01
──外で、雀が鳴いている。
朝も早くからチュンチュンチュンチュンうるさいそれに意識が浮上しかけるが、寸でのところで押し留めて寝返りを打ち二度寝へと突入した。それはもう、とてもとても眠かったので。
「姉ちゃんっ、おーはーよー!朝だよっ、あー!さー!」
「……うぅ」
しかし意識が沈み込む前に、ドアを殴り付ける音と大声に邪魔をされ呻き声が漏れる。
今日も今日とて、弟は朝から元気のようだ。元気なのは良いことだけれど、その元気の向かう先をこちらに向けないで欲しい。まだ眠いので放って置いてほしかった。昨日から母も帰宅しているし、わたしが早く起きなければいけない理由もないだろう。
無視をし続けるも、それでも尚部屋の外からはおはようが繰り返される。これはじぶんが起きるまで続けられるなと考えながら、寝床の上で何度も寝返りを繰り返した。
……自身のことながら、かつてない程に寝起きが悪い。起きたくない。起きたくはないが、起きなければこの騒音は鳴り止まないだろう。ドンドンと繰り返される、ノック音と言うのも憚られる騒音に合わせるように右に左にゴロゴロ転がり、何度目かの“姉ちゃん”でふと違和を感じてピタリと止まった。
弟の声は、こんなに高かっただろうか?
「いい加減起きほしいんだけどぉうっ!?」
浮かんだ疑問を隅に置き、開けられたドアに向かってうっかり枕を投げてしまった。習慣とは恐ろしい。あ、と思うも既に遅く、条件反射で投げられた枕は弟の顔面に、
「あっぶなー……。いや、わざわざ起こしてあげてんのに枕投げるとかなくない!?」
「……当たってない?」
「え。うん、なんか上の方通り越してったけど」
……当たることなく、頭上を通り過ぎて向こうの壁にぶつかり床に落ちてしまったらしい。「珍しいね?」と怪訝な顔をする弟に、わたしも眉を顰める。何事もなかった弟はきょとりとした顔でこちらを見ていた。
「毎日投げ続けているから、弟の顔の高さは完璧に把握していたはずなのにな?」
「何その自信、怖っ。やめて、小首傾げて心底不思議そうにすんなし!」
「不思議だなぁ。……あぁ、もしかして縮んだ?」
「そんな一晩で縮むわけないでしょ!これでも六年生の中では高い方だから」
「は?」
「え、なに、怖……」
変なことを言う弟に、間の抜けた音を発して固まる。
は?六年生?じぶんの記憶が正しければ、今年で高校二年生だったはずだが?ついでに言えば1個上のわたしは高校三年生だ。元気溌剌と朝の挨拶をかましてきたくせに、弟は寝惚けているんだろうか?
寝込みたくなる衝動を我慢して、天井を仰ぎ溜め息を一つ吐く。
無理矢理一旦気持ちを落ち着けて、改めてドアの前に立つ弟を見た。……あぁ、困ったな。冗談のつもりで縮んだか?なんて訊いたのに。
「はぁ……。今年で、六年生だったっけ?」
「?、姉ちゃんが中一なんだから、俺が小六なのは当たり前じゃん?」
訝しげな顔で答える弟は、決して冗談を言っている様子ではなかった。
「(誰か嘘だと言ってくれ……)」
願った所で空しいだけだが、誰が素面で、180cm弱あった身長が160cm弱に縮んで声変りがなかったことにされた弟を受け入れられるだろうか。なんだこの超常現象。
ああ、夢なら覚めてくれ。
_ _ _
「うわ、じぶんも若返ってる……」
信じたくはない。信じたくはないが、弟に加えて洗面台の鏡に映った自身の姿まで確認してしまった今、無理矢理にでも現状を受け入れるしかないだろう。
鏡に映るのは、輪郭に少し丸みの残る幼いじぶんだ。あの弟が言うのだから、五年前の中学生になったばかりという事になる。言われてみれば肌の質も良いような気がする。中学卒業後に出来た細かな傷の跡も見当たらない。
体型は然程変わりないが、身長は10cmほど縮んでしまった。目線が慣れなくて少し変な感じがする。
……いやいやいや。
屈み込みそうになる體を洗面台の縁を掴む両腕で支えて、なんとか起立の姿勢を保つ。
変だ。少しどころでなく変だ。現状を受け入れるしかないとは思ったものの、流石に疑いもせず受け入れるには早過ぎる。我が事ながら順応性が高いにも程がある。
「(あぁ、そうだ。もしかしたら夢かもしれない)」
お約束とばかりに自身の頬を抓ってみる。千切る勢いで手加減はほぼしなければ、馬鹿みたいに痛かった。
