眠り姫は蜜事に気付かない
食事を作る事が、こんなにも楽だと実感したのは、随分と久し振りだった。
短刀達の手伝いは、確かに有り難いものだが、背丈の問題もあり、調理を任す事は躊躇われた。
結果自分が調理し、完成したものを広間へと運んでもらったり、完成した食事を盛り付けたり、食器を出してもらったりしていた。
その手伝いだけでも十分に助かってはいた。
だが、今となっては、人数の増えた食事を一人で作るのは、憂鬱極まりなく、正直、頭を悩ませていた。
だが、自分の他に昨日からは堀川が居る。
以前、前任がまだ”主”だった時の厨担当の人数には足りないが、その内の一人である堀川が参加してくれるのは、まさに百人力だった。
人数が増え、しかも、大食漢ばかりだが、堀川のお陰で、それ程、皆を待たせず昼食が完成した。
作ってる途中、加州と大和守が手伝いを買って出てくれたが、それは夕食時に手伝ってもらう事にし、堀川と二人で大小様々なオムライスを大量に作り上げた。
そして、その作ったオムライスだが、短刀達に運ぶのを手伝ってもらう訳にはいかなかった。
ある意味、このオムライスは短刀達へのサプライズだ。
出来るだけ知られたくなかった。
では、どうやってこのオムライスを運ぶのか。
その悩みは、簡単に解消出来た。
追加の米を炊く為に家庭用の炊飯器を探しに、厨の隣にある小部屋。
もとい、厨担当の休憩室として、以前、使用していた部屋を探していた時に、一緒に見付けたカート二台。
三段あるカート二台なら、この大量のオムライスも運ぶ事が出来るだろう。
二台のカートにオムライスを全て載せ、バランス良く新品のケチャップも載せると、カートを押し、広間へと向かった。
「おっ、今日の昼飯はオムライスか!!」
「美味しそうです…!!」
広間へと向かうと、カートに載せてあったオムライスを目にし、短刀達の表情は、花が咲いたように輝き、その目はキラキラとしていた。
あの短刀詐欺と巷で良く言われている薬研ですら、見た目相応の少年のような表情をして、身を乗り出している程だった。
そんな短刀達を見て、燭台切や堀川は勿論の事、その場に居た者皆が、自分の事のように嬉しそうに表情を緩ませた。
「少し遅くなったけど、約束のオムライスだよ」
「あの約束、覚えてたんですか?」
「うん、勿論。……と、かっこ良く言いたい所だけど、正直言うと忘れてたんだ。覚えていたのは、僕じゃなくて、彼女のほう」
「お姉さん覚えててくれたの?!」
「あ、ありがとうございます…!」
「もー!!お姉さん大好きっ!!」
「みっ、乱様っ?!」
申し訳なさそうにそう言った燭台切に短刀達は、一斉に顔をくりん、と鈴の方へ向け、更に表情を輝かせた。
あの例の話しの流れで約束したオムライスを覚えていた鈴に、それはもう、喜んだ。
乱に至っては、その体を小さく震わせ、感極まったように鈴へ体当たりの如く抱き付き、彼女の柔らかな豊満な胸に頭を擦り付けた。
鈴は当然驚いたが、それは胸にどうこうではなく、抱き付かれた事にだった。
抱き付かれ、胸に頭を擦り付けられても、驚いたぐらいで嫌な気は全くせず、寧ろ嬉しさを感じた。
だが、問題は鈴よりも、周りの刀剣男士達の方だった。
一期は固まり、顔が若干、青くなりつつあり、宗三と江雪は笑みを浮かべていたが心境は複雑だった。
微妙な表情を浮かべる者達に、青江はどこか呆れたように肩を竦めた。
短刀で見た目が幼いと云っても、何百年も生きている。
それ故に複雑な想いがあるのだろうが、先程の今剣の言葉を借りるなら、本当、幼子そのものだ。
まあ、普段ポーカーフェイスの竜王、もとい大倶利伽羅のあの無の表情、伊達男の引き攣った笑み、ビックリ魔人の不貞腐れた顔、最も美しいとされている天下五剣の歪んだ顔。
