花と雛




【あるかもしれない未来の話】
_ _ _ _
 エジプトの街角。拉げた貯水タンクにめり込むようにして、顔を伏せ血を流す男性がいる。
 ──アレは誰だ。
 赤みがかった灰色の、特徴的な髪型の人。
 ──ノリアキ君?
 嘘だ。ああ、嘘だと言ってくれ。
 ──かえられたんじゃあないのか。


 目が覚めた。勢いよく上半身を起こし、バクバクと五月蠅いくらいに鼓動を打つ心臓当たりの衣服を掴む。そのまま服の裾を捲り上げれば、臍よりもわずかに上あたり、胴体の中心付近に大きく引き攣れた治療痕があることに安堵した。

「まぁちゃん?」

 呼ばれ慣れた名前に顔を向ければ、部屋のドア付近に、コーヒーの入ったマグカップを両手にそれぞれ持って立つノリアキ君がいる。夢の中の彼よりもいくつも大人になったノリアキ君。その表情は少しばかり眉尻が下がっており、心配げな眼差しを私に向けている。

「どうしたんだい?もしかして傷が痛むのか?」
「違う違う。そんなことないから大丈夫だよ」

 慌てた様子でベッドの横まで歩み寄って来るノリアキ君を、手のひらを示して制止をかける。そんな風に慌てるとコーヒーを零すかもしれなくて危ないでしょう?

「そう?なら、いいのだけれど」
「ノリアキ君は気にしぃだなぁ。財団の医療班だって『問題なし』と言っていたじゃあないか」
「気にもするさ。その傷は本来僕のものだ」

 いくらか緩やかになった動作でベッドの端に座り、マグカップの片方を差し出してくる。受け取ったそれは湯気の立つようにまだ温かく、私の起床時間を見計らって用意してくれたのだと分かった。
 私がマグカップを受け取ることで空いた左手がそのまま頬に伸びてきて、手の甲で擦るように触れる。優し過ぎるその手つきが少し擽ったい。

「ねぇ」
「ん?」

 呼びかけられて、視線を向ける。真剣なその目に、真面目な話かなと見当をつけた。

「その傷を僕に返してくれないかい?」

 ……真面目な顔して何を言うかと思えば。
 視線を外すついでに、持っていたマグカップをグイっと呷る。まだ少し熱かったけれど、口内を火傷をするほどではない。
 空になったマグカップを膝の上で両手で包み、こちらも負けじと真剣な表情でノリアキ君を見返した。

「だが断る!」
「溜めたね」

 某海賊漫画であるなら背景にドンッ!と効果音が付く勢いで返答した。某遊戯漫画ならドンッ☆のつもり。某奇妙漫画であるこの世界ならばどうかは知らない。ドドドではないのは確か。
 飲み終えたコーヒーに「ごちそうさま」と言えば「お粗末様でした」と返されて、マグカップは回収された。何から何までお世話になります。
 手も空いたことだし改めて。

「やだーッッ!!」
「はいはい、分かったよ。
 ……そう返されるだろうとは思っていたしね」

 君がッ、諦めるまで、駄々をこねるのやめないッ!つもりだったのに、思っていたよりも簡単に引き下がってくれたことに首を傾げる。すると困ったような笑顔を向けられた。子どもの頃からよく向けられていた表情だ。
 少しバツが悪くなって俯き、でも悪いことはしていないなと思い直して顔を上げた。
 それを開き直ったと受け取られたようで、ノリアキ君から仕方のない子を見るような表情をされ、犬を撫でるように少々荒々しく頭を撫でられる。元々寝起きで整えていたわけでもないので特には気にはしないけれど。

「今までそんなこと言ったこともなかったのに。急にどうかしたの?」
「言ったことはあるだろう。あの旅が終わって、君が病院で目覚めた時にもお願いしたよ」
「そうだっけ?」
「……どうやら当時の僕の必死の訴えは届いていなかったらしい。あの時の説教ももう一度一からし直した方がいいかもしれないね」
「うそです!覚えてます!!」