痛む頬を擦りながら、もう我慢しきれずその場に屈み込んで床を見詰める。最初の逃避は失敗に終わり、残ったのは尋常でない痛みだけだった。手加減ぐらいすれば良かったと後悔も残った。
仕方がないので他の案も考える。
その一、高校生になったことの方が夢だった。
とすると、ずいぶんと長い夢を見ていたことになる。それどころか高校生活の詳細は浮かぶのに、肝心の“昨日”までの事をさっぱり思い出せない。記憶喪失か?はは、そんな馬鹿な。
その二、ドッキリ企画。
無いな。そもそもどうやって若返らせるのか。幼い弟のそっくりさん?若く見える特殊メイク?何の面白みも無い一介の高校生にわざわざ?……はぁ、ないない。
その三、神様が人生をやり直す機会をくれた。
「なるほど、それだ。……もうそれでいい……」
そろそろ考えるのも億劫になってきたので。
すっくと立ち上がり鏡を見れば、疲労で先程より幾分老けたじぶんがいる。面倒臭いしそれでいいんじゃあないか?そうだな、それでいいと思う。
人生をやり直す機会をくれてありがとう神様、とでも思っておく。特にやり直したい何かがあるわけでもないけれど。
さて、そうと決まれば洗面所での朝の支度を終え、次の行動に移らなければならない。
弟が言うには中学生なので、中学校へ登校する準備を始めよう。今日が平日なのは、通りがかったリビングのテレビで流れていた朝のニュースで確認済である。今週一週間の天気予報と一緒に、紅葉のいろづき予想を話していた。
部屋に戻り、中学生時代にいつも制服を掛けていたドア付近の壁を見る。
高校は私服登校で制服が無かった為、久し振りの制服着用となるのだが、そこにあったのは見慣れないどこかのブレザーの制服。わたしが過去に通っていた中学はセーラー服だったのだけれど、これは一体どういうことか。
「(まあ、とりあえず着るだけ着るか)」
他にそれらしい制服も無いことだし、と袖を通していく。鏡の前で確認してみればサイズはぴったり、ではなく袖先などに多少の余りがある。今後の成長を見込んでの余裕だろうか。リアルだな。
机の上に置かれていた鞄の中を確認すれば、懐かしさを感じる教科書が詰め込まれている。残念ながら時間割表は見当たらず、これら全てを持って行くしかないようだ。
「姉ちゃん準備できた?朝ごはん、時間無いし食パン焼いただけだけど食べる?」
「食べる。ありがとう」
「どーいたしまして。食べたら途中まで一緒に行こう」
「分かった」
ドアの向こうからの弟の声に答える。
どうやら弟は通うべき小学校を把握していて、そしてわたしが通う学校と途中までは道が一緒らしい。覚えている限りの付近の中学校・小学校を思い浮かべてみるが、場所的に該当しそうな学校は無かった。
頭がこんがらがってきた。頭が痛い気がする。家に帰りたい。……まだ家だった。
意を決して、鞄を掴み部屋から出る。受け入れると決めたのだから、必要なことは確認しなければいけない。
「ねぇ弟、聞きたいことがあるのだけれど」
「何訊きたいの?」
「中学校の名前とか、場所とか」
「え。……姉ちゃん、ボケるには早いよ?っいやちょっと待ってゴメンすみません目が怖いんでやめてください」
何もしていないのに弟が慌てた様子で謝ってくる。目付きが悪いのは生まれつきなので、文句があるなら母親と父親に言ってほしい。
「引っ越して来たばっかだもんね!土地慣れしてないし仕方ないよね!!」
引っ越しして来たばかりなことも初耳なんだが。
家の作りが一緒なのに可笑しなことだなぁ……。
「えっと、学校案内もらってテーブルの近くに置いてたはず……。あ、あった」
これこれ、と渡された案内書を受け取る。
視線を上部に動かして、書かれていた校名に動きが止まった。いや、……は?そんな馬鹿な話があるわけない。
「姉ちゃんが通うのは並盛中学校。俺が通うのは並盛小学校。道順的には俺の方が先に着くから、姉ちゃん迷子にならないでよ?」
その四、若返って漫画の世界にトリップした。
はは、荒唐無稽にも程がある。
_ _ _
とても信じ難いことだけれど、じぶんはファンタジー小説のようにトリップしたらしい。異世界転移でもいい。
よくある作り話だと、トラ転やら召喚やら神様の手違いによる死亡の為の補填、などが思い浮かぶ。それがわたしの場合、何の前振りも無くある日目が覚めたら若返っていて別世界、だ。どうしろと。
