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 吾輩は平安時代を生きる男である。名前は閑暮ならくれ

 内容は知らずともその一文だけは知っている。そんな有名文学を意識して自己紹介してみたものの、残念ながらこのネタの通じる人間は現代にいない。言ったところで「ああそうですか」と流されるか、ちょっと変わった自己紹介だなと流されて終わるだろう。
 実際そうだった。

 俺の頭はおかしいらしい。
 と言うのも、今から千年以上未来の記憶が有ったり無かったりするからだ。
 未来では、鉄の建物や鉄の塔が建ち、鉄の箱が瞬く速さで走る。信じられないだろう?でも本当の話だ。本当の話なのだから、そんな化け物を見るような目を向けないでほしかった。それに、人を殺す計画は本人の聞いていない所でするべきだ。

 化け物か、鬼か、悪霊に憑かれたか。
 そう言いながら刃物片手に追い掛けてくる両親や村の人間どもから逃げて、山で暮らすことにした。十に満たない年だった。
 おかしな記憶の中にはさばいばるの知識があり、食える野草や食えない野草、薬になる野草や毒になる野草に関しても程々あった。草ばかりだ。この知識の元の人間は草しか食えない宗教にでも入っていたんだろうか。生きるのに助かるからどうでもいいけれど。
 しかし熊や猪に遭遇した時は困った。焚くと獣が寄らなくなる草なら知っていたが、遭遇した時に役立つ草の知識はなかったのだ。息を殺して一昼夜、古木の虚に隠れていた時は本気で死ぬかと思った。さすがに自分より大きい獣に勝てる装備はない。
 それに比べて、兎はいい。つぶらな瞳で見られて捌く時に多少心が痛んだが、焼いて食うと美味かった。その後も継続的に狩って食った。俺の好物は兎の肉です。

 あまり使われている気配のない山小屋を住処にし、基本的に草を食い、時折兎肉を食べ、気が向くと自分の生まれた村ではない別の村に自作の薬を二束三文で売りに行く。野生児寄りながら、中々に充実した生活を続けて数年経った。
 そろそろ文化的な生活がしたいです、先生。
 今後を考えながら山の中を散歩していたら人間を拾った。捨て子や捨て姥ではなく、行き倒れのオッサンだ。
 それなりに身綺麗だったのと俺による入念なぼでぃちぇっくの結果、見捨てるよりかは利益がありそうだったので、オッサンは家に連れて帰り介抱した。
 初めての客が行き倒れのオッサンとかちょっとしょっぱい気持ちになる。出来るなら可愛い女の子がよかった。素朴な可愛い村娘ちゃんとか、元気に可愛い看板娘ちゃんとか、儚くも美しいお姫様ちゃんとか、わけあり男装中のお姫様ちゃんとか。
 このオッサンとしか言えないオッサンの見た目ではわんちゃんもない。
 一つしかない寝床に置かれて、然程経たない内にオッサンは目を覚ました。介抱らしい介抱はしていないが、そこは言わなければ何の問題もない。ぼやっとした様子で周囲を眺めるオッサンに、さて礼として何をせびろうか、と考えていると、何の前触れもなくいきなり滂沱した。え、怖い。
 そして、いい笑顔で拐かされた。え、待って。

 あれよあれよと俺を連れ去ったオッサンは、俺を養子に迎えた。
 オッサンはいいご身分なお医者さまだったようで、俺の粗末な身なりやらで察した境遇に同情し、それに比べて室内に並べられ乾された薬となる草の類に感心し、打算の後のこの待遇である。いや別にいいけどさ。願ったり叶ったりですけどさ。
 だからと言って、会って間もない野生児を養子にするとか結構な冒険だと思う。
 ……薬の材料自力で採取しに行って行き倒れるオッサンだもんな。しかたねーな。

 こうして俺の云年間さばいばる生活も終わり、文化的な生活が始まった。
 初対面のおばさん方に体を洗われ、清潔な衣服を着せられ、オッサン改め義父自ら健康診断され、肉が足りないと食事を取らされ、それらを数日行った後、今度は言葉遣いやら所作やらを知らないオッサンに矯正され、同じく知らないオッサンに最低限の行儀作法を叩き込まれ、みみずののたくったような文字を覚えさせられた。
 俺のすべてに対して矯正である。大分苛つくが、文化的な生活の為なので渋々ながらも受け入れるしかない。
 お墨付きを貰えたのは、大体一か月ほど経った頃だった。俺は俺を褒めた。でも俺以外に俺を褒めてくれる人はいなかった。ぐれそう。
 それでも、俺のお勉強生活はまだまだ続いた。主に医学分野のお勉強だ。年齢が達したらその系統の学校に通わされるらしい。だろうなという感想しかない。

 俺は流されやすい男であった。
 郷に入っては郷に従うことに何の抵抗も苦も無く、朱に交われば我先に赤くなるような男だと自負している。自分に害も非も無く得しかないとなれば尚のことだ。

 気が付けば誘拐されてから九年過ぎた。磨けば光る原石だった俺は二十の歳を超え、まぁ中々に立派なお医者さんになれてしまっていた。
 野生児も!頑張れば高給取りになれるんですよ!!
 どこに出しても恥ずかしくないお医者さんになり、義父と同じくお貴族様相手のお医者業を始めた。
 俺の中では、お貴族様は専属の医者を抱えてその医者にのみ治療させているものだと思っていたが、全部が全部そうでもないらしい。我が家は義父、俺と二代に渡り、どこの家に抱えられるでもなく自由気ままに色々な家を回っている。
 そう出来るのも能力があるからこそなのだと、酒を片手に上機嫌な義父は大層自慢気だった。自分で言うんだもんなぁ。俺も良くやるよ、自画自賛。
 それから巷で有名になりつつ真面目に過ごしていたら、新しいお仕事を頂いた。

