ROOM 404 ― 恋愛禁止の家で、秘密と恋が始まる ―

Episode23

『変わり始めた視線』

― 気づかない優しさが、少しずつ特別になっていく。 ―

Day:Tuesday(共同生活23日目)



Scene3

『突然の雨』

Tuesday|15:00 PM



午後。



404 HOUSEの窓に、

細かな雨粒が当たり始める。



最初は、

気づかないほど小さな音だった。



けれど数分もしないうちに、

空は灰色に変わり、

静かだった街に雨音が広がっていく。



窓の外を流れる雨。



濡れた道路に反射する光。



季節の変わり目の冷たい空気が、

少しだけ部屋の中にも入り込んでいた。





リビング



チアキは出勤の準備を終え、

玄関へ向かう。



制服。

鞄。

必要なもの。



いつものように確認して、

靴を履こうとした時。



玄関横の傘立てを見る。





「……。」





傘が一本しか残っていない。



朝、誰かが持って出たのだろう。



チアキはそこでほんの少しだけ足を止める。



どうするべきか、というより、

どう言えばいいのかを一瞬だけ考えた。



でも。



すぐにスマホを確認する。



時間。



移動距離。



駅までなら、急げば間に合う。



そう判断した。





「大丈夫。」



小さく呟く。



誰に言うでもなく。



いつものように。



けれどその声は、

少しだけ早く、少しだけ軽く出た。



自分に言い聞かせるみたいに。



その声を、

リビングにいたジョンハンが聞いていた。





ジョンハン



ソファで本を読んでいたジョンハンが顔を上げる。



視線が、まずチアキの手元に落ちる。



次に、玄関横の傘立てへ。



そして、何も言わずにチアキへ戻る。



「チアキ。」





チアキが振り返る。



「はい?」





ジョンハンは窓の外を見る。



雨脚は、さっきより少し強くなっていた。



「傘、持ってない?」





チアキは一瞬だけ言葉を探して、

それから小さく笑う。



「大丈夫です。」





その瞬間。



ジョンハンが、ほんの少しだけ目を伏せる。



笑ったというより、

気づいてしまった、という顔だった。



「また言った。」





チアキが少し目を丸くする。



「え?」





「それ。」



ジョンハンは本を閉じて立ち上がる。



その動きは静かだったのに、

視線だけはずっとチアキを追っていた。



「チアキ、何かあるとすぐ“大丈夫”って言う。」





責めるような言い方ではない。



むしろ、

気づいたことを、逃がさないようにそっと拾い上げる声だった。





チアキは少し困ったように笑う。



「もう、癖ですね。」





ジョンハンは玄関の方へ歩きながら言う。



「だめな癖だな。」



少し間を置く。



その間に、チアキの顔を一度だけ振り返る。



「でも、雨に濡れるのは大丈夫じゃないでしょ。」





その言葉に、

チアキは何も返せなかった。





いつもなら。



「大丈夫です。」

と言って終わらせていた。



でも。



今は、その言葉を誰かが拾ってくれる。



拾われたことに、

少しだけ胸の奥が揺れる。





玄関



ジョンハンは自分の傘を手に取る。



「駅まで送るよ。」





チアキ

「え……でも、ジョンハンさんは?」





ジョンハン

「ちょうど外に出る用事がある。」



少しだけ肩をすくめる。



けれどその目は、冗談を言っている時の軽さよりも、

ずっと真っ直ぐだった。



「駅までなら一緒に行ける。」





チアキ

「申し訳ないです。」





ジョンハンはすぐに笑う。



「ほら。」





チアキ

「?」





「また謝った。」





チアキは思わず笑ってしまう。



その笑い方は少しだけ弱くて、

でも、さっきまでより肩の力が抜けていた。





「……すみません。」





二人とも一瞬黙る。



雨の音だけが、玄関の外で細かく続いている。



そして。



同時に笑う。





雨の日の玄関。



