カルーアミルクに踊らされた彼は何を思う

白い人間。
髪も肌も真っ白で、自分とは正反対な人間。
唯一、同じと言えば、瞳の色と流れている血ぐらいだろうか。

自分は、遠縁にあたるこの男のコネでこの会社に入った。
入社してから今日まで、この男の下で働いてはいるが、何を考えているのか、さっぱり分からない。

周りを驚かせる事に生き甲斐を感じている男、五条国永は、今日も自分を驚かせた。
自分だけじゃなく、同じ部署で働いている、自分の恋人をも巻き込んだ驚きだった。

他部署の友人の残業に付き合うから、お前らも残業な。

一瞬、殺意が沸いたのも仕方ないだろう。
何故、国永の自主的な付き合いの残業に自分達も付き合わなければならないのだ。

断ろうと思った。
だが、国永には恩義がある。
大学でこっちに出て来た時、ほぼ無償で四年間も住まわせてくれた。
光熱費や食費ぐらい出すと言ったのに学生には金がいると言って、殆ど受け取ってくれなかった。
ただの遠縁の親戚なのに良くしてくれ、それには感謝しかない。

だから、断れず、残業に頷くしかなかった。

光忠も残業、と、言うのは少し引っ掛かったが、今日ぐらいは平気だろう。
もう一人、自分が唯一愛している百合も、今日は残業らしいし、どちらかが早く帰る理由はない。

百合と出逢って、自分はここまで過保護だったのか、と驚いた。
自分に自分で驚くそれに、不思議と不快感はなく、寧ろ、そうして当たり前だと思う程だった。

百合と出逢うまで、女性の一人が危ないとは思わなかった。
逆にそんな状況を回避しなかったのが悪いのではないか、と思っていたのだが、いざ、百合に惚れ込んでしまうと、そんな自分の考えは綺麗さっぱり消え去ってしまった。

夜、百合を一人にして、何かあったら。
押し込み強盗、強姦、殺人…、と、考えたくもない想像が膨らんでしまい、百合を一人にするなんて考えは微塵も起きなかった。

その結果、自分と彼が両方揃っての残業はしなくなった。
だが実際、そう簡単にはいかなく、二人揃って残業になりそうな時は、片方の残り分を片方が肩代わりしたり、それも厳しい場合は、身内の特権を使い、国永に無理を言って帰らせてもらう事もたまにある。
必ず、どちからかが、退社してから百合と共に居る事を最重要にしている事を彼女はきっと知らないだろう。

国永に頭が上がらないのは、大学時代に世話になったから、と、云う理由もあるが、もう一つ、自分の恋愛について知っているからだ。
中々理解されない自分の恋愛観を国永は、少し驚いたものの、そうゆう生き方もあるだろう、気にするな、と受け止めたくれたのだ。

遠縁であれ、身内にそんな人間がいるのは、衝撃的だっただろう。
テレビの画面越しの人間ではなく、自分と同じ血を引く人間なのに、少し驚いただけで受け止めたのだ。

どれだけ懐の広い人間なのか。
国永には、本当に驚かされてばかりだった。

だが、幾ら国永のコネで入社したからと言って、国永は上司だ。
会社では、身内に対する甘さは滅多に見せなく、自分に容赦なく仕事を振って来る厳しさもある。
そんな国永だからこそ、自分以外の部下にも慕われ、上司にも慕われ、社内では理想の上司として名を馳せているぐらいだ。
まあ、基本的に身内に甘いのは国永らしく、恋人と同時に残業する事態を回避する為にどちらかを帰らせてくれ、とのお願いを聞いてくれるのだが。

実は国永には、今付き合っているのが、同じ部署の光忠以外に一人いるのは知っている。
しかもそれが、男ではなく、女だと云う事も知っていて、最初百合の事を話した時は目をひん剥いて驚いたが、女は男と違う生き物だから優しくしてやれ、と、まともらしい言葉をかけられ、温かい目で見られたぐらいだ。
本当、この男の懐の広さは一体どうなっているんだ、と、小一時間詰め寄って聞きたいぐらいだが、特に何も言わない彼には感謝している部分もある。

