アイオープナーにこの身を焦がして

とある休日の朝早い時間、百合のお気に入りの曲が耳元で鳴った。
これは休みの日にだけ流れるアラーム音で、重い瞼を必死でこじ開けると、携帯画面を操作しアラームを解除した。
携帯画面には今日の予定が表示されており、百合は、ふにゃ、と笑みを零した。

百合は、今日を楽しみに数週間、仕事を頑張ってきたと云っても過言ではない。
それと恋人達に今日の日は約束が出来ない事を根気強く何度も説明した事も頑張った甲斐があった。

暫く、ベットの上で横になっていたが、そろそろ準備をしなければ、約束の時間に遅刻してしまう。
折角、予定を合わせ、数週間前から楽しみにしていたのに、遅刻しては時間が勿体ない。

よし、と気合を入れ起き上がると、今日の日の為に新調したワンピースを手にし、思わず表情が緩んだ。


「おはよう、」

「もう時間なのか?」

「ううん、もう少し時間はあるけど…、」

「そう、それならミルクティー淹れるね」

「ありがとう、光忠さん」


ワンピースに着替え、休日用のメイクをした後、髪も少し凝ったアレンジにして、普段は付けないような、大き目のアクセサリーを身に付けると、百合は部屋から出た。
すると、部屋から出た先、つまり、リビングには、休日にも関わらず、こんな時間に起きている恋人二人の姿があり、百合は首を傾げた。

自分もそうだが、恋人二人も休日は昼近くまで寝るのだが、今日に限って、恋人二人も眠そうな顔をして、ダイニングテーブルに座っていたのだ。
それも少し不機嫌で、でも、眠たそうで、百合は、眠いなら無理して起きる事ないのに、と心の中で思ったが、恋人の一人、光忠が言った言葉にその疑問は頭の片隅へと追いやられてしまった。

光忠の入れるミルクティーは、本格的だ。
スパイスも入っていて、ミルクも濃厚だが、紅茶の風味もちゃんと生きていて、一度飲んだら病み付きになる。
例に漏れず、百合もそのミルクティーが好きで、それが出ると聞いては、先程まで自分が考えていた事なんて、大抵、どうでも良くなってしまうのだ。


「随分とオシャレしたんだね」

「変、かな?」

「ううん、凄く可愛いよ」

「そんな服、持ってたか?」

「新しく買ったの、一目惚れしちゃって…、あ、ありがとう」


恋人の二人が気付いたのは、百合の着ている服だった。
女性らしい小花柄のぴったりとしたワンピースにレースのカーディガン、職場では身に付けないような大き目のアクセサリーに気合の入ったヘアアレンジ。
メイクも普段、職場にして行くような落ち着いたものではなく、少し色味のあるメイクで、正直、今この百合は、自分達が初めて見る彼女の姿だった。

今着ているワンピースも、今日の為に新調したと言うではないか。
そんな恰好をして会う相手とは、一体どんな人物なのだ。

今日の百合の予定を聞いて、誰と会うのか正直に訊いた。
嫉妬深く思われたくないせいで、詳しくは訊く事が出来なかったのもあり、百合は教えてはくれなかった。

少し照れたような、そんな微笑みを浮かべて、口にはしなかったのだ。

勿論、妬けた。
百合にそんな表情をさせる相手に。

だが、嫉妬心を*き出しにして、百合に嫌われたくなかった。
百合に嫌われるのが、何より怖くて、それ以上何も訊けなかった。

そんな自分達の心情なんて知らず、百合は光忠が入れたミルクティーを美味しそうに飲んでいる。
正直、腹が立ったが、これを百合に言っても仕方ない事だ。

自分達に出来るのは、百合を信じて、送り出す事だ。


「ご馳走様でした、」

「はい、お粗末様でした。時間は良いの?」

「あっ、そろそろ出なきゃ!それじゃあ行ってきます、昨日言ったように晩御飯は用意しなくて良いからね」

「ああ、分かった…、気を付けて行って来い」

「ふふ、うん、分かった…、行って来ます」


時計に目を遣り、百合は慌てたように、身嗜みを整えると、バタバタと慌ただしく玄関へと向かった。
そんな百合を追うように二人も玄関へと向かい、彼女の頬にキスを一つ送ると、彼女はふにゃり、と表情を緩め扉の向こうへと足を進めた。