岐 閑暮くなと ならくれと申します」

 お貴族様のでかい屋敷の奥の部屋。人の気配の薄いそこで、御簾越しに今回の患者へ平身低頭で名乗った。

 俺の仕事は毎度この遣り取りから始まる。
 このまますんなり進めばいいが、中には俺の何が気に食わないのか即行で追い出されたこともあった。多分若いからとかそんな理由。年齢なんぞ周知だろうに、だったら呼ぶなよと思わなくもない。
 まぁ内心嫌々で治療を受け続けられるよりは、最初に断ってもらった方が俺としても助かりますけど。
 完治までぐちぐち言われて苛々するくらいなら、寝るまでイラッとして起きたらスパッと忘れる方が精神的に大変よろしい。ただし心の黒手帳にはしっかりと記載させていただく。どれだけ将来困っても、俺は一切助けてやらんからな。本人だけでなくその家族含めて知ったことか。一族郎党とまで言わないだけ、俺の最大限の優しさである。
 ……やっぱり末代までに変えてもいいかな?
 つらつら考えていると、御簾の向こうから小さな咳が聞こえてきた。音を聞くに、肺ではなく喉が原因、かな。喉風邪をひいているのだろう。

「……よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いいたします」

 掛けられた声は了承の言葉で、思ったよりも随分と幼い声だった。大人より子どもの方が色々と難しいんだよなぁ。
 なんて考えながら表情には出さず、更に深く頭を下げた。

 俺は患者の名前を覚えない。人間の名前を覚えるくらいなら、薬の材料や効能や処方を一つでも多く覚えた方が有用だと思っているからだ。
 なので相手を呼ぶ時は専ら、旦那様、奥方様、坊ちゃん、お嬢様、のどれかを使っている。今気付いたけど“坊ちゃん”だけ“ちゃん”付けなの可愛いな?若様も有りだけど、俺は坊ちゃん呼びを貫くぜ。

 そんなこんなで今回は坊ちゃんだった。
 一言でいうと美少年。磨ったばかりの墨のような黒髪は緩く波打ち、猫のように丸く吊った瞳は夜の空を映したかのように輝く。病弱ゆえにあまり外に出ず、食事も多く摂れないため少年にしては細い体躯は青白く、暗い室内で浮かび上がるような美しさを感じる。
 一言でいうと美少年。(二回目)
 俺が同年代の異性愛者で良かったな。これは下手すると犯罪者が出るやつ。

「坊ちゃん、お身体の具合はいかがですか?」
「……だるい、熱い……」
「失礼、触れますよ。あぁ、また熱が上がってしまったようですね。あまり薬も多用できませんから、今は自力で頑張りましょうね」

 青白いが赤い頬で横たわる坊ちゃんの側に座り、額・首・手首に触れながら優しく話し掛ける。辛そうに顔を歪め、浅い呼吸を繰り返す様子に、俺は内心ハラハラだ。

 俺が坊ちゃんを診始めてからそれなりに経つ。
 初めて会った時の咳は思った通りの喉からくる風邪で、すぐに薬を処方して難なく治した。こんなに早く楽になったのは初めてだと、坊ちゃんだけでなくご両親からも感謝されて俺渾身のどや顔。心の中で。表面を取り繕うのは割と得意だ。
 でもまたすぐに別の病気に罹った。それもすぐさま治したけど、今度はどやる暇もなく別の原因で寝床に引き返された。それもすぐ治した。

 このお坊ちゃん、クッソ病弱過ぎねぇ???
 初見で「身体弱そうだなー」とは思ったけど、ここまでとは思わなかった。今すぐ未来の病院に駆け込みたい所存。こんな医療技術も発展していない平安時代じゃぽいずん。いくら優秀な俺でも限度があるんです。誰か時間移動実現させて……。

「熱い……」
「身体が病と闘っている証拠ですよ。この調子なら明日の朝にはよくなっているでしょう」
「これが一晩で治るものか……」
「治りますよ。それまで私もお側にいますから」

 疑わしく憎らしいという視線を向けられるが、どこ吹く風でにっこり笑う。いいから早く寝てください。何なら子守歌でも歌いましょうか?
 渋々目を瞑った坊ちゃんの胸のあたりを優しく規則正しく叩きながら、歌詞も覚えていない朧げな子守歌を鼻歌で歌う。そもそも子守歌を歌ってもらった覚えが無いのだが、これは未来の知識の一部かな。
 しばらく静かに歌い続けていれば、坊ちゃんから規則正しい寝息が聞こえてくる。まさか本当に眠ってくれるとは思わなかったな。
 ぽんぽん叩くことを続けながら、明日の朝に飲んでもらう薬を考える。まぁ考えるまでもなく決まってはいるのだが。けれど、その薬を飲ませて快復しても、また別の理由で床に臥すのは目に見えている。

「……どうにかならんかね」

 どうにもならんから頭を悩ませているんだ。

_ _ _
 身体が弱く病がちではあるものの、幼かった坊ちゃんはちゃんと育ち青年期に入った。青年期って十二歳からで合ってる?合ってなくても、つまり十二歳迎えたよってことなんだけど。元服はまだ少し先。
 坊ちゃんはにょきにょき育っている。現代の平均身長っていくつでしたっけ?俺?俺はね、平均くらいだよ……。
 しかし縦には伸びるが肉が足りない。それはもう、不安になるくらい。あと顔色も足りないので赤みを足したい。化粧でもしてみようかとジッと見ていたら、吃驚するくらい怖い顔で睨み返された。そんな顔をされる程のことを俺はしたでしょうか。まだ手が出ないだけマシ。

 坊ちゃんの成長は俺の努力の賜物でもある。
 医食同源の言葉を頭に叩き込み、慣れないながらも厨に立った。
 獲物解体して豪快に焼くなら昔取った杵柄でお手の物だけど、調理するとなると別物だ。しかも坊ちゃんに食べてもらうとなるとさらに別。試作品及び失敗作は俺と義父の腹の中に収め、成功品だけ坊ちゃん及びご両親、そこから余った分はお屋敷の人たちに贈った。
 原材料は秘密だが、美味くて害が無ければ人は受け入れてくれるらしい。大丈夫、健康にいいものだからね。

 軽い運動もさせた。部屋前の庭内のみの散歩という本当に軽いものだったけど、比較的体調のいい日しか出来ない。その間俺は付きっ切り。突然体調を崩しても、俺ならその場で対処できる。
 初めの幼い頃は手を繋いでいたのに、成長して手を振り払われてしまったのは記憶に新しい。ふふ、反抗期かな。泣いてなんかない。

 日向ぼっこもさせた。適度に太陽光を浴びるのは体にいいらしい。
 縁側に自力で座るのも辛そうだったので、手製の座椅子を作って差し上げた。座面背面やわらかめの、背凭れが五段階で動くやつ。試作品はいい歳の義父に贈った。
 義父からは「医師をやめても食っていけるな」と太鼓判を押された。医師を辞めてもいいのか。何の為に俺を引き取ったんだこの人。