一体、何百年生きてると云うのだ、本当の幼子じゃあるまいし。
だが、まあ、見ていて飽きはしないが。
「早く食べないと冷めちゃうよ」
「そ、そうですよ…、乱様も早くお席にお戻り下さい」
見ていて飽きはせず、出来るなら、まだ見ていたかったが、折角のオムライスが冷めてしまう。
早く、あのトロリとした卵をチキンライスに絡めて、口一杯に頬張りたい。
その欲の方が勝ってしまった青江が、一言そう発すると、鈴は、これ幸いとばかりに乱に席に戻るように促した。
鈴のその言葉と青江の言葉に、乱は大人しく席に戻ったが、乱の隣に居た薬研に厳しい表情で何か言われると、その表情は途端に不貞腐れ、それを見た薬研は、呆れたように溜め息を吐いた。
「ああ、こっちは気にしないでくれ。お嬢、号令を頼む」
「わ、かりました…、それでは、いただきます」
手の平を合わせ、”いただきます”の号令をかけた鈴に、皆も手の平を合わせ、彼女に倣い、次の瞬間には賑やかな話し声が、広間に響いた。
短刀の子達は、それはもう嬉しそうに口一杯にオムライスを頬張り、口の端にはケチャップを付けていたが、そんな事は気にしていないようで、目の前のオムライスは驚く程のスピードで消えていった。
その光景に作った本人である燭台切や堀川は勿論、鈴や大人の姿をした者達の表情は、嬉しさで満ちていた。
だが、彼らもオムライスを食べる手は止めてはいなかった。
大食漢の代表である鶴丸や大倶利伽羅。
今日から参加した石切丸や太郎太刀用にと大皿サイズで作った特大オムライスは半分までに減り、その驚異的な早さに鈴の動きは止まり、思わず魅入ってしまった。
鶴丸と大倶利伽羅の食いっぷりは見ていて気持ち良かったが、そこに石切丸達も加わると圧巻だった。
一口食べる度に視線が彼らに向いてしまい、鈴のオムライスは中々減らず、それに宗三が気付いた。
「減ってませんね。……お腹、空いてないんですか?」
「えっ…、いや、ちゃんと食べてますし、お腹は空いているのですが、皆様の食べっぷりについ視線が向いてしまって…」
「…ああ、成程。石切丸殿達も揃うと圧巻ですからね。貴女は、どうなんです?」
「何が…、でしょうか?」
「あの方達のように沢山食べる殿方は、お好きですか?」
「沢山食べる方…、ですか…?」
宗三のその言葉に鈴は、手に持っていたスプーンを一度置き、口直しにお茶を一口飲むと、うーん、と考えた。
沢山食べる男性が、好きか否か。
そう言えば、その辺は深く考えた事がなかった。
この際だ、と、鈴は頭の中で自分の恋人が食べる姿を想像してみた。
生憎、頭の中の恋人は、顔の無いのっぺらぼうだが、必死に恋人を作り上げた。
その想像の恋人が食べる姿を思い浮かべ、沢山食べさせてみたりして、あ、となり、”沢山食べる男性が好きか否か”の答えは、あっさりと出た。
「好き、ですね、沢山食べる方」
「そうですか?それなら、石切丸殿達のあの姿は好ましい、と?」
「ええ、とても」
今は自分が作った食事ではないが、頭の中で恋人が美味しそうに沢山食べている姿を想像すると、とても嬉しくて幸せな気持ちになった。
やはり、男性には沢山食べて欲しい。
鈴の答えに宗三は、不思議な感覚になった。
自分達が刀剣だった頃は、主達の生活を見て、日々を過ごしていた。
それは勿論、食事も含まれ、自分達は主達が食べている物に少なからず興味があったし、実際、刀剣男士として、人の身を得て顕現し、”食物”を口にした時は、えらく感動したものだ。
”食べる事”が好きになり、腹一杯に食べられる事の喜びを知ったのに、前任はそれを無情にも禁じてしまった。
食べる喜びを知ったのに、食べられない苦痛を強いられた。
…ああ、だから彼女は食べさせてくれるのか。
