ROOM 404 ― 恋愛禁止の家で、秘密と恋が始まる ―

Episode38

『静かな時間』

― 一緒にいる理由は、いつも特別な出来事ではない。―

Day:Wednesday(共同生活38日目)



Scene3

『少しだけ話す過去』

Wednesday|Afternoon



公園のベンチ。



午後の光が、

木々の隙間から静かに差し込んでいる。





チアキとウォヌは、

並んで座っていた。





会話が途切れても、

焦ることはない。





それぞれが飲み物を手に持ち、

同じ景色を見ている。





以前なら。





こんな沈黙は、

何か話題を探さなければいけない時間だった。





でも今は違う。





何も話さない時間も、

一緒にいる時間の一部になっていた。





チアキは、

その変化を静かに感じていた。





言葉がなくても気まずくない。





それだけのことなのに、

胸の奥が少しだけ温かい。





ウォヌの隣にいると、

無理に何かを埋めなくてもいいのだと思える。





その安心感が、

少しずつ自分の中の警戒心をほどいていくのが分かった。





しばらくして。





ウォヌが、

前を見たまま口を開く。





「俺。」





チアキが見る。





「はい?」





少し間。





ウォヌは言葉を選ぶように、

ゆっくり続ける。





「人と距離を取る癖がある。」





その一言は、

思っていたよりも静かだった。





けれどチアキには、

その静けさの奥にある迷いが見えた気がした。





きっとウォヌは、

この言葉を口にするまでに何度も飲み込んできたのだろう。





そう思うと、

軽く返してはいけない気がした。





チアキは、

少しだけ目を動かす。





でも。





驚いた顔はしなかった。





「……なんとなく分かります。」





ウォヌが少し驚く。





「分かる?」





チアキは、

少し考える。





「はい。」





「ウォヌさんって、誰かを嫌って離れる感じじゃないから。」





「ちゃんと大事にしたいから、考えてる感じがします。」





その言葉に、

ウォヌは一瞬黙る。





自分でも、

うまく説明できなかった部分だった。





距離を取っていた。





でも。





本当は、

人に興味がなかったわけではない。





むしろ逆だった。





大切に思うからこそ、

間違えたくなかった。





傷つけるくらいなら、

最初から近づかないほうがいいのではないか。





そんなふうに考えてしまう自分を、

ずっとどこかで面倒だと思っていた。





けれど今、

チアキにそう言われて初めて、

その不器用さがただの弱さではないのかもしれないと思えた。





「……そう見えるんだ。」





ウォヌが小さく呟く。





その声は落ち着いているのに、

どこか自分の輪郭を確かめるようでもあった。





チアキは頷く。





「はい。」





「最初は、少し近寄りにくい人なのかなって思いました。」





ウォヌが少し笑う。





「正直だね。」





チアキも笑う。





その笑いは、

場を和ませるためのものではなかった。





本当に少しだけ、

肩の力が抜けたから出た笑顔だった。





けれど笑ったあと、

胸の奥に小さな余韻が残る。





自分の言葉が、

ちゃんと届いたのだろうか。





そんな確かめようのない不安が、

ほんの少しだけ遅れてやってくる。





「でも。」





「一緒にいると、違いました。」





「静かなだけで、ちゃんと周りを見てる人なんだなって。」





その言葉に、

ウォヌは視線を落とす。





誰かにそう見てもらえたことが、

こんなにも胸に残るものだとは思っていなかった。





自分はいつも、

距離を置くことでしか人を守れないと思っていた。





けれどチアキの言葉は、

その考えを少しだけ揺らした。





守ることは、

離れることだけではないのかもしれない。





そう思った瞬間、

胸の奥に小さな痛みと、ほっとするような感覚が同時に広がる。





痛みは、

過去を思い出したからではない。





誰かに見抜かれたことへの戸惑いと、

それでも否定されなかった安堵が、

同じ場所で静かにぶつかっていた。





「昔。」





少し間。





「近づきすぎて、傷つけたことがある。」





チアキは黙って聞く。





その沈黙は、

続きを急かすものではなかった。





ただ受け止めるための静けさだった。





ウォヌは、

その静けさに少し救われる。





口にした瞬間、

胸の奥にしまっていたものが少しだけ外へ出た気がした。





言葉にする前は、

もっと重くのしかかると思っていた。





けれど実際には、

重さが消えるわけではないのに、

誰かに触れられたことで形が少し変わるような感覚があった。





「自分では大切にしてるつもりだった。」





「でも、相手からしたら違ったのかもしれない。」





言いながら、

あの時の空気がふいに蘇る。





言葉にしなかった後悔。





気づいた時にはもう遅かった距離。





あの時の自分は、

相手の痛みに気づけなかった。





いや、気づかなかったふりをしていたのかもしれない。





だからこそ、

今も人に近づくことが怖かった。





近づけば、

また同じことを繰り返すかもしれない。





その恐れは、

簡単には消えない。





けれど今は、

その恐れをひとりで抱え込んでいた時とは少し違う。





誰かに話しただけで、

過去が許されたわけではない。





それでも、

