つかのまのこうふく
朽ちた壁、崩れかけた床、埃っぽい空気。おおよそ居住場所として向いていないここ、黒曜ヘルシーランドに、私は軟禁されている。
なんでかな?なんでだろう。わからないな。
はじまりなんて、転校してきて私の隣の席になった彼へ「よろしくね」と当たり前の挨拶をしたくらいのものだ。彼は驚いたような顔で私を見下ろして、何事もなかったかのように表情を取り繕ってから「こちらこそ」なんて気取った返事をしてきたっけ。
それから一週間くらい後に彼の知り合いらしい城島くんや柿本くんに紹介され、あれよあれよとここへ連れて来られ、いつの間にやら軟禁の始まりである。
なんでかな?なんでだろう。わからないな。
与えられた部屋は、この建物のわりにきれいに整えられていた。壁はちゃんとあるし、床もしっかりしているし、隅に埃も溜まってなくてピカピカだ。だれがきれいにしたのかな?城島くんかなぁ、柿本くんかなぁ。まぁ、彼ではなさそう。
誰の趣味なのか、用意された白いワンピースを着て生活すをる。用意された本で暇を潰して、用意された食事をとって、用意されたベッドで眠って、たまに城島くんや柿本くんや彼らと黒曜センター内で遊んで、そのまま一緒に寝たりして。無駄に広いベッドだなと思っていたけれど、四人まとめて眠るのなら納得の広さではある。
自堕落になってしまうなぁ。
みんなが学校へ行っている間、一人っきりの黒曜ヘルシーランドを散歩して回る。この建物の外に出る時は、城島くんか柿本くんか、彼の同伴が必要だ。
でも、用意された本は読み終わってしまったし、食事は終わったし、眠くはないし、この建物内も歩くのに飽きてしまった。
出てもいいかなぁ、いいんじゃないかなぁ。
悩みながら、比較的ガラスの割れた部分の少ないドアに手を添える。今なら誰もいない。誰にも見つからない。誰にも捕まらない。それなら、いいんじゃないかな──、
「ダメです」
添えていた右手に、私よりも大きな手がかぶさる。背後に彼が立っていることに諦めて、ドアを開けようと手に込めていた力を抜いた。
「さぁ、部屋に帰りましょう」
「わかった」
自由になった右手の横に、彼の左手の平が差し出される。短く息を吐いて、素直にその左手に自分の右手を乗せた。ぎゅっと握られて、これはもう今日は離してくれないなと察する。
彼は紳士である。口調は穏やかだし、いつも笑みを浮かべているし、所作だって静かだ。でもどこかうすら寒さを感じさせる。
握られた手に引かれながら、いつもの道を進む。三人掛けのソファ一つと一人用のソファが二つ置かれた、私に与えられた部屋には城島くんも柿本くんもいた。各々一人掛けのソファに座って好きなように寛いでいるようだ。
この仲間内でたった一人の女の子であるM・Mの所在を訊ねれば「あなたの生活用品を買いに出かけています」だそうで。何から何まで用意してもらって申し訳ない。彼が私を軟禁しなければいいだけの話なのだけど。
「あ、骸しゃん!おかえりなさーい」
「……おかえりなさい」
「私は?」
「オレらじゃなくてお前が出迎えるべきなんだっつーの!なんでここにいねーびょん!」
なんか亭主関白みたいなこと言われてるな。プンプン怒る城島くんには何を言い返しても面倒くさいだけなので、「はいはい、おかえりなさいませ」とわざと丁寧に言ってみる。そんなでも満足したようで、「それでいーびょん!」とにんまりよい笑顔だ。
繋がれた手にひかれるまま、三人掛けのソファに座る。隣には当然のように彼が。
気を利かせた柿本くんが、自分用と私と彼のために冷蔵庫からペットボトルの飲み物を持ってきてくれた。「柿ピー、オレのは!?」「自分の分は自分で用意しなよ、めんどい」めんどくても私たちの分は用意してくれるのありがとうね。
城島くんはクッションを抱えて寝始め、柿本くんは一人黙々と携帯ゲームに勤しんでいる。彼は手を繋いだまま、器用に文庫本を読み始めた。
私はと言えば手持無沙汰で、足をブラブラさせて遊んだり、繋がれた手を強弱つけて握って遊んだり。横から本を盗み見しようとしたけれど、内容が難しくてそれは断念した。
暇だなぁ。そのまま体を横に傾けて、彼の方に頭を預ける。思ったよりも収まりがいい。彼もどかす様子がないので飽きるまではこのままでいいだろう。
「眠ければそのまま寝てもいいんですよ」
「十分寝てるからなぁ」
「……お菓子、食べる?」
「ご飯もちゃんと食べてるからなぁ」
言いつつも差し出されたポッキーには首を伸ばして齧りつき、また元の位置に戻る。咀嚼する度に頭の振動が肩から伝わるようで「クフフ、こそばゆいですね」と小さく笑われた。
──……平和だなぁ。
軟禁されておいて言うことじゃないけど。
静かな空間に、城島くんの寝息と、柿本くんのゲームの操作音と、彼の本をめくる音だけが聞こえる。
目を閉じて、その静けさに集中する。私はこの静けさが好きだった。
静かだなぁ。平和だなぁ。ずっとこうならいいのになぁ。……無理なんだろうなぁ。