基本的に、根掘り葉掘り聞かれたくない自分にとって、国永の接し方は心地良いモノだった。

それにしても、残業とは困ったものだ。
今日は基本的に落ち着いた日で、一週間の中でも定時上がりが殆どで、残業に備えて何も準備していない。
まあ、残業が始まる前に近くのコンビニで買おう、と、決め、残業まであと数時間である事を腕時計に目をやり、小さなため息を吐いた。

残業があるのに全力で仕事をする訳にはいかない。
いや、普段もそれ程全力で仕事はしていないが、今日に限っては特に力を抜いて仕事を熟した。
そろそろか、と、パソコン画面の右下に表示されている時計を見て、首を回し肩の力を抜いた。
そのまま、グッと腕を上げ、片方の腕を抑えると左右に引っ張り、脇の筋肉をほぐし、ふう、と息を吐いた所で就業のチャイムが鳴り、少しするとパソコンをシャットダウンさせる音が至る所から鳴り出した。

この会社は基本的に残業は禁止だったりするが、そんなの常に出来る訳がなく、残業は普通にある。
だが、今日は国永が始業の時に残業せずに帰ってくれ、と通達したものだから、この部署の社員の目は輝き、今みたいに喜びを表すかのようにシャットダウンの音が鳴り響いている。
次々にお疲れ様でした、と言い、部署から人がいなくなり、就業チャイムが鳴って、30分もすれば、部署内には、自分と恋人の光忠、そして国永しか残っていなかった。


「伽羅ちゃん、お疲れ様」

「ああ、光忠もな。本当、国永は何を考えてるんだ」

「さあ?でも、百合も今日は残業らしいし、この機会だから稼がないとね」

「残業代、でるのか?国永の付き合いの残業だろう?」

「ちゃんと出るみたいだよ?昼に今日の残業代で彼女に美味い飯を食わせてやれ、って言ってたから」

「そうか…、で、残業はこの部屋でするのか?」

「確か、残業用の部屋を用意するって」

「大層な事だな」

「まあね。でも、どんな人なんだろう、部長の知り合いって。部長、顔が広いから誰が知り合いかなんて分からないんだよね」

「それも…、そうだな…」


自分たち以外、誰も居なくなると、恋人である光忠が背後に回り抱き締めると、疲れた声でそう言ってきた。
残業が始まるまでは、完全にプライベートな時間だからか、人目もない事もあり、今の光忠は同僚に対する接し方ではなく、こんな風に恋人で居る時のように甘えてきている。
そんな自分達を国永は面白そうに見ているが、何も言ってこず、ただ、ニヤニヤと見ているだけだった。

それにしても、残業の為に一部屋設けるとは、本当に大層な事だ。
確かに思い出せば、別部署の、と言っていたし、どちらかが部屋を移動しなければならないのだが、一部屋設けるとは想像もしていなかった。

それに残業代。
これは国永の付き合いだし、残業代はてっきり出ないモノだと思っていた。
所謂サービス残業に当て嵌まるのかと思っていたが、そこはちゃんと残業代が出るらしい。
自分と光忠、二人の残業代を合わせれば、そこそこ良い所で食事出来て、百合に美味い飯を食わせてやれる、それが嬉しくて、やる気のなかった残業も少しはやる気が出るもんだ。

正直、金を稼げる、と云った点では、この残業は有り難い。
百合には、出来るだけ金を出させたくなく、出来る事なら自分たちの稼ぎで生活させてやりたい。
百合は少しでも金を出したいらしいが、そんな事をされては、堪ったもんじゃない。

自分一人での稼ぎで、あのマンションで百合と暮らし、彼女の生活費まで出すとなると少し厳しいが、光忠との二馬力だ。
あまり節約せずとも、そこそこの生活は出来ているし、それなりに毎月貯金も出来てる。

