うそつきおんな
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電話越しに聞こえる怒声、罵声、……銃声。
大きな音を立てて切れた電話に、ああこれでおしまいか、と思っていたよりもストンと軽く受け入れた。
幹部各人に宛がわれた執務室。その内の自身に与えられた一室で、座り慣れた椅子に座り執務机に向かう。
机の上にはきれいに整頓された、処理されていない書類の山が一つ二つ。それぞれ期限はいつだったかな、と山の内の一枚を手に取りぼんやり考えて、もう関係無かったかと元の位置に戻し自嘲的な笑いを洩らした。
私はとあるマフィアのスパイだった。物心つくより前に拾われて、教育されて、十三歳の頃に並盛町にいるらしいボンゴレ十代目後継者の懐に潜り込むよう日本に送られた。
だと言うのに、十年経った今、どこから情報が漏れたのか私が敵勢力からのスパイだとバレてしまったらしい。先程の電話は、漏洩元は貴様だろう、とお冠のハゲ頭からの通話だった。……それが最期の言葉になるなんて、なんてお似合いなんだろう。あいつが喋る時と言ったら怒鳴るか詰るかぐらいしか記憶にない。
誰が好き好んで、十年の時間を泡にするものか。せっかく巧く出来ていたというのに。
執務机に両肘をつき、無造作に前髪を上げて溜め息を吐く。
そう、十年もの時間を無駄にしたのだ。なのに、思っていたよりもずいぶんと穏やかな気持ちでいられる自分に驚いている。どころか、すっきりとした心地でいられるのはどうしてだろう。あのハゲ頭が死んでくれたからだろうか。
……こんなことを考えるから情報を漏らしたと思われるんだろうなぁ。断じて私じゃないけれど。
きっと、この場所が思いのほか心地好かったからだ。
気弱でお人好しで頑固なボス。
ボスの忠犬な右腕くん。
さわやかで気のいい左腕くん。
晴れやかで熱血な芝生頭くん。
泣き虫のくせにかっこつけな仔牛くん。
嫌いなくせして嫌いきれない不器用くん。
それから──、
ふと思い出して、俯けていた顔を上げ執務机の鍵付きの引き出しを開ける。たった一つ置かれている、手のひらよりも小さなジュエリーケース。それを取り出し手のひらに乗せ、そっと蓋を開けた。
入っているのは小さな指輪。小指には大きくて、他の指では途中の関節で止まってしまう、サイズの合わないおもちゃの指輪だ。
腕部分を摘まみ、窓から差す光に翳した。石座に嵌められたガラスがキラキラ輝いている。
思わず笑みが零れる。
「うん、きれいだ。とてもきれいだ」
日本に来たばかりの中学生時代。夏祭りの露店で彼にねだって買ってもらった物だった。
当たり前にダイヤモンドなんかではないそれ。「こんなののどこがそんなに欲しいの」と眉間にしわを寄せる彼に、それでも欲しいのだとねだって、薬指にはめてもらって、笑いながら勝手に真似事の誓いの言葉まで言ったっけ。ああ、「いつか本物を買ってあげるよ。気が向けばね」なんて冗談も言われたなぁ。ふふ、案外覚えているものだ。
本物なんていらなかった。模造品だからこそ欲しいと言えた。私にだって分を弁えるぐらいの理性はある。
任務の為、嘘で始めた恋だった。
嘘を重ねた愛だった。
そうして、嘘ばかりが増えていった。
本当のことを伝える勇気もなかった。
ああ、なんて滑稽なことだろう。
