少しだけ、昔の話をしましょう
静かに寝息を立てて眠っている鈴の側に居た大倶利伽羅は、不思議と心が穏やかで落ち着いていた。
彼女は本当に不思議な人の子だ。
人の子に対して、こんな気持ちになるなんて、思ってもなかった事だった。
彼女の為に何かしたい、彼女の為に居心地の良い居場所を作ってあげたい、彼女を護りたい。
そう思える人の子に数百年振りに出逢って戸惑いもしたが、嫌な気持ちにはならなかった。
寧ろ、満たされた気持ちになった。
自然と手は動き、鈴の頬に掛かっていた髪を掃うと、彼の目は、桜色に色付き、薄く開いた彼女の唇へと向いた。
さっき、自分は、どうして、何を想って、彼女にあんな事をしたのか。
幾ら彼女が眠っていたからといって、一方的に口付けをするなんて。
確かに前、彼女の髪に口付けをしたが、その時は彼女は起きていたし、一方的であれ、唇にではなかった。
そう思うと、彼女に悪い事をしてしまった気がするが、これに関して謝るつもりは毛頭ない。
はあ、と溜め息を吐くと、鈴の側を離れ、柱に凭れ掛かると、ゆっくりと目を閉じた。
ふわり、と、鈴の意識が浮上した。
最初に目に飛び込んで来たのは、ここ数日で見慣れた天井。
起き上がり、周りを見渡すと、障子戸は開けられており、心地良い風が室内に吹き込んでいた。
それに対し、鈴は首を傾げた。
障子戸は鈴が寝やすいように、大倶利伽羅がちゃんと閉めた筈だ。
それにこの部屋に、その大倶利伽羅の姿が見えない。
それに違和感を覚えた。
この部屋は、今鈴が使っている前任の部屋な事に間違いない。
部屋から見える、外の景色が全く同じだからだ。
だが、この部屋の中は違った。
それに見覚えがあった。
数日前に夢で見た部屋だ。
机の上に少し大きめの写真立てがあった。
しん、と、静かな部屋とは違い、遠くの方からは賑やかな笑い声が聞こえた。
鈴は開いている障子戸から顔をひょっこりと顔を出したが、何処にも姿は見当たらず、ゆっくりと室内に顔を引っ込めた。
近くに人の気配を感じず、何となく、幾つものファイルやノートが番号順に並べられている棚の方へ足を向け、背表紙に書いてある若い番号を手に取り、中を読んでみた。
そこには、戦場の敵を分析した事細かな情報に加え、その戦場で発見した刀剣男士の一覧もあり、政府が発行しているマニュアルより、詳細に記されていた。
そのファイルを次から次に目を通し、最後のファイルは、京都の最終ステージで終わっていた。
そして、次に鈴の目に入ったのは、刀帳だった。
表紙には、この本丸のIDと刀帳の発行ナンバーが記されていた。
と、云う事は、この部屋はやはり、鈴が就任した本丸である事には違いなかった。
表紙の裏側には、審神者のサインと審神者局の局長のサインがあり、1ページ目には、審神者としての信条が書いてあり、次のページからは、この本丸に顕現されている刀剣男士が顔写真付きで登録されていた。
刀帳を読み進めていくと、鈴は違和感を覚え、全て読み終わる頃には、モヤモヤとした黒いモノが彼女の胸の中に居座った。
刀帳は全て埋まっていた。
つまり、この本丸には、現在、顕現されている刀剣男士全員が居る筈だ。
だが、刀帳の刀剣男士全員、この本丸にはおらず、数人以上所在が分からないのだ。
この刀帳を見るまで、鈴の中で、これは夢であり、現実ではないと思っていた。
だから、数人の刀剣男士が顕現されていなくても、別段気にするような事ではない。
だが、あれは。
あの日付は二百年以上前のものだった。
二百年以上前の刀帳では、顕現されていた刀剣男士が、今、この本丸には居ない。
これ程、おかしくて違和感のある事はない。
政府から聞いた話しでは、”刀剣男士の破壊”があったとは、聞いていない。
それならば、この本丸の何処かにこの数人が居る筈だ。
人の身で居る事を封じられ、刀剣の姿で、この本丸の何処かに居る筈なのだ。
これは夢だ。
鈴が今見ている夢。
だが、この夢は、この本丸の”過去”であり、”現実”にあった日常のほんの一瞬を何故だか分からないが、鈴が見ている。
もしかすると。
仮定として考えると、この本丸が”見させている”のでは、ないだろうか。
二百年以上の歴史がある本丸であり、その二百年の間、審神者と刀剣男士が過ごした場所だ。