腹一杯に、胃がはち切れそうな程、沢山食べる姿を見るのが好きだから。
正直言うと、彼女と自分達は、相性と云うものが良いのではないだろうか。
この本丸の刀剣男士は、総じて食べる事が好きだ。
世間から食が細いと云われている自分ですら、丼茶碗に山盛りの白米を食べるし、兄だって黙々と食べ続ける。
あの身体の細い鶴丸だって、見た目からは想像出来ない程、良く食べるし、何せ皆良く食べるのだ。
そうなれば、当然、食費と云うものが嵩み、それに腹を立てた前任は、食事担当に悍ましい暴言を吐き、それに傷付き、食事を作れなくし、そこに畳み掛けるように食費を出さなくなった。
自分達にあれだけ、幾度となく出陣させ、小判を集めさせ、幾度となく大坂城にも行かされたのに、そこで得た小判は、前任の懐にしかいかなかった。
その数々の暴挙に、あの主命を煩い、主に刃生をかけてる長谷部ですら、忌まわしい者を見るかのような目で前任を見ていたぐらいだ。
それ程に自分達は、食べる事が好きなのだ。
それこそ、鈴が好きな”沢山食べる姿”が、寄木細工のように、ぴったりと嵌まる程に。
「本当、貴女は不思議な人、ですね…、長谷部もきっと貴女を気に入るでしょうに、何をしてるんですかね、全く」
そう呟くように一言漏らすと、宗三らしからぬ、大口を開けてスプーン山盛りのオムライスを放り込んだ。
宗三が言った”長谷部”の名に、縁のある刀達は、表情を暗くした。
長谷部は、その来歴故か、”主”と云う者に対して、盲目な程に従順な刀だった。
前任もそんな長谷部をそれなりに気に入ってはいたが、長谷部がそれに従わなくなると、あっさりと長谷部を切り捨て、分かっていた事とは云え、長谷部はそれに傷付き、涙していた。
”主”を誰よりも望んでいる長谷部が、彼女と出会えば誰よりも変われるだろうに。
彼女の事が気になって仕方なくて、部屋からこっそり出て来ては、羨ましそうに此方を見ているのに、そうして前に出て来ない。
前に出る勇気は、これっぽっちもないクセに、恨めしそうに自分達を睨むのは止めて欲しい。
宗三のその言葉に、鈴は首を傾げたが、宗三はそれ以上、口にする事はなかった。
それ以降、少し気まずい空気になったものの、皆が昼食を食べ終わり、鈴がこっそりと買っておいた、数種類のお茶を、それぞれが好みの茶葉を選び、満腹になった腹を落ち着かせていた。
朝食まで使っていた茶葉は残り物で、封を切ってから随分と時間が経ち、茶葉は湿気を含み味が落ちていた。
これまでとは違い、新たな気持ちで、新しい生活が始まると云うのに、そんな味の落ちたものを彼らに飲ませる訳にはいかなかった。
だから先程、食材を買った時に一緒に茶葉を数種類購入したのだ。
抹茶粉末入り、深煎り茶葉、玄米茶、新茶、ほうじ茶とタイプが違い、安価で質の良いものをこっそりと用意したのだが、これが予想以上の反応の良さだった。
食後のお茶も、これから楽しみの一つになった、と、言われた時には、嬉しくて仕方がなかった。
自分が来るまで、楽しみ一つ持つ事が出来なかった刀剣の付喪神。
楽しみどころか、生きる事さえ見い出せなく絶望していた彼らが、こうして些細な事とは云え、楽しむ事を見つけた。
多分、お茶の好みはまだあるだろう。
自分が買った物は、ほんの少しで、自分の好みにぴったりと合ったものは、なかったかもしれないが、それでも、楽しみの一つになった。
それが嬉しくて仕方ない。
単純な性格だと思ってはいたが、ここまでだとは自分でも思っていなかった。
このお茶を飲み終われば、後は自由時間だ。
無茶をしなければ、倒れたり、寝込む程の無茶をしなければ、好きにして良い事になっている。