 医師としての俺だけじゃ足りないから、無い頭を絞って頑張った。
 頑張ったが、医師としての俺が言っている。坊ちゃんが二十歳まで生きるのは難しい。

 でもそれで諦めてしまえる性格だったなら、俺は料理人の真似事なんてしなかった。家具職人の真似事だってしなかった。
 なんなら、よろしくして半年経つか経たないかくらいで匙投げて行方をくらましていたに違いない。我が家なら出来ないこともないだろうし、俺の頭と技術と体力の可能性としても不可能じゃなかった。
 しかしそんなことをしなかったのは、情が移ったからなのだと思う。
 こんなでも俺は人なので。誘拐犯もどきでも父親らしくしてくれたオッサンに親孝行してやりたいと思えるくらいには人なので。
 小さい頃から既に数年、多少どころか多大に関わっちゃった坊ちゃんに対して、そりゃあ情の一つや二つや三つや四つ、移るのも仕方がないんじゃないかなぁと思うのです。俺も人なので。大事なことなので何回でも言う。俺も人なので。

 俺は、坊ちゃんが陽の下を元気に駆け回る姿が見たい。

 坊ちゃんの健康的な体づくり計画を続けつつ、空いた時間で医学を学び直す。
 俺の今の知識では、すでに罹ってしまった病気に対する処方しか出来ない。なので、病に罹らなくなる薬はないかと考えた。
 夢のような話だと思う。
 それでも探す前から諦めるつもりはなかった。とにかく家中の本を片っ端から読み直し、それらしき文献はないかと漁る毎日だ。

 ……それらしきものは見付けた。
 見付けたんだが、如何せん材料に人魚の肉と書いてあったので、そっと閉じて元の場所よりさらに奥へと仕舞った。人魚の肉って。現実にいるのか?いや、平安時代だからこそいるのか?何かにつけて妖怪の仕業って言うもんな。

「坊ちゃんは人魚とか、妖の類って信じていらっしゃるんですか?」
「……今度は何の薬を試飲した?早く帰って親父殿に解薬を処方してもらえ」
「薬を飲んで解毒剤を貰えとは、坊ちゃんは不思議なことをおっしゃる」
「薬は毒にもなると言ったのは貴様だぞ」
「坊ちゃんが私を貴様と言う……。泣こう」
「貴様など、貴様で十分だろう」

 袖で顔を隠して泣き真似をしてみても、小生意気に育った坊ちゃんは小憎たらしく鼻で笑うだけ。それがまた様になっているのだから、やんごとない血筋はやべぇ。他人を見下すことに慣れていらっしゃるんだわ。

 本を読み漁って数か月。
 命を削るつもりで寝食削って頑張る俺へのご褒美なのか、ようやく見付けたそれらしき文献を天に掲げて感謝した。男泣きである。
 こちらの文献、義父も知らない秘蔵の書である。忘れ去られるほどにただ古いだけとも言う。
 表紙は劣化の為に読めず、内容も所々虫に食われて読むのに苦労する。ただでさえみみずにしか見えない文字だと言うのに。俺の神経逆撫ですんのも大概にしろよ。
 それでも諦めずに判読し、“体を健康に保つ”“強い生命力”の二つを理解した時の俺は拳を握って天を仰いだ。薬名は知らん。かすれていて読めるものじゃなかった。

 何はともあれ、坊ちゃんの未来に光が差した。
 教えたい。滅茶苦茶教えたいが、言うのは薬が出来上がってからにしよう。この本がいつ頃書かれた物かは分からないが、同じ材料が同じ効能をもって残存しているか怪しいし、試行は重ねるに限る。ぬか喜びなんてさせるつもりは無い。
 試験体が、残念ながら健康優良児(そろそろ三十路)なので不安は残るが仕方がない。


 材料集めに時間が掛かってしまった。
 見付けられただけ運が良いと思えるものもある。何度も試せる量は揃えられず、作れて二度三度。はぁ、嫌な賭けだなぁ。


 やはり検体が悪かったのか、それとも材料の質が変わってしまったのか。
 誰の迷惑にもならない場所で作って試そうと懐かしの山小屋で薬を作成して飲んだ。ら、この有様である。めっちゃ具合悪い。
 身体が重い。脈拍も妙に速い。体温も高い。だのに寒い。なんという矛盾。薬は毒にもなる、の言葉が頭に痛い。いや普通に頭痛だなこれ。吐き気もしてきた。お医者さん、ここに重症の患者がいます。俺が医者だった。
 座っているのもしんどくて、床に転がって丸くなる。

 坊ちゃんより先に俺が死にそう。

 いや、年齢差的にその順でおかしくはない。おかしくはないが、そうじゃない。それに欲を言えばもう少し、無茶を言ってもいいならあと半世紀は生きる気満々だったからさ!?それがこんなにも前倒しになったら悔やむしかないよね??
 出来ることなら義父よりは長く生きたかった。あのオッサン、平均寿命とっくに過ぎてんのに酒ガバガバ飲んでも平気な顔で笑ってるもん。俺なんて酒も煙草も博打もしない、超優等生の聖人君子だったのに。世の中は理不尽の塊だ。

 俺がこのまま死んだら、次は誰が坊ちゃん付きのお医者になるんだろうか。俺よりいい医者って言ったら、百歩譲って義父くらいしか思い浮かばない。でも駄目だ。酒も煙草も博打もやるあの義父では、坊ちゃんの情操教育に悪影響しか及ぼさない。
 なら他に誰が、と考えたが、千歩万歩譲っても誰も思い浮かばなかった。俺は!優秀な!医者だったのだ!!自他ともに認める優秀な医者だったのだ、本当に。

 不調が一周回って何も感じなくなってきた。瞼も重くなってきている。
 いよいよ死にそう。
 あぁ、申し訳ない……。

_ _ _
 ──……口の中で土と草の味がする。

「……おえっ」

 異物感に思わずえずいたが、特に何も吐き出せず声だけになった。うえぇ、くちのなかじゃりじゃりするぅ……。
 小屋の中でのた打ち回っていたはずが、いつの間にか小屋の外の裏手に転がっていた。ついでに死んでいたはずが生きていた。ハッとして手首に触れれば、しっかりと脈はあるのでゾンビではない。良かった、世界初のゾンビとか不名誉なハジメテ貰わずに済んで。
 地べたに座り込み、そのまま脈拍と体温を確認する。脈は、ちょっと弱い気もするが許容範囲内。体温も、ちょっと低い気もするが体調は悪くないので良しとする。むしろ気分はいい。死にかける前のあの状態が嘘だったかのようだ。