 にっこりスマイルでありながら圧を感じさせるノリアキ君に、ふざけ過ぎたと察してすぐに頭を下げた。
 本当はちゃんと覚えている。
 呼吸器をつけた状態で輸血をされる私の、ベッドの横に跪きながら手を握り、「こうなるのは僕のはずだったのに」と泣けもせず苦しい顔で訴えていた。私がわざわざ傷を負う必要はなかったのだと。あのまま、あのままであれば、と。
 あのまま、ノリアキ君が死ぬのを受け入れればよかったのか?
 そんなことが受け入れられるわけがない。誰が何と言おうと、たとえノリアキ君に止められたとしても、私があの時スタンドを使ったのは、私が私の意志でもって私の命を懸けて花京院典明を生かしたことは、間違いなんかじゃあない。
 だから。だからと言うのも無理矢理かもしれないけれど、あの後にしっかりと目が覚めて、回復してからされたお説教には一度も謝らなかった。
 言い訳もしなかった。
 ただ聞いて、聞き入れはした。
 今後同じ状況になったとして、同じ結果をもたらさないとは言えないが。

「……はぁ。またそんな顔をして……」
「え?」

 どんな顔をしていたのだろうか。自分ではわからず、右手を右の頬に当てるが特に変わったところはないと思う。……ちょっと肌がお疲れかな。
 伸びてきたノリアキ君の手が左の頬に触れ、むにっと強過ぎない力で摘ままれる。「はひしゅりゅの(なにするの)」と両眼を細めて批難の目を向けるけれど、
「可愛いなと思ってね」と心にも思っていないことを言ってはぐらかされた。
 可愛いなと思っている人が、そんな寂しそうな顔をするものか。
 摘まんでいた頬を離されて、赤くなってしまっているだろうそこを優しく撫でられる。その手を掴んで、手の甲に唇を落としてみた。驚いたようで弱い力で手をひかれたけれど、離さない。
 ちらりとノリアキ君を見れば、平静を装ってはいたが耳の先がほんのりと赤かった。

「この傷はもう私のものだよ、ノリアキ君。私だって頑張れたっていう証だよ。だから、どうかとらないでね?」

 懇願するように言えば、ノリアキ君はもう何も言わないだろう。現に、顔に負けましたと書いてある。
 満足して笑い、握っていたノリアキ君の手を何度もにぎにぎと握る。「僕を負かせて嬉しそうじゃあないか」と不貞腐れたように言われてしまうけど、嬉しいのは確かなので否定はしない。意外と負けず嫌いなノリアキ君がそんな風に負けてくれるのは、私だとか、少しの限られた人だけでしょう?
 最後にぎゅっと力を込めて手を握れば、応えるように同じくらいの強さで握り返してくれる。

「ノリアキ君をエジプトに置いていかずに済んでよかったよ」
「僕のセリフでもあるけどね」
「あんまり一人で頑張り過ぎないでね」
「君もね」

 かける言葉が全部お互いさまで困っちゃうな。
 目を見合わせて、どちらともなく笑い合って。
 ああ、どうかこの幸せな夢が長く、長く続いてくれますように。


***
スタンド:サイレン・レディ
『交換』する能力のスタンド。
対象は、触れたことがあるもの。もしくは触れているもの。(AとBの場所を交換する、など)有機物、無機物、事象、現象などいずれでも。
負傷状態も交換できるが、時間経過がさほどないことを前提とし、一旦使い手を経由しなければいけないバグがある。
一度使い手と負傷状態を交換して、その後に周囲の物にうつすという行程が必要。
ジョセフから波紋を習った後は物にうつすことなく自己治癒が主。

 花京院がDIOに殺されそうになった際も時が動き出した瞬間に傷をかわり、波紋でどうにか自力延命。隙を見てDIOにうつし中指を立てて見せるファインプレーあり。痛みと疲労で気絶し、うつし切れていなかったのかなんなのか、治療痕だけは残った。
 自身でもよく分からない状態のため、返せと言われても返せるものではない。
 傷跡は戒めも含め受け入れている。己に対するものであり、ノリアキ君へのものでもある。お互いしっかりしようね。
 現在絶賛妊娠中。胴の傷のこともあり、スタクルメンバーの勧めで財団の施設内で生活中。ノリアキ君も一緒。
 母親の遺伝子強めの男女の双子ちゃんが生まれる予定。


***
20251227



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