その長い歳月で起こった、楽しい事、悲しい事、辛い事、嬉しい事、そんな出来事が本丸に遺され、二百年の時間を経て、本丸が意思を持ち、鈴に過去の本丸の一部を見せているのではないのだろうか。
この仮定が本当だとすると、”本丸”が”直接”鈴に助けを求めている事になる。
刀剣男士が人の身を得て、成長を見守っていた本丸が、刀剣男士を助けたいがどしようも出来なく、その結果、このような形で鈴に干渉してきたのではないだろうか。
まあ、全て仮定の話しであり、実際にそうとは限らないのだが。
それにしても、本当にリアルな夢だ。
現実か夢か分からなくなりそうな程に。
夢と現実の狭間に居るような、そんな感覚が強くなり出した時、ふと、視線を感じて、手に持っていた写真立てから目線を上げた。
相手の爪先が目に入り、ゆっくりと目線を上に移していったその時だった。
体がふわり、と、浮く感じがし、一気に意識が浮上し、ハッと息を呑んだ。
目に飛び込んで来たのは、見慣れた天井で、鈴は勢い良く飛び起きた。
意識が浮上するする寸前、夢の中の相手に向け伸ばした手は、現実でもそのままで、鈴の指先は空を切っていた。
はぁ、はぁ、と、呼吸も荒く、鈴の米神からは、汗が一筋、流れ落ちた。
「おい!どうした?!」
鈴の側でうたた寝をしていた大倶利伽羅は、彼女の異変を察知し目を覚ますと、彼女の宙を浮いている手を握り、片方の手で彼女の頬を撫でると、彼女の顔を覗き込んだ。
その表情には焦りで覆いつくされており、彼がどれだけ鈴を心配しているのか、それが窺い知れた。
呼吸の荒さも落ち着き、次第に合っていく焦点に彼はホッと息を吐いた。
どんな夢を見たのかは知らないが、起きた時のあのパニック状態からは、大分落ち着いたようだ。
「そんな酷い夢だったのか?」
彼の言葉に鈴は、首を横に振った。
彼の声音は優しくもあり、甘くもあり、何よりとても穏やかだった。
鈴を落ち着かせるように、そして刺激させないようにと、不器用な彼なりに配慮した結果だった。
「酷い夢…、では、なかった…、です」
「……、悲しい夢、か?」
「そう、ですね…、悲しい夢…、なのかもしれません、」
「…、今、辛いのか?」
「そうかも……、しれません」
「そうか…、」
鈴の言葉を優しく引き出し、彼女もそれに小声であれ答えると、彼は彼女をそっと包み込むように抱き締めると、何度も優しく彼女の背中を撫でた。
どれぐらいそうしていたのか、鈴は彼の胸にその身を委ねたまま、ポツリ、と、口を開いた。
「大倶利伽羅、様…、少しお聞きしたい事があります」
「なんだ?」
「…この本丸に居る筈の…、例えば…、数珠丸様や髭切様、膝丸様は、何処に保管されているのですか?」
「お前っ、どうしてそれを…!!」
鈴の口から出た言葉に彼は目を見開いて驚き、声を上げた。
どうして彼女が彼らの存在を、彼らが刀の姿のまま保管されている事を知っているのだ。
確かに刀帳を見れば全て埋まっていて、彼らをこの本丸に迎えた事を証明はしているが、本丸にその姿が無ければ、刀剣破壊されたと思うのが普通だろう。
この本丸は刀剣破壊があってもおかしくない本丸で、その考えに至るのが普通だろうに、彼女はどうして彼らが刀の姿のまま、この本丸に居て、何処かに保管されていると知っているのだ。
この事は誰も口にしていない筈だし、寧ろ、彼らの事は考えないようにしていた。
彼らは審神者にしか顕現出来ないのに、審神者が不在の今、考えても、ただ辛いだけだ。
それ故、彼らの事は口にしていなかった筈なのに、どうして彼女は知ってしまったのだ。
彼は言葉に詰まり、鈴に何も言えずにいたが、それが逆に真実であると暗に示してしまった。
「やはり…、何処かにいらっしゃるんですね…」
「……ああ、そうだ」
「何故、顕現されていないのですか?」
鈴の問い掛けは、想像の範囲内だった。
顕現されず、刀の姿のまま保管されているのならば、当然疑問に思うだろう。
これは自分の口から彼女に伝えても良いのだろうか。
仮に伝えても、彼女の負担にならないだろうか。
彼は頭の中で必死に考えた。
良いのか悪いのか。
彼女の負担になるのか、ならないのか。
それを必死に考えたが、答えが出る事はなかった。
「また、私の事を考えて下さってるんですね…」
顔を上げた鈴と目が合い、そう言われ、彼は罰が悪そうに目を逸らした。
こんな時に、自分の考えなんて読んで欲しくなかった。
「これ以上、あんたに…、負担を掛けたくない」