 むぐむぐと舌を動かし、いまだに口内に残っていた異物を唾とともによそに向かって吐き出す。
 その中に、青い花弁が混じっているのが見えた。口の中の草の味の原因はこれだったらしい。おそらく気絶した後にでも食ったんだろう。
 青い花、青い花ねぇ。そんな色の花なんかオオイヌノフグリぐらいしか知らんぞ。

 詳しく調べるにも、触るのも見るのもばっちいので遠慮したい。せめてもとチラ見したところ、形は細長くオオイヌノフグリとは別の花のようだ。
 周囲を見回してみても、それらしき青い花なんて見当たらない。形が似ていないこともない彼岸花は咲いていたが、これは鮮やかな赤色だ。それに青い彼岸花なんて今まで聞いたこともない。……いや、無くもないかもしれない。どこかで聞いたか、読んだか。ううむ、気のせいだな。

 ひとまず小屋の中に戻り、土と草の汁で汚れた着物を脱いで身綺麗にする。
 落ち着いたところで、体調不良と回復の原因を知る為にあの文献にもう一度目を通した。
 そうしたら、ちゃんと書いてありました。うん。服用後の最悪死に至るほどの体調不良、その後に青い彼岸花から作る毒を緩和剤として飲み、体内で中和させ、そうしてようやく“体を健康に保ち”、“強い生命力を持つ”ことが可能になる。
 毒を以て毒を制した上で、体内で出来上がる薬だった。やばいね?
 それをきちんと理解しない内にやらかした俺もやばいね……。

 おそらく俺は気を失った後、本能的に小屋の裏に咲いていたと思われる青い彼岸花を食ったのだろう。たぶん。さすが元野生児。この本能は大事にしたい。
 あの青い花弁は彼岸花だったと分ったところで、小屋の裏に今咲いているのは赤い色ばかりである。もしかしたら俺が食べた分しか無かったのかもしれない。俺が食べる分があっただけでも奇跡に近い。少なくとも、住んでいた頃には見たことが無かった。

 困った、心底困った。肝心の坊ちゃんの分が無い。
 どこかに群生地でも見付けられればいいが、それが一体どこにあるというのか。近くにあるならいい。しかし遠くの土地に咲いていたとして、そこを探す時間も、そこから運んでくる時間も余りとれないのだ。
 ……坊ちゃんの命に余裕が無い。

_ _ _
 俺の目の前で、坊ちゃんが浅い呼吸を繰り返しながら伏している。とても苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
 分かる、それは俺も嫌と言うほど実体験した苦しみだもの。身体の弱い坊ちゃんなら尚更辛いことだろう。それでもこれは必要な過程なのだ。

「きもちが悪い」
「はい」
「……脈も速いようだ」
「そのようですね」
「熱も高いな」
「汗を拭きましょう」
「だというのに、とても寒い」
「上に掛ける物を増やしましょうか」

 いつになく胡乱な視線が俺を刺す。俺はその視線に晒されながら、甲斐甲斐しく坊ちゃんの看病をする。看病と言っても、今出来ることは汗を拭ったり額の濡らした布を交換するくらいのものだが。
 坊ちゃんが苦しげに熱い息を吐く。
 ああ、俺にもっと能力があればこんな毒紛いの物に頼らずに済んだのにと、どうしようもない後悔が重く圧し掛かる。申し訳なくて、情けなくて、涙が出そうだ。男泣きだ。でもそんな泣いている暇はないので、極力いつも通りの笑顔を意識して浮かべる。
 いくら我慢しても涙目になってしまうのを隠したくて、何気ない動作で後ろを向いた。

 俺が瀕死になった事件から方々手を尽くして青い彼岸花を探したが、終ぞ見付けることは出来なかった。
 しかし、代わりを見つけた。号泣しながら本を読み直し、ぼたりぼたりと涙が紙面に染み込んだ途端に浮かび上がる文字。炙り出しか。炙ってないけど。水か塩に反応して変色したのだろう。
 そこに記してあったのは、青い彼岸花の代わりとなる毒の材料と製造方法だった。
 神は俺を見捨てなかった。いや、神が見捨てなかったのは坊ちゃんかもしれないけれど。そうだよな、あんな美少年美青年を簡単に見捨てられるわけがないよな。感謝の祈りを叫びながら最近緩みっぱなしの涙腺のせいでまた大泣きしたのは坊ちゃんには内緒です。

 全く手に入れられなかった物の代わりなのだから、それも相応に入手は困難な物だった。希少さに見合って値は張るし、短くない時間が掛かった。それでも元の物に比べれば些細なことだ。俺の財産が残り三割切ったが、対価を払えば必ず手に入るのだから。

「これでようやく坊ちゃんも楽に、」
――ドグシャ……ッ

 暗転。


■■■
 突っ立っている俺の目の前で、“私”が漫画を読んでいる。
 突っ立っている俺の目の前で、“私”がテレビを眺めている。

『始まりから終わりまでパワハラがすごいよねぇ、鬼舞辻無惨って』

 振り返った顔の見えない“私”が、黒い髪に赤い目の今より幾許か成長した“坊ちゃん”の絵姿を俺に見せて、のんびりした声でそう言った。


■■■
「これ鬼滅の刃ですね!!?」

 バチリと強めに目が覚めて、そのままの勢いで起き上がり叫んだ。闇夜の森に、俺の声が響く。
 今更である。一度死んで忘れたことを、二度死んで思い出せたのは中々の根性だと褒めて欲しいが、今更なのである。

 どうやらあの硬いが柔らかい何かを叩き潰したような音の後、俺は適当な山中に捨てられてしまったらしい。……硬いが柔らかい叩き潰された何かが俺の頭だってことは十二分に分かってるからお願い何も言わないで。残り少ない俺のSAN値が死んじゃう……。
 体中についた土汚れの他の、こびりついた黒く変色した何かについてもあまり考えたくはない。

 まぁそんな諸々を深く気にする余裕もなく、馬鹿みたいに唸りながらごめん寝状態になってしまったんだが。

 まさかの俺が元凶の医者ポジ。まさかの鬼舞辻無惨(鬼)の生みの親。マジかよやめてよして触らないで。今の俺はガラス細工より繊細な壊れ物なの……。
 あまりの衝撃的事実に、心臓が目か耳か鼻か口からまろび出そう。おえっ。
 何でもっと早く思い出さなかったんだ俺。ファンのくせして不幸の元凶生み出しちゃってどうすんの?ファンだからこそ無意識に生み出そうと思っちゃったの?結構嬉々として薬と言う名の毒物作っちゃってましたもんね?何ならあと一歩で究極生命体鬼舞辻無惨様爆誕させるところだったわ。
 にわかが過ぎる文学書の一節覚えていたって何の役にも立たんだろうが原作知識覚えとけや。でもサバイバル知識諸々は大変助かりましたありがとうございました!