特別なことは何もない。





でも。



その何気ないやり取りが、

チアキには少し温かかった。



そしてジョンハンもまた、

その温度を確かめるみたいに、

ほんの少しだけ視線を落とした。





玄関の外



ジョンハンは傘を差し、

チアキと並んで歩く。



雨音が二人の間を包む。



車が通る音。



濡れた道路の匂い。



傘に当たる雨粒の音。





ジョンハンは自然に、

チアキが濡れないように少しだけ傘を傾ける。



その動きはあまりに自然で、

気づいた時にはもう、チアキの肩の方へ雨が寄っていた。





チアキはそれに気づいて、

そっと隣を見る。



ジョンハンの横顔は、前を向いたままだった。



けれど、傘を持つ手にだけ、

ほんの少し力が入っている。



「ジョンハンさん、そっち濡れてます。」





ジョンハン

「俺は平気。」





チアキ

「大丈夫じゃないです。」





その返しに、

ジョンハンは少しだけ目を細める。



今度は、さっきよりもはっきりと。



「今の、俺の真似?」





チアキは小さく笑う。



「……かもしれません。」





会話は途切れる。



でも。



その沈黙は気まずくなかった。



むしろ、

言葉にしきれないものが、静かにそこに残っていた。





ジョンハン

「最初より、この家好きになった?」





突然の質問。



チアキは少し考える。



雨の音を聞きながら、

何をどこまで言えばいいのかを探すように。





「はい。」





雨の向こうを見る。





「最初は、ちゃんとしなきゃって思っていました。」



「迷惑をかけないように。」





ジョンハンは黙って聞いている。



その横顔は、ただ聞いているだけなのに、

ちゃんと受け止めようとしているのがわかった。





「でも今は。」



チアキは少し笑う。



その笑みは、ほんの少しだけ照れくさそうで、

でも隠しきれない安心が混じっていた。



「帰ってくると安心します。」





その言葉を聞いて、

ジョンハンは前を見る。



一度だけ、息を吸う。





「そっか。」





短い返事。



でも。



その声には、

少し嬉しそうな響きがあった。



そしてその嬉しさを、

本人も少しだけ隠しきれていないようだった。





駅が近づく。





改札の明かりが見え始める。





チアキは少し歩く速度を落とす。





「ここまでで大丈夫です。」





ジョンハンはすぐには返さない。



一拍置いて、

チアキの顔を見る。



「駅の中まで行く。」





チアキ

「でも……」





ジョンハン

「雨、まだ強いから。」





その言い方は穏やかだったけれど、

そこにある気持ちは、もう少しだけ前より見えやすくなっていた。



心配していることを、

隠しきれないくらいには。





そのまま二人は駅の入口まで進む。





屋根の下に入ったところで、

ようやく雨音が少し遠くなる。





チアキは傘を返そうとする。





「ありがとうございます。」





ジョンハンは首を振る。





「帰ってくる時、雨止んでるといいね。」





その言葉に、

チアキは小さく頷く。





「行ってきます。」





「行ってらっしゃい。」





チアキが改札へ向かう。



一歩、二歩。



その背中を、ジョンハンは少しだけ見送る。



すぐに目を逸らすのではなく、

改札の向こうに消えるまで、静かに。



そして傘を傾け直し、

ゆっくり家へ戻っていった。





【STAFF NOTE】

誰かを駅まで送る。



それだけのことでも、

相手の歩幅に合わせて隣を歩く時間には、

思っている以上にやさしさが滲む。



「大丈夫。」

その言葉の奥にあるものに、

誰かが気づいた時。



距離は少しずつ変わっていく。



次回 Scene4

『夜の帰り道』

Tuesday|21:30 PM



仕事を終えたチアキ。



帰り道で偶然出会う人。



何気ない会話の中で、

また一つ、

新しい距離が生まれていく。




ノベルに戻る I Addict