「負担なんて…、此処に来て感じた事、ありません…!!」
「あんたなら、そう言うと思った」
「なら、どうして…!!」
「こればかりは、俺の一存では離せない。青江や岩融、他の奴らにも相談してからでないと言えない。…それでも聞きたいのか?」
真剣な表情と困惑を隠せない彼に、今度は鈴が罰悪そうに瞼を伏せた。
今の発言は自分が悪かった。
自分の事しか考えてなく、彼の事を考えていなかった。
こんな自分勝手な事を聞き出そうなんて、自分勝手にも程がある。
彼は少しも悪くないのに、どうしてそんな事を言ってくれるのだ。
どうして、それ程までにこの人は自分を甘やかすのだ。
「もし、聞きたいと私が言ったら…、大倶利伽羅様は、立場が悪くなったりしませんか…?私のせいで、困るような事にはなりませんか…?」
「あんたの方こそ、俺の事を考え過ぎだ。…それとあんたが訊きたいと云うなら、ちゃんと話してやる。第一、青江達に相談しても、話しても良いと言うのが目に見えてる。その時にあいつらが思うのは俺と同じだ。あんたの負担になるか、ならないか…、それぐらいだろう」
彼の言葉に鈴は目をパチパチと瞬かせ、照れ臭そうに顔を伏せた。
「また今夜にでも声をかける」
「わ、かりました…」
そう言うと鈴は、彼から離れ、少し乱れた髪を手櫛で撫で付けると、小さな欠伸を一つ零した。
目線を障子戸へと向けると外は薄暗く、日が殆ど落ちているようだった。
「誰も呼びに来ませんね」
「まだ寝てると思ってるんだろう。実際、この部屋の前の床板を修繕していた時も、良く眠っていただろう」
「……全く気付きませんでした」
「だろうな」
ぷっ、と、可笑しそうに噴き出した彼は、その顔を隠すように俯いた。
そんな彼に鈴は首を傾げたが、次第に嬉しい気持ちが湧いて来た。
ここ数日で、随分と表情や感情が増えた彼に嬉しくて仕方ない。
初めて会った時の、あの凍て付くような冷たい表情は消えていて、穏やかな安心したような表情が増えている。
嬉しいこの変化に、正直、飛び跳ねたい気分だった。
「初めて……」
「…なんだ?」
「初めて大倶利伽羅様にお会いした時、凍て付くような冷たさを感じました」
「そうか…」
「でも今は…、とても温かな、お日様みたいなものを感じます」
「凄い変わりようだな」
「嫌…、ですか?」
「……、いいや、意外と良いもんだな」
「そうですか」
ふにゃり、と、表情を緩めた鈴に彼も同じように表情を緩めた。
変化を嫌っていた筈だ。
ずっとあの頃の自分でいたくて、変わる事を嫌い、何にも染まるよう事のないよう過ごしていた。
それなのに彼女と出逢い、数日、彼女と共に過ごし、彼女と言葉を交わし、彼女に触れ、自分は変わってしまった。
その自覚は、認めたくはないが、ちゃんとある。
しかし、厳密に言うと、”変わった”のではなく、”元の自分に戻った”のだ。
初代審神者以降、仮面をぴたり、と張り付け、被り続けた。
初代審神者に顕現された、あの頃の、あの審神者が愛した大倶利伽羅に、戻ったのだ。
あの頃の審神者は、あの審神者のモノだ。
だから、その審神者以外に見せるのは気持ちが悪く、ずっと、長い間、仮面を被り続けていた。
だが、彼女と過ごすうちに自分でも知らないうちに、その仮面を外していた。
ずっと抵抗して、被り続けていた仮面をいとも簡単に外していたのだ。
でも、どうして彼女なのだ。
自分に優しく、家族のように扱ってくれた歴代の審神者ではなく、自分達を手入れしに来た、ほんの数日ばかりの付き合いの彼女なのだ。
その事を悶々と考えていた彼だったが、ある事を思い出し、それが、ざあっ、と、胸の中の靄を晴らし、ああ、と、納得した。
だから、彼女なのか。
だから、彼女に触れたくなるのか。
自分を満たす、この感情のせいか、つい、彼女へと手を伸ばし、彼女の柔らかな頬へと触れた。
キョトン、と、した鈴だったが、次の瞬間にはその頬を赤く染め、さっ、と、自分から視線を外した。
つい先程まで、自分の腕の中であんなに大人しく、珍しく平然としていたのに、今はこれだ。
本当に彼女は、飽きない女だ。
「お邪魔するよー!おっ、ちゃんと起きてたね」
「…チッ、次郎太刀か」
「もっ、もしかして寝過ぎてしまったのでしょうか…?!」
「大倶利伽羅は舌打ちしない!あと、嬢ちゃんは寝過ぎちゃいないよ、まあ、もう少しで夕飯だけどね。嬢ちゃんにちょっと頼みたい事があってさ」
