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 夕空の中を真っ黒いカラスが三羽飛んで行った。
 見上げていた視線を前に戻せば、どことも知れない閑散とした商店街が薄気味悪さを漂わせている。頭上でカラスが一鳴きし、その雰囲気に拍車を掛けた。

 そう、じぶんの現在地は“どことも知れない”商店街だ。商店街なんてどこも似たような店構えをしているとは思うが、生憎とうちの近所に商店街はない。どこだここは。
 そもそも、じぶんは先ほどまで部屋でのんびりと過ごしていたはずだ。日曜日なので学校は休み。特にこれと言った用事もなく、急な呼び出しは受け入れる気もなく、なので外出する必要性は一切なし。珍しく丸一日を自由に家で過ごして問題のない休日だった。
 なのに、どこだ、ここは。
 服装は、ラフ過ぎる部屋着から多少ラフな外出着へと変わっている。大きめのグレーのパーカーに、いつも通りの動きやすい黒のスキニー。つま先で地面を蹴って確認すれば、こちらもいつも通り丈夫な造りのショートブーツだ。カバンは無く、ポケットの中にはスマホも財布も何も無い。

「不便な夢だ」

 移動した覚えがないのに場所が変わっている不思議。着替えた覚えもないのに服装が変わっている不思議。
 なるほど、夢だ。
 ……夢なら、いいなぁ。

 スマホがあれば、地図アプリで現在地を確認出来たのに。財布があれば、たとえ現在地から自宅まで距離があっても電車やタクシーで帰れたのに。
 訳の分からない状況に不便さが加わって、もう何もかもが面倒になってきた。投げ出したい。最低限の自尊心すら投げ出して、このまま往来で不貞寝がしたい。しかし警察の厄介になってしまう可能性があるので我慢した方がいいだろう。ああ、本当に面倒くさい。

 どうしたものかと考えて、取り敢えず身近な店から声を掛けることにした。瑞々しい野菜が並ぶ店頭に、看板を見上げずとも八百屋であると見当が付く。

「ごめんください」

 店の中へと声を掛け、数秒待つ。返答はない。物音もしない。

「すみません、どなたかいらっしゃいませんか」

 店の中を進み、周囲に誰もいないことを確認しつつ奥の居住区域への入り口で止まり、もう一度声を掛けて暫し待つ。
 やはり返答はない。物音もしない。人の気配もない。
 これで実は隠れていましたと言われたら、その人はきっと忍者か何かに違いない。日本人はみんな忍者の末裔だから仕方がないな。

 そんな馬鹿な事を考えつつも、さてどうしようか困ったなと悩む。表情には一切出てくれないが。
 どうして家にいた筈のじぶんが見知らぬ外にいたのかは、まぁこの際どうでもいい。帰れれば、帰り道さえ分かればそれでいいのだ。
 現在地が分かって、自宅の場所とそこまでの道のりが分かりさえすれば、歩いて帰れる自信はある。最悪、電話を借りてタクシーを呼んでもいい。手持ちはないが、家に帰れば用意出来るだろう。足りない場合は仕方がないので生活費か弟に借りるしかないけれど。

 しかしそれもこれも、人がいないとどうしようもない。と思う。
 声を掛けたが未だに人の姿は見えず、気配もなく、見たところ店の中に電話機も見当たらない。住居の中にならさすがにあるだろうとは思うが……。不法侵入、の四文字が頭を過ぎってあと一歩の踏ん切りがつかなかった。

「(……面倒くさい)」

 取り敢えず一旦落ち着こうと外に出る。
 見上げた空はまだ茜色だった。東側は少しばかり紺色が濃くなってきたように見える。せめて日を跨ぐ前には家に帰りたいが、さて、どうなるだろうか。

「―――、――――!」

 ぼんやりと空を眺めていたところ、耳が音を拾う。人の声だ。
 内容までは聞き取れなかったけれど、言い争うような少し荒い声だという事は分かる。出来れば揉め事は遠慮したかったのだが、脳内の天秤が現状の打開にガクンッと傾いた。面倒ではあるが、これは行くしかない。
 ひとつ頷いて無いやる気をかき集め、まだ続いている声の方へと足を向けた。と言っても、声はこの店の隣の路地からしていて近場のようだ。