空気を吐くように小さく笑って、ふと思い立ち持ち上げていた指輪に対して口を開ける。軽い調子でぱくりと口に入れて飲み込めば、思っていたよりすんなりと胃に納まった。それがあるだろう腹部を擦って、目を細める。
「……たのしかったのになぁ」
「そう思うなら、ここまで先延ばしにするべきじゃなかった」
ノックなく入室してきた侵入者に大して驚きもせず、彼へと笑みを向ける。
思い出していた中学生時代よりも短くなった黒い髪。変わらずこちらを射貫くような紫がかった黒い瞳。そして、あの頃は考えられなかった、彼の手に握られた鈍く光る銀色の銃口は私へと向けられている。
「おかえり、恭弥。出張から帰ってくるまであと数日あったはずだけど……。これはボスの最後の優しさかな?それともリボーンくん?」
「それに対して答える必要はないよ。
……君ももう飽きたでしょ。何年も嘘を吐いて。群れたくもない彼らのバカに付き合って」
怒気の籠った声音から、彼が随分と苛立っているのが分かった。それもそうかと、考えるまでもなく浮かぶ理由に苦く笑う。
私が裏切っていたからだ。彼らを。目の前の彼を。はじめから。
笑ったのが気に喰わなかったのか、引き金に掛けられた指に僅かに力が込められる。意味は無いと分かっていながら両手を上げて無抵抗の意を伝えるも、恭弥の表情は険しいままだし、向けられる銃口が下げられることもない。
「飽きた、飽きたかぁ。いや、どちらかと言うともう疲れた、かな?」
恭弥からも銃口からも目を逸らし、何もない天井の隅を見詰めながら呟くように答える。
彼の言う通り、私は何年も嘘を吐いてきた。いっそ産まれた時から嘘を吐き続けていたのかもしれない。そう育てられたし、そうであった方が必要とされたし。
だから、ずっとずっとでたらめばかりを口にしてきた。同労者にも、並盛で初めて得た友人たちにも、唯一だった彼にも。
そして、自分にも。
嘘から始めた幼稚なお遊びに、いつの間にか本気になっている自分がいた。ボスたちとの突拍子もない日常は面白くて、知らない内に心から笑って、怒って、泣いて、楽しんでいた。
そうして、一番持っちゃいけない感情を、恭弥に向けてしまった。
だめだったのに。いつか裏切らなきゃいけないと知っていたはずなのに。
だからさらに嘘を吐いて誤魔化した。ぜんぶぜんぶ嘘なのだ。本当は面白くなんてない。笑ってもいない。怒ってもいない。泣いてもいない。楽しくもない。
恭弥のことだって、好きなんかじゃない。
嘘だと分かった上で嘘を吐く。なんて滑稽なことだろう。
「そう、こんな時でも気が合うね。僕もいい加減疲れたよ。君の嘘に振り回されるのには」
「……名前を呼んでよ恭弥。昔みたいに。きみ、なんかじゃなくて」
死に際の願いとしてはかわいいものでしょう?
目も口も弧を描いて、なんてことない風を装う。ずっとずっとしてきたことだ。し慣れた誤魔化し。し慣れた表情操作。
ほんの僅かに眉間の皺を深くする恭弥。構えていた拳銃を握り直して、改めて銃口の向きを整える。向ける先は、私の眉間。
優しいことだ。スパイに情報を吐かせることもなく、一思いに殺そうとしてくれるなんて。
それとも、それが必要ないくらいにものが出揃ってしまったんだろうか?どうして?どこから?誰が?……やっぱり私は売られたのだろうか?切り捨てられた?いらなくなった?ぜんぶぜんぶ、無駄になったね?