皆には休んでもらって、自分は本丸の改善点を纏めたり、政府に提出する報告書を紙媒体に纏めたり、まだ部屋に居る刀剣男士について調べたりと、忙しくて手が回らなかった事を片付けようとしたのだが、それは叶いそうにない。
自分が素直に”昼寝が好きだ”と、言ってしまったが故に、昼寝をしなければならない。
しかも、大倶利伽羅に見張られながら。
幸いにも自分は、どんな環境でも眠れる体質で、昼寝する体制が整えさえすれば眠れるのだが、唯一の問題は、大倶利伽羅だ。
どうやら、自分が寝るまで傍に居ると云うのだ。
多分、自分を休ませる為の発言なのだろうが、一番の問題は、大倶利伽羅に寝顔を見られると云う事だ。
親や兄弟から散々、”間抜けな顔”と言われている寝顔を、彼に晒しても良いのだろうか、失礼な行為にならないのだろうか。
それが心配で仕方ないのだが、それ以前に彼らを差し置いて、自分だけ寝るなんて、気が引けて申し訳ない気持ちで一杯なのだが。
だが、大倶利伽羅は自分が寝るまで本当に傍に居るだろうし、ここは諦めて寝るしかないようだ。
「そう言えば、皆様はお昼から何をされるんですか?」
ふと、鈴がそう尋ねた。
彼らに休んで欲しくて、午後から休みにしたのだが、彼らは何をするのだろうか。
鈴のその言葉に石切丸が口を開いた。
「私は太郎太刀さんと祈祷場の掃除をしようと思っているよ」
「長らく使っていませんでしたからね」
「そうでしたか。もし、掃除道具が足りなければ遠慮なく仰って下さいね」
「ああ、その時はお願いするよ」
どうやら石切丸は、太郎太刀と共に祈祷場の掃除をするらしい。
太郎太刀が言ったように、祈祷場は長い間使用していないせいで、埃やらで汚れてしまっている事は、先日確認しており、掃除をしなければ、と、思っていた場所の一つだ。
どうにか時間を作って掃除をしなければ、と思っていた場所だったのだが、今回は石切丸達に任せよう。
彼らの方が中には詳しいだろうし、自分の好きな場所は、やはり自分で綺麗にしたいものだ。
「粟田口の皆様は何をされるんですか?」
「まだ何も決めてはいませんが…、少しお会いしたい方が居るので、会いに行こうかと」
「会いたい方…、ですか?」
「ええ、自分達に縁のある方で…、最後にお会いした時は、既に喋る事も出来ていませんでしたから」
その顔に影をを落とし、一期一振はそう言い、その兄の言葉に弟達も同じように表情を暗くした。
一期一振の言葉。
一期一振達全員と縁のある者で、この場に居ない者。
それはきっと、粟田口国吉作の刀で、鳴狐の事だろう。
鳴狐とは同じ刀派であるし、自分達が今こうして動けるようになった今、様子を見に行きたくなるのも自然の事だろう。
鈴はそれを止める事は出来ないし、するつもりは毛頭ない。
寧ろ、様子を見に行ってくれるのは、鈴にとっても願ってもない事だ。
本当は自分で部屋に居る彼らの様子を見に行きたいが、まだ信用されていないし、顔すら見せてくれないだろう。
それならば、気心の知れた者が行った方が良いに決まっている。
それに鳴狐は、ずっと部屋に籠っているし、一期一振達が行く事で、気分転換にもなるだろう。
体のケアは勿論だが、心のケアも大事だ。
一期一振達に任せる事になってしまうが、鳴狐に関しては、彼らに一任したい。
「鳴狐様の事、宜しくお願いします」
「っ……!!…ええ、お任せ下さい、手入れ師殿」
鈴のそのさり気無い一言に一期一振は、ハッと息を呑み、目を丸くしたが、次の瞬間には、彼女の言葉に深く頷き、力強く言葉を返した。
彼女と云う人は、無意識なのだろうが、自分達の考えている事をどうしてこうも汲み取れるのだ。
自分はただ”自分達と縁のある者に会いたい”との言葉と、最後に会った時の状態を言っただけなのに、その相手が鳴狐で、何の目的で会いに行くのかを悟ったのだから。
