「あの〜、レインさん?ちょっとよろしいです?」
「ん?何、パニール」
「このケーキを船長さんのところへ持っていってあげてくれません?そろそろおやつの時間なので」
「あぁ、わかった」


食堂でのんびりレモンスカッシュを飲んでいると、パニールがショートケーキをひときれ乗せた盆を持ってこちらにやってきた。
俺は読んでいた本を閉じると、隣でミルクを舐めていたクロートに声をかける。


「クロート」
「にゃっ」


クロートが軽やかに俺の肩に飛び乗ったのを確認して、俺はケーキの皿と温かい紅茶が乗った盆を受け取り食堂を出た。
今の時間帯なら、チャットは機関室かな……。あぁ、後でキールに本を返しに行かないと。あ、確かルカにも本借りてたな。後で行こうかな。…あ、イリアが服についたケーキの匂い嗅ぎ取りそうだから、ちゃんとあの子達の分のケーキ持ってかなくちゃ…。
そんなことを考えながら、ホールの扉を開いた。


「……………」
「おや、レインじゃないですか」
「うぅ…レイン…」
「ぼ、ボクはそんな脅しには屈しませんよ!」
「……………」


わあいカオス。
俺は無言で一歩後ろにさがった。機械的な音を残して扉が閉まっていく。


「いやちょっと待て!僕を置いていくんじゃない!」
「レイン!見捨てないでよぉ〜!」


キールとルカのすがるような声に、俺は仕方なく再び一歩踏み出してホールに入った。
…取り敢えず、なんか不味いときに来ちまったらしいです。
間の悪さに、俺は深い溜め息をついた。


「どーかしたのか?ジェイド」
「いえいえ。ただ船長に、これからの我々の方針を伝えていただけですよ」
「…の割には、キールは顔ひきつってるしルカは半泣きだしチャットはめっちゃ頑張ってるけど」


何をした、旦那。


「取り敢えず、私たちはこのままここでかくまってもらうことになりましたのでよろしくお願いします」
「あ、そなの?でも、本国と連絡が取れた今ならその気になれば国に帰れるんじゃ…?」
「えぇ、それも考えてはいたのですが」


ジェイドが眼鏡のブリッジを押し上げる。


「昨日もお話しした通り、我が国では現在反マナ派のテロが盛んです。そんな中本国に戻れば、またいつ王族であるルークが襲撃を受けるかわからない。だから、こちらでこのまま匿っていただいた方が都合がいいんですよ」
「ほーんなるほど」
「まだボクは了承してませんよ!」


ギッ、とジェイドを睨むチャット。どうやら自分の了承もなく話を進められることにお怒りのようだ。

彼女は妙に見栄を張りたがる。偉大なる海賊の孫娘、それから船長であるという彼女の意地と誇りがチャットをそうさせているのだろう。
だから、チャットとしてはこのバンエルティア号の船長として、船が関わるならばジェイドたちグランマニエ組の処遇は自分が決めたいらしい。
だがジェイドはにこやかな笑みを浮かべたままきらんと眼鏡のレンズを光らせた。


「所属や国籍不明の船舶は、立派な航行法違反になりますね」
「ぐっ」
「軍規に則り、制圧という展開も考えられますが」
「うぐっ…」


うわぁなんてイイ笑顔。
思わず明後日の方角見ちゃったじゃないか。


「だ、だから海賊はそんな脅しには屈しないと……!」
「とか言いつつ腰が引けてるぜチャット」
「レインさんは黙っててください!」
「アイサー」


大きな瞳をつりあげ、チャットは俺に一喝する。
俺は素直に口を閉ざした。
ジェイドの笑みはますます深まる。


「そうそう、そこのお坊ちゃんや学生さんも海賊だったんですよねぇ?だったら容赦はしませんが…」
「えぇぇー…」
「ぼ、僕は全く関係ないからな!」


逃げるように半歩下がるルカとキール。情けないと思ったのはきっと俺だけじゃないはず。
ジェイドは笑みをたたえたままくるりと俺に向き直った。その笑顔はもういっそ清々しいほど爽やかだ。


「とまぁ、こんな感じで話し合いをしていたらあなたが来たんですよ」
華麗に素敵に脅迫にしか見えないのは俺の気のせいデスカ
「気のせいです☆」


ソッスカー。即答されちゃったよ。


「―――――で、レイン。貴女も海賊なんですか?だったら助けてくださったとはいえ容赦はできませんよ?」
「ん?」


暗に、どちらの言い分を支持するのかと訊かれているのだろう。そのくらい俺にもわかった。
ジェイドのルビーのような赤い瞳が俺を見据える。
俺はにこりと笑ってちょいちょいと船長の方を親指で示した。