がちゃん、と重い音を立て、玄関の扉が閉まると、二人は同時に重い溜め息を零した。
平静である事に努めたが、表情に出ていなかっただろうか。

百合が部屋から出て来た時、正直、息を呑む程、綺麗だった。
普段見ないような姿だったせいもあるが、本当に綺麗だったのだ。

だが、それと同時に、その姿の百合と一緒に過ごすのが自分達じゃなく、どこの誰か知らない相手である事にどす黒い嫉妬心が生まれた。

今日会う相手が女なのか、男なのか。
女性ならまだ良い、百合にレズの気はないし、女性だったならただの友達だろう。

だが、男なら。
百合の友人に男がいる事は知っている。
その男とたまに連絡を取っている事も知っている。
だが、それも同窓会の誘いだとか、他愛のない会話だ。

第一、百合にその男に友人以上の感情が無い事は知っている。
だが、相手の男はどうなのか…、それは知らない。

そう思ってしまっては最後。
大人しくじっと家に居るなんて出来る訳がなかった。


「適当にしろよ」

「ああ、勿論、…10分で済ませるさ」


身嗜みに煩い光忠からは、想像も出来ない返事だったが、それに満足したのか、広光は笑みを深くし、二人は自室へと姿を消した。

光忠の宣言通り、10分で着替えを済ませた彼らは、百合の後を追う為に急ぎ足で家を出た。
百合が出てからまだそれ程時間は経ってない、まだ近くにいる筈だし、彼女は目的の場所までは、電車で向かうだろう。
それならば、今向かう場所は一つ、自宅から近い最寄り駅しかない。

完璧なストーカー行為。
だが、今の彼らにはそんな事関係なく、今は百合の事しか頭になかった。

最初の目的地である駅に向かうと、改札を抜け、彼らの足は立ち止まった。
百合の目的地を知らない為、どっちのホームに行けばいいのか分からないのだ。

会社方面の電車なのか、それとも中心部への電車なのか。


「伽羅ちゃん、どっちだと思う?」

「……、街の中心部じゃないのか?」

「やっぱそれしかないよねぇ…」


確率は50分の1だ。
百合があの時間に出て、彼女の歩く速さを考えて、電車に乗るとすると、あと2分で来る街の中心部に向かう、快速電車に乗るつもりなのだろう。
広光が時刻表を見て、そう言ったのだから、今は彼の言葉を信じるしかなく、そのホームへと急いで階段を駆け上がると、ホームの端、電車の先頭車両が止まる場所に百合は立っていた。

その姿を確認した彼らは、百合に見つからないように、彼女に近付き、やって来た電車に乗り込むと、周りの視線など気にもせず、彼女をじっと見ていた。

今日は良く晴れた休日だ。
電車は人が多く、その乗客には若い女性も多い。

彼らは、世間で云う、イケメンだ。
そんなイケメンが二人揃っているのだ、当然、車内の女性は色めき立ち、二人に熱い視線を送ったが、百合に集中している彼らは、そんな視線に気付く事はなかった。


「この駅でも降りなかったな」

「どうしてだろ…、繁華街の駅は一つ前だったし…、このまま行くと少し都会から外れるんだけどなぁ…」

「次止まる駅は……、前住んでた所か?」

「うん?…、ああ、百合が前住んでた所か…、」


今乗っている電車が次に止まる駅は、以前百合が住んでた場所だ。
もしかすると、そこで降りるのでは、ないだろうか。

百合と同じ車両に乗っている事と、端から見たら怪しい会話を周りに聞かれたくないせいもあり、小声で交わされた言葉だが、広光の言った事がそうなら、この電車が止まる次の駅は、彼女が以前住んでいた場所だ。
一つ前に停車した駅から15分程時間が経ち、携帯の乗り換えアプリを見るに、そろそろ話していた駅に停車する時刻だ。
乗車アナウンスも停車駅を通知しているし、問題は百合が次の駅で降りるか降りないかだ。

