02




 町中の店を構える通りから少し外れて、しかし人の通りはそれなりにある場所で薬箱と椅子を置いて腰を落ち着けた。薬箱の下の段から茶碗を取り出し、竹筒に入れていた水出しの茶を注いで飲む。はぁ、美味い。

「今日も美味そうに飲んでいるなあ、杜宇とう殿」
「美味そう、じゃなくて美味いんですよ。今日も一杯いかがですか」
「ありがたく貰おう」

 声を掛けてきたのは道着姿に無精ひげの男。
 それだけ聞くとなんとも威圧感のある男を想像してしまいそうだが、彼はいつもニコニコ笑っているのでそんなこともない。いや、いつも笑顔なのが逆に怖いと言う考え方もあるっちゃあるが。
 彼に薬箱を椅子代わりに示す。もう一つ茶碗を取り出し、茶を注いで差し出せば、ありがとうと笑顔のまま一気飲みした。清々しいほどの飲みっぷりだ。実はそのお茶、今の時代だと結構イイ値段するんですよ。
 ちなみに杜宇とは当然ながら偽名である。名乗る時に丁度よく鳴いたから。

「確かに美味い茶だ」
「そうでしょう、そうでしょう。うちの秘伝のお茶ですからね」

 茶碗を返されたので、受け取った後にもう一杯注ぎ、再び渡す。今度は一口、ちびりと飲むだけだった。ゆっくりと飲むらしい。

 今の時代は江戸だろうか。そもそもいつから江戸時代になっていたのだろうか。俺の中の子安さんはいい加減ストライキを起こしている。はいはいビッタン。適当な感じに跳ねる。
 全国横断うちの子巡りも一通り終わり、自室でゴロゴロしながら次のやることを考えた。
 ちなみに現状、孤児院に子どもはやっぱり一定数はいる。それでも最低年齢が上がって来たので、いつかは全員巣立っていなくなる日が来るのかもしれない。
 閑話休題。
 時折睡魔に負けながら考えて、鼻提灯が割れるのと同時にひらめいたのが薬の行商だ。俺も一応医者やら薬師だった頃があるし、薬は今も日頃から使うので作り方も使い方も問題ない。原材料は俺の変な術を使えばニョキニョキ生えて元手はゼロで済む。なんと俺のためにあるような職種だろう。ぼろ儲けの予感しかしない。
 思い立ったが吉日。すぐさま持ち歩きやすい、背負う形の薬箱を作成して出立だ。うちの子たちは慣れた様子で見送ってくれた。俺の放浪癖は円熟している。

 そうして今日に至るわけだが、商いと言うのはなんとも面倒臭いものだった。
 適当な場所で売り始めれば、そこは誰それのシマだと追い出される。名を聞かれたので答えれば、そんな店は聞いたことがない信用できないと追い出される。やっと買い手が付いたと思えば、高過ぎると文句を言われて面倒臭かったので言い値で渡し、後々適正価格よりむしろ安かったのを更に買い叩かれたと知って意気消沈する。
 俺の商い魂は死んだ。復活の呪文を唱えても意味がないくらいに死んだ。

 ということで俺はお茶を飲んでいる。
 別に薬を売らずとも俺の生活に支障はない。孤児院にも支障はない。金は気付けば湧くのである。不思議だなぁ。
 煙管の一つでもふかしたい気分で空を見上げる。太陽が天辺近くまで昇っていた

「もうこんな時間か。杜宇殿、すまないがいつもの茶を貰えるかな」
「はいはい、ちょっとお待ちくださいね」
「いつも悪いなぁ」
「俺も野菜いただいて助かってますから」

 返された空になった茶碗を受け取り、代わりに小さな茶筒をその手に乗せる。茶筒は木製で、雪の結晶の柄を彫った物だ。作・義父にその腕を認められた俺。使い終わったら小物入れにでもどうぞ。
 茶を数杯飲んで、持ち帰りの別の茶を受け取って帰るのが道着の男とのいつもの流れだ。時々お返しにと農作物ももらう。
 持ち帰る茶は、家にいる病弱な娘のための物だと言っていた。少し甘みのあるそれを好んで飲んでくれている。それに、飲んだその日からは心なし体調がよくなるそうだ。
 うん、まぁ、そうだろうね!そういうのを混入させている薬茶ですからね!!
 既に飲んでいる薬との相性も考えているので、その点も問題はない。バレないようにやる技術は、平安時代に厨に立った時に習得済である。もしも健康な道着の男が飲んでも害さないよう、選別するのも重要だ。
 ここに来た当初、町の輩に暴力的に絡まれたところをこの道着の男に助けられて、そのお礼としてこっそりとしている恩返し。聞けば、今住んでいる土地や道場も似たような経緯で貰ったものらしい。情けは人のためならずとはこのことだな。
 言ってもいいけど言わないのは、もう性分と言うしかない。その性分で坊ちゃんを大激怒させて頭かち割られたんですけどね。笑うしかないね。大丈夫、今回は最初から毒じゃないから俺の頭は一つのままだ。

「お、いたな杜宇。相変わらず閑そうだな、茶を貰いたいんだが」
「閑してる分、物は豊富ですよ。いつものでいいですか?」
「ああ、うちのがあんたから貰える茶を気に入っちまってな」
「そう言っていただけると嬉しいです」

 道着の男以外にも客はいる。そして大体が茶を飲むか茶を受け取って帰っていく。俺は薬屋のはずだが、一体いつから茶売りになったのか。
 そもそも金銭受け取ってないので売買にすらなってない。

 これは出歩くようになって数年経った頃に気が付いたのだが、孤児院の一定の範囲から出ると所々の山に繋がるらしい。
 ドアをくぐった覚えはないがどこでもドアのようだ。行きたい場所を思い浮かべればその近くの山にいつの間にか行けるのだから、移動に便利でたいへん助かる。深くは考えない。どうしてだとか、考えたところで阿呆な俺に分かるはずもない。便利だなぁで良いのだ。
 そもそも俺の住んでいる山自体、日本のどこにあったのか既に記憶も朧気で定かでない。多分埋められた場所からそんなに遠くはなかった筈。そのあたりの前後の記憶は曖昧なのでハッキリしない。

 今日も今日とて、行商の真似事をして街を歩く。
 基本的には毎日別の場所に赴いて、気に入った場所や人がいる場所には最低でも週一で通った。
 今の一番のお気に入りは、道着の男に会い娘の話を聞くことだ。
 俺も子が沢山いるから、可愛い可愛いと自慢したくなる気持ちはわかる。身体の弱い子どもに不安になる気持ちもよくわかる。数日前に妻を亡くし父娘二人きりだとも言うし、俺でよければいくらでも話を聞いてやりたい。そして内緒で薬茶を貢ぐのだ。

 久し振りに会った道着の男は、傷だらけだが綺麗な顔の少年を連れていた。

「事案かな?」
「まぁ待て」

 検非違使さん呼ぶ?
 ……話を聞けば、誰彼構わずステゴロするほど荒れていた少年を負かして子分にしたらしい。多分だいたい合っている。
 既に手当はしてあったが、まだ痛々しくて気になる箇所が多々あった。なので、少年を俺の隣の薬箱の上に座らせて改めて手当する。いくつか薬を取り出して、ボコボコにされた顔や着物の隙間から見えた足の怪我にも薬を塗っていく。腕も見ようと掴んだら軽く抵抗されたけれど、俺に力勝負で勝てるわけがない。我人外ぞ。前腕のあたりに三周分、墨が入っていた。これを見られたくなかったんだろう、やんちゃだな。
 ペタペタ塗ってぐるぐる巻きにして。その様子を少年は微妙な顔で見ていた。これでも昔は名うての医者だったのでどうか信用してほしい。
 わざわざ手当されに来てくれたのかと思ったらそうではなく、今後は道着の男の代わりにこの少年が茶筒を貰いに来る予定だと言う。
 娘さんの看病を今後は主に彼がするそうで、その流れでと言ったところか。
 今は門下生がいないらしいが道場を開いていて、それ以外に日銭を稼ぐために便利屋をしているので忙しいのだろう。無理に引き留めるのは、日々を生きる彼らに対してしてはいけないことだ。
 せめてもと「もし時間に閑ができたら寄ってくださいよ」と言えば、「杜宇殿の茶は美味いので必ずまた来るさ」と快活に笑って言われた。俺もそれに笑って応える。
 少年は大きな目でじっと俺を見ていた。