「だからさぁ、ちょっとお金貸してくれればそれだけでいいんだって」
「金落として困ってんの。恵んでよ、オレ達にさ」

 恐喝の現場だった。分かっていたが、ごたごたの真っ只中である。
 こちらに背中を向けている男が加害者にあたる三人で、背格好からして高校生くらいだろうか。その奥に、三人が壁になって見えないが一人いるらしい。暗がりで判別しづらいが、身長からして小学校高学年か中学校に上がったばかりと言ったところだろう。
 ……何をしているんだか。呆れて溜め息が出た。

「高校生が子ども相手にカツアゲするんじゃない」
「誰だァクベッ、ゴッ」
「よっちん!?」

 目の前の状況から付いた見当に、思わず足が出た。
 一番手近にいた男の横っ腹に蹴りを入れると、不思議な鳴き声をあげて横へと吹っ飛び、狭い路地の壁にぶち当たる。そこまで力を込めたつもりは無いのだが、見た目よりもウェイトが無いのかもしれない。
 仲間の一人がその様子に目を瞠り男の名前を慌てて呼ぶも、気を失っているのか反応は無かった。

「だ、誰だお前!!?」

 ようやくわたしの存在に気付いたらしく、残った男二人がこちらを振り向き誰何する。日が傾いている為か、彼方も此方も顔はよく見えない。

「うーん、通りすがりの迷子です?」
「ふざけてんのかテメェ!!」

 顎に手を当てちょっと考えた後、首を傾げながら答えれば怒鳴り付けられた。本当のことを言っただけなのに、相手は馬鹿にされたと受け取ったらしい。

「本当に迷子なんだけどね。だから道を尋ねたかったのに、こんな馬鹿げた事をしているから、つい」

 両手を肩の高さまで上げて肩を竦める動作をする。今度こそ故意に挑発してみたが、理解したらしく場の空気が格段に悪くなった。
 察しは悪くない、が、残念ながら頭は悪い。頭が良ければ子ども相手に恐喝なんてしなかっただろう。
 二人の内の左側は様子見するつもりなのか、右側の男だけが拳を振り上げて襲い掛かってきた。特にフェイントを掛けるでもない愚直な動きに改めて、頭が悪いんだな、としみじみ思いつつ空いていた腹部に蹴りを見舞う。先ほどの事を鑑みてかなり手加減をしてみたら、今度は吹き飛ばずにその場で崩れ落ちた。
 だいぶ加減したのに、気絶される事に変わりは無い。

「た、たすけドゥェ」

 どぅぇ……?
 不思議な発音に首を傾げながら残りの一人を振り向けば、身に覚えはないが他の二人と同様に白目を剥いて気を失っていた。

「ねぇ、余計なことしないでくれる」

 冷え冷えとした声に顔を上げようとしたが、嫌な予感がしてすぐさまその場から二歩ほど後ろへと下がる。
 下がった後で素早く顔を上げれば、先ほどまでじぶんがいた場所には恐喝の被害者であったはずの子どもが、何か凶器を振り下ろした状態で佇んでいた。良く見ようと目を細めても、子どもは未だ路地の暗がりにいるので、容姿も、表情も、手に持つ武器も良く見えない。
 とりあえず、最後の一人は彼が伸したらしいことだけは分かった。

「そう。それは申し訳なかった。その様子だと他の二人も軽く対処できたろう」
「……ふぅん、思ったより素直だね。まぁ元々、群れないと何も出来ない程度の奴らだったから」
「群れ?」
「なに、何か文句あるの?」
「いや、別に」

 独特な言い回しに、最近読んだ漫画の登場人物が思い浮かんだだけである。
 思わずニヤけてしまっていたのか、けったいそうな雰囲気を子どもから感じた。今の会話のどこに笑う所があるのか、通じる人間にしか分からないだろうから仕方がない。と言うことは、この子どもは素でその言い回しをしてしまっているわけで。うん、将来が大変そうだ。
 彼の将来に考えを馳せていると、子どもがこちらに向かって駆け出してきた。
 凶器を構えているのを目に留めて、寸でのところで上半身を後方に反らせて振るわれた凶器を避ける。その勢いのまま後ろへ飛び、走って路地から表通りへ出た。少し前よりも、西日が強く感じて顔を顰める。

「ワオ。これも避けるなんて、素晴らしいね」

 またそういう台詞を使う。
 殴り掛かられて真面目に緊張感を持つべき場面なのに、ニヤけてしまうので止めてほしい。
 普段はあまり仕事をしない表情筋が、こんな時ばかりその仕事を全うしようとするので一生懸命に堪える。この状況でニヤニヤ笑うなんて、それこそ頭がオカシイと思われてしまう。
 気持ちを切り替えるつもりで、きもち顔を険しくさせて相手を注視する。
 そして、ゆっくりと路地から現れた子どもに、思わず固まり目を見開いた。