彼女を”手入れ師”にしておくのは、勿体無い。
彼女こそ”審神者”に相応しく、”我が主”に相応しい人の子だ、と。
そう思ってしまうのは、刀剣男士である自分には自然な考えだった。
「燭台切様は、何をされるのですか?」
「僕?うーん、特に何をするって決めてなかったけど…、さっきキミが買ってくれた物を片付けようかな、って」
「お一人で、ですか?」
「あ、それは、僕も手伝います!燭台切さん一人じゃ大変な量ですから」
「それは助かるよ、ありがとう!」
「いえ、これぐらいお手伝いさせて下さい!それと、さっき兼さん達と話してたんですけど、兼さんや加州さん達は、休憩室の部屋を片付けてくれるそうです!」
「それっ、本当かい?!」
「さっき堀川に聞いたんだけど、適当に物を詰め込み過ぎて、何が何だか分かんない状態になってるみたいじゃん?小さい炊飯器も探すの苦労したらしいし」
「国広が厨に居るなら、聞きながら片付けられるしな」
堀川に始まり、加州と和泉守がそう言った。
厨に隣接した六畳程の小部屋があるのだが、この本丸が機能していた時は、そこは休憩室としていた。
厨当番の者がそこで昼食を食べたり、そこで待機しながら遠征から帰還し、昼食を一緒に出来なかった部隊をこの休憩室で食べさせたりしていた。
広間で揃って食べる時は仕方ないが、一部隊の為だけに厨から広間へと運び、食べ終わるとまた厨へと引き下げに来るのが面倒で仕方なく、何代か前の審神者に頼んで、この部屋を増設してもらったのだ。
だが、それは本丸が機能していた時の話しだ。
前任の影響で本丸が機能しなくなり、その頃から、邪魔な物は片っ端から、この部屋に放り込んでいった。
だが、その結果として、中に何があるのか分からなく、さっきの炊飯器は、何となく覚えていて、割と直ぐに発見出来たが、他は何が何だかさっぱりだった。
この部屋は休憩室だ。
厨当番がそこで寛ぎ、遠征へ行っていた部隊が、そこで遅めの昼食を摂る。
その為に使用していた筈なのに、何故、農具やお菓子の空箱があったのか。
そんな意味の分からない物ばかりで部屋の中が埋め尽くされていて、堀川や燭台切は頭を抱えた。
だが、それを加州達、新選組の者達が片付けてくれると云うのだから、堀川は勿論、それを聞いた燭台切は、感謝してもしきれないぐらいだった。
「因みに三条や蜻蛉切達は分担して、本丸の修繕をしてくれるみたいだよ」
大和守のその言葉に、鈴は首を傾げた。
「どこか壊れた場所でも…?」
「いえ、それ程酷い所はないのですが、血の染みた障子や、ささくれた床板が気になってしまって…」
「今朝まで気にならなかったんだけどねぇ」
蜻蛉切のその言葉や、続けるように言った次郎太刀に鈴は、ごくりと唾を飲み込んだが、次の瞬間には、嬉しさで口元が緩んでしまった。
次郎太刀の”今朝まで気にならなかった”の発言は、凄い変化だったからだ。
今朝、部屋から出て来て、皆で朝食を食べ、畑を耕し、昼食を食べた、ほんの数時間外に出ただけなのに、気にならなかった物が気になり、それを直そうとする、その変化。
畑を耕したからだろうか。
皆で会話をしながら、食事をしたからだろうか。
何が切っ掛けなのかは分からないが、嬉しい事に変わりなかった。
だが、それにしても、だ。
彼らの午後からの予定を聞き、鈴は少しだけ眉を寄せた。
「誰も休まれないんですね」
「そう云えば…、」
「そう、だね……?」
「後が少し辛いかもしれませんが、休んで頂いても良いんですよ?」
「それ、嬢ちゃんが言っちゃダメじゃないか」
「え、ダメ…、なんですか?」
そう、鈴は気付いたのだ。
彼らの予定を聞き終わり、彼らが午後からも休む事無く、本丸の片付けや、修繕の為に動く事に。
