誕生日なんて忘れてた




「明日、義高の家に行ってもいい?」
『いーけど、明日オレ仕事だぜ』
「え、そうなの?」


携帯電話を握りしめながら、思わず顔を顰める。
明日は何の日か分かっているのだろうか。

8月12日。
他の誰でもない、義高の誕生日だというのに。


「…帰り、遅くなる?」
『んー、わかんねェ。指導碁の仕事入ってんだよな』
「そう…」
『なんだよ。なんか大事な用事?』


何も察していない様子の義高の声を聞いて、確信する。彼は明日が自分の誕生日だということをすっかり忘れているのだ。

別に驚かない。去年もそうだったし。
けれど私と義高が付き合った日は覚えていてくれたから、なんというか、彼はそういう人なんだと思う。

「貴方の誕生日なんだから少しでも早く帰ってきて」とせかすのも、もういい大人なのだから憚られる。そう思った私は小さく息を吐いて、「ううん」と返事をした。


「なんでもない。じゃ、夕方くらいにお邪魔するね」
『おう。じゃ、明日な』
「うん」


ピ、と電源ボタンを押して通話を終了させる。
明日は義高の家に向かう途中でケーキを買って、それから彼の家で料理をしよう。もちろんプレゼントも忘れずに持って行く。

段取りを頭の中で確認して、「よし」と1人呟く。
こんなにも彼の誕生日に対しての熱意があるのは私だけで、当の本人はすっかり忘れてしまっているというのは少し寂しいけれど。

大切な人の誕生日を、一番近くで祝うことができる。
そう、それはとても幸せなことだ。
だからそれ以上を求めるのはやめておこう。そう思った。




次の日。
ケーキを買い、スーパーで材料を調達したあと、私は義高の家の前に立っていた。

彼はこの狭いアパートに住んで、もう何年にもなる。いい加減もう少し広いところに越したらどうだと話したこともあったけれど、彼曰く別に今の住まいで問題はないとのことだった。


「(…ま、他人がとやかく言うことじゃないか)」


そう1人ごちて、カバンの中から義高にもらった合鍵を取り出した。

ドアノブを回し、靴を脱いで誰もいない部屋に上がる。電気を点けると、あまり物がない見慣れた部屋の風景が視界に映った。


ケーキを冷蔵庫にしまうと、私はスーパーで買ってきた材料を袋から取り出した。今日は唐揚げとパスタ、それに簡単なサラダを作ることにした。

時計を見ると夕方の17時ごろ。
今から夕食を作り終えて、義高を待てばきっとちょうどいい時間になるだろう。

よし、と1人で喝を入れて、私は料理にとりかかった。




「…遅い…」


時刻は20時半。メールを送れど返信はない。
仕事中は電源を切っていると言っていたから、当然と言えば当然なんだけど。

ため息をついて、テーブルに並べた料理を見やる。
いくら彼が誕生日を忘れているとはいえ、今日という日は年に一度しかない。時計の針が進むにつれて、気持ちが落ち込むのを抑えられなくなっていった。


「…来年は誕生日ってちゃんと教えよう」


心にそう誓うと、私は次第に襲ってきた眠気に飲み込まれていった。





「…遅くなっちまったな」


腕時計を見ると、すでに夜の22時半過ぎ。
指導碁の仕事から帰ると、家に明かりが点いているのが外から見えた。ユリが待っている。

普段誰も待つことのない家に帰っているから、不思議と足取りが軽くなる。誰かが待っていてくれるのって、結構いいモンなんだな、と思う。


「ただいま」


部屋に上がり、そう口にする。
けれど返事はなく、おや、と思う。


「ユリ?」


靴はある。
狭い部屋の中を見回すと、彼女の姿はすぐに見つかった。畳んだ布団の上に、倒れ込むようにして眠っている。

彼女に声をかけて起こすより早く、テーブルの上に何かが並べられていることに気がつく。いくつかの料理だった。それもユリの手料理だ。


「…?」


今日は何かあっただろうか。
とりあえずユリに何か飲み物を出すべく、オレは冷蔵庫に向かった。烏龍茶くらいならあったはずだ。

ガチャ、と音を立てて扉を開ける。
ふわりと漂う冷気と、ブーンという無機質な機械の音。それらに包まれて、白い箱が目に入った。なんだかケーキの箱のように見える。


「ケーキ…?…あっ?!」


そうだ。今日はオレの誕生日。
すっかり忘れてた。

じゃあ、まさか。
ユリはオレの誕生日を祝うためにここに来て、ケーキやら料理やらを用意してくれてたってことなのか。


「…やっちまった」


はー、と天を仰ぐ。
去年もこんなんじゃなかったか、オレ。
そんでユリに軽く叱られたような気もする。

オレはネクタイを緩めて放ると、ユリに近づいて腰をかがめた。


「ユリ。…ユリ」
「ん……」


頬に手を添えると、彼女が微かに身じろいだ。
自分の誕生日もロクに覚えてねェし、家事も大してやらねェ。いつも頭の中は碁のことばかりで、それで一杯一杯になってるっていうのに。そんなオレを、彼女は好きだと言ってくれる。


「…義高…?」
「ああ。遅くなってゴメンな」


ゆっくりと目を開けたユリ。
どうしようもなく愛おしく思えて、オレは彼女の身体を抱き締めて「ありがとう」と囁いた。


「…ちょっと、どうしたの?」
「オレの誕生日、祝いに来てくれたんだろ」
「やっと思い出した?」


少し拗ねたような声色。
けれど苦笑しながら「悪ィ」と謝ると、ユリは少し機嫌を直したように、オレの腰に腕を回した。


「もう。来年はちゃんと覚えててよね」
「分かった」


もう一度、彼女の身体を強く抱き締める。
するとユリはふふっと耳元で小さく笑って、「お誕生日おめでとう、義高」と言ってくれた。




2023.8.12
Happy birthday!

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