遠い記憶の、覚えのない私が「無理だろうね」と嫌な賛同をしてくれる。私たちには無理な話だと。その言葉と一緒に、遠く遠く、ここではないどこかで聞いた冷たい声と、誰かの泣く声と、嗚咽と、悲鳴と、怒号と──、
「聞かなくていいですよ」
両耳を手で覆われて目を開ける。すぐ目の前に彼が腰を屈めて私の顔を覗き込んでおり、柿本くんも表情を曇らせながらこちらを見ていた。
「何も聞いてないよ?」
「それならいいですが……。あなたはここで、幸せなことだけ見て聞いていればいいんです」
「軟禁されているのに?」
「なにも不自由はないでしょう。必要な物ならすべて用意しましょう」
「なんでそんなに甘やかされるんだろうなぁ」
不思議だなぁ。首を傾げると、耳に当てられた手が頬へと移動する。手つきがいやに優しくて、まるでじぶんが少しの衝撃で壊れてしまう壊れ物のようだ。
「あなたにはその価値があるからだ」
そんなことはないけどなぁ。納得できない言葉に困ってしまう。いっそ誰かと間違えていませんか?と問いたくなる。というか、問うた。そうしたら「僕たちがあなたを間違えるはずがありませんよ」だそうで。
そうかなぁ?勘違いかも。わからないな。
まぁでも、大事にされないよりは大事にされる今の方が何十倍も幸せなので、要らないと放り出されるまでは大人しく受け入れておこう。
頬を包む手を外側から握り込む。私よりも大きな男の子の手。ちょっと懐かしいなと思ったのは、きっと気のせいだ。
□□
あの場所にいた頃、僕たちのそばには彼女がいた。
僕たち三人だけではなく、あの場にいた子どもたち全員に寄り添うように彼女はいたのだ。
つらい実験に泣く子どもをあやし、理不尽に大人から暴力を振るわれる子どもを庇い、実験による苦痛に呻く子どもの頭を撫で、死にたくないと細い呼吸を繰り返す子どもの手を最期まで握ってあげるのが彼女だった。
僕たちもその中の一人だった。泣いていた犬は彼女に抱き締められていたし、暴力を振るわれる千種を彼女は庇い、苦痛から蹲る僕の背を彼女はずっと撫でてくれた。
それで何かが変わったわけではない。
変わらず毎日実験は続いていたし、つらいし、痛いし、苦しい。けれど、彼女が側にいてくれることで少しばかりの救いを感じていたのだ。
それを、アレらが無情に奪った。「実験に耐え切れずに死んだ」と言って。
嘘だと思った。だって、彼女は──。
それからあのマフィアを壊して、逃げて、同じくマフィアという組織連中に復讐しながらこの日本に来た。次の標的である若きボンゴレ]世候補者に憑依弾を撃ち込もうと。
予期していなかったことだった。潜り込んだ黒曜中学校に彼女がいるなんて。
信じられなくて、彼女の経歴を探った。似ているだけの別人かとも怪しんだが、間違いなく本人だった。どうやら路地に転がっていたところを旅行中だった日本人に拾われ、養子になっていたらしい。
彼女は死んでいなかった。
しかし、養子となる以前の記憶が抜け落ちてしまっていた。
それでもいい、彼女が幸福であるのなら。わざわざ被検体であった時のことなど覚えておく必要もない。
幸福であれば、よかったのに。
彼女は養父母から虐待を受けていた。『化け物』と罵られて、あらゆる身体的虐待を受けていたのだ。けれど、その痕が彼女に残ることはない。
彼女が被検体であった時、実験内容は『治癒能力の向上』だった。今も昔も、彼女にとって生半可な傷はなかったも同じだ。だからと言って、痛覚がなくなったわけではない。殴られれば当然のように痛むし、治ったからと言って痛かったことに変わりはない。
誰が言い出すまでもなく、黒曜センター内のアジトに彼女の部屋を作った。彼女が居心地がいいように、これ以上傷つく必要がないように、M・Mから少しの助言を仰ぎつつ。
あの頃の彼女が「いろいろな本を読んでみたいね」と言っていたから色々な本を用意した。あの頃の彼女が「美味しいものを色々食べてみたいね」と言っていたから色々な食事を用意した。あの頃の彼女が「みんなでふかふかのベッドで眠りたいね」と言っていたから大きなベッドを用意した。あの頃の彼女が欲しいと言ったものを、覚えている限りすべて用意した。
彼女にとってこの場所は鳥籠だろうか。痛みがないだけであの施設と変わりないのだろうか。
けれど、それでも。この部屋は僕たちにとって『宝箱』だから。だから、どうかこの場所から逃げて行かないでほしい。
彼女の頬にあてていた僕の手に、彼女の小さな手が添えられる。僕を、僕たちを慈しんでくれていたあの子の手だ。
「……んふふ。そんなに大事にされる価値もないんだけどなぁ」
言葉とは裏腹に、彼女は笑う。
あの頃の、子どもたちを安心させるための笑みではなく、ここに脅威など一つもないのだと言わんばかりの安心した笑みを。僕もつられて笑みを浮かべ、その額に祝福を贈る。
──……この『宝箱』を守るためにも、すべての脅威を潰さなくては。
***
20250609
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