そしてその行き先は、まぁ間違いなく家庭教師ヒットマンREBORN!だと思う。もしくはそれによく似た何か。並行世界とかそういうもの。
もうわけが分からない。ついていけない。一旦区切りが欲しい。頭が痛いので帰りたい。
「いちファンとして嬉しくないわけじゃないけれどこれは違う……」
「?、どうかした?鵲さん」
「いいえ、なんでもありません。大丈夫です」
小さな独り言に反応して、前を歩く女性が立ち止まり振り返る。それに首を横に振り答えれば、不思議そうな表情で前に向き直りまた歩き始めた。
家に帰りたいとは思うものの、そんなことをすれば弟に不審がられるに違いない。だから実際にはそんなことが出来るわけもなく、何とも言い難い心持ちで並盛中学校に登校している。
目の前を歩くのは担任らしい女性教師。職員室に挨拶に入ったわたしを怪しむことなく「あなたが転校生ね、今日からよろしく」と笑顔で受け入れた。一抹の不安を抱きつつ登校したが、本当に並中の転校生らしい。嬉しいような、気持ちが悪いような。なんとも微妙な気分である。
もやもやとした気分のまま、担任から今後の概要を説明されながら教室へ向かう。
仲の良いクラスだから安心してだとか、勉強の進み具合に差が無ければいいのだけれどだとか、色々と話され、相槌を打っている内に目的の教室に到着した。見上げた先のプレートには“1−A”と書かれている。
「(動悸で死にそうだな……)」
並盛中学校一年A組。あの1−Aが転入先らしい。
喜ばしいやら怖いやらで心臓が忙しなく動いている。まさかの主人公様と同じ学級だなんて、今まで信じていなかった神様に五体投地で感謝してもいいかもしれない。これが例え夢でも幸せな気分で目覚められるだろう。いや、目を覚ましたくなかったと悔やむかな。
「じゃあ鵲さん、呼んだら入ってきてちょうだいね」
「はい」
教室に入っていく担任を見送り、何となく襟を正す。
ドア越しに、担任がいくつかの連絡事項を伝えているのが聞こえてきた。それが終わって、名前を呼ばれたら、教室に入らなければいけない。
未だに夢か現実か、どちらにしても受け止め切れていないのだけど、どちらにしても心が跳ねる。
このドアの向こうに彼らがいるのだ。今の季節は秋で、時期が合っているなら主要な人物の殆んどに会うことが出来るだろう。早く会いたい。いややっぱり会わずに帰りたい。逸る気持ちと、引き返したい気持ちがせめぎ合って脳も心臓も忙しいが過ぎる。
「それじゃあ、今日は転校生を紹介します」
途端にざわっと騒がしくなる教室内。
男か、女か。カッコいいか、可愛いか。そんなざわめきに、少しばかり申し訳なくなる。そんな風に期待されても、女子が望む男子ではないし、男子が期待するような女子でもない。
入るや否や、落胆されそうだな。どうしようもないけれど。
「鵲さん、どうぞ入ってきて」
「……はい」
呼ばれ、覚悟を決めてドアに手を掛けた。
中に入り教壇の隣に、担任が黒板に書くじぶんの名前と被らないよう気を付けて立つ。落ち着く為にも一つ呼吸し、顔を正面に向けて視線だけで教室内を見回すが……、なぜか彼らの姿が見当たらない。
野球大好き天然少年も、忠犬過ぎる爆弾少年も、そして茶色いツンツン頭も誰もいない。
肩が下がるのが分かる。なぜ、と疑問に思いつつも、いくつかの仮定が頭に浮かぶ。残念だと思っている気持ちが顔に出ていないと良い。
「鵲スイです。初めての場所で右も左も分かりませんが、仲良くできると嬉しいです。よろしくお願いします」
無難な言葉を選んで挨拶すれば、歓迎してくれるらしく拍手が返された。中々雰囲気のいい学級のようだ。
……主要人物はいないけれど。
まさか彼らが存在しないパラレルワールド、だとは思いたくないので。他に考えられる可能性は、学年が違う、だろうか。一つ二つ上か下か。それ以上年代が違うとなると、かすりもしない可能性もある。しかしそれは悲し過ぎる、ここまで来たなら多少の関わりが欲しい。
並盛町内を散策がてら探し歩いてみようかなぁ、と思案していると、担任が「じゃあ鵲さんの席だけど、」と教卓の上に広げて座席表を見せてくれる。表を見る前に改めて教室内を見渡せば、空いているのは三席分。窓際の一番後ろから三つ、続けて誰も座っていない場所があった。欠席か、遅刻か。