 目一杯の後悔で頭を上げ、懺悔の為に力一杯振り下ろす。柔らかくない、石混じりの地面に打ち付けられる度、額が傷付いて血が滲んだ。しかし傷付く先から治るので、それ以上血は出ないし傷も酷くはならない。

 分かっちゃいたけど、俺も鬼ですねェェーーーーッ!!??

 同じ毒呷ったんだから、そりゃあ俺も同じ体質になりますよ。
 でも元が健康体だったからか、噂の青いお花も食った完成品だからか、はたまた結構な時間を地面の中で寝て過ごしていたからか。どれが理由で原因かは不明だけれど、鬼らしい飢餓感はないようだ。当たり前に人を食べていないのに、かち割られたはずの頭が元通りになっているのもそのおかげかもしれない。
 試薬実験やってて良かった!……良かったのか?良かったんだよ、多分。

 一頻り脳内大反省会を行って、衝動のままに地面に額をぶち当て続け、どのくらい経ったか分からないがようやく気持ちが落ち着いてきた。
 地べたに正座したまま、明けそうな東の空をボケっと見上げ眺める。

「はぁ、風呂入りたい」

 のんきなのは俺も“私”も変わらないらしい。


■■■
 俺は人を食べたいと思わないし、太陽の光を浴びても死ななかった。偶然見かけた藤の花で花見もしたが特に苦手意識はない。
 果たして俺は鬼なんだろうか……?
 いやまぁ、不老で不死で変な術使っちゃってるから人外であることに変わりはないんですけどもけどもぉ。鬼ではない、よな??


■■■
 あれからどれだけ経っただろう。
 俺が目を覚ました時点で平安の時代はとっくに過ぎていて、脳内の子安さんが「年号がァ、年号が変わっている!!」とビッタンビッタンしたのは記憶に懐かしい。やべぇ、俺子安さんの名前と声覚えてる。しかも今の俺なら、人外の力で声帯変えて子安声にもなれる。……ハッ、もしかして俺が、子安だった……???(盛大な寝言)

 それはそれとして、年号どころか時代が変わった。多分鎌倉時代な気がする。ビッタンビッタン。
 気がするなんて曖昧な言い方になるのは、坊ちゃんとの遭遇率を下げる為に都会を遠く離れて田舎の中の田舎を転々とした末、三つ子の魂百まで精神で山住まいをし始めて世情に疎くなってしまったからだ。頭蓋骨グシャアは人生一度で十分です。
 都会と田舎とでは情報伝達の差が著しい。自動車と徒歩以上の差がある。だのにおまけと言わんばかりに山奥に引っ込めば、そりゃあもう情報なんて来ないも同然だ。
 世の中に対して興味が無いのもある。三割くらい。

 それでも何となく、飢饉や戦に関しては察せる時がある。

「おやまぁ、捨てられたのかな?逃げてきたのかな?」
「ひぃっ、ひぁっ、むら、むらが、まっかになって、うぇぇ……」
「戦かなぁ」

 山の中を散策中、薄汚れた子どもが泣きながら道端で蹲っていたので拾った。煤汚れだとかを気にせず抱きかかえて、しゃくり上げるその背中を優しく叩く。嫌がられなかったのでいつもより面倒臭くはない。抵抗する子どもは力加減を考えないので大層面倒臭いのだ。
 そのまま眠るまでゆらゆら揺らして、寝息が聞こえてきたので家に持って帰った。
 この一連の流れ、手慣れたものである。

 俺の住んでいる山は捨てやすいのか迷いやすいのか、よく子どもが落ちている。落ちているので拾っている。なんて簡単な話だろう。
 流石にただの迷子とわかったらきちんとおうちに帰しているので、断じて人攫いではない。俺は義父とは違うので勘違いしないでいただきたい。
 拾って連れて帰るのは、飢饉などのせいで口減らしに捨てられた子ども。または戦で焼け出されて逃げてきた子どもに限っている。

 どうしてこんなことになったのかは覚えていない。
 多分最初は「子どもがいるなぁ」と素通りした気がする。でもいつの間にかその子どもが俺の羽織の一部を掴んでいて、離すのも話すのも面倒なのでそのまま帰った。そしてその子どもは俺の家に住み着いた。
 それが何度か続いて、勝手に来られるよりは自分で拾った方が気分的にいい、という結論の元こんなことになった。そんな何十年か前からの話。

 なので、まぁ、俺としては、山の中で孤児院を開いている、程度の考えでいるのだが。

照々神ててがみ様、またひとり子どもを救ってくださったのですね。ありがとうございます」
「……うん、うん。目が覚めたらいつもと同じようによろしく頼むよ」
「はい、かしこまりました」

 でかい旅館のような我が家に帰ると、玄関で中学生くらいの少年少女が数人、俺を出迎えてくれた。その内の一人に拾った子どもを託すと、慣れた手際で子どもをどこかへ連れていく。目が覚めるまで待って、それから湯浴みと食事をさせてくれるだろう。
 そのまま歩を進めると、着ていた羽織を脱がされて新しい羽織をすすめられる。ここは何も言わずに従うのが吉だとここ数十年で学んだ。
 彼ら彼女らは部屋へと向かう俺の後ろをしずしずと付いて来て、開いていない戸に差し掛かるとサッと開けてくれる。階段に差し掛かると手を差し伸べられる。この手を取らない選択肢は用意されていない。
 やっと自室に辿り着けば、後ろを付いて来ていた少年少女たちは部屋の前でお別れだ。恭しく頭を下げる彼ら彼女らに、軽く笑顔で手を振って戸を閉めた。
 誰の目も無いことを良いことに、俺は間続きの寝室の時代背景を無視したベッドへダイブする。ぼふん、と優しく包まれて幸福感に満たされそうになるが今はそれどころじゃないんで。

 スゥ〜〜……、なんでこうなったかな????????