百合は、もう少し自分達に甘えてくれても良いような気もするが、彼女の性格を考えると、それは厳しいかもしれない。


「伽羅ちゃん、何か買いに行く?」

「ああ、残業が始まる前に眠気覚ましのドリンクでも買うつもりだが…、何か買って来るか?」

「うーん、そうだね、買いに行くならお願いしようかな」


財布と携帯を手にすると、光忠がそう尋ねてきた。
何か欲しいのなら、自分のついでだ、買って来てもなんら問題はない。
申し訳なさそうにもしながら、手近にあった付箋に買い出しリストを書き出すと、それを自分に手渡し、そのリストに目を通すと、思わず溜息が零れた。

たったこれだけをメモせずとも良いだろうに。
自分と同じ眠気覚ましのドリンクに栄養ゼリー、小休憩の時に食べるチョコレート。
残業時の定番の物ではないか、寧ろ、彼は何故メモしたのだ。

心配性な彼らしいと云えば、彼らしいのだが、自分の事をなんだと思っている。
一体、自分と何年付き合ってると思ってるのだ。

恋人が残業の時に欲しい物ぐらい、頭の中にちゃんと入ってる。

はあ、と、もう一度ワザとらしく溜め息を吐くと、その付箋を携帯の画面に張り付けると、部署を後にした。

近くのコンビニへ向かうと、自分の物と恋人の物を買い、急ぎ足でコンビニを後にした。
先程、携帯に国永から残業開始のメールが届いていたのをチラッ、と目にし、急ぐしかなかった。
ほんの数十分の事なのに、どうして待たないのだ。

誰も居ない事を良い事に舌打ちが出てしまったが、足は駆け足になり、急いで会社へと戻った。

息を切らし会社へと戻ると部署に光忠の姿はなかった。


「光忠はどうした」

「ああ、光坊なら先に会議室に行ったぞ」

「会議室?何処の部署のだ?」

「総務部の会議室だ。伽羅坊も先に行っててくれ。直ぐに俺も行く」

「……?ああ、分かった」


どうやら光忠は先に残業の為に用意した一室に向かったらしい。
国永の言葉には、少々気になる節があったが、一応上司である国永より後に部屋に向かう訳にはいかず、財布に携帯、筆記用具とPC眼鏡と買って来た物を手にし、その総務部の会議室に向かった。

総務部の会議室に着くと、自分の周りの時間が止まったようだった。

何故、百合が此処に居るのだ。
百合が首にかけているのは、この会社の社員証で、自分も今首にかけているのと同じ物だ。
と、云う事は、百合はこの会社の社員、なのではないだろうか。

百合の勤めている会社は、確かに自分達と同じ最寄り駅だ。
今住んでいるマンションを選んだ際、最寄駅が同じだった事に驚いたのは、記憶に新しい。
だが、この会社は所謂オフィス街で、様々な会社がある場所で、その何処かだと思ってはいた。
だが、誰が同じ会社だと思うだろうか。

百合と知り合い、彼女と付き合い、彼女と共に暮らし。
その期間は、長くもなければ、短くもないが、少なくとも、百合と知り合ってから今日まで、彼女をこの会社で視掛けた事はなかった。

タイミングが悪かったのかもしれない。
同じ階に部署があるのに、今日まで出会わなかったのは、タイミングが悪かったのかもしれないが、逆にこんな狭い場所で良く会わなかったな、と、思える程だった。

だが、国永のあの言葉を思い出すと、はっ、と息を呑んだ。
国永は、もしや百合が自分達の恋人で、しかも同じ会社だと知っていたのではないだろうか。
あの気になる言葉や今日の行動、視線をも考えると、それが一番しっくりくるのだ。

そうなると湧いて来たのは、国永に対する怒りだ。
人で遊ぶのも大概にして欲しい。

そんな感情からやっと出た言葉は、最早、絶叫になっていた。


「国永ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


入った会議室から綺麗に回れ右をすると、自分の部署まで全力で走り、部署の外から中に居る国永に目一杯の絶叫を浴びせた。

まあ、当の本人は、予想通りの反応だったのか、それ以上の反応だったのか。
腹を抱えて爆笑している姿を見て、更に怒りが湧いたのは、言うまでもない。