 よもや狂犬かと思える出会い話を聞いた割に、少年はたいへん大人しい性格だった。
 挨拶をすればきちんと挨拶を返してくれるし、椅子を勧めれば素直に座る。茶を差し出せば疑いつつも飲むし、口に合えば美味しいと感想もちゃんとくれる。
 大人しいどころか、たいへんいい子。頭を撫でてしまうのは仕方のないことだよな。いいこいいこ。
 だけど表情が中々変わらない。信用が足りないのか……。

 娘の話も少年から聞くようになった。
 俺が聞けば答えてくれる程度だけれど、今日は食事を残さず食べていただとか、昨日は庭を歩くくらい元気があっただとか、最近は陽が暖かいからあまり体調を崩さないだとか、ぽつぽつ話してくれる。
 飲んでいる薬が変わったら教えてもらうようにお願いした。詳しくは知らないようなので、薬屋帰りの彼を捕まえて言い包めて中身を見る。そしてそれに合った茶を渡した。今回の容れ物には少女に寄り添う犬が彫ってある。我ながら力作だ。
 少年は小さい声で「似てる」と呟き、茶を受け取って帰った。似ているとは何のことだろう。もしかしたら娘ちゃんと少年をイメージして彫ったのがバレたんだろうか。

 ある日、珍しく少年の方から口を開いた。

「杜宇先生はお医者なんですか?」
「逆になんだと思って会っていたんだい?」
「……茶葉売りかと」

 そうか君もか。悲しいけど笑うしかない。
 医者だよ……、今は薬の卸売りみたいなものをやっているけれど。と言えば、少年はそうですかとだけ言って帰って行った。訊いてはみたけど興味はなかったんだな?

 そんな遣り取りがあった翌日に少年が道着の男を連れて来て、俺を家に引っ張っていった。引っ張ってじゃないな、荷物のように担いで行った、の間違いだ。道着の男が俺を肩に担ぎ、少年は薬箱を肩に担ぐ。白昼堂々の誘拐であった。おれさらわれすぎじゃない?
 道中話を聞けば、俺が医者であることを少年から昨日聞き、今まで診てもらっていた医者が亡くなってしまったのでこれはいい機会だと、現状に至ったと言う。新しい医者を一から探すよりは、交流のある俺に任せたいとのことだった。
 それは良いが、お前も俺が医者だと知らなかったのか。風体がらしくない?それなら仕方ない。
 あれよあれよという間に藤の花の咲く大きな道場付きの家に到着し、そのまま可愛らしい女の子の前に置かれた。女の子もいきなりのことに目を白黒させていた。
 俺は大人しく自己紹介するしかなかった。

 前よりも頻繁にこの地域に通う。
 おかげで別の地域が疎かになったので、よく顔を見る人からは「久し振り」が挨拶になった。理由を話すと大概「え、あんたお医者だったの?」と頭の上からつま先まで視線を往復される。いいよいいよ、もう慣れた。

 こうして医者の仕事をしていると、昔のことを思い出す。主に坊ちゃんのことを。
 俺は他と変わらず通いの医者で、坊ちゃんの所には頻繁に伺っていた。頻繁と言うかほぼ毎日だった。なんなら、日が暮れて気温が下がったがために体調を崩してしまった坊ちゃんが心配で、泊まり込みで診ていたこともある。
 その際は坊ちゃんの横にずっと座って看病していたので、座りながら眠ることを覚えた。貴様は器用だなと褒められ、いや、褒めてたのかアレ。珍獣を見るような目つきだったぞ。

 体調を崩さなくても、坊ちゃんに頼まれて泊まったこともある。
 そんな時はよく、本で読んだ話や朧げな未来の物語を話していた。当時の本の内容なら坊ちゃんも知っていたので、間違えると途端に訂正の言葉が飛ぶ。細かい性格をしていた。ちょっと神経質気味でもあった。小魚をもっと食べさせるべきだったかもしれない。
 代わりに、未来の知識の中にある国内外の物語に関しては、どんなに荒唐無稽な話だろうと興味深そうに聞いてくれたものだ。はっきりとは覚えてないけど、たぶんマンガの内容も織り交ぜていた気がする。一繋ぎの財宝を求めて旅する浦島太郎とか。
 一番得意なのは怖い話だったが、小さい頃の坊ちゃんにはたいへん不評だった。
 ある程度育った坊ちゃんには、話している時の貴様の顔が面白いとニヤニヤしながら馬鹿にされたので、それ以降お話会が開かれたことはない。
 怖いのに強がって平気な振りをする坊ちゃんは大層可愛げがあったのになぁ!!

 久し振りにお話会しよう!と意気揚々道着の男の家に伺ったが、肝心の娘ちゃんが健やかに寝息を立てていたので即時解散となった。
 代わりにこの辺りの地域でよく聞く子守歌を鼻歌で小さく歌っていたら、音が外れていますよと家事をしていた少年に真顔で注意されて心が砕けた。うちの子たちにも言われるけど、どこが外れているか自覚がないので矯正できない。個性だと思って許容してほしい。
 開き直って歌い続けていたら、睡眠学習により、音痴な子守歌が娘ちゃんにうつった。
 自分で気付いたらしく真っ赤になる娘ちゃんが微笑ましくてうっかり笑ってしまい、道着の男に怖い笑顔でド突かれ、一部始終を見ていた少年に頂いたのは呆れの視線。呆れてないで助けてっ、この人のド突き結構強くて辛い。

 そうして、約二年。
 娘ちゃんはもう床に臥せることもなくなり、少年と二人で家事に勤しむくらいには元気に過ごせるようになった。今も二人仲良く洗濯物を干している。
 頻度の減っていた往診も、もう必要はないだろう。出されたお茶を飲みながら、外から聞こえる二人の話し声と小さな笑い声に頬が緩んだ。対面に座る道着の男も、ニコニコと幸せそうである。いやいつも笑っているけど、今日は殊更幸せそうだなっていうね。

「実はなあ、娘の嫁ぎ先が決まったんだ」
「……とつぎ、え、結婚……?おぉ、おめでとう!まぁ、あんな器量の良い子は引く手数多で当たり前なわけですが」
「杜宇殿もすっかり親馬鹿だなあ」

 うちの子がみんな可愛いのだから仕方がない。
 そして親と言うより年齢的には爺超え。
 ウンウン頷いて、突然だが当然の吉報を噛み締める。
 彼女は可愛らしいのは勿論のこと、気立ての優しく、明るい良い子だ。家事に関しては病の所為で多少の遅れはあるものの、そんなものはこれからいくらでも教わり身に付けていけば良いこと。世間や時代がどうかは知らないが、俺としては何のマイナス点にもならない。むしろ可愛いが倍増する。
 多分俺が知らないだけで、既に何人かから求婚されていたんじゃないだろうか?しかし娘ちゃんのセコムはバリ強いので、それすらくぐり抜け射止めた相手はそれはもう期待して良い人物に違いない。

「それで、お相手は?」
「あいつだ」
「どいつ?」
「だから……」

 理解しない俺に、道着の男は外に向かって指を差す。差された方に顔を向ければ、丁度良く娘ちゃんと少年が目の前の庭を横切った。
 指を差されていることと俺に見られていることで、二人はキョトリとした顔でこちらを見て立ち止まる。俺が首を傾げれば、向こうも同じように首を傾げた。可愛いかよ。
 なるほどね。娘ちゃんの嫁ぎ先が決まって、お相手は指差した先にいるこの少年。これは嫁入りではなく婿取りだな。