「頼みたい事…?なんでしょうか?」
スパーン!と、勢い良く障子戸を開き、部屋に乱入して来たのは、次郎太刀だった。
酒を一滴も飲んでいないのに、底抜けの明るさに、鈴との時間を潰された大倶利伽羅は、隠す事無く舌打ちをし、彼の言葉に彼女は首を傾げた。
頼みたい事とは、一体何だろうか。
「兄貴と石切丸が掃除していた所にさ、これが有ったんだよ。一応、兄貴達が視たんだけど、特に怪しいモノは感じなかったみたいだし、アタシも視たけど何も感じなくてさ?んで、嬢ちゃんに視てもらって、これが何か教えてもらおうかなぁ、って」
はい、これ、と、彼が鈴に渡したのは、長方形で丸みを帯びたフォルムの機械だった。
確かこれは、家庭用ゲーム機ではなかっただろうか。
怪しい気配…、呪詛の類いは一切感じない。
他にも気になる所はないし、何故、祈祷場に有ったのかは不明だが、警戒する事はないだろう。
「怪しい気配は感じないので大丈夫ですね。それで、これが何か…、ですよね?これは、家庭用のゲーム機の本体です。娯楽の一つですので、何も怖がる事もないです」
「へぇー、これが娯楽の一つねぇ…、一体誰の持ち物なんだろ」
「そう…、ですね。非常に良い辛いのですが、多分、前任の私物…、だと思います」
「………は?」
「マジ、で……?」
「え、ええ。このゲーム機のモデルは、今発売されている機種の二つ前の型ですし、年数的に前任が所有していた物かと思います」
「…ね、ねぇ、大倶利伽羅?アタシ触っちゃったんだけど…」
「清めてこい、今直ぐ」
「嬢ちゃんも…」
「石切丸と太郎太刀に祓ってもらうぞ、今直ぐ」
「いや…、そこまでしなくても大丈夫、です…」
前任の物だ、と、鈴が言った瞬間、二人の表情は大きく歪み、汚物のように扱い、真剣な表情で彼女に祓ってもらえ、と、言った大倶利伽羅の目は血走っていた。
「え…、と。それなら、”アレ”と一緒に燃やすなり、粉々にするなりして処分しますか?初日に纏めた”アレ”も、そろそろ政府に頼んで引き取って貰おうと思ってましたし…。皆様、大分部屋から出て来られていますし、何時までもああだと、気分も良くないでしょう?」
鈴の言う”アレ”に、大倶利伽羅は、ああ、と、何の事か思い当たったようで、ぐしゃり、と歪んだ笑みを浮かべた。
一方、”アレ”が、何の事か分からない様子の次郎太刀は、首を傾げ、そんな彼を見た鈴は立ち上がり、”アレ”が積まれている方の庭に面した障子戸を開くと、三人の目の前には、この部屋に置かれたままだった、前任の私物がゴミのように山となって積み上げられていた。
「こりゃ見事なもんだ…!!そうだ!折角積み上げてるんだ、いっそ豪快に燃やしちまえばどうだい?!」
「燃やす…、ですか?お焚き上げ…、と、云う事でしょうか?」
「そんな大層なもんじゃないさ。ただ燃やすだけ。アイツが大切にしていた物を燃やして、粉々にして、灰にして…、これ程気持ち良い事はないじゃないか。大倶利伽羅もそう思うだろ?!」
「…まあ、な。確かに前任の持ち物が目の前で無残に灰になるのは…、見てみたいがな」
お焚き上げではなく、普通に焼却するだけらしい。
形ある前任の所有物を形無き灰にするのを見たい、と、云うのは、少し物騒な気もするが、これは許可しても良いのか悪いのか…、自分の一存では決め兼ねる相談だった。
一応、この事を政府の方へ訊いてみない事には、簡単に頷く事は出来そうになかった。
「そうですね…、私個人としては、それで皆様の気が済むなら構わないのですが、一応、前任の所有物であった”アレ”は、今は政府の所有物ですので、焼却なりの方法で処分するには、政府に訊いてみないと、私にはどう返事をして良いのか…」
少しだけ時間をください、と、そう言った鈴に次郎太刀は、明らかに落胆した様子だったが、彼女の言葉には納得したのか、渋々と云った感じで頷いていた。
「そう言えば、そろそろお夕飯なんですよね?」
「んー?あぁ、そろそろ出来上がって並んでるかもね。嬢ちゃんも準備出来てるなら広間に行くかい?」
彼の言葉に鈴と大倶利伽羅は立ち上がり、彼女は手に端末を持つと、二人と共に広間へと向かった。
広間へと着くと食卓には、料理が所狭しと並んでいた。
大皿一杯の肉じゃが、野菜炒め、アスパラのベーコン巻き、切り干し大根にロールキャベツ。