「ねぇ、どうして笑ってるんだい」
「うん?んー、どうしてだろう?笑顔が一番作りやすい表情だからかな」
「作りやすい、ね。そうやって、最後まで僕を馬鹿にするつもり?」
「馬鹿になんてしてないよ。でも、うん。泣いて許しを請う資格はないと分かってるからかな」
にっこり。にっこりと、いつも通りに笑う。笑う、笑え。それ以外の死に顔なんて許されるわけがない。私が許さない。
向かい合う恭弥の眉尻が下がったような気がしたけど、きっと気のせいだ。一度瞬きすれば、やっぱりいつも通りしかめっ面の、強者の彼がいるだけ。
恭弥は出会った頃から強かった。初めて通った学校。そこに君臨する王様みたいな恭弥。そのくせリボーンくんに巻き込まれて、ボスにまで巻き込まれて、いつの間にかマフィアなんかになっちゃって、こんな私の後始末なんかを押し付けられて。まぁ、いつかこうなるだろうと思ってたけど。
そう思っていたから、恭弥なら、強いから大丈夫かなって嘘に嘘を重ね続けてみたところはあったし。怒りはしても、悲しまないでくれると思ったの。
だから、最期まで嘘を吐く私をちゃんと嫌ってね。
「……君の、そういうところが全部嫌いだったよ。さよなら、励」
「 」
部屋に響いた発砲音に、私の言葉はちゃんと消されただろう。
眉間への衝撃で仰け反る上半身。その勢いのまま椅子が倒れて、私の身体は床へと倒れ伏した。思ったより痛みは無くて、すぐに意識がなくなるわけじゃないんだなとぼんやり考える。
暗くなっていく視界の中で、床に赤い血が広がっていく。その先に黒い革靴が見えて、視線を上げれば恭弥がすぐ側に立っていた。体に力が入らないから顔を上げられず、彼の顔を見ることは叶わない。それでも口は動いたから。
「……ボ、ス……に、あり、がと……て……」
何に対する感謝だろう。ううん、すべてに対する感謝だ。
走馬灯なんだろう。一番きらきらしていた中学時代の思い出がくるくる回る。
生まれてから並盛町に来るまで、知らないことがたくさんあった。並盛町に来てから得たものがたくさんあった。だから標的がボスで良かったなと思っちゃう。そんな感謝、昔のボスなら顔面蒼白で「オレはいやだよ!」って叫ぶだろうな。今のボスなら困った顔で「オレもだよ」って笑ってくれるかな。
嘘じゃなく笑えたのも、怒れたのも、泣けたのも、嘘つくばかりの私の中にも本当があるって知れたのも、全部ボスのおかげ。あの町に来なければ、きっと知れないままだった。
誰かの言動に嫌じゃない騒めきを抱くことを知った。微かに浮かべてくれた笑みに大喜び出来ることを知った。手も口も出るのに後味の悪くないケンカがあると知った。泣いてる時に側にいてくれることが温かいと知った。人を好きになるということを知って、たった一人を愛せることも知った。嘘じゃなかった。演技じゃなかった。あれはきっと、
「ありがと、きょうや」
ほんとのほんとに、愛だった。
《 うそつきおんな 》
動かなくなった励の横にしゃがみ込み、顔に掛かっている髪を払う。想像していたよりも穏やかな死に顔に、何とも言えない気分になった。
なに自分だけ満足げに死んでるの。
「……ありがとう、なんて、殺しにきたヤツ相手に言う言葉じゃないよ」
最後の最期まで馬鹿な女だった。そんな風に馬鹿だから、古巣の連中に売られるのだ。その古巣も、今頃は元赤ん坊の殺し屋に潰されている頃だろう。
赤ん坊は「オレが消してやろうか」と言った。断ったのは僕。
騙されていただとか、そういう怒りは特に無い。ただ、どうせ殺すなら僕が殺すべきだと思った、ただそれだけ。
「下手くそな嘘つきなんて、さっさとやめてしまえばよかったんだ」
他から晒される前に自分から言っていれば、底抜けに人の好いアレは君を許しただろう。他の連中だって、ひと悶着あるだろうけど結果はきっと一緒だった。そもそも、君の嘘に気付けない連中だっただろうか?
「ほんと、馬鹿な女」
ねえ、本当に上手に嘘を吐けてたと思ってる?
君の本当を、僕らが見抜けてなかったと思ってる?
憶さず笑い掛けてくれたのも、隣で寄り添ってくれたのも、隠さず好意を伝えてくれたのも、全部全部、本当だったでしょ。
取り返しのつかないことなんてなかったのに。
『 』
「……こんな時に、君の本音が聞けてもね……」
ああ、そうだね。僕も君を愛してた。
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20240730(090207)
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