「結婚おめでとう、二人とも」

 それはともかく祝いの言葉を送れば、途端に二人揃って真っ赤になった。満場一致で可愛いな!見てください!!うちの子がこんなに可愛い!!!似合いの夫婦になること間違いないのではッ!?。
 暖かい日差しの下で幸せそうに笑い合う二人が、我がことのように嬉しくて、眩しくて、少しだけ泣きたくなった。年を取ると涙脆くなってやーね。
 今晩は赤飯炊こう。うちの子たちにも祝ってもらうのだ。

 祝いの意味も込めて、今日は豆乳プリンを自作して持参してきた。こちらのプリン、なんと材料の豆乳と砂糖も手作りである。意外と作る気になればいける。そしてその作り方を覚えているっていうか知っている“私”は一体何がしたかったんだ?生きていく力が強い。
 まぁ取り敢えず、娘ちゃんも少年も、ついでに道着の男も甘味は嫌いではないことは今までの付き合いで知っているので、きっとプリンを喜んでくれるだろう。なんと言っても俺の料理の腕は云百年ものである。
 足取り軽く向かった道場には誰もいなかった。訪問するには少し時間が早かったかもしれない。最近は時間の感覚もおかしいからなぁ。
 勝手知ったる他人の家。声を掛けながら道場から家屋へと移動するが、返答はない。いつもなら遠くても声が聞こえた時点で誰かが答えてくれるのに、珍しいこともあるものだ。もしや全員出掛けているのだろうか。

「おはようございまーす……?」

 反応は返ってこないが、ここにいるだろう、と人の気配を確認して居間に顔を出す。
 そうして、血を吐いて倒れる男と娘の姿に息を飲み、血の気が引いた。
 弾かれるように駆け寄り、まずは二人の脈と呼吸、意識の有無を確認する。脈と呼吸は弱いが確認できた。意識は男の方は辛うじてあるが、娘の方は意識がない。
 これはどういう状況で、これからどうするべきなのか。
 周囲を見回せば、二人が口にしていただろう食事が椀ごと床に転がっている。その内の零れた茶を一舐めすれば、致死性の毒が含まれていることが分かった。伊達に自分の身体で試薬実験はしていない。
 誰がこんなことをしたのか。そんなことを考えそうになる頭を切り替えて、今は目の前の二人を助けることにのみ尽力する。
 男の方はまだ体力があるが、娘の方は女である上に最近は快活となったものの元来身体が弱い。一刻も早く治療しなければ命はないだろう。それは男の方にも言えることだけれど。
 毒の含まれた食事をどれだけ食べ、どれだけ経っていたのだろう。摂取してから吐血するまで、そして俺が彼らを見付けるまでどのくらいの時間があいていたのだろう。零れていた食事はまだ少し温かかったから、そこまで俺が来るのは遅くなかったと思いたい。
 青い顔の二人が、並んで床に横たわっている。
 取り敢えず毒の種類が吐き出させた時に喉などを焼いてしまうものではなかったので、催吐薬を使って胃の物は概ね吐き出させた。できれば胃洗浄の道具が欲しい。未来のあの、多分漏斗とゴムチューブでもいいはず。
 俺は古の医者であって未来の医者ではないのだ。
 道着の男の方なら無理矢理にでも食塩水や炭を食わせて吐かせてもいいが、娘にそんな酷なことはしたくない。……飲ませるのなら牛の乳だったか?眼鏡の少年がチラついたが気のせいだろう。
 あとは何をすればいいのか。病気に対して薬を処方したことは何度もあるが、毒を飲んだ人間の対処なんてこの長い年月でしたことがない。いや、毒キノコを食った馬鹿を即行で吐かせたことはあった。
 でもこんな、血を吐くなんて……。

 視界がブレる。身体がぐらりと揺れて、倒れそうになるのをなんとか耐える。
 何かの映像が見えた。ザリザリと不鮮明なそれは、“前”か“後”か。視界を塞ごうと目の前に持ってきた掌に、別の映像が重なる。俺の手のひらに、少なくない血が付着していた。
 ああ、これは“俺”の記憶だ。
 そうだった。俺も馬鹿な餓鬼の一人で、いつもの試薬のつもりで軽率に毒を飲んだことがあった。毒を毒と知って飲んだ分、俺の方が馬鹿だったが。
 あの時は義父が、今の俺のように慌てふためいて処置をしてくれた。口に手を突っ込まれて吐かされて、後ろから抱えられたかと思ったら胃の下あたりを思い切り押されて吐かされて。水やら炭やら粥やら飲まされ食わされ、その都度吐かされて。もう吐くものはないとなったら、水を飲まされて暑い部屋で大量に汗やら尿やらで毒素の排出を促された。
 意識がハッキリとしたら数日経っていて、目が覚めて最初に見たのが義父の涙鼻水まみれの顔で衝撃的だったのを思い出す。
 これは坊ちゃんに会うずっと前の、まだまだ若い頃の出来事だった。

 懐かしいと昔に浸りそうになる自身の両頬を思い切り叩いて、渇を入れる。
 父親にできていたのだから、俺にできないはずがない。俺はできた医者なのだ。伊達に平安時代から生きている男じゃない。
 胃の中はすでに空にさせた。あとは二人の状態を診ながら薬を調合して、発汗させるために火鉢で部屋を暖め、脱水症状が出ないように水を飲ませる。しかし毒が含まれている可能性を考えて、この家の井戸の水も甕の水も使えないのはどうしたものか。俺の持っている薬茶で代用しきれるとは思えない。
 その他にも細々と、朦朧とする記憶の中の義父を思い出しつつその場その場で考えて対応する。
 一人でするにもキツさはあったが、だからと言って人を呼びにこの場を離れる余裕はない。目を離した間に、なんて考えたくもなかった。

 どれだけ時間が経っただろう。
 いつの間にか、横たわる二人とその横で看病のために正座する俺の周りに、人の気配が増えていた。部屋に置かれた火鉢の数も増えている。この家の井戸でも甕からでもない水も用意されている。
 娘の隣にはいつも通り少年が座っていて、いつかのように甲斐甲斐しく看病をしているようだ。

「―――っ、……?」
「!、杜宇先生、意識が戻りました!!」

 かすれた小さな声の後、少年が喜色に満ちた顔とそれに合った声を上げて俺の名を呼ぶ。直ぐ近くにいた俺も勿論その声は聞こえていて、娘の顔色はまだ悪いが、開いた瞳は揺れながらも俺を認識しているようだった。

「おはよう、よく頑張ったね。あともう少しだけ、一緒に頑張ろうね」

 額に浮く汗を拭いながら笑い掛ければ、辛いだろうにふうわりと微笑みを返される。この数年で、随分と心も強くなったようだ。気丈な様子で、そのまま、また眠りに就いた。
 男の方は大分前に一言二言話せるほどには意識が戻っているし、危ぶんでいた娘の方もこれで一安心だろう。
 詰めていた息が無意識に吐き出される。強張っていた肩からも力が抜けた。
 そんな俺の様子に、周囲を忙しく動いていた人たちも一山越えたのだと安堵の息を吐く。少年から話を聞くと、ご近所さんがこの家の様子がおかしいことを知って数人が訪れ、二人と俺の状況から察して立ち回ってくれていたそうだ。俺も無意識に指示を出していたらしい。少年が帰って来たのはその最中で、手伝おうとしたが娘の隣にいてやれと抑えられたと困った顔で言う。
 そういえば居なかったな少年。今まで気が付かなかったとか、それ程テンパっていたんだなと今更自覚した。
 この後は様子を見ながら、水分の補給と、必要であれば薬を処方するだけだ。できれば次に目が覚めた時には少しでいいから何かを胃に入れてほしい。
 開けたままだった薬箱の中身を検める。いつもの整頓した状態が嘘のように、まるで荒らされたかのような状態だった。まぁ荒らした犯人は俺だ。自分の精神の未熟さを思い知る。脳内の義父が酒を片手に馬鹿にしたように笑っている気がした。何も反論できない……。
 心内で泣きながら薬箱を整理する。分っていたことだが、やはり量や種類が心許なかった。一度山に戻って補充するなりした方が良さそうだ。