鈴は、遠慮して休まないのかと思い、そう言ったのだが、その彼女の言葉を次郎太刀がバッサリと切り捨て、彼女は困惑したように彼に聞き返した。
鈴の困った目を正面から捉え、彼は頬杖をつき、にんまりと笑みを浮かべ口を開いた。
「ここ数日、嬢ちゃんがその小さな体で、本丸を走り回ってたからじゃないか」
「私……、ですか?」
「ああ、そうさ。こんな小さい嬢ちゃんが頑張ってるんだ。その嬢ちゃんに少しでも追い付きたい、恩を返したいと思うのは当然じゃないか」
次郎太刀の言葉に鈴は咄嗟に彼らを見た。
彼らは、どこか難しい表情をしていたり、気恥ずかしそうに視線を逸らしたりしており、次郎太刀の言葉が当てずっぽうではなく、真実だと証明していた。
自分が頑張ったから。
右も左も分からず、常に手探りの状態で正解も分からない自分の姿を見て、それぞれが出来る事をやってくれる。
休む事を選択せず、働いてくれる。
彼らに休んで欲しくて、午後からの半休を出したのに、休まず働くと云うのは複雑なところがあるが、正直、嬉しくて嬉しくて、泣きたくなる程、嬉しくて。
悩みもしたし、自信も無くしたが、頑張って逃げ出さず、ちゃんと向き合って良かった、と、心の底から思った。
「だから、嬢ちゃんは、この辺で一旦休んで、アタシらに任せちゃくれないかい?」
「はい……!」
「いい返事だ。大倶利伽羅、嬢ちゃんを頼んだよ」
「…ああ、任せてくれ。ほら……、行くぞ」
「っ、は、はい!!」
鈴から大倶利伽羅へと視線を移し、そう言った次郎太刀に、彼は口元に薄く笑みを浮かべ立ち上がり、彼女にそう促すと、広間から姿を消した。
大倶利伽羅と鈴が居なくなった途端、広間には大きな溜め息が響いた。
「次郎太刀、さぁ……、ああゆう事止めてくれる?!」
「でも本当の事じゃないか」
「そ、う…、だけどっ…!!」
「第一、嬢ちゃんみたいなタイプは、ちゃんと言わないと変な方向に考えるし、嬢ちゃんの悲しいカオなんて見たくないんじゃない?」
次郎太刀の言葉に誰も返す言葉が見付からなかった。
本当の事を言われたくないのは事実だし、彼女の悲しそうなカオを見たくないのも事実だった。
次郎太刀は、普段呑んだくれた酔っ払いのクセに妙に鋭いところがある。
「次郎にしては、随分と彼女に入れ込みますね」
「んー?まあねぇ…、それは兄貴にも分かってんじゃない?」
「……さぁ、どうでしょうね」
「…本当、兄貴は狸だねぇ」
「それはお前も、でしょう」
自分達をよそに交わされる、御神刀兄弟の会話にただ首を傾げるしかなかった。
次郎太刀が太郎太刀に言った”狸”なんて例え、初めて耳にしたし、何かを知っているようなそんな口振りにも、首を傾げるしかなかった。
「まっ、嬢ちゃんは大倶利伽羅に全部任せて、アタシらはやる事をやろうじゃないか」
「そうだな。早く行動に移さんと日が暮れてしまう」
いつも口にしている酒が無い代わりに、湯呑みに並々と注いであったお茶を一気に飲み干し、それぞれが目的の場所へと向かった。
**************
「布団は要るか?」
「無くても大丈夫です」
「枕は?」
「あ、要ります」
大倶利伽羅を先頭に鈴の部屋へと戻ると、彼は真っ先に部屋へと入り、押し入れの方へと足を運んだ。
押し入れの襖を開けると、首だけ鈴の方へと振り返り、彼女の布団の有無等を尋ねた。
どうやら彼は、本当に鈴を昼寝させるつもりらしく、布団や枕の有無を律儀に聞いてきた為、彼女はそれに素直に答えた。
枕や、その代わりになる物さえあれば、布団は無くとも、昼寝程度なら出来るし、無くても問題はなかった。
その鈴の返答を聞いた大倶利伽羅は、押し入れの中から枕だけを取り出し、それを彼女に手渡した。
「ありがとうございます」