短刀達にも太刀や打刀達にも食べ易いおかずが並んでいて、そこに赤味噌で作った大根と薄あげの味噌汁と炊き立ての白米の食欲をそそる料理の数々に、寝起きにも関わらず、ぐぅ、と、お腹が小さく音を立てた。
「良く眠れたみたいですね」
「お陰様で…、皆様が部屋の前で作業されていたみたいですが、全く気付かず寝ていたみたいです」
「そう言えば…、大倶利伽羅殿に注意されましたな。手入れ師殿が気持ち良さそうに眠っているから、静かに作業をしてくれ、と」
蜻蛉切のその言葉に鈴は、くるん、と、勢い良く彼の方へ顔を向けると、彼の表情は赤く染まり、その目は恨めしそうに蜻蛉切を見ていた。
本当、彼はどこまで自分に甘い人なのだ。
そこまでされてしまうと、気恥ずかしいかや、照れ臭いやら、申し訳ないやらで、何とも言えない気持ちになってしまう。
彼のそんな表情も気になるが、視界の端に見える、この本丸に来てから初めて見る三人の姿だ。
所々汚れた布を頭から被っている金髪の持ち主の山姥切国広、薄紫の緩くウェーブのかかった髪の持ち主の歌仙兼定、金の着物に金の千鳥柄の羽織りを身に着け、藤色の長髪を高く結い上げている蜂須賀虎徹。
この本丸で初めて目にした彼らに、鈴はデジャヴを感じ、彼らについて触れて良いのか悪いのか、助けを求めるように視線を彷徨わせていると、笑いを堪えた青江が彼女の側まで近寄り、彼女の頭をぽんぽん、と、優しく撫でた。
「彼らも協力してくれるみたいだよ。畑の苗をきちんと保管してくれていたのも彼らさ。今日の畑仕事の時、様子を窺っていてね。言ったんだ、キミたちも此方に来たらどうだい?って。そしたら、夕方から僕達の前に出て来てくれて、今に至る…、って訳さ」
キミは凄いね、なんて、にこやかに笑みを浮かべて、青江がそう言うものだから、鈴は、はぁ、と、気の抜けた返事しか出来なかった。
これは直ぐにでも、通販サイトを開き、彼ら三人のタオルや衣服を調達せねばならないのでは?
「ちょっと失礼します…!!」
そういうや否や、鈴は端末のスリープモードを解除し、通販アプリを立ち上げると、例の部屋着とタオルをカートに入れ、最終確認をすると購入し、端末を再びスリープモードにすると、それを着ていた服のポケットへと仕舞い込んだ。
「彼女は…、今何をしたんだい?」
「ん?ああ、それは多分、キミ達の部屋着とタオルを買ったんだろうね」
「それは、何故だい?俺達はこのままでも構わないけど…」
「彼女が言うには、気持ちの切り替え、だ、そうだよ。折角新しい生活が始まるのに、そのままでは気分が良くないだろうから、ってね」
「……変わった人間、だな」
「そうだね。…でも、まさに彼女は、僕達の好きな人の子…、だろう?」
「…、ああ、そうだね。僕達の好きな人の子だ」
新たに三人の部屋着とタオルを購入出来た事に安心した鈴の知らないところで交わされた会話に彼女は気付く事がなかったが、青江達の側に居た者は、その会話を聞いて、安心したようにホッ、と、胸を撫で下ろしていた。
歌仙も山姥切も蜂須賀も、通常時は攻撃的な性格でない事は知っているが、嫌悪している人間を前にして、冷静でいられるか不安ではあったが、青江のあの落ち着いた様子の口振りを内容を聞くに、三人共、鈴がどんな人間かを知った上で部屋から出て来たらしい。
「今日の夕飯から、歌仙君も手伝ってくれてるんだ」
「そうでしたか…!ありがとうございます!」
「いや、礼を言われる事じゃない。キミはこの本丸の為に色々頑張ってくれてるんだ。これぐらいやらなきゃ、風流じゃないだろう?」
ぷい、と、横を向き、早口でそう口にした歌仙の頬は、赤く染まっていた。
歌仙にとって、こんな風に直球に感謝されたのは、随分と久し振りだった。
誰かに感謝されると云うのは、こんなにも照れ臭くて、嬉しい気持ちになる…、荒んだ生活を送っているうちに忘れかけていたモノだった。
「あと、山姥切くんと蜂須賀さんも色々手伝ってくれてね。洗濯物も綺麗に片付いたし、休憩室も使えるまでに片付いたんだよ!」
「そうでしたか…!!それはお疲れ様でした!お夕飯終わって落ち着いたら、お風呂に入って、ゆっくり温まって下さいね」
燭台切が嬉しそうに話す内容に鈴の表情は明るくなり、そんな彼女を見て、山姥切も蜂須賀も満足そうに、そして嬉しそうに表情を緩めた。
「折角、美味しそうなお夕飯が冷め切ってしまっては勿体ないです。いただきましょう!」