「すみませんが、俺は足りなくなった薬を補充しに一度戻りたいと思います。その間、二人の看病をどなたかにお願いしたいのですが、」
「それなら俺が代わりに薬を貰いに行きます、俺の方が杜宇先生より足は速い!」

 薬箱を背負い立ち上がろうとした俺を、少年が横から羽織の袖を掴んで止める。思わぬ制止に転びそうになったが、寸での所で片膝を付くだけで留まった。

「え、いや、でも……」
「お願いします!俺も何かをしてやりたいんです!!」

 必死な様子で頼まれる。袖をぎゅっと握る強さからも、その心情はよくわかった。
 しかしだ。俺がする薬の補充とは、山に戻るか人目の付かない所で生やして採取して加工するつもりのものだった。どちらも、俺自身が行わなければどうにもできないのだ。
 だからと言って、目の前の少年の申し出を無下にするのも申し訳ない。
 周囲に助けを求め視線を投げたが、返ってきたのは苦笑いだった。どうやら、近所の人たちが駆け回る中で自身は側にいることしかできなかったのが相当悔しいらしい、と全員が察してしまえたようである。
 どうするか頭を悩ませて、そう言えば近くもなく遠くもない地点でうちの子が薬問屋をしていたことを思い出す。そこならば、必要な材料を一通り用立ててもらえるかもしれない。

「それなら、今から地図を書くから××と言う店を訪ねてもらえるかな。俺の名前、では駄目だから“てて”に頼まれてきたと言ってくれれば理解してくれる」

 薬包紙に簡単な地図を書いて少年に渡す。何となくでも道順が分かったらしく頷いた。俺の絵心でも地図くらいは通じたらしい。そうして道着の男と娘の顔を見詰め、いってきますと一言残して部屋を出た後に走り出した。
 確かに、あの速さなら俺よりもずっと早く戻って来られるだろう。俺だと速度の加減に気を取られかねない。

 数刻過ぎても帰ってこない。
 二人は少し掠れたような呼吸をするものの、顔色は随分とよくなっている。特に急いで薬を処方しなければいけないという事態にはなっていないが、それはそれとして流石に心配だ。
 迷子にでもなったのだろうか。そもそも薬を用意してもらえなくて途方に暮れている可能性もある。事前に連絡もなく、俺の名前を出せばどうにかしてもらえると思ったのは甘かったか。
 あと少ししたら。太陽が傾き始めたら探しに行こう。夜になる前には見付けなくてはいけない。

 少年の代わりに近所の青年が薬を持ってきてくれたのは、空の色がそろそろ変わるかと言った頃だった。
 言付けも何もない。ただ、代わりに薬を持って行ってくれと頼まれただけのようだ。
 当の少年はどこに行ってしまったのだろう。別れる際の様子を教えてもらったが、怖い顔をして目も合わせずどこかを注視し、そのままどこかに行ってしまったらしい。
 どこを見ていたのだろう。誰かを見ていたのか?誰を追って、どこへ行った?
 娘が魘されている。毒の残滓か、熱が高い。魘されながら、目尻からじわりと涙を零し少年の名前を呼んでいる。探しに行こうとしたが、周りから止められた。どうか二人を看ていてくれと。
 俺たちが代わりに探しに行くと言われたが、夜に只の人間が出歩くのは勧められない。
 しかたがない。明日の朝になったら、探しに行こう。そう言って、その場を収めた。

 有明月が浮かぶ頃、二人の体調を再度確認し、今後必要になりそうな薬とその用途を添え書きして側に置く。
 ふらりと外に出れば、尚香ってくる鉄錆の匂い。それを辿り隣の剣術道場を覗けば、久しく見ることのなかった惨状に僅かに顔を顰めてしまう。門下生だろう青年たちが、血反吐を吐いて呻いている。酷い怪我だ。だが、辛うじて全員生きている。
 長い過去の間に、何度か戦場の後を見たことがあった。刀傷を負い、矢に射られ、血溜の中に沈む死体の山がそこら中にあったのを思い出す。
 果たして、目の前の惨状とどちらが惨いだろう。
 道場の中に足を踏み入れれば、足音代わりにぴちゃりと血が水音を立てる。門下生たちの小さな呻き声と自分の足音を聞きながら、ぐるりと道場の中を見て回った。
 顔を殴られ原型が分からないほどだが、頭の潰れた者はいない。
 腕も脚も正しい方向を向かず拉げているが、四肢を捥がれた者はいない。
 見えた腹は赤黒く変色し肋が折れているようだが、腹部を貫かれた者もいない。
 “知らない”事柄だ。しかし、この状況を作り出した人物が誰かは変わらないだろう。
 そうして、今回の原因が此奴等だということも“思い出した”。
 こいつらが井戸に毒を入れ、その所為で二人が苦しんだ。俺がいたから、俺が間に合ったからこそ大事には至らなかったが、少しでも含んだ量が多ければ、俺が見付けるのが遅ければ間違いなく死んでいた。知っていた通りに、死んでいた。
 沸々とした怒りが鳩尾の辺りを巡る。反して、強く握る拳はやけに冷たかった。
 もっと早く思い出せていたら良かった。もっと、もっと早く。
 それこそ、彼の父親が首を括って死ぬ前に。
 片足で軽く地面を踏む。
 少しの時間小さく地鳴りが響いて、道場の床を突き破って太い木の根が蠢き、幹が伸びて枝が天井を壊す。木の根は大量の喚くものを巻き込んで、地中深くに根を張っていく。伸びた枝には緑色の葉が茂り、次第に赤く色付いて、その内に舞い散り始めた。
 足元の血溜りが、紅葉に覆われる。
 空を見上げれば星空を背景に、風に吹かれた紅葉がさざめくように揺れた。

「ッ、ひぇ……!?」

 流石に遠慮なく大木を生やせば人も寄ってきてしまうらしい。静かな空間に間抜けな声がよく届く。
 振り返れば、見覚えのない男が青い顔で尻餅をついていた。薬屋として関わった覚えもなく、道着の男の所で医者をしている間にも見たことのない男だ。この剣術道場の傍輩だろうか。

「ちがっ、違います!俺はこの道場の奴らとは関係ありません!!仲間なんかじゃありません!ただ通り掛かって、あの、な、何も見ていませんから……っ」

 ジッと様子を見ていれば蹲って、両手だけは拝むように頭上に掲げ、くぐもった声で弁明する。訊いてもいないのにペラペラとよく喋る男だ。
 恐怖におののき、助けてくださいと何度も何度も繰り返す様子にはたと考える。
 どうやら目の前の男は、俺が剣術道場の連中を殺して樹の養分にしたと思っているらしい。まぁ間違ってはいないが。
 このまま俺がすべて行ったことにすれば、少年が罪に問われることはないだろう。そもそもはここの連中があちらの道場欲しさに、実力で敵わないからと毒殺を謀ったことが原因なのだ。たとえ俺が地の中に引き摺り込まなかったとして、その報復に殺されず済んでいたことは感謝こそされど、罪だと責められるのもおかしなことだと思う。
 悪い夢だったと思えばいい。
 悪党共は全て土の中。根に掴まれて引き摺り込まれ、掘り起こすこともかなわない。血汐も余さず樹の肥やしとして吸われた。床に散らばるのは色が同じなだけのただの葉だ。
 少年さえ夢だったのだと忘れてくれれば、今夜の惨事はなかったも同然になる。