 坊ちゃんに見つかったらまた殺されるんじゃないか?と戦々恐々としながら山に引き籠ったのに、いつの間にか身寄りのない子ども大集合☆して孤児院もどきが始まり、何がきっかけになったのか「照々神様」なんて呼ばれて宗教団体化していた。何を言って(ry
 このネタも通じるのは現代にいないんだよな。寂しい。はぁ。

 何がいけなかったんだろう。
 生まれて、家出て、山で暮らして、誘拐されて、調教ゲフンそれなりに高度な教育されて、医者になって、坊ちゃんの快復に献身して、ぶっ殺されて、山に埋められて、生き返って、世を捨て山で暮らして、孤児を誘拐しゲフン拾って育てて成人したら世間に飛び立たせていただけなのに。
 おかしいなぁ、俺はどこで間違ったんだろうか。
 今の待遇が身に余るだけで、別に嫌ってわけじゃない。しかし何と言うか、据わりが悪い。ちょっと人外だけど、元も今も只のヒトだからね。ちょっと人外だけど、さすがに神様ではないからね。

 うぅん、と頭を抱えていると、部屋の戸が叩かれた。少し力加減を間違えた、強めの音が部屋に響く。

「ててがみさま、あそびましょ!」
「いいよ〜」

 気の抜けた軽い返事をした途端、戸がガラリと勢いよく開けられて、わらわらと小さな子どもたちが流れ込んでくる。年の頃は五歳から十歳くらいまで。
 何が楽しいのか何でも楽しいのか、きゃらきゃら笑いながら俺のベッドに飛び乗った。我が家で一番跳ねると評判の俺のベッド。たまにこうして、小さい子どもたちのトランポリン代わりにされる。壊れたならその時はその時、また新しく作るから全く構わない。
 俺も乗ったベッドの上をぽんぽん跳ねながら、時折ダイナミックハグかましてくる子もいる。そんな子を難なく受け止めれば、楽し気な満面の笑みを俺に向けてくれた。可愛過ぎて抱き締めたのは仕方がない。

「わたしも!わたしもギュッてして!!」
「ぼくも!」
「わた、わたしもっ」

 はぁ、子ども可愛い。
 我も我もと寄ってきて、もみくちゃにされる。ここがこの世の天国か……。今の俺すごく変態臭いね?世が世なら事案かな?自重しよう。

 柏手を一つ打つと、ベッドの横に置いていた観葉植物がにょきりと育つ。そのまま枝と葉を伸ばしていき、俺の上に乗っていた子どもたちを捕まえて床の上へと戻していった。少し残念そうな声がちらほら聞こえる。
 こちらが俺の使える変な術。山で育って草食って生きて草使って生きて根菜のように地中で寝ていたからか、植物なら色々出来るようになっていた。蔵馬とかヴァイジャヤとか翡葉さんとかを思い浮かべると何となく分かるかもしれない。あとはシシ神さまかな。枯らしたこと無いけど、枯らす気になれば枯らせるし。
 この能力は結構便利だ。衣食住どれでも有能。そもそもこの能力なかったら孤児院とかやっていけてないからね。長期間食わなくても俺は平気だけど、子どもたちは野垂れ死ぬ未来しか見えないね。

 もっと一緒に遊びたいとごねる子どもたちに、懐から種を二つ取り出して見せる。それを窓の外に弾いて数秒、生えてきた双葉の下の地中から、俺によく似た木偶人形が掘り出てきた。頭の上の双葉がとってもシュール。

「俺はやることがあるので、みんなはあいつ等と遊んでね」

 微笑みながら言えば、みんなよい子なので元気にお返事して部屋を出て行った。急に静かになった部屋に、ホッと息を吐く。

 やることなんて特に無いけどね!寝るくらいなもんかな!!
 諸々放棄して昼寝した。


■■■
 寝てたらまた時代が変わった。年号がころころ変わりすぎて、俺の中の子安さんは息切れアンドぶっ倒れの休憩中である。
 俺も最近は世情に詳しい。情報源は巣立って世界各地に散っていったうちの子どもたちだ。
 手紙なんてまどろっこしいことをしなくても、意識して近くの植物に話しかけてくれれば自然と俺の耳に届く。一方通行なのは申しわけないが、代わりに彼ら彼女らの周囲の土壌を改善したり緑豊かにしているので許容してほしい。この感謝よ伝われ。

 聞かされる話の内容には個性が出る。
 ひたすら自分のことを話す子もいれば、自分のことよりも周りのことを教えてくれる子もいる。楽しいこと嬉しいことを囁く子もいれば、哀しいこと腹が立ったことを愚痴る子もいる。中には密偵まがいの情報を流す子もいて中々面白い。SNSかな?
 時には「照々神様のお力をお貸しください」なんて、大仰に神頼みされることもあった。普通に頼んでくれれば、子どものお願い事くらい俺のできる範囲内であれば叶えてあげるのに。

_ _
 満月の綺麗な夜。
 いつものように微睡んでいると、切羽詰まった我が子の声が鼓膜を叩き目が覚める。

『たすっ、助けて、てて様、助けて!』

 その声は泣いていた。泣きながら、何かから逃げているらしい。
 泣くのと、走るのとで息が切れて言葉は途切れ途切れだが、珍しく俺を“父”と呼んで助けを求めていた。
 意識を伸ばして場所を特定する。この山からは距離があり過ぎて、直接助けに行けそうにない。だからとそれが見放す理由になるはずもなく、伸ばした意識をそのまま集中させて、近くの樹木から疑似的に自分を作り出す。
 ちょっとグルー〇っぽくなったけど、俺の方が人間味が強いし服だって着ている。

「っ、てて様!」

 不出来な木偶人形でも、そこは流石うちの子だから秒で俺だと気付いて抱き着いてきた。
 なんて酷い顔色だろう。可愛い可愛い嫁入り前の娘だというのに、汗と涙と鼻水で顔面はぐちゃぐちゃだ。全力で走っていたからいつもは綺麗に梳いて結われている髪も乱れているし、途中で転んだのか膝には血が滲んでいる。
 怖かったのだろう。小さく嗚咽を漏らしながら震える身体を抱き締めて、安心できるようにその背を叩く。木偶人形だと声が出せないのが不便だな。

