きらきら
「スピアー、大丈夫?」
夕日が赤く空を染め上げている。最後に立っていたのはシンジのドダイトスだった。分かってはいたけどやっぱりシンジは強いなあ。強かったね、と悔しさを隠して笑いかけると、スピアーは弱々しく鳴いた。ごめんね、か、大丈夫、か、何かそういう言葉を伝えたいのだと思う。膝の上に乗せた頭はずっしりとした重みを伝えている。ゆっくり休んでね、と告げてモンスターボールを取り出すと、スピアーがわずかに頷いたのが見えた。すぐに赤い光に包まれて、それから姿が消える。同時に膝に乗っていた重みも消えたけれど、なぜだか体が動かなくてそのままスピアーのいた場所をじっと見つめていた。
……別に、バトルに負けたのは初めてのことじゃない。ただ、負けた時の悔しさは何度繰り返したところで慣れることはないだろうなと思う。そして今こんなに悔しいのはただ負けたから、それだけじゃない、これが……これが、『最後』だって分かっていたから、だと思う。気を抜いたら泣いてしまいそうだった。俯いたまま、唇をきゅっと結ぶ。
涙がこぼれ落ちそうになった瞬間、目の前に大きな影が差した。
「……シンジ?」
「いいバトルだった」
最初に思ったのは、シンジらしくないな、ということだった。
逆光で彼の表情はよく見えない。太陽を遮るように立つシンジは、確かに右手をわたしの方へと差し出していた。見上げた拍子に涙が頬を伝ったが、それに気づいたのはその右手を取ってからだった。力強く引き上げられて、立ち上がる。バランスを崩しかけた体をどうにか支えて、左腕で涙を拭いた。右手から伝わる彼の手のひらは硬くて、暖かい——長い間外にいたからわたしの体の方が冷えているのかもしれない。
「あ、ありがとう……」
そう言うと握られていた右手はそっと離れていった。半ば無意識に、追いかけるようにわたしの右手が小さく揺れる。慌てて両手をポケットに突っ込んで、そっと瞳を逸らした。
「アイツはもう帰ったんだろ。お前はいつまでシンオウにいるつもりだ」
「え? あ、うん……サトシとタケシはカントーに帰ったよ。わたしは……」
これからどうするかは当然決めている。決めたからこそここにきたとも言える。ポケットの中で右手を強く握った。
「カロス地方に行こうと思ってる。メガシンカっていう他の地域にはない現象があって最近研究が進んでるんだって」
「……そうか」
メガシンカは一部の最終進化形のポケモンにだけ観察されるバトル中だけの強化現象、らしい。映像でしか見たことがないそれについて、カロスから遠く離れたこの場所で知れることは多くない。近年ホウエン地方でも見つかっているらしいけれど研究が進んでいるのは圧倒的にカロス地方みたいだから、訪ねるべきはミアレシティの研究所だと思った。
「シンジは……バトルフロンティアを回るのかな?」
「……どうしてそれを、」
「ジンダイさんには勝ったんでしょ。本当は順番が違うけど……なんとなくシンジならそうするんじゃないかなって」
がんばってね、というと、シンジはお前もな、と短く返した。話は終わった、というようにシンジは無言になって、静寂が辺りを包む。
「じゃあ、わたしそろそろ行くね」
「……シンオウにはもう戻らないんだな」
「どうかな、先のことは分からないけど……カロスに行くのは旅が目的じゃないから、戻ってくるのもいつになるか分からないしね」
スピアーやバルビートにメガシンカが見つかっているなら、わたしはもっと強くなれると思った。だから、何かをつかめるまでは帰ってこないつもりだ。シンオウの旅はサトシやヒカリを追いかけるだけだったけど、次はそうはいかない。シンジのその言葉に泣きたくなった。でも、前に進まなくちゃ。
——だから。
「じゃあ、今日はわざわざありがとう。会えてよかった、またね」
「……ああ」
シンジに背中を向けた。歩き出す。小さくモンスターボールが揺れた気がした。バルビートのボールだった。何かを伝えようとしているのかもしれない。伝えたい「何か」があるとすれば一つしかない……でも、わたしはそれを無視することに決めた。
本当は今日「用事」は二つあった。一つはシンオウの旅の最後に、シンジとバトルをすること。それから、もう一つは。
(……やっぱり、言えないや)
自分の思いをちゃんと、シンジに伝えておきたかった。けれど、もう会えないかもしれないのにそんなことをしてしまったら、もうこの場所から離れたくなくなってしまうに決まっている。わたしはそちらを選ぶことにしたんだから、此処で立ち止まってはいられないんだ。
歩みは止めない。背中の方にいるシンジがまだそこにいるのか、もう立ち去ってしまったのか気になったけれど、意識して顔を前に向ける。振り返ってはいけないと思う。歩き続けるわたしの頬を、涙が伝って落ちた。胸の中がぐちゃぐちゃなままで、でも一つだけ確かなことがある。
——初恋っていうのは、こうやって終わるんだなあ。
遠ざかる背中を見つめて、馬鹿みたいに立ち尽くしていた。胸に湧いた想いは、決して彼女のためになるとは思えなかったから、彼はポケットに入れた両手を握ってかたく唇を閉じる。もう会うことはないだろう。もともと生まれた場所も育った環境も、めざす場所さえ違うトレーナーだった。出会ったのはただ、彼女が共にしていた仲間が彼と同じ道を歩んでいたから。偶然もいいところだ。それでも彼女との時間は、彼にとって悪いものではなかった。
「……なんのつもりだ、ドダイトス」
彼の最初のポケモンがモンスターボールかれ出てきて、主人の方を見上げて鳴いた。基本的に指示された行動以外取ることのない彼のポケモンにしては珍しい行動だ。ドダイトスの言いたいことは分からないが、どういうつもりで出てきたのか想像できるだけに、叱りつける気にはなれなかった。今日は相性不利なむしポケモンたちを相手に勝利を収めた功績もある。ドダイトスはそれ以上なにを言うでも、なにかをするでもなく、夕日が沈みゆくバトルコートで、ただ静かにシンジをじっと見つめている。
やがてシンジはため息をついて、ドダイトスのボールを取り出した。
「帰るぞ」
ドダイトスは抵抗することなくボールの中に入ってゆく。夕日が完全に沈んで星が瞬き始めた頃、そこにはもう誰もいない。