「うそだ……」

 見覚えがある風体だった。
 全体的に多少の幼さはあるものの、射抜くような鋭い視線も、風に揺れる少し癖のある黒髪も、夕日を反射して鈍く銀色に輝くその武器も。

「咬み殺す」

 僅かに愉悦を含んだ台詞と表情に、じぶんはただただ立ち尽くしていた。


□□□
 ぱちりと目が覚めた。
 視界に捉えた見慣れた自室の天井に、知らず詰めていた息を吐き出す。なんとなく確認した服装は、記憶の通りやはりゆるい部屋着だった。
 夢だった。そうか、やっぱり夢だったのか。

「……はぁ、疲れる」

 両手で顔を覆い、嘆息する。
 寝ていて疲れるとはどういうことか。睡眠は休息になるのではなかったのか。休むどころか寿命が縮んだ気さえするんだが?
 起き上がるのも億劫で、だからと言って二度寝する気分でも無く、とりあえずゴロリと寝返りを打つ。置き直した頭に枕以外の物が当たり、何か下に置いていただろうかと取り出した。

「(あぁ、漫画か。いつの間に)」

 枕の下にあったのは単行本だった。それも二冊。
 一冊目の表紙は主人公の少年と彼の家庭教師を務める赤ん坊で、二冊目は思った通り、何様僕様風紀委員長様である。あれか、枕の下に写真を入れておくと夢の中で会えるとか言う、アレなのか。
 しかしそんな迷信の為に、本を痛めるような真似をしたつもりは無い。だとすると他に誰がやるのかと言う話になり、思い当たる人物もいないので事件は迷宮入りである。

 ベッドから立ち上がり本棚に並べ直していると、階段を駆け上がる足音が耳に入ってきた。
 この家で、そんな足音を立てるほど元気なのは一人しかいない。音の動きからこの部屋に向かっていると察して、徐に近くに置いてあった皇帝ペンギンくんを掴む。これはふわふわの手触りが売りのぬいぐるみだが、そのやさしいボディに比べて頭部のごてごてしい王冠飾りがいい感じに凶器になるものだ。
 ガチャリと前置き無く部屋のドアが開き、じぶんも容赦なくぬいぐるみを投げ付けた。

「姉ちゃんごはブェッ、え、痛っ!」

 見事に弟の額に王冠をぶつけて役目を終えたぬいぐるみは、そのまま落ちて床に転がった。コロリと転がりこちらを向いたペンギンの顔が、まるで「僕はおもちゃであって凶器じゃないのに」と抗議しているかのような目をしていたが、きっと疲れからくる幻覚幻聴に違いない。

「ちょっと姉ちゃん!?ぬいぐるみと見つめ合ってないで俺を心配して!!?姉ちゃんが思ってる三倍くらいは痛いからね!泣くよ俺!!」
「痛いのは生きている証拠らしい、おめでとう」
「ありがとう!……じゃないね?そういう話じゃあないね?」
「どうしたカッカして。額も赤いし、何かぶつけたか?」
「どっちも姉ちゃんのせい!!」

 弟は両膝を付いて、拳で力強く床を殴った。元気だなぁ。

「わたしのせいじゃない。弟がノックもせずに入ってくるのが悪い」
「口で言ってくれれば学ぶから!」
「これで三度目だった。言っても学んでいなかった」
「ぐぅぅぅ……、もうしわけ、ありませんでしたぁ……」
「許す」

 膝を付いたままの弟の悔しげな謝罪を、不遜な態度で受け入れる。いつも通りの小芝居だ。

 一通りのやり取りを終え、当初の用事だった夕飯の呼び出しを弟が告げる。今日は単身赴任中の父親とそれに無理やりくっついて行っていた母親が帰っている事もあって、献立はそれなりに豪勢らしい。
 弟は一足先に部屋を出ていき、投げたぬいぐるみを元に戻してから来るように言われた。一人残された部屋の中で、言われた通りに皇帝ペンギンくんを元の場所に戻す。ふと、視線が本棚に向き、先ほど並べ直したはずの漫画が列から少しはみ出ている事に気が付いた。さっき弟が床を殴った振動で動いたんだろう。背表紙を押して整える。

「……どうせ夢に出るなら、雲雀恭弥よりツナが良かったな」

 ポツリと呟いた小さな願望は、痺れを切らした母親の階下からの催促の怒鳴り声にかき消された。


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20240715



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