 落ち着いてきた我が子を背に庇い、空気の読めない変質者が振り下ろした刃物を腕で受け止める。刃物は包丁よりも細く長く、刀ほど長くもない。しかしどちらよりも随分と切れ味が良いようだ。木偶の腕が斬られ飛んで行った。
 後ろから息を飲む音がするが、それ以上の反応がある前に腕を元のように伸ばす。所詮は木偶だ、生身の俺じゃない。
 無駄だと分かっているのか分かっていないのか。変質者は執拗に俺の腕を斬り飛ばす。もしかしたらそういう趣味の方かも知れない。他の場所を斬り付けようとしても腕で防ぐせいでもある。

「なんだてめェは!なんで切っても血が出ねぇんだァ!!」

 頭が悪いのか目が悪いのか、未だに木偶人形だと気付かない変質者が叫ぶ。聞くに堪えない濁声だ。疑問を叫びながらも、俺を斬り付けるのを止めるつもりは無いらしい。
 いい加減飽きがきた。変質者の背後の木の枝を伸ばし、首と両手両腕、腰に巻き付け木に縛り付ける。尋常ではない力で抵抗されるが、俺の方が強いのでビクともしない。僅かに身じろぐ隙も無いくらいに磔て、繁々とその姿を観察する。
 今日が満月で助かった。昼ほどではないにしても、夜にしては明るく見やすい。

 その変質者は、刃物を持っていなかった。俺をひたすらに斬り付けていたのは長く伸びた鋭い爪だったらしい。
 額の辺りには歪な角のようなものが一本生えている。目は吊り上がり瞳孔は縦に割れ、裂けたような大口には鋭い牙が並んでいた。身体は、特に筋骨隆々というわけでもなく、痩せこけているわけでのない。どこにでもいそうな体格だ。
 ああ、これが鬼か。
 長いこと生きてきたが初めて見た。そうか、坊ちゃんは本当に鬼の首魁になったんだなぁ。

 場にそぐわないがしみじみしてしまう。
 だってあの坊ちゃんがさぁ……。俺の中の最後の坊ちゃんといえば病床に臥していた坊ちゃんだし。いや最後のは俺の飲ませた毒のせいだったなこれ以上は言わないでおこうな。
 でも、それとこれとは別なのだ。うちの子に手を出したのはいただけない。

 後ろで未だに震えている我が子の周囲を木々で覆い、視界を遮る。
 そうして、目の前の変質者改め鬼の首を刈る。ぽーん、と軽い様子で宙に飛んだ頭部を、更に何度も細かく刻む。声を出されるのはうちの子の情操教育に悪い。
 頭部にばかり気を取られていると、体の首の付け根の肉が盛り上がる。頭単体の再生ではなく、斬られた頸部から新しく頭部を生やすようだ。それを見守る道理もないので、頭部とも言えない瘤のような状態でスパリと斬った。斬り飛ばされた肉は数秒地面の上で蠢いて、ただの肉塊になる。落ちた細切れの頭部も再生せずに、血溜の中で肉の塊になっていた。
 身体はまだ元気に暴れている。縛り付けられた樹はビクともしないのに。
 鬼の生命力は凄い。頭は無いのにまだ生きている。腕を切っても足を切っても胴を切っても、新しく生やすか繋げるかしようとしている。間違いなく鬼は“強い生命力を持つ”生き物だ。あの本、嘘は書いていなかった。これじゃない感は否めないが。

 どれだけそれを続けていただろう。東の山の頂から、朝日が覗き始めた。
 俺たちがいる山道にもその陽の光が届き、俺と樹に磔られた鬼を照らす。瞬間、鬼がボロボロと灰のように崩れ始めた。
 そういえば、鬼の弱点は太陽の光だったか。そしてそれは坊ちゃんも同じで、その弱点を克服するために青い彼岸花を探しているはずだ。
 そう簡単に見付かるとは思えないし、見付けたとして、服毒してから長く経ち身体に馴染んでしまっただろう今では同じ効果を得られるかは甚だ疑問だが。

「てて様、もう大丈夫……?」

 ガサリと葉が音を立てて、隠していた子が小さく声を掛けてくる。忘れていた。いや、嘘々、忘れてないよ。
 無意識の内に木々で隠したまま山の中へ少し引き離していたらしく、朝日のまだ届かない少し奥まった所でちょこんと顔を出して主張している。俺がお試しに夢中になっている間に落ち着いたのか、顔面の惨状は多少マシになっていた。
 太陽に背を向けて木々の生い茂る中に数歩入り、もう大丈夫だと抱えようとして、

「その子どもに、何をするつもりだ?」

 知らない声と共に、視界が宙を舞った。
 くるりくるりと視界が回り、締まりのない青い顔で俺を見上げる我が子が目に入る。早朝の澄んだ青空が視界を占める。納刀する、長い黒髪の男の鋭い目と、視線が合う。構えられた刀の朝焼けを映す上身かみが美し──、

 ──視界が黒く染まり、瞬き一つして、いつもの自室の元の体に意識が戻った。徐に首を摩る。

「なるほど、首を斬られた」

 あぁ良かった、首がある。
 表面は取り繕っているけれど、内心はドキドキのバクバクだ。上がっていたテンションがダダ下がりである。
 あの男は鬼殺隊に違いない。時代のせいで黒い詰襟の隊服ではなく和服だったが、使っていた刀は間違いなく日輪刀だった。刀の違いなんて見て分かるほどの知識が無いから勘だけど。勘と言う名の本能。太陽は平気でも、あの刀に刺されたり斬られたりするのはちょっと遠慮したいな……。

 取り敢えず、これ以上うちの子が鬼に襲われないように、彼ら彼女らの周囲に藤の木を植えまくろうと思う。衣にも香りが移るくらい生やしていけば、例え植えた近くから離れて出歩いても多少は大丈夫だろうし。
 そうと決まればと、日本各地に意識を飛ばす為にもぐっすり眠れるベッドにダイブした。


■■■
 年号も変われば時代も変わる。ビッタンビッタン。
 だというのに俺の家の子どもの数が一向に減らないのは何なの?減るどころか一定数は必ずいるの何なの??この前人里に行ってみたら、孤児は村や寺の人がしっかり引き取って世話をしていたのに、何でうちにもこんな数の子どもいるの???少子化とは????あ、それは未来の話か。