「ああ、是非そうしてくれ。この肉じゃがは自信作なんだ。キミもきっと満足する味な筈さ」
「それは楽しみです…!…それでは、いただきます」
最早、恒例となった鈴のその言葉を皮切りに、広間には賑やかな声が響いた。
歌仙が作ったと云う肉じゃがを一口、口に入れると、じゃがいもはホクホクで甘い味付けが染みていて、ほぅ、と、溜め息が零れる程だった。
美味しい、すごく、美味しい。
味付けは優しいのに、ちゃんと素材に味が染み込んでいて、ほっこりする味付けだ。
これは、歌仙が自信作と言うのも頷ける。
「そんなに美味しい…、のかい?」
「はいっ!!」
ふにゃ、と、表情を緩めて返事をした鈴に、歌仙もつられるように微笑みを濃くした。
「ああ、ほら、まだあるから、ゆっくりお食べ」
パクパクと表情を緩ませながら、口一杯に肉じゃがを頬張る鈴に歌仙は嬉しそうにしつつも彼女を窘め、彼女の取り皿に肉じゃがを取り分けると、彼女は更に表情を緩めた。
歌仙がそうやって鈴の世話を焼いてるように、少し離れた席では、堀川が山姥切に同じように世話を焼いており、また別の席では、今日の夕方から参加した筈の蜂須賀が、何故か長曽祢の世話を焼いていた。
虎徹の新作である蜂須賀は、贋作である長曽祢を毛嫌いしているのが大半だが、この本丸の二人はそうではないらしい。
蜂須賀の発言は多少強めだが、毛嫌いしているような印象は少しも感じない。
多分…、だが、想像でしかないが、蜂須賀が顕現された時、長曽祢が顕現された時は、他の本丸同様、蜂須賀は長曽祢の事を毛嫌いしていただろう。
だが、この本丸での境遇が二人の仲を変えたのではないだろうか。
一般的に毛嫌いしているのは、蜂須賀の一方的なもので、長曽祢は彼の事を末弟の浦島同様可愛い弟だと思っているらしいのだが。
歌仙に世話を焼かれ、空腹も満たされた頃には、殆どの者が食事を終え、各々好きなお茶を飲んでおり、和やかに会話を楽しんでいた。
そんな中、大倶利伽羅が数人の刀剣男士に何やら話し掛け、何かを聞いた瞬間、表情は驚きに満ち、鈴の方へ視線を向けると、数秒、彼女を見つめ、彼に対し、頷き返していた。
彼は鶴丸や一期一振達にも何かを離すと、鶴丸に肩をポンポンと叩かれ、一期一振には何やら鬼気迫る表情で何か言われたようで、彼にしては珍しく焦っているように見えた。
はて?と首を傾げたが、ポケットに入れた端末がブルブルと数回震え、取り出して確認してみると政府の担当職員からだった。
こんな時間に返事が来るとは思ってもなく、どうやら今日は残業らしい。
可哀想だと思いつつも内容を確認すると、鈴はそれに目を丸くさせたが、直ぐに返信し、端末を再びスリープモードにした。
「今、平気か?」
「っ、は、はい、大丈夫です…!」
「今夜部屋に行く。眠らずに待っていろ」
「…はい、分かりました」
彼のその言葉に一瞬、何の事か分からなかったが、広間に来る前の事を思い出し、深く頷き返した。
食器の片付けや、風呂の準備をしていると、広間のど真ん中に突如、段ボール箱が現れ、広間の中が一瞬殺気立った。
だが、箱の中を確認すると内容物が歌仙達三人の物だと分かり、殺気立った事がバカらしく思え、広間には笑い声が響いた。
「本当にキミが一番に入らなくても良いのかい?」
「ええ、私は最後に頂きます…!」
「だが、この人数だ…、入る時間は遅くなるぞ?」
「大丈夫です。お昼からゆっくり休ませて頂きましたので、体力は十分にあります!」
「そうは言ってもねぇ…、虎徹の真作である俺が女性を差し置いて先に風呂に入るのは…」
「おい、その遣り取りをまたするのか?」
「また大倶利伽羅殿に顔面タオルを食らっても知りませんよ、燭台切殿みたいに」
「ちょっ、宗三くん?!」
先日見た光景が人を変え再現されると、その時にその場に居た宗三がそう言い、燭台切は彼を二度見すると目をカッと見開き、口をパクパクとさせた。
一体、何の事か分からない者が首を傾げていたが、その時、その場に居た者は、思い出したのか、笑いを堪えており、肩を震わせたり、体を震わせたりしており、まるで端末のバイブレーション機能が備わったようになっていた。
その事件を起こした張本人の大倶利伽羅ですらそうなっているのだから、歌仙達は不思議そうに首を傾げ、”顔面タオル”が何なのか分からなかった。
だが、燭台切のあの反応に、この皆の反応を見るに、此処は大人しく鈴の言うように先に風呂をもらった方が懸命のようだ。