妙な緊張感が襲い、何度も横目で百合の行動を探っていると、電車は止まり、ドア付近に立っていた彼女は、ドアが開くと同時に外へと出た。
その百合を見て、椅子に座っていた二人も急いで立ち上がり、不審に思われないタイミングで外に出ると、彼女の姿は、階段へと半分消えていた。


「ねえ、伽羅ちゃん、……これ完全にストーカーじゃない?」

「……言うな」

「……見つかったら怒られそう、」

「……そうだな」


完全なストーカー行為を今更ながらに自覚した二人は、百合に見つかった時の事を考え、背筋に冷たいものが走り、一瞬にして後悔したが、此処まで来てしまったものは仕方がない。
百合の相手も気になるし、家でじっとしていても、精神的に辛いだけだ。

怒られるなら、大人しく怒られよう。
どれだけ言い訳を言っても、ただの言い訳であり、褒められた行為ではない。

ただ、怒った百合は、とてつもなく怖い。
何も言えない程、怖くて、百合を怒らせないよう気を付けているぐらいだ。

昔、百合は、怒ったりするような人間ではなかったらしい。
怒ったとしても、自分の中で消化し切ってしまい、それを表には出さないタイプだったらしい。
だが、この会社に入社して、あの江雪課長の下で働き、自分の中に怒りの感情を押し込めるのは間違いだと教わってからと云うもの、怒る時は本気で怒るようになった。

まあ、理不尽な怒りではなく、ちゃんと筋の通った怒りなので、怒られた自分達は何も言い返せないのだ。

怒られる事を前提に覚悟を決め、後は、不審がられないように後を追った。

百合が向かった先は、彼女が以前住んでいたアパートだった。
物陰に隠れ、数分、百合の様子を窺っていると、彼女に近付く一人の男の姿があった。


「だ、れだ……?」

「さ、さあ……?」


最初は通りすがりだと思ったが、その男は百合に向かって手を振り、彼女も手を振り返したのだ。
その男は百合の隣まで来ると、彼女の頭を数回優しそうに撫で、彼女は嬉しそうに表情を緩めると、一言二言、何やら話し、あろうことかしっかり手を繋ぎ男の来た方へと足を進めた。

それを見た二人は、呆然と見てるしかなかった。

手を繋ぐと云っても、色々ある。
掌を合わせるだけの軽いものもあるが、百合と男は、自分達とするような指を絡めた繋ぎ方だった。

一体、あの男は誰なんだ。
百合と親しげに、あんなにも穏やかな笑みを浮かべる、あの男は。

正直、腸が煮えくり返りそうだ。
百合の隣に居ていいのは、自分だけ。
百合にあんな表情をさせていいのも自分だけ。
百合に触れていいのも、自分だけだ。

こんなにも嫉妬深いなんて、知りたくなかった。
しかも、こんな時に、だ。

このどす黒い感情をどうしたらいいのだ。
どうやって、この感情を鎮めればいいのだ。


「伽羅ちゃん、凄いカオ…、してるよ…、僕が見たことない、凄いカオ」

「……、人一人でも、殺してそうなカオ、か?」

「…まあね…、どうして分かったの?」

「光忠もそんなカオをしているからな」

「…、そっか…、まあ、確かに殺してやりたいけどね…、あの男、」

「…ふっ、……追うぞ」


人一人殺してそうなカオ。
一瞬なんの事か分からなかったが、光忠のその言葉で自分が今、どんなカオをしているのか分かり、その表情は更に歪に歪められた。

だが、それは光忠も同じだ。
自分と光忠は、百合の事になると、より一層似ている。

どんな表情をしているか、なんて聞かれたら、光忠の表情を見れば簡単に分かる。

だが、自分は今、そんな酷いカオをしているのか。
まあ、確かに殺してやりたいとは思う、あの男を。

そんな事より、先ずは追うのが先だ。
既に二人の姿は随分先まで行っていて、これ以上距離が空くと完全に見失ってしまう。

表に出て来ようとする感情に必死に蓋をし、百合達の後を追った。

百合達が向かったのは、この街の中心部で、大型のショッピングモールがあり、そこだった。
休日、しかも昼前のショッピングモールは人でごった返しており、いつ百合達の姿を見失うか不安だったが、それは何とかなりそうだ。