 そうだ、そうしてしまおう。
 浮かんだ名案に笑みが零れた。

_ _ _
 いらっしゃい!おや、お客さん見ない顔だね。旅の人かい?うちはみたらし団子が人気だよ!
 ははは、毎度あり。前まではお茶も良かったんだがね、仕入れ先が変わったもんだから味が落ちちまった。大丈夫大丈夫、不味くはねぇさ、普通普通。
 あん?ここらの話が聞きてぇって?お客さん、さては暇だな?おっと失礼、俺も暇なもんでな!ハッハッハ!!
 まぁお客さんに興味持ってもらえるような話ってなると“一夜もみじ”が一番だな。昔話みたいなもんさ。
 ここからもちょろっと見えるんだが……、あぁ、あれだあれだ。お客さんにも見えるだろう、あの真っ赤なもみじの木のことさ。名前の通り、一晩で生えたもみじなんだがね。あれがいわく付きなんだ。

 あの近くの道場に、武術家の父親と体の弱い娘が住んでいた。
 父娘はそりゃあもう気立てのいい二人でな、住んでた家も道場も、たまたま人助けしてお礼に譲られたってんだから、これこそ人を思うは身を思うってやつだ。
 そんな父娘が、ある日井戸に毒を盛られて死にかけた。
 下手人っつーと少し違うが、犯人は隣で剣術道場を開いていた連中さ。
 元々は父娘が住んでいる土地を、前々から狙っていたのに横から掻っ攫われた!なんてやっかみで、嫌がらせをよくしていたよ。それに加えて剣術道場の息子が娘に惚れた腫れたのなんなんだか……。それまでの行い見てたら、結果なんざ火を見るよりも明らかだ。当事者じゃなくても分かるさ。
 そこんところに別の男と娘の結婚が決まって、自棄になったんだろうなぁ。
 あぁ、別に同情してやるつもりはねぇからな?俺にも娘が一人いるからよ、俺だってそんな男に大事な娘くれてやらんわ。性根叩き直して出直して来いってんだ。
 ……ごほんっ。ここからは夢物語みてぇなもんさ。
 毒の所ためで死にそうな父娘の前に、神様が現れた。なんでも昔、父親に助けられてその恩返しをしたいんだと。
 父娘は見たこともねぇ薬を神様から受け取ると、疑いもなくごくりと飲み込んだ。するとどうだ。今まであんなに苦しかったのが嘘のように、たちまち元気になっちまった。父親はお礼を言おうと顔を上げたが、そこにはもう誰もいやしねぇ。
 代わりに、家を囲うように藤の花が狂い咲いていたそうだ。
 そんでその夜、隣の剣術道場の人間は神様の怒りに触れちまったもんだから大惨事よ。慈悲か何か知らんが、生き残った男が一人だけいてな、そいつが言うに道場の奴らはそりゃあもう惨く殺されて、天に上がることも許さんと、大木生やして木の根で地獄に縫い付けられた。
 その大木ってのが、あそこに見えるもみじってわけだ。

 善因善果、悪因悪果、自因自果ってな。この前この話聞いた坊さんが言ってたぜ。

 あ?娘さんの結婚はどうなったのかって?お客さんも目の付け所が良いね。
 つっても、そこは色々言われててな。その中でも一番有名なのは、実はその結婚を約束した男の正体が例の神様で、夫婦んなって親子んなって一生恩返ししようと思ってた矢先、この事件で正体がバレたから消えちまったんだと。
 娘は男を一途に想って、別の男に嫁ぐでもなく亡くなったそうだ。まぁ大往生だったって話だな。

 ……どうした?急に頭ァ抱えて。
 ああ、道場ならまだあるぜ。それどころか、ここら一帯の息子は必ず通わされるくらいだ。
 門下生も増えに増えて、その中でも一番教えにそぐう男が代々跡を継いできたんだ。選ばれれば、そりゃあ名誉なことさな。
 その中でも何故だか一代あけてあってな、はて、今ので何代目だったかな?まぁ、とにかくどいつも気立てのいい奴だよ。
 実はうちの娘もそこの有望株の男を狙っててな、―――
 ……―――おっとすまねぇ、ついつい話し込んじまった。
 長話に付き合ってもらった礼だ、今日のお代は結構だ。なんなら、宣伝しといてくれよ。これ以上閑古鳥が鳴かないようにな!ハッハッハ!!

 なんか俺の知らない所で知らない話が伝わっているらしい。
 ……と言うか。
 え、ちょっと待って?少年戻って来てなかったの?俺が姿現すと面倒臭そうだから、ほとぼりが冷めた頃に様子見に来ようと思って、いつの間にかの今なんだけど。てっきり二人の子どもか孫が見られると楽しみにしていたのに、まさかのこの結果とか。
 え、なんで……?
 えぇぇぇ、じゃあ少年はどこに行ったんだよぉ。

■■■
 最近はめっきり外出しなくなってしまった。
 部屋の隅では使われなくなった薬箱が埃を被り、蜘蛛が巣を張っている。朝の蜘蛛は殺してはいけないので、夜になったら追い払おう。虫は得意じゃないが蜘蛛は嫌いじゃない。
 我が家の中ですらろくに出歩かず、ゴロゴロとベッドの上を転がる毎日だ。立派な引き籠りである。前みたいに部屋に突撃してくれるくらい幼い子もいないから尚更。
 植物じゃなくてキノコを生やしてしまいそう。でも菌類は遠慮したい。字面が嫌だ。
 部屋の外からは子ども達の心配そうな気配を感じる。情けない。情けないので更に部屋から出たくなくなる。部屋から出ないで顔を見せないから、子ども達の心配ももっと募る。悪循環だ。いい大人の俺がどうにかしなくては。原因が俺だった。

 ついには部屋の外から軽やかな音楽が聞こえるようになった。団欒の声も聞こえる。
 俺の部屋はいつから天岩戸扱いになったんだろう。
 ここは俺がノるべきか。
 悩みに悩んで、一旦小休止を挟み、それでも鳴り止む気配のない音楽に腹を決める。それにしても音楽の才能まであるとか、うちの子優秀過ぎでは?
 ソロリと戸を開ける。一番手前の子と目が合う。へらりと笑い掛ければ固まって、手に持っていた楽器を落とした。そこから連動するように他の子ども達も固まり、あれだけ鳴り続けていた音楽がビタリと止む。
 一瞬の無音の後、俺は子犬に群がられる飼い主の気持ちを味わった。
 泣いて縋る子ども達を順々に宥める。
 だって俺の腕は二本しかない。縋れる場所も限られる。
 正座した状態で、蹲って膝に縋る子が二人。両腕にそれぞれ一人ずつ。背中に左右で二人。頑張っても一度に六人しか慰められない。オイコラ膝にいる子はそのまま寝るんじゃありません。
 歳の下の子から順にヨシヨシした。上の子になると縋りはしないが、隣に正座して涙目で鼻を啜りながら無言で頭を差し出してくる。滅茶苦茶ヨシヨシした。何ならギュっとした。嬉しそうに笑われて、俺の心はキュっとした。すまなんだ。
 いやほんと申し訳ない。まさか俺が引き籠るだけでこんなことになるとは思ってなかったんだ。
 みんな落ち着いついたかな、とぐるりと見回す。全員もれなく酷い顔だなぁと感想を抱く中に、一人だけ平常のにっこり顔がいた。
 ……知らない子ですね?
 さすがの俺だって、うちの子の顔くらいは把握している。そもそもこの子ども白橡色の髪に、七色に見える瞳、そしてごてごてとした服装と言う特徴ありありの姿なのだ。これで記憶に残ってなかった場合、俺はもう何を覚えながら生きているのか分からない。草の種類だな、平安の頃から知ってた。

「ぐす。照々神様、この子はどうやら迷子のようでして。珍しいことに自分でこの場所に辿り着いたようなのです」
「自分で?それは珍しいというか、初めてのことだね」
「俺も山の中にこんな場所があるなんて初めて知ったよ。面白い場所だなぁ」

 ぐずぐず鼻声の年長の子に促されて前に出てきた白橡色の子は、笑った顔で小首を傾げて挨拶する。愛らしい動作だが、分かってやっているようなあざとさがある。それでも愛らしいことに変わりはない。