「そ、それじゃあ、先に頂くよ」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
引き攣った表情でそう言った蜂須賀に鈴は満足そうに笑みを浮かべ、そう返した。
広間に数人だけ残し、他の者は全て風呂へと向かい、一番に風呂から上がって来た青江と入れ違いに、残っていた者が風呂へと向かった。
「さて、キミの着替えを取りに行こうか」
「青江様がご一緒して下さるんですか?」
「彼に頼まれてね。僕と一緒に入った先行組も徐々に出て来るだろうし…、早く取りに行かないとね」
「そ、そうですね…、では、お願いします」
風呂で大倶利伽羅に頼まれたらしい青江にそう言われ、鈴は一度部屋に着替えを取りに戻った。
着替えを仕舞っているボストンバックにある使用済みの下着が溜まっている事に、あ、と動きが止まった。
そろそろ下着を洗濯しなければ、替えの下着がなくなってしまって、明日の風呂上りからノーパンで過ごさなければならなくなる。
幸いにも、この本丸には乾燥機があるし、明日の朝にでも洗濯機も借りて、洗濯させてもらうしかない。
「お待たせしました」
「おや、もう良いのかい?」
「はい、もう大丈夫です」
「そう言えばキミ、服の洗濯はどうしてるんだい?」
「脱いだものは持ち帰って袋に入れてますが…、そろそろ洗濯させてもらおうかな、と」
「…ああ、堀川に頼む訳にはいかないからねぇ…」
「堀川様からは、気にしないのであれば、洗濯すると仰って下さっているのですが、何だか申し訳なくて…」
「彼は気にしないと思うけどね…、おや、大分、風呂から上がって来てるみたいだ」
「本当ですね…、あ、でも、青江様と入れ違いで入った方達はまだみたいです!」
「間に合って良かったねぇ」
「はい!」
ダラダラと着替えを準備していた訳ではないが、青江と喋りながら広間へと戻ると、風呂に入っていた者の殆どが広間に集まっていた。
薬研は相変わらずパンツ一丁だったし、宗三も胸元が刻印が見える程に肌蹴ていた。
「お、戻ったみたいだな」
「はい、只今戻りました。お湯加減は如何でしたか?」
「少し熱いぐらいでした。もう少ししたら残りの者も出て来るかと」
「そうでしたか。それなら、もう少し此処で待たせて頂きますね」
「ええ、そうする方が良いでしょう。それと今日、貴女が湯浴みしている間、乱とお小夜、あと加州と堀川が外で待機していますので」
「わざわざ申し訳ないです…」
「これぐらい、どうって事ないです。第一、貴女は嫁入り前の娘なんですから、こんな男だらけの所に来て…、ちゃんと考えねばならないでしょうに」
「そ、そうですね…」
宗三の最も過ぎる言葉に鈴は返す言葉もなく、宗三の言葉に頷くしかなかった。
そんな二人を見て、周りの者が思った事は、”母親に叱られている一人娘”だった。
それから最後の者と入れ違いに鈴は風呂へと向かい、小夜達に外で待ってもらった。
程々にゆっくりと風呂に入ると、再び小夜達と合流し、部屋まで送ってもらい、部屋の前で別れると、鈴は部屋の中へ入った。
そこには、お決まりのように布団が敷いてあり、枕元には水差しとコップが置いてあった。
その水差しとコップを手に取ると水を注ぎ、それを一気に飲み干した。
暫くの間、ぼぅ、と、していると、部屋の前に人影が現れ、その人物は、そっと障子戸を開けた。
「今、いいか?」
「はい、大丈夫です。どうぞ、お入りください」
障子戸の向こうには、大倶利伽羅の姿があった。
濡れた髪のまま、肩にタオルを掛け、垂れてくる水滴や汗を暑そうに拭い、彼が着ている服は、鈴が購入した大倶利伽羅プロデュースの部屋着だった。
「その服、着心地は如何ですか?」
「悪くないな。…流石、他の大倶利伽羅が形にした服だ。…今日の夕方の件だ」
「はい…、他の皆様は話しても良いと…?」
「ああ。あいつらも、お前が訊きたいなら話して良いと。だが、あいつらが口を揃えて言ってたのは、話しを聞いても深く考えずに思い込むな、との意見だ。約束、出来るか?」
大倶利伽羅のその言葉に、鈴は言葉に詰まった。
自分の性格からして、深く考えない…、と、云うのは、出来るだろうか。
そんな内容か、まだ聞いてないが、約束するからにはちゃんと言わなければならない。
だが、そんな約束、出来るのだろうか?