百合の姿を見失う訳はない。
愛する人の姿だ、見間違える筈も、見失う筈もない。
そこに補正するかのような、相手の男の姿も一つの要因だった。

美形な男だ。
淡い色の髪に高身長、モデルかと思うような甘いルックス、そしてハイブランドの服は、見失いようがなかった。

自分達とは正反対な男だった。
自分達はどちらかと云うと、男らしい見た目だが、あの男は中性的で女受けが良さそうな男だった。

百合は、あんな男が好みなのだろうか。
そう思うと、一気に自信を無くしそうだ。

そんな自分達なんて気付きもせず、百合達は仲良さそうにウインドウショッピングを楽しんでいる。

百合の好きそうな店に男から誘導して入ったり、彼女の好きそうな服を合わせてみたり。
男は百合の事を良く知っているのか、彼女の好みの物をドンピシャで勧めたりしていた。

あの二人を見ていれば、どれだけ付き合いが長いか分かる。

あれを見ていれば、短い付き合いではないだろう。
自分達より、付き合いは長いような、そんな様子が窺い知れた。


「本当、誰なんだろうね、彼」

「知る訳ないだろう」

「まあ、それはそうなんだけど…、僕、知らなかったよ…、」

「何がだ?」

「百合が…、ああゆう可愛らしいアイテムが好きだったなんて」

「…そうだな」


自分達が目にした事ない物を百合は手に取り、欲しそうに眺めては、グッと堪え購入を我慢していた。
百合が普段身に着けているのは、スッキリとしたデザインの物が多く、彼女が欲しそうにしているフリルが付いていたり、淡い色の物は持っていない。

百合の好きな物を得体の知らない、しかも気に食わない相手に知らされるなんて、屈辱以外の何者でもない。
百合達の行動も気になるが、これ以上見ていると気がおかしくなりそうだ。

ここら辺が潮時かもしれない。
これ以上メンタルがやられる前に百合達から離れなければ身が持たない。

そう思い、ちら、とお互いを見遣ると、小さな溜息を零し、時計を見た。
時刻は丁度、昼飯時で時間を確認した途端、急に空腹を感じた。


「時間も時間だし、お昼食べて帰ろうか」

「そうだな…、」

「何食べたい?一階上が、レストラン街みたいだし、何でもありそうだけど」

「最近和食だったから洋食で良いんじゃないか…、食えれば何でもいい」

「まあ、無難に洋食だよね…、じゃあ、行こうか」


近くにあった案内板で確認すると、今居る階の一つ上がレストラン街だった。
店の名前だけではどんな店なのか分からないが、店の数は多くあり、食べるに困りそうにはない。

しかも洋食なら、選ぶのに困るぐらいにはあるだろう。
案内板の側にあった登りのエスカレーターに乗ると、レストラン街に向かい、値段とメニューをざっと見た後、適当な店に入った。

だが、これが失敗だった。
最近、幾ら和食が続いていたからと云って、洋食以外にも中華やカレーもあっただろうに、洋食を選ぶだなんて。

百合と一緒に住んでいるのだ。
百合だって洋食を食べたいと思っても当然だろう。

だが、誰が想像しただろうか。
数ある洋食店の中で、同じ店を選択するだなんて。

百合は自分達に背を向けているが、自分達…、広光から彼女の後姿は真ん前だった。

広光が百合の姿を確認して、光忠にその事を離すと、二人してドッと汗が噴き出た。
さっきまでは、見付かればいつでも逃げ出せる場所にいたから、それ程緊張はしていなかった。