「ここは少し特殊な場所なんだよ。帰る場所は分かるかな?」
「場所?帰り道じゃないのかい?」
「……特殊なんだよ」
「へぇ、そうなんだね!」

 うまい説明も思い浮かばずにっこり笑って誤魔化せば、にっこり笑って誤魔化された振りをしてくれる。中々にいい環境でお過ごしのお子様のようだ。
 改めて同じ質問をすれば「わかるよ」とハッキリ返答を貰えた。それなら話は早いと、その先の話をしようとすれば「でも俺はもっとここを見てみたいなぁ」と先手を打たれる。無邪気に見える笑顔に、後光がぺかーっと見えそうだった。
 ここを見たいと言われても、しかしそんなに面白い場所ではないと思う。今日は偶々俺が長いこと天岩戸に籠ったもんだから、こんな全員総出の演奏会が開かれはしたが。
 取り敢えず白橡色の子を片腕で抱え上げる。
 身長から考えると、八歳くらいだろうか。初めて坊ちゃんに会ったのもこのくらいだったなぁ。流石に抱え上げる機会なんてそうなかったから、重みなんて覚えていない。
 案外収まりの良かった白橡色の子の様子を伺えば、特に嫌悪感もなく、目新しい高さに七色の瞳をキラキラさせながら周囲に視線を向けている。両親や、親しい大人に抱えられたことがあまりなかったんだろうか。俺は記憶にある限り一度もない。
 荷物みたいに担がれたことなら、子どもの頃も大人になってからも何度もある。

「それじゃあまぁ、岐家一周ツアー始まりまぁす」
「つあぁ?なんだい、それ」
「気分」
「気分かぁ」

 左腕に子どもを乗せ、空いた右手には即席三角フラッグを持ってクルクル振る。俺は今からガイドさんです。ごめんな美人のガイドさんじゃなくて。
 ツアーと言ってもそんなに大層な場所じゃない。
 ここは表に大きめの門を構えていて、入れば最初に迎えるのは居住区と言える三階+天辺に俺の部屋がある大きめな旅館風の建物。
 大体は、みんな大好きジ〇リの名前が長いからって奪っちゃうお婆ちゃんが経営している温泉屋のモデルになったらしい旅館の見た目、を思い浮かべてくれればいい。内装も似た感じだ。
 二階の渡り廊下から繋がって、裏の竹林の向こう側には木造の校舎のようなものが口の形で建っている。
 子どもがこんなに沢山いるなら必要だろうと思って造った。教室は勿論、保健室や図書室や理科室や実験室や図工室、美術室に書道室に華道室に茶道室まで。えとせとらえとせとら。
 そもそも学校がどんなものか、遠い記憶過ぎた。まぁ、あの、なんか色々あったなって。思いつく端から足していったらこうなった。我ながら調子に乗りに乗ったけど楽しかったので後悔はない。でも反省はしている。
 更にその向こう側は校庭だ。
 とにかく広い。手前側には公園にもあるような遊具を多少置いてはいるけれど、あとはただの広い芝生だ。野球もサッカーもできる。
 そんななんてことある我が家を、白橡色君片手にフラフラ練り歩いた。
 時々目を引いた物に対して、アレは何だいコレは何だいとはしゃぐ姿は年相応で可愛らしい。しかしその質問に答えるのは俺ではなく、隣について回ってくれる年長の子だ。俺よりもここのことを知り尽くしている節がある。なんて頼りになるうちの子だろう。
 今の俺はさながら猫を運ぶルンバだ。

 一通り巡り終わった後は校舎の中から、校庭の遊具で遊ぶ白橡色君とうちの子たちを眺める。
 子どもって打ち解け合うの早くない?俺もあの年くらいの頃は……、大人と命懸けの鬼ごっこして山に籠って野生的で文化的な生活していたから、同年代の子と遊んだ記憶はないな。強いて言えば山の動物達だけど、一歩間違えるとお互いがお互いの今晩のごはんになる世界だもの……。
 はぁ懐かしい。
 昔食べた兎肉の味を思い出す俺の視線の先で、いつの間にかブランコ飛び大会が開催されている。あれも懐かしい。ここを作った当初から知らぬ間に流行っている遊びだ。
 うちの子の身体能力はちょっとばかりおかしいようで。え?そんなに飛ぶ?羽根生えてない?と二度見するくらい軽やかに飛んで、軽やかに着地する。忍者か。特に立ち漕ぎから飛ぶ子なんてそのままムーンサルト数回できそう。
 そんな子どもたちと、白橡色君は遊んでいる。
 身体能力規格外と、おそらく規格内の子どもが一緒に遊んでいる。
 きっとあんな風に遊んだことがあまりなかったのだろう、加減の良く分かっていない白橡色君は前の子に倣って思い切り漕ぎ、思い切り飛んだ。着地を考えない体勢で、放り出された。
 頭からザッと血の気が引いたのが分かる。馬鹿じゃないのと思った。口に出すほど暇はない。
 校舎の窓枠に足を掛け、思い切り踏み込んで走り出す。今まで生きてきた中で一番の速さが出た。踏まれた窓枠はバキバキに歪んだ。俺は風になった。
 そんなこと言ってる場合じゃなく、放物線の頂点を越えて落ち始めた白橡色君に手を伸ばす。どうにか空中で抱え込み、衝撃を与えないように気を付けて着地した。俺は俺に十点満点をあげたい。

「すごいなぁ!!」
「馬鹿じゃないの……?!」

 数回の深呼吸の後、漸く言葉に出せた俺の精一杯の罵倒は白橡色君の笑い声に掻き消された。
 馬鹿じゃないの???いや馬鹿だな???ふざけんなよ子どもは簡単に死ぬからね???
 腕の中の子どもは尚も楽しい楽しいと笑い続けている。最悪なことに、もう一回とアンコールまでされた。本気でふざけないでいただけます?????俺としては笑いごとじゃないですからね?????
 それにつられて、うちの子まで我も我もと寄ってくるのだから始末に困る。そんなに空中キャッチされたいん?

「俺の寿命が縮むから止めて……」

 タイミングがズレたら大怪我じゃ済まないから。ほんと。

 子どもは身勝手なもので、一頻り遊んでご飯を食べて腹が膨れたら、ほぼ全員寝てしまった。年長の数人は辛うじて意識はあるものの、上瞼と下瞼が今にもくっつきそうでフラフラだ。
 目一杯遊んでいたからなぁ。
 天気もいいしまぁいいか、と結論付けて柏手を打つ。近くの木から木偶人形を作り出して、居住区から使われていない布団を山と持ってこさせた。今日はこのまま野外宿泊です。
 子どもたちのことは木偶に任せて、俺は寝ている白橡色君を抱き上げた。
 この子はそろそろ元いた所に帰らないといけないからね。
 腕の中の白橡色君をゆらゆらと揺らしながら、いつも通り鼻歌を歌う。今日はとても楽しかったなぁ。
 うん、楽しかったんだけど、あんまりにも程度を超えて悪い方向に向かってはしゃぐから「楽しそうだねェ」と大人気なく皮肉交じりで言ってしまい、「そうかぁ、これが楽しいってことなんだね!」と凄くいい笑顔で返された時には心臓潰れるかと思った。もう思いっ切り遊ばせたったわ。
 でも次までに限度は覚えてくれると嬉しい。