「…あんたには、出来そうにない約束…、みたいだな、知ってはいたが」
「う…、すみません…」
「と、言っても、言う程大層な話しじゃない。青江にしても岩融や光忠にしても、数珠丸や小竜、貞や巴が、あの状態でいる事は、少なからず安心はしている」
「それって…?」
彼の言ってる事が分からず、首を傾げた。
あの状態…、と、云うのは、刀の姿のまま、何処かに保管されている事だろう。
だが、安心…、とは、一体どのような意味なのだろうか。
彼はそう言ったっきり、口は開かず、ただ、鈴の事を琥珀色の瞳で、じぃ、と、彼女を見つめているだけだった。
これは、自分で考えてみろ、と、言っているのだろうか。
刀の姿のままで保管されている事が安心。
この意味を頭の中でグルグルと考えた。
時間にして十分程だろうか。
鈴の頭の中で、もしかすると…、と、一つの考えが浮かんだ。
「刀のままだと…、無理な出陣や、酷い仕打ちを受けずに済むから…、でしょうか?」
「…ああ、そうだ。人の身でないなら、あの地獄のような日々を送らずに済むからな。貞達が刀の姿のまま、封印札を貼られ、蔵の奥に保管された理由は、聞きたいか?」
「深く考えない…、と、云うのは約束出来ませんが…」
「まあ、あんたならそうだろうな。大した事じゃない。純粋に貞達の前任に対する抵抗が切っ掛けで、刀に戻されたんだ」
「……抵抗?」
約束は出来ない、そう言った鈴に彼は苦笑いを一つ零して、昔の事を思い出すように、ポツ、ポツ、と、話し出した。
「最初の審神者と前任を比べたりしてな。”あの人はそんな事しない””あの人ならそうする”とか言って、前任の命令を聞かなくなった。主に口にしていたのは、貞が殆どだったんだが、髭切や数珠丸、小竜なんかは、出陣も拒否して、前任の存在を消すような行動をした結果、前任に刀に戻され、封印札を貼られ、無造作に放置され…、目の前で縁のある刀を痛めつけた」
「そんな…、酷い…」
「あいつらはプライドが高いからな。流石に数珠丸は予想出来なかったが、貞や髭切なんかはプライドが高くて、プライドの高い前任と合わないとは思っていたが、あそこまでするとは全く予想出来なかった」
「でも、どうしてそこまで前任に反発したのでしょうか?」
「さあ…、理由は特に聞かなかったが、前任がこの本丸に来た日、貞が”前任は胡散臭い”とは、言っていたがな…、本当に胡散臭い奴だとは、化けの皮剥がすまで、誰も気付かなかった」
彼はそう言うと、ぐしゃり、と、髪を握り締めた。
髪の隙間から見える目は悲しみに満ちていて、今にも泣き出しそうに見えた。
鈴は思わず、彼の側へと膝を付いて近付くと、恐る恐る彼の方へ手を伸ばした。
そのまま、ゆっくりと彼の頭を撫でると手首を掴まれ、勢い良く彼の方へと引き寄せられた。
引き寄せられ、彼に抱き締められた時に感じたのは、彼から伝わる僅かな震えだった。
それを堪えるように必死に抑え込む彼に、鈴は彼の背中にゆっくりと腕を回し、彼が落ち着くように、と。
夕方、彼が鈴にしたように、何回も優しく撫でた。
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