大倶利伽羅に渡された枕を畳の上に置き、ちらりと大倶利伽羅を見上げた。
正直言えば、立ってられると寝るに寝れないので、座って欲しいのだが、言って良いものか悩んでしまった。
そんな鈴の視線に気付いた大倶利伽羅は、数回瞬きをすると、ぼんやりと彼女の言いたい事を察し、その場にドカリ、と胡坐をかいて座った。
鈴は驚いた。
自分の言いたかった事を彼が察した事に。
彼本人も、内心では驚いていた。
鈴の言いたい事、伝えたい事を何となくだが察し、何の疑問を持たずにそれを行動に移した事に。
多分、彼女はこう言いたいんだろうな、と、その程度だったのだが、彼女の反応を見るに正解だったらしい。
鈴のこの表情を見れば簡単に分かる。
その状態が続き、大倶利伽羅は、一度溜め息を吐き、琥珀色の目で鈴をじっと見つめ、その口を開いた。
「あんたの言いたい事は、何となく分かる……、その目を見ればな」
「そ、う…、ですか…」
彼のその言葉に鈴の頬は、じんわりと赤く染まり、不自然な動きで、彼から視線を外した。
このまま、彼の目を見続けたら、また自分の考えが彼に読まれると思ったから。
不自然に逸らされた視線に大倶利伽羅は、一瞬、ムッ、とした表情を浮かべたが、それを仕舞い込み、鈴の方へと少し体を移動させた。
「あんたは?……俺の考えている事、言いたい事、分かるか?」
彼のその言葉に鈴は、そろり、と彼の目を見た。
大倶利伽羅の思ってる事、言いたい事が分かるか。
自分が感じた事をそのまま素直に言っても良いのだろうか。
「………、怒らないから言ってみろ」
「わ、かりました…。私の事を心配して下さってます。私に不便のないように気にかけて下さってます。……でも、それを面倒、だとは思ってません…、よね?」
「ああ…、そうだな」
「あと、何故、私に……、知り合って数日の私にそこまでするのか、自分でも分かっていなくて、戸惑ってもいます」
「ああ、それも合ってる……、他には?」
「他、ですか?…そうですね、早く寝ろ、ですか?」
「…ふっ、ああ、そうだ。良く分かったな」
鈴の言葉を否定もせずに聞き、逆に肯定する彼に、彼女は戸惑ったが、言葉を続けた。
そして、鈴の最後の言葉に彼は、穏やかに、そして優しく微笑むと、彼女の頭を優しく撫で、彼女の体をゆっくりと横たえさせた。
横になった鈴の額を数回撫で、手の平をそのまま瞼へと降下させ、彼女の視界を塞いだ。
「強制、ですか?」
「ああ、強制だ」
「その体制、辛くないですか?」
「平気だ」
「そうですか…、あの、」
「なんだ?」
「大倶利伽羅様の手、すごくあったかいです」
「そうか」
「眠く、なってきました」
「そうか」
「私が寝たら…、大倶利伽羅様も、ゆっくり…、休んで下さい、ね…」
「ああ…、お前が起きるまで…、傍に居る」
「あり、が…、とう、ござ、い…、ます……、」
襲い来る睡魔を抑え切れず、言葉が段々と小さくなる鈴に、大倶利伽羅は彼女の視界を塞いでいるのを良い事に、その表情は笑いを堪えるのに必死だった。
最終的に鈴は、夢の世界へと旅立ち、穏やかな寝息が聞こえ、彼は彼女の視界を塞いでいた手を退かし、彼女の寝顔を見つめた。
鈴のあどけない寝顔を見て、先程の事を思い出していた。
鈴の言った言葉。
全て合っていて、焦りのせいで冷汗が止まらなかった。
自分でも分からない。
どうしてこうまで、彼女を気にかけるのか。
それはやはり分からなかったが、彼女にそう言われた時、嬉しかった。
「本当、不思議な女…、だな。……起きるな、よ?」
独り言のようにそう呟くと、鈴の前髪を優しく掃い、その桜色に色付いた唇へと、自分の唇をそっと寄せた。
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