だが、今はどうだ。
百合達とは、ほんの側に居て、彼女達の会話が鮮明に聞こえてくる。

だが、それは、百合達からしても、自分達と同じだろう。
変に大きな声で会話をすると、自分達の声、会話が百合達に聞こえてしまう事になる。

まずい。
これは、非常にまずい事になってしまった。
迂闊に声を発せないこの状況に汗は止まらず、先に出された水を飲む手が止まらない。

だが、そんな状況なのに、だ。
そんな状況なのに百合達の会話は、他の客の声を掻き消し、クリアに耳に入ってきた。


「元気そうで安心したよ」

「元気だけが取り柄だから。ねえ、イギリスどうだった?二年ぐらいだっけ?」

「うん、それぐらいかな。最初のうちは休日に観光したり楽しんだんだけどねぇ…、三ヵ月もしたら飽きちゃって。毎日、お前の写真を眺めて淋しさを紛らわせてたよ」

「っ、もう!またそんな事言うんだから!」

「正直に言っただけなのに酷い言いようだねぇ…、本当は僕の事が好きで仕方ないくせに」

「もっ、黙ってよ…!」

「ありゃ、顔が真っ赤だ…、ちょっと意地悪言い過ぎたかい?」

「…自覚なるなら少し黙って」

「ごめんよ。……でも、お前も僕に会いたかっただろう?」

「……うん」

「ああ…、素直な子は好きだよ」


こんな会話、聞きたくなかった。
恋人同士のような、甘い砂糖菓子のような、こんな会話は訊きたくなかった。

百合の事を全て知っているかのような、男の口振り。
百合の気を許したような落ち着いた声音。

端から見たら、これ程までに理想な恋人はいるだろうか。
まさに憧れの恋人のような会話に胃がムカムカとし、胃液が逆流しそうだった。

自分は今、どんなカオをしているのだろうか。
広光はそっと、自分の前に座っている光忠の表情を見た。

その瞬間、さっきまでとは違う汗が、一筋、たらりと流れ落ちた。

何だ、その凶悪なカオは。
連続殺人犯のような、闇を抱えた凶悪なカオ。
光忠がそんな表情なら、確実に自分もそんなカオをしているに違いない。


「おい、光忠…、」

「ん?なに、伽羅ちゃん」

「いや、なんでもない」

「そう?あー…、お腹空いたなぁ」

「そ、そうだな」

「混んでるから、料理出てくるの遅いね。…こんなに待つなら大盛りにしたら良かった」

「…今のうちに何か追加で頼むか?」

「それも良いかもね。…何にしようかなぁ」


触らぬ神に祟りなし、だ。
この時の光忠にはあまり関わりたくない。
変な地雷を踏んでしまったら、後が厄介で凄く疲れる。

自分も正直、光忠と同じ状況だ。
腸が煮えくり返りそうで、今すぐにでも百合の手を引いて家に帰り、何も言わせないよう攻め立てたい。

だが、光忠を見ていると、少し冷静になった自分が居て、先程よりは大分気持ちも落ち着いたのだ。
後は何の問題もなく、百合に気付かれる事無く、家に帰って、彼女を出迎える事なのだが…、光忠が何の問題も犯さず、彼女とエンカウントしない事を祈るばかりだ。