胸の内に溜め込んでいた息が少しだけ吐き出せた気がした。





風が少し吹く。





木の葉が揺れる音。





ウォヌの声は、

いつもより少しだけ低かった。





「それから。」





「簡単に誰かを自分の中に入れなくなった。」





「また同じことをしたらって思うから。」





言葉にすることで、

ようやく自分の中の輪郭が見えた気がした。





怖かったのは、

人そのものではない。





自分が誰かを傷つけることだった。





その事実を認めるのは、

少し苦しかった。





でもチアキの前なら、

その苦しさを隠しきらなくてもいい気がした。





チアキは、

しばらく何も言わなかった。





励ます言葉を探しているわけではない。





ただ。





ウォヌが話したことを、

ちゃんと受け取ろうとしていた。





彼がどんな気持ちでこの話をしているのか、

その沈黙の重さごと感じ取ろうとしていた。





そして。





「……私も。」





ウォヌが見る。





チアキは少し迷う。





言ってしまっていいのか、

一瞬だけ胸の奥が揺れる。





けれど、

ウォヌがここまで話してくれたのに、

自分だけ何も返さないままではいたくなかった。





「私も、近づくのが怖かった時期があります。」





それ以上は言わない。





理由も。





詳しい過去も。





まだ話さない。





けれど口にした瞬間、

自分の中で固く閉じていたものが少しだけ緩むのを感じた。





誰かに知られるのが怖かった過去を、

ほんの少しだけ外に出せた。





それだけで、

胸の奥の息苦しさが少し和らぐ。





言ったあと、

自分の声が思ったより静かだったことに気づく。





けれどその静けさの中には、

確かに震えが残っていた。





ウォヌは、

無理に聞かなかった。





「そっか。」





ただ、それだけ。





「話したくなったらでいいと思う。」





その言葉に、

チアキは少し驚く。





「聞かないんですか?」





ウォヌは少し考えて、

答える。





「聞きたい気持ちはある。」





「でも。」





「話したくないことまで聞くのは、違う気がする。」





その答えは、

チアキの中に静かに落ちた。





聞かれたくないことを無理にこじ開けられない安心感。





それは、

思っていた以上に大きかった。





自分の過去を知られても、

急かされない。





その事実が、

ウォヌへの信頼を少しずつ確かなものにしていく。





チアキは、

静かに笑う。





「ウォヌさんらしいですね。」





「そう?」





「はい。」





少し間。





「優しいです。」





ウォヌは少しだけ困ったように笑う。





「優しいかは分からない。」





「ただ。」





「もう誰かを傷つけたくないだけ。」





その言葉に、

チアキは小さく首を振る。





「それって、優しいと思います。」





ウォヌは返事をしなかった。





でも。





表情は少しだけ柔らかかった。





その柔らかさを見て、

チアキは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。





この人は、

本当はずっと誰かを大切にしたかったのだ。





ただ、その方法が分からなかっただけ。





そう思うと、

ウォヌの不器用さが少し愛おしくなる。





そして同時に、

自分もまた誰かにそう思ってもらえる存在でありたいと願ってしまう。





スタッフカメラ





二人の間に流れる時間。





大きな秘密を交換したわけではない。





すべてを話したわけでもない。





でも。





「話さなくてもいい」と言える関係。





それは、

以前の二人にはなかったものだった。





互いに過去を抱えたまま、

それでも隣にいようとする。





その選択が、

少しずつ二人の心の形を変えていた。





ウォヌは、

誰かを遠ざけることで守っていた自分が、

今は誰かに寄り添うことを覚え始めているのを感じていた。





チアキは、

閉じていた過去を少しだけ開いても、

受け止めてもらえるのだと知り始めていた。





その気づきは、

まだ小さい。





けれど確かに、

二人の中で何かを変え始めていた。





話した直後の静けさは、

ただの沈黙ではなかった。





言葉にしたことで生まれた余韻が、

まだ互いの胸の内に薄く残っている。





ウォヌは、

自分の過去を口にしたことで、

少しだけ軽くなったような、逆に深く沈んだような、

そのどちらとも言えない感覚を抱えていた。





チアキもまた、

自分の中の古い痛みをほんの少しだけ外に出したことで、

安心と不安が同時に胸に残っていた。





受け止めてもらえた嬉しさ。





それでもなお、

まだ完全には見せきれていないという緊張。





その二つが、

静かに重なっている。





けれど不思議と、

その揺れは嫌ではなかった。





むしろ、

簡単に消えてしまわないからこそ、

今ここで交わした言葉が本物だと思えた。





【STAFF NOTE】



人との距離は、

近づけばいいというものではない。





相手が入ってこられる場所を、

相手自身に委ねること。





待つこと。





信じること。





それもまた、

誰かを大切にする形なのかもしれない。





次回 Scene4

『言わなくても分かること』



公園からの帰り道。



二人の間に、

静かな理解が生まれていく。



言葉よりも、

相手のペースを尊重する時間。




ノベルに戻る I Addict