふわりとなにかが浮いてテントの中へと入ってゆく。
――寝袋と明かりだ。明かりはテントの中を照らし、寝袋は使える状態にセットされる。
しかし、この狭いテントの中でどうやって彼女を寝袋へと収めるのか――シンジは未だ苦しげに眠り続ける彼女をちらりと確認して眉を寄せた。
その時だった。
背後で何かが眩く光るのを感じて振り返る。キルリアの全身が、光に包まれていた。
そのシルエットが、少しずつ形を変えてゆく。
「……まさか」
小さく呟いて眉を寄せる。主が大変な状況にあるのを察知したポケモンが、助け出すために力を発揮してーーそれが、進化のエネルギーへと変わったのだ。
大きな光が引いて、サーナイトが悠然とそこに佇んでいた。
サーナイトはシンジヘ向かって一度微笑むと、すぐに真剣な表情で主の方へ向き直る。瞳を閉じると体がまた、淡く光る。
そのサイコキネシスは人間一人を簡単に浮かび上がらせた。テントの中で器用に寝袋も一緒に動かして、彼女をその中へと収めてゆく。
あっという間に、彼女を寝袋のなかで休ませることに成功した。
「……お前がいれば、オレがここにくる必要はなかったんじゃないか」
サーナイトはそんなことない、と言いたげに首を振って、不服そうな鳴き声をあげる。未だ目を覚まさない主の方を不安げに見つめていた。たしかに、状況がそう好転したわけでもなさそうだ。
ひとまず焚き火か、と考えてポケモン達を外へ出す。野営の支度を始めるように言えば、エレブーの組んだ薪にブーバーが力を抑えてかえんほうしゃを吐き出した。準備を始めるシンジのポケモンたちを手伝うように、ナマエのポケモンも動き始めた。