あの中ならどれでもいいなと思いながら、差し出されていた座席表に視線を落とす。
「えーと、鵲さんの席は……」
「スマン!極限に遅刻した!!」
ガラリと勢いよく教壇側のドアを開けて入ってきた人物に、教室中の視線が集中する。もちろんわたしの視線もそちらに向き、驚きのあまり目を瞠った。
完全に不意打ちだ。
遅刻したくせに堂々と拳を突き上げ立っている人物が誰なのか、考える必要もなく分かった。白に近い灰色の芝生頭。両手に巻かれたバンテージと、鼻筋に貼られた絆創膏。そして極め付きの、あの台詞だ。
すっかり忘れてしまっていた。ファンとしてとても申し訳ないが、一番推している子に集中し過ぎていたのだ。どうか広い心で許してほしい。
「笹川了平君、遅刻ですよ!」
「朝練に夢中になってしまってな!」
はははは!と熱く笑う彼は、間違いなく笹川了平だった。
「む?誰だ、おまえは」
衝撃のあまり硬直していたわたしに、笹川了平は拳を向けた。
人を指差すなとはよく注意されるが、力強く拳を向けるのはどうなのだろう。より一層喧嘩を売られている感が増して失礼な気がするのだが。
「わかったぞ!さてはおまえ、我がボクシング部に入りたくてわざわざ転校して来たのだな!!」
「……いや別にそんなつもりは、」
「良いぞ!そんな熱い奴は大歓迎だ!!」
どこかで聞いたセリフだなぁ。
爛爛と輝く、どころか轟轟と燃えるような瞳をしているところ悪いけれど、どうか話を聞いてほしい。会話のキャッチボールをしよう?
「よし、そうと決まれば今すぐにでもスパーリングだ!部室へ来い!!」
今登校して来たばかりなのに?これから授業もあるよね?
ツッコミ所が多過ぎる。感動や何やらを吹っ飛ばして、面倒そうな人間だなという感想が頭を出してきた。
連れて行くために腕を掴もうと伸ばされた手を避けて、担任の隣へと近付く。コミュニケーションをとれそうにない笹川了平から離れる為にも、さっさと席に着いてしまおう。
「先生、わたしの席はどれでしょうか?」
「……あっ、はいはいちょっと待ってね」
ポカンと成り行きを眺めてしまっていた担任に声を掛ければ、慌てて動き始めた。座席表と教室内の空席を交互に見比べて、ドアの前に立ったままの笹川了平に声を掛ける。
「まずは、先に笹川君が席に着いてくれる?」
「うむ!わかった!!」
どうして担任とは会話が成立するのに、わたしの言葉は聞いてもらえなかったんだろうか。コツか立場が必要なのかもしれない。
溜め息を吐きたくなるのを我慢して、笹川了平の行く先を目で追う。背筋を伸ばし堂々と、スポーツマンらしくきびきびとした歩き方で向かった先は、後ろから三番目の席だった。
「それじゃあ、鵲さんは笹川君の後ろの席ね」
「わかりました」
やっと席に着ける。そう思ったのは担任も同じだったようで、安心したように笑いながら小さく息を吐いた。
鞄を抱え直し、席に向かう。
笹川了平の後ろの席。これがゲームなら何らかのフラグが立っていそうだけど、生憎これは、たぶん現実なので。まずはボクシングに対する勧誘は断固拒否しつつ、まぁいい距離感の同級生になれれば御の字だろうか。
「よろしく、笹川君。で、いいのかな?」
「ああ。俺の名前は笹川了平、次期ボクシング部主将だ!よろしく頼む!!」
そのまま通り過ぎるのも悪いかと、横を通った際に声を掛ける。さっきと変わらぬテンションに、平常でこの熱さなのだなと感心する。
挨拶も終わり、席に着こうと動こうとしたわたしに「それにしても、」と笹川了平の方から会話を続けてきた。何かあったかなと止まり、再度彼を見る。向こうもこちらを見ていた。と言うか、上から下へ視線を移動させ、何かを確認している。そうして何かに納得したのか一つ頷き、笑顔で口を開いた。
「さっきは気付かなかったが、女だったのだな!制服でなければ気付かなかったぞ!!」
「……そう?」
「むっ、素晴らしい睨みだな!ますますボクシング部に勧誘したいところだが、残念だ」
「それはどうも」
本人に悪気は無いのだろう。女子らしい見た目でない自覚もある。しかし、それで失礼な言動がすべて許せるかと言えば、それとこれとは別なのだ。
──いつか何らかの形で報復しよう。
転校初日の目標がこれである。
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