だが、現実はそう上手くいかない。
先に入店した自分達の料理が運ばれてきた時、無意識なのだろう。
光忠が、そこそこの声量で、追加の注文をしたのだ。


「え…??」

「知り合いかい?」

「み、つ忠…、さん?広光さんも?!」

「ぐっ、偶然だね?!」

「……はあ、」

「偶然……、じゃないよね?」

「偶然だよ…!!」


光忠の声は良く通る。
周りがどれだけ賑やかでも、それなりに離れていても、光忠の声は誰もが良く耳に入るのだ。

そんな光忠が、これだけの至近距離で、そこそこの声量で声を発したらどうなるか。
結果、自分の真後ろに居た百合の耳に届き、気付かれてしまった。

毎日顔を合わせ、毎日声を聞いてるのだ。
これだけの条件が揃っていて、百合が気付かない訳がない。

案の定気付かれてしまい、光忠は慌て、百合の表情は不審がっており、非常にまずい状況になってしまった。

相手の男の方は、不思議そうに百合と自分達を見比べているが、怒ってる訳でもなく至って普通だった。
自分以外に男が居ても、百合が自分から離れる訳はない、と、確信しているからなのか、はたまた最初から自分達に興味がないのか。
どちらにせよ、癇に障る男だ。


「ご飯食べたら、ちょっとお話ししようね」

「は、はい…」


にっこりと満面の笑みを浮かべてそう言った百合に光忠は、ついに折れてしまった。

だめだ。
今の百合に反抗しても火に油を注ぐだけだ。
ここは大人しく百合の言う事を聞くに越したことはない。

折角好きな料理を注文したのにこんな状況じゃ味が良く分からない。
美味しいのか、不味いのか…、この後に待ち構えている恐怖で味覚がバカになってしまった。

味の良く分からない料理を口に運び、周りのチラ見される視線にも耐え、それが過ぎると、百合との楽しいお話しタイムが始まった。

ショッピングモールから少し離れた場所にある喫茶店。
随分と古めかしい喫茶店で、年季の入ったテーブルや椅子、ソファがあり、店内には何処かで聞いた事のあるクラシック音楽が流れていた。

その喫茶店の一番奥のテーブル席に彼らの姿はあった。
テーブルを挟み、百合と男、その向かいに光忠と広光が座り、二人は体が小さく震え、彼女は相変わらずにっこりと笑みを浮かべていた。
その一方、百合と一緒に居るどこの誰か分からない男は、不思議そうに三人の姿を見ているだけで、何も口にはしなかった。


「それで、何であそこに居たの?」

「それは、その……」

「偶然、な訳ない…、よね?普段買い物に行く方向とは逆だもん、こっちの方向って」

「そ、そうだよね」

「だから、光忠さんと広光さんが、こっちに来るような用事はない筈なんだけど?」

「あっ……」

「…はぁ、」


にっこりと微笑む百合に気圧され誘導されるように吐いてしまった。
普段は今の百合のように誘導して吐かす立場の光忠なのに、今日に限っては逆で、吐かされてしまった。

まあ、それだけ自分達が疚しい気持ちでいるからなのだが、こんなに素直に吐いてしまうとは。
言葉巧みに人を翻弄する光忠らしくない反応に、広光は思わず呆れた溜め息を吐いてしまった。


「光忠さんだけじゃないよね?広光さんも同じでしょ?」

「……すまん」

「もう、本当…、何で後をつけたりしたの?」

「それは…、」

「…もしかして、今日の服装で浮気だと思ったの?」

「……ああ、」

「浮気なんてしません!!!!」

「…悪い、」

「ご、ごめんね」


これには素直に謝るしかなかった。
ちゃんと冷静になって考えれば、百合が浮気するような人間じゃない事は分かる筈なのに、感情的になってしまい、結果、彼女を疑うような事をしてしまった。