「俺は正直どっちでもいいよ。船長であるチャットが国に所属するって言うなら、それでいいし」
「レインさっ、」
「でも」


チャットが絶望的な泣きそうな声で俺の名を呼ぼうとするが、俺は先にそれを遮った。
そしてそのまま、ジェイドを真っ直ぐに見据える。
ピン、とクロートが耳をたて、俺はにっこりと笑みを浮かべた。


「――――もし、あんた達が武力行使に出るって言うなら…たとえ大国のお偉いさんだろうが、容赦はしないよ?」


それは暗に、チャットの意に背きこの船を制圧するならば全身全霊をかけて敵意を排除するという意味だ。
殺気は出していないにしろ、それはちゃんと本気。
なんだか後ろでチャットがじーんと感動していた。


「おやぁ、なかなかの忠誠心ですね」
「忠誠心っつーか、チャットだけじゃなくこの船にいる俺の仲間に手ェ出したら承知しないってだけ。そりゃ俺だって大国相手に喧嘩して勝てるとは思って無いけど、俺を雇ったのはこのギルドのリーダーであるチャットだ。俺個人の優先順位はどちらが上かなんて、考えるまでも無いだろ?あんたに守るべきものがあるように、俺にだって守らなきゃいけないもんがあるんだ」


もちろんそこの二人も含めてね?
なんかばつの悪そうな顔をする男二人を一瞥すると、ジェイドはまあまあ、と胡散臭い笑みを浮かべた。


「無所属船なのですから、今彼女が言った通り国に所属すれば問題ないんです。我が国にね」
「バカな!軍船にされるなんてお断りです!」
「ならば、ギルドとしてならどうです?現状ではまともに依頼など来ないでしょう。我が国の正式な認可があるとすれば、状況はまるで違うと思いますが?」


ジェイドの一言に、今まで青い顔で逃げ出すチャンスを伺っていた二人が反応した。


「…それは悪くないな」
「悪くないどころか、これって好都合なんじゃない?」


二人の言葉に、チャットは眉間にシワを寄せながらも腕を組んでジェイドを見上げた。


「…いいでしょう。ただし、貴殿方もボクの子分として船に乗ってもらいます。雑用や、ギルドの仕事を請け負ってもらうことになりますが、とーぜん構いませんね?」
「ええ、もちろんですとも」


今『とーぜん』ってかなり強調したよなお前。
ジェイドは出されたその条件を笑顔で即了承した。


「さてと、それにはまずギルドの名前を決めないといけませんね」
「あ、そっか。そういやこのギルド、名前なかったんだっけ」


今まで身内の依頼がほとんどだったし、話題にもならないからすっかり忘れてた。


「ふーむ、そうですねぇ…」
「なぁなぁ、『アドリビトム』でどうだ?」
「アドリビトム…?古代神官語で『自由』という意味の……だが何故そんなこと知ってるんだ?」


普通に考えたら知る機会なんてないぞ、というキールに、俺はあぁ、と軽くうなずいた。


「えーと、キールから借りた本に書いてあった (ホントは前から知ってたんだけど)」
「僕から…って、お前!その本は貸した覚えはないぞ!まさかまた勝手に持っていったのか!?」
「あ、やべっ」
「やべっ、じゃない!!」
「いーじゃん本の一冊や二冊くらい!キールのケチんぼー。心が狭い男はモテないんだぞー?」
「余計なお世話だっ!!」



「…はぁ、またあの二人は………」
「自由、か…僕達にピッタリかもしれないね、チャット!」
「え、あぁ、そうですね!結構です!さあ、これから忙しくなりますよ!」
「まぁでもその前にあの二人を宥めなければいけませんかねぇ。アドリビトムの一番最初の仕事はあの二人の仲裁ですか」
「「えっ」」



「一言ちゃんと言えば貸してやるのに、お前はなんでそう毎回毎回勝手に持ち出すんだ!」
「キールなら言わなくてもわかってくれるってレインさん信じてるから!」
「その笑顔が白々しいぞ!めんどくさいだけだろう!」
「ソーンナコトナイヨー」
「明らかに棒読みだ!」



「…ルカさん、お願いしますね」
「ええぇぇ!なんで僕なの!?」
「手頃な人材が貴方しかいなかったからですよ、ルカ」
「じゃ、よろしくお願いします」
「うううう……そんなぁ………………」


その1時間後、俺とキールはルカが本気で泣き出す直前にやっと静まったとさ。

…うん、悪かったってルカ。
だからそんな、ホントに泣くなって。な?