■■■
 こうなった原因を嫌々ながら考える。
 雪深い山の中、灰色の雲からしんしん降る雪の下、厚く積もった雪の上で寝そべっている原因を。
 まぁそんなものは真面目に考えるまでもなく。
 いつもの通り薬売りスタイルで徘徊と言う名の散歩に出掛け、山から出た先が雪山で。一面の銀世界にテンションが上がって一人ではしゃいでいた結果、足を滑らせて崖を滑り落ちたという情けない顛末である。
 これがカチコチの雪だったら、俺は人生二度目の赤い花を咲かせていたところだ。
 いい年した男が恥ずかしい。穴があったら入りたい。現状、絶賛人型に凹んだ浅い雪の穴の中に入ってはいるが。
 立ち上がる気概も湧かず、灰色の空を眺めるのにも飽きて目を瞑る。
 寒さのせいで鼻の先と耳の先が痛い。当たり前だが素肌に触れる雪が冷たい。呼吸する度に、喉も寒さで痛みを感じる。服装は平時と変わらないものを着ているので、ジンワリと染みてくる溶けた雪が体を冷やしてくる。
 嗚呼、冬だなぁ。
 何となく懐かしい気持ちになるが、平安の頃もそれから後も、こんなに積もった雪は見た覚えがない。
俺が今住んでいる山だって、そこまで暑くも寒くもならないはずだ。子どもたちの中には、四季の移り変わりを独り立ちしてから体験したという子も少なくない。最初の頃はそんなこととなかったのだが、いつからそんな摩訶不思議な状態になったのだったか。

「あの、大丈夫ですか?」

 考えに耽る中、掛けられた声に目を開ける。俺の頭上側に誰かが立って、こちらを覗き込んでいた。
 二十代くらいのその男はわら蓑を纏って、ふかぐつを履いている。なるほど、これが雪深い山に暮らすに適した服装なのだろう。それに比べて、俺のなんと軽装なことか。だって誰もそんな装備で大丈夫かと訊いてくれなかったからァ……。
 改めて自覚すると寒さが増した気がした。くしゃみを一つすると、男はハッとした顔で慌てて俺を引っ張り起こしてくれる。そしてそのまま背に負ぶさろうとした。

「ちょちょちょっ。ちょっと待っていただけます?」
「駄目です!こんな薄着でこの山に来るなんて、このままだと死にますよ!!」
「いやいや、大丈夫なので」
「駄目です!私の家がすぐそこにありますから、温まっていってください!!」
「いやでも、」
「駄目です!!!」

 お、押しが強ぇ……。
 せめて自力で歩きたいとお願いしたら、それは了承してくれた。渋々だが。しかし、逃がしませんと言いた気に右腕を掴まれてしまった。力も強い。振り払えないわけではないが、完全に善意でしてくれていることをあまり無下にはしたくなかった。
 今も、草履の俺が歩きやすいようにと雪を踏み固めながら先導してくれている。随分と善い人間のようだ。
 ジッと顔を見詰められていることに気が付いたのか、振り向いた赤みを帯びた黒い目と目が合う。「どうかしましたか?」と優しい顔で聞いてきた。その顔をどこかで見たことがある気がしたが思い出せなくて、「なんでもありません」と返すしかなった。

 引っ張られるままに付いて行き、着いたのは重い雪を被った茅葺屋根の一軒家だった。
 玄関の戸を開け、男が帰宅の声を掛けるが返事は返ってこない。家族はいるようだが、留守だろうか。
 促されるままに家の中に入り、火の入っている囲炉裏の前に座らされる。お構いなくと念のため伝えるも、男はいいからいいからと笑顔で奥に消えていった。世話好きな男なのだろう。
 昔より少しばかりよくなった耳が、こそりこそりとした話声を拾う。戸の向こうの部屋には誰かがいるらしい。
 声は女の人のものだが、相手は奥さんだろうか。結婚していてもなんら不思議ではない。年齢的にも性格的にも。
 いきなりの来客で、しかも場にそぐわない格好なものだから警戒されているのかもしれない。物の怪だとか言われて追われないかが心配だ。うっ、過去の記憶が疼く。
 バチリと囲炉裏の炭が弾けた。
 ふと濡れていたのは背中側だったことを思い出して、改めて囲炉裏に背を向けて座り直す。そうすると今まで背を向けていた玄関に視線が行くわけだが、まぁ、うん……、な ん か い た 。
 急激なホラー展開に体が跳ねる。
 戸口の隙間の向こうからこちらを伺うのは、小さな子どもだった。七歳にも満たないくらいだろうか。心臓を落ち着けてよくよく見てみれば、容姿が奥の部屋へ消えた男とそっくりだ。瓜二つと言っていい。押しも強いが遺伝子も強い。

「お邪魔してます、息子さんかな?」
「ちがいます!」
「えぇ……、こんなに似ているのに違うの?」

 元気な否定に、これで他人ならどういうことかと悩んでいると、やはり元気よく自己紹介された。なるほど、息子を名前だと勘違いしたらしい。可愛らしい勘違いについつい笑ってしまう。
 中々家の中に入ってこないので、寒いだろうと呼んでみると少し悩んだ後に駆け寄ってきた。そうして、収まったのは俺の膝の上だった。見下ろすと茜色の混じった黒髪のつむじがある。
 いやまさか、呼んだからと膝の上に来るとは予想外が過ぎる。
 最初の警戒心は何だったのか。慣れるにしても早過ぎじゃない?まだ自己紹介しかしていないんだが?
 しかしこれでは暖まれないだろうと思い、座ったままくるりと180度回転。囲炉裏と対面になり、膝の上の子に暖を取らせる。顔には出していなかったがやはり寒かったようで、ぬくまると途端に身体と顔が緩んだ。
 思わず頭を撫でてしまう可愛らしさ。
 数回手を動かすと、子どもはスンスンと何かの匂いを嗅ぐ。

「……くすりのにおいがする」
「え。おかしいな、今日は匂いが移るほど触ってないんだけど」

 まさかの指摘に、慌てて自分の匂いを嗅いでみるが自分では分からない。まぁ加齢臭を指摘されたわけでもなし、臭いと言われたわけでもなし、そんなに気持ちにダメージはないので良しとする。
 まだスンスンと鼻を鳴らす子どもは、得意げに「おれははながいいんだ!」と胸を張った。調子が良ければその時の相手の気持ちも分かるらしい。それは匂いで分かるものなんだろうか?

「俺は長い間、薬を扱っているからね。もしかしたら鼻のいい君だから気が付くくらいには、体に染みついているのかも知れないね」
「くすり……、おいしゃ?」
「一応、医者だね」
「お医者の方だったんですか!??」

 和やかに会話していた中に、勢いよく戸を開けた男の大きな声が割り込んだ。いきなりのことに俺の身体が固まり、それが伝わったのか膝の上の子どもも固まる。
 動いたのは男の方が先だった。バタバタと横に走り寄ってきて、両膝をつき俺の両手を握る。真摯な赤混じりの目が、ジッと俺を見ていた。

「お願いです、うちの家内を診ていただけませんか!」
「奥方の体調が優れないのですか?」

 俺の質問に、男は悲し気に頷く。膝の上の子どもも悲しそうに項垂れた。
 医者の腕を頼られて、断るつもりはない。子どもに手を引かれ、男に先導されて奥の部屋に入る。
 部屋の中には、女性が一人横たわっていた。おそらく三人分の夜具を掛けられているのは、少しでも温かくしようとしたからだろう。重さで逆に体力を奪われてはいないかと心配になったが、思いの外、その顔色は良かった。しかし熱の所為で赤らんでいるわけでもないようだ。
 女性の傍らに座り、自己紹介をする。彼女も名乗り笑顔を見せてくれたが、それは少し申し訳なさそうな笑顔だった。病床に臥す人達がするそれと似ているが、何だかちょっとだけ違うような気がする。
 軽く問診しようと口を開くが、それより先に女性が声を発する方が早かった。

「あのっ」
「はい、どうしましたか?」
「実は……」

 耳を傾けるが、その先が繋がらない。ちらりちらりと旦那の様子を気にしているようだ。男に聞かれるのが嫌、であれば俺にも視線が来てもいいものだけれど。
 旦那にだけ聞かれたくないのであればと、俺は身を屈めて女性に耳を近付けた。旦那をこの場から離すのもあれなので、内緒話であればどうだろう。女性はホッとした様子で、こしょりこしょりと話し始めた。
 ……ははぁ、うんうん、成る程。
 話を聞いて、一言断りを入れてから手首の脈をはかる。うん、うん、あぁ、成る程。
 ぐるりと座る方向を変え、男に向き合う。その隣には息子も座り、似たような顔で似たような固い表情で俺の言葉を待っている。
 そんな二人に、俺は笑顔を見せて軽く頭を下げた。