「確かに私も浮気を疑われるような返事をしたかもしれないし、それは謝ります…、ごめんなさい」

「お前が謝る必要はないだろう」

「そうだよ、信じなかった僕達が悪いんだから」

「ねえ、僕の事…、忘れてないかい?」

「あっ、ご、ごめん」

「彼らがお前の言ってた恋人かい?」

「うん、此方が広光さんと光忠さん」

「本当に恋人が二人いるんだねぇ…、流石の僕もびっくりだよ」

「いつもは私がびっくりさせられてたから、お返し…、なんてね」


ずっと沈黙を貫いていた男が、やっと口を開いた。
だが、それを聞くに、この男は百合から自分達が恋人だと知らされており、それが二人だとも知っていたようだ。

だが、この親しさは、一体なんなのだろうか。
百合の浮気相手ではないとはっきり判明したし、だが、彼女に兄や弟がいるとは聞いた事がなかった。

それでは、この男は一体、誰なのだ。


「紹介が遅れたね。僕は髭切。彼女の従兄で兄代わりさ」

「い、とこ…?」

「似てない、ですね?」

「そりゃあ、従兄だからねぇ。実の兄妹ならまだ似てる部分はあっただろうけど。…ああ、でも、僕の弟とは少し似てる、かな?」

「うーん、そうだね、膝丸との方が似てるかも」

「でも、どうして…」


浮気相手でも兄でも弟でもなく、従兄だったらしい。
確かに従兄なら、似ていないのも頷けるし、そのせいで余計恋人にも見える。

それに百合とあんなに親しい様子にも納得するしかない。
自分達よりも遥かに付き合いも長くて、百合の事を自分達より知ってて当然だ。

結果を知って十分に納得出来たが、それと同時に異常な程、脱力感が襲ってきた。


「従兄相手にそこまで着飾るものか?」

「伽羅ちゃん…?!」


それはあまりにもストレート過ぎる言葉に光忠は目をひん剥いて制した。
着飾るって言葉にも驚いたが、それはストレート過ぎるだろう。
もっと別の言い方は無かったのだろうか。


「それは…、その…、」

「久し振りだったから、だよ」

「久し振り?」

「ちょっと海外の方に出向しててね。二年ほどイギリスに居て、この子と会うのは本当に久し振りだったんだ」

「それで、オシャレしたんだね」

「この子は本当に僕が大好きみたいでね。…まあ、僕が自分の事あまり出来ない事もあるんだけど、イギリスに行く前は良く身の回りの世話してくれたんだよ」

「自分の事なのに何も出来なくて、私の住んでたアパートの近くに引っ越して来たぐらいの人なの」

「だから待ち合わせ場所が、キミが前に住んでたアパートだったんだ…」

「二年もイギリスに住んでたらあまり道を覚えてなくてね。この子の前に住んでたアパートなら覚えてるし、そこにしてもらったんだ」

「あと、今日の服装はこの人のリクエスト。女の子らしい可愛い柄の服を着て来て欲しい、って。それでショップに行ったらこの小花柄のワンピースがあって、女の子らしいかな、って」

「それじゃあ、そんなに気合いれたのって…」

「この人のリクエストを纏めたらこうなったの。久し振りに会うんだから、って言われたら断れなくて…」

「でも、誤解させてしまったようで悪かったね。お詫びにここでの飲食代は僕が払うよ」


なんとも言えない結果だった。

この男は百合の従兄であり、久し振りに日本に帰って来る事になり、彼女と会う約束をした。
久し振りに会うのだから、と服のリクエストをして、そのリクエストを百合が受け入れ、その結果がこの可愛らしいワンピースで、それに合うメイクやヘアセットをしたら普段と違う雰囲気になった。
百合と彼は従兄妹で、彼が日本に居た時は、彼女が身の回りの世話をするぐらい仲が良くて、親密だったのも当然の結果だった。


「誤解、解けた?」

「……はい」

「悪かった…」


満足そうに笑みを浮かべる百合に二人は何も言えなかった。
疑った自分に対して恥ずかしいし、結果を知った自分にも恥ずかしい。
百合に申し訳ないやらで罪悪感に襲われ、落ち込む結果になってしまった。

自分達がこんな恥ずかしい暴走をしてしまったにも関わらず、百合は許してくれた。
こんな心の広い恋人がこの世に他に居るだろうか。

だが、まあ、暫くは。
暫くの間は、百合を目一杯、甘やかして、愛して、サービスして、今日の事を償うしかない。

やはり百合は、自分達の恋愛対象の枠を超えて身を焦がす程に愛する、唯一の人。
自分達は百合の事をこれから先、ずっと愛していくのだろう。

前世でも、今世でも、きっと来世でも、必ず。
この肉体が滅んでも、魂はずっと、百合を愛していくのだ。