 育児ノイローゼにはなりたくないので、最近は気晴らしに山以外も出歩いている。と言うのはただの口実で、引き籠るのに飽きたので出歩いている。そもそも子どもの世話は年長組が率先してやってくれるので、俺の出番なんて無いに等しいのだ。自分で言っておいてとても悲しくてしょっぱい気持ちになった。
 最初の頃こそ、坊ちゃんに見付かったらヤバいのでは?と気にして外出を控えていたが、この数百年何もないのだからもうきっと大丈夫に違いない。
 いや逃げるなよさっさと謝罪に行けよと俺の中の天使が囁いたが、秒で悪魔にふん縛られていた。俺は俺の身が可愛い。

 あっちにフラフラこっちにフラフラ。
 特に当てを決めたつもりは無いけれど、行く先々で藤の花がよく咲いていた。意識していなかったけれど、ついつい巣立った後のうちの子の様子を見に行ってしまう。中にはその当人ではなく何代か後の子孫の場合もあるが、血縁だと思うだけでたいへん可愛い。いっそ生きて呼吸をしているだけで偉い。もう全肯定げっ歯類に俺はなる。へけ!
 長く生き過ぎてとんだ親バカになってしまったが後悔はしていない。
 たまに涙がちょちょぎれながら、そこが店であれば必ず立ち寄るようにしている。飯屋であれば飯を食うし、小間物屋であれば細々とした土産物を買うし、反物屋なら良さげな物を見繕ってもらう。その都度姿を変えるのは忘れない。身バレはNGです。

「はいよ、お待ちどうさん!」
「ありがとうございます」

 夜泣き蕎麦屋台の横で、蕎麦がきと汁の入った器を受け取る。蕎麦がきは甘い小豆と食べたい派なのだけれど、この店には無いだけなのか世の中にまだ無いのか。
 それにしてもこれが麺状になるのは一体いつだろう。それもここで売ってないだけかな。
 鴨蕎麦食いたいなぁ、と考えながら蕎麦がきを食う。これはこれでとても美味い。

 腹も膨れたし夜も更けてきた。これからどうしようかと予定立てながら、勘定をお願いしようと小銭を手で遊ぶ。

「あ」

 軽く放り投げた小銭越し。人間の視力では到底見ることの出来ない距離を開け、通りの向こう側に見えた見覚えのある後ろ姿に思わず声が漏れた。慌てて口元を両手で覆う。遊んでいた小銭が道に落ちて、地面と擦れてチャリチャリ小さな音を立てた。
 ぎゃあッ!?やめて!アッチの興味を引きそうな音はやめて!!

「おっと。大丈夫かいお客さん?」
「え、ええ、大丈夫です。お勘定、こちらに置いておきますね。ご馳走様でした」
「おうよ!また来てくれや」
「是非また来ます」

 落とした小銭を急いで拾い、蕎麦屋の店主に渡してその場を足早に去る。
 相手にはバレないように気を付けて振り返り、視線を通りの向こうへ向けたがもうそこには誰もいなかった。
 安心感から深く溜息を吐く。

「……こっわ。いやいや、無理無理無理無理」

 誰だよもう大丈夫とか言ったの。駄目だよ、坊ちゃん側が気にしないとしても俺が駄目。冷や汗と動悸と鳥肌がヤバいもの。痛くないはずの頭がガツンガツンに痛い気がしてきた。大丈夫?血とか出てない??
 こりゃ駄目だ、とっとと帰って引き籠り生活を再開しよう。

 帰り道でまた子どもを拾った。傷だらけの血まみれで、泣きながら譫言のように両親を呼び続ける。ただ母に対して、やめてくれと懇願も含まれているのは気になった。
 チラリと脳裏に過った後ろ姿は、まさかと振り払えるようなものじゃない。
 ……この子の母親は、坊ちゃんによって鬼になってしまったんだろう。
 申し訳ない。そう思っても、その謝罪を口にして直接伝えることが出来ない。勇気がない、だけじゃなく、本心から謝れそうにないから出来ないのだ。

「坊ちゃんも現状に満足して、大人しく生きてくれればいいのになぁ」

 クソみたいな願望は簡単に口に出来るのに。


***
■岐 閑暮
21世紀の女が一桁世紀の男児に生まれ変わり医者ポジを頂く。
前世の記憶はほぼ無いに等しいが、生きる為の知識だけはいち早く掘り起こして強く生きた知恵のある野生児。
この頃は前世と今世の割合は2:8くらい。
坊ちゃんに頭アボンされて復活した後は4:6くらい。
その後は段々と21世紀脳の割合が増えて、人外化によるなんかよく分からない物の考え方も含められて、今世の割合はだいぶ薄くなる。無くなりはしない。2割か1割くらいは残ってる。
住んでいる山を麓に住む人間は“神の住む山”扱いしている。神様に気に入られた子どもだけが、山のどこかにある神域で神様と過ごせる。そこでは通常では身に着けられなかった知識などを与えられて大人になると世に出て大成する、とかなんとか。更には加護を持ち恩恵(豊穣とか)があるとかなんとか。
坊ちゃんに対して悪感情は無いけど、うちの子を傷付けた鬼に慈悲はない。
ハジメテの頸切の相手は継国家長男。

■坊ちゃん
もしかしなくても鬼舞辻無惨様。
閑暮は家族以上にいつでも側におり、優しく親身になってくれるので嫌いじゃなかった。貴様呼びは親しみを込めて。嫌いじゃなかった。生きていた中で一番話をしてくれて一番話を聞いてくれて一番物事を教えてくれた。嫌いじゃなかった。
医者と患者の関係よりも、年の離れた友人か兄弟のようだと思っている。
陰で「元服まで生きられない」「生きられても病弱では意味が無い」「見限るべき」と言われているのを聞いた後に、閑暮に処方された薬のせいで体調が悪化し、こいつも皆と同じ考えで殺そうとしていると勘違いしアボンした。
後々見付けた文献や閑暮の日記で勘違いに気付くが時既に遅し。
その場で閑暮が復活しないので普通に殺したと思っている。そいつ生きてますよ。

■孤児院の子どもたち
お父さんだけど神様。神様だけどお父さん。
父→てて→照々→照々神様。
もれなく皆さんファザコンです。

■頸切のお侍さん
継国長男さん。
この後、助けたはずの女の子から散々詰られる目に合う。
(父親を鬼にされたか、痛ましいことだ)勘違いが発動している。
数日後、閑暮にせっつかれた女の子から渋々謝られた。


***



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