「おめでとうございます」
「……?おめ、……??オメデトウゴザイマス???」
「ご懐妊です」
「ごか、ゴカイ???」
「確かに誤解しているようですが。
 妊娠なさってます、赤ちゃん、ベイビー、オメデタ、おめでと」

 目を点にする旦那。
 中々ご理解いただけないんだが、そろそろご理解いただけただろうか?
 妊娠による微熱や倦怠感・食欲の減退なんかを、旦那と息子が病気だと勘違いしてしまったらしい。本人は何となく、もしかしてとは思っていたそうだが。「二度目なので!」と胸を張る姿は息子さんとそっくりです。
 一転。
 先程までの、実は難病なのでは?と沈んでいた空気が、花が咲き乱れて花火が打ち上っているかのような雰囲気に様変わりした。実際、旦那にわっしょいわっしょいと神輿かのように持ち上げられているのは妊娠が発覚したばかりの奥さんなんだが。やめなさい降ろしなさい。息子君も周りで囃すんじゃありません止めなさい。
 注意すれば多少落ち着きを思い出してくれたものの、未だにお姫様抱っこで家中を練り歩く三人。流石に外に出ようとしたのは止めた。
 俺はと言えば、巻き込まれるのも面倒で家の外に出て一人ぬるくなった薬茶を啜っている。そろそろ腹が減って来たんだが、勝手に家に帰っても良いだろうか。
 ぼんやり空を見上げて、落ちてくる雪を眺める。また一口茶を飲もうと器を傾けて、中身がもうないことに気が付いた。
 ついでに、部屋の中のお祭り騒ぎも終わって静かになっている。
 そっと戸を開けて中を伺えば、囲炉裏の前に親子が三人。腹の中の子も入れれば四人、仲良く寄り添い座ってぬくまっている。全員目を瞑り、規則正しい呼吸音が聞こえることから寝ているようだ。
 はしゃいで疲れたから寝てしまったんだな。分かる分かる、うちの子もたまにするもの。
 この場で俺にできることって何もなくない?と思ってしまったので、寝ている家族にお世話になりましたと礼を言って家を出た。特に囲炉裏にはお世話になったと思う。
 一応薬屋としてできることも考えたが、下手な処方はよろしくないと諦める。薬を飲むより栄養のある食事を摂ってもらいたい。
 ということで、置土産代わりに山の植物に元気を分けてみた。オラの元気を分けてやろう。工程だけ見ると悟○よりかはト〇ロの気分だ。まぁ、これなら冬の間もそれなりに植物が生るだろうし、春になれば尚のこと。
 問題は野生動物も増えるかもしれないという点だけれど、あの旦那さん結構強そうだったし、動物性たんぱく質として無駄にはしないだろう。大丈夫大丈夫。たぶん。

「それにしても、あの顔どこかで見た気がしたんだけど思い出せないなぁ」

 年かな?年だわ。凡そあらさうざんど。

 うちの子の土産にと雪兎を作って持って帰ったが、当然ながら見せる前に溶けた。


***
[大正コソコソ噂話]
 童磨は機嫌がいい時に鼻歌を歌うけど、すこし調子がズレているらしいよ。
 信者の皆さんは「そこがいい」んだって。
 偶然鼻歌を聞いた猗窩座はどこか懐かしい気持ちになったけど、きっかけが童磨だったからとても不機嫌になったよ。
 偶然鼻歌を聞いた無惨様はどこで覚えたのか童磨を問い詰めたけど、はっきりしなくて八つ当たりで胴体を真っ二つにしちゃったらしいよ。


***
▼岐閑暮 偽名:杜宇
 人生の記憶は主に今世。感覚は主に前世。たまに出てくる人外思考。
 知識はごちゃ混ぜでいつのものか分からなくなることがある。
 医者としての知識はほとんど平安時代のものであり、付け焼刃程度に現代の知識がちょっとだけある。本当にちょっとだけある。
 薬の知識もほぼ平安時代のもので、あとは生活する中で身に付けたり頭に入ったり気のいい誰かに教えられたり、ものは試しと試した結果。試したものは薬もあれば毒もある。なんなら毒の方が割合大きい。
 ふとした時に坊ちゃんを思い出すけれど、会いたいとか探そうという気は今のところない。昔のことを思い出す分には「懐かしいなぁ」とほんわかするけれど、再会を考えると冷や汗と動悸と息切れがする。
 原作の記憶は基本的になく、時折ふんわり浮かび上がる程度。
 ただし原作キャラの原作ままの姿を見たらボロボロ思い出しそう。

▼道着の男と娘ちゃん
 慶蔵さんと恋雪ちゃん。
 杜宇のことを家族(息子/兄)のように思っていた。
 回復した後は家族が二人減ってしょんぼりした。
(しょんぼりどころじゃない)
 方々手を尽くして探したが見付からず、どころか背鰭尻鰭尾鰭の付いた噂を聞いた人達が後を絶たずその対応に時間を食われ思うようにもいかず、仕方なくいつか二人が帰って来てくれることを信じて待っていた。が、帰ってこなかった……。
 二人の没後、とある時期から定期的に墓前に花が供えられるようになる。もちろん閑暮による謝罪を込めたお花。
 同時期には道場の藤が季節関係なく咲き乱れるという噂。

▼行方不明の少年
 猗窩座殿……!!
 狛治君。
 罪人の証である腕の墨を見ても眉一つ動かさず、それよりも怪我ばかりに気にする杜宇を変な奴だと思っていた。付き合いを続ける内に変な人に変わり、じりじりと懐いていたが顔にも態度にも出ない。
 自身の中を占める割合は実父・師範・恋雪がダントツではあったが、杜宇もまぁまぁ多い割合。
 薬を分けてもらった帰りに剣術道場の二人組を見付け、井戸に毒を持った話を耳が拾い後を追った。人気のない場所で問い詰め、詳細を聞き、実行犯ではないらしい二人はその場で殴って黙らせた。その後剣術道場へ向かい主犯格共へ問い詰めたが謝罪もなく、自身を正当化しようとする言い訳ばかりか、終いには二人を貶めるような発言をし始めて堪忍袋の緒が切れた。
 二人が生きていたので惨殺とまではならなかったが、気が収まらず、また申し訳も立たず彷徨っている最中に無惨に鬼にされた。
 その時の気持ちの割合大部分を三人が占めていたので、無惨様に閑暮との関係は伝わらなかった。

▼白橡色の少年
 ショタ期の童磨。
 恐らく両親が亡くなるより前。
 ちょっと散歩がてら近くの山を歩いていたら迷い込んだ珍しい子ども。
 不思議な建物があるなぁと侵入し、不思議な音楽が聞こえるなぁと近寄り、不思議な人達だなぁと閑暮達と遭遇した。なんとなく閑暮を自分と同じ立ち位置とし、子ども達は信者たちと同じ立場だと解釈している。
 可哀想なおとな達を救うのが俺で、可哀想なこども達を救うのは閑暮。
 目が覚めると元通り自室で寝かされていた。
 この頃の記憶は段々と薄れていくが、楽しいという感情だけは恐らくきっと唯一ちゃんと理解できる感情になっている。といいなぁ。
 信者達は、数時間行方をくらましたのは神隠しで、戻ってきたのはまだ童磨が教祖として世の中に必要であると神が判断したためだと思っている。

▼雪山住まいの家族
 家業:炭焼き。
 遺伝:人の良さ。
 最初雪山で埋もれる閑暮を見た時は死体だと思った。あながち間違いじゃない。
 お腹の子どもが生まれてしばらく経つ頃まで野も山も大豊作で、近くの村では「今年の子どもは山の神様に愛されているなぁ」とその年に生まれた子ども総まとめてのほほんしている。
 熊鍋おいしい。


***



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