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「―――――はて、この船はバンエルティア号といいましたよね?」


レインが外から帰ってきて数十分後。皆がようやく起き出した頃、ジェイドはチャットとキールと共にいた。…と言っても、元々ジェイドはチャットにだけ用件がありキールは偶々そこに居合わせただけに過ぎないのだが。


「ええ、そうですよ。それがどうかしましたか?」
「バンエルティア号…近海までしか移動できないとは、随分聞き劣りするお話だと思いまして」


それをきいたキールが、なんのことだと眉間にシワを寄せる。
が、それに大きな反応を示したのが、この船の船長であるチャットだ。
大きな空色の瞳を吊り上げ、ジェイドを睨むチャット。その剣幕に、キールがわずかに瞠目した。


「…あなたは、この船の何を知っていると言うんですか!」


ジェイドはそんな彼女の視線をものともせず、無遠慮に船内を見回した。


「この船が伝説の通りだというのなら、遠洋どころか内陸まで移動可能なはずです」
「なんだって?!バカな、ただの船にそんなことが出来るわけがない!」


その言葉に反論し、声を荒げたキールをジェイドは呆れたように見つめる。


「…頭の固い方ですね。とても学生とは思えません……」
「な…っ、ぼ、僕は!」


「―――…おーい。ちょっと、いいか?」


まさに色々な意味で一触即発、といった雰囲気になったその時、不意にその場に割り込む声が聞こえた。見ると、そこには頬に引っ掻き傷をつけたレインの姿。その彼女は、片手にクロートをひっ掴み様子をうかがうようにこちらを見ていた。
一体いつからいたのだろうか。別に盗み聞きされて困るような会話はしていないが、思わず呆気にとられる。


「おや、どうしました?」


呆然としている子供二人を除いて、ジェイドがいつものように笑みを浮かべて彼女に向き直る。赤く傷のできた頬を擦りながら、レインは口を開いた。


「もう朝食だってよ。今日は買い出しにいくんだから、ちゃっちゃと動いてもらわねぇと困るってさ」
「了解しました。ところでレイン、その頬はどうしたんです?」
「…頼むから聞くな、ジェイド……」
「うなー」


バツが悪そうに視線を反らすレインに、ハッと我に返ったキールが頭を振りながら歩み寄る。


「…クロートに引っ掻かれたのか?お前一体何したんだ」
「あれ、なんか俺が悪いって決め付けられてる?いや悪いの俺だけど…痛っ!ちょっ、触るな地味にピリピリすんだよ!」


そっと傷に触れただけで騒ぐレインをうるさいと一言で黙らせて、キールは懐から取り出した大きめの白い絆創膏を彼女の頬にぺたりと貼り付けた。唇を尖らせるレインを適当にあしらいながらも宥めるキールの姿に、まるで保護者だ、とジェイドは思った。


「…それより、朝食の時間だったな」
「あ、そうそう!今日のご飯はファラとパニールの合作だってよ。早く行こ!」
「わかったわかった、今いくから引っ張るな」
「ほらチャットもジェイドも行くぞ?皆待ってんだからさ」


キールの腕を掴み、レインはもう片方の手でチャットの手を引いた。


「え、あ、ちょっ…レインさん!」
「ジェーイドー」
「はいはい、では参りましょうか」
「って、無視しないでくださいよ!」


チャットの非難の声に、レインはケラケラと笑い声をあげる。キールもそれを見ながら、どうしようもないというように首を振っていた。しかしその口許に浮かんだ、本人も無意識であろう微笑をジェイドは見逃さない。

先程までの不穏な緊迫していた空気は、ものの一瞬で払拭されていた。


「…大したものですねぇ…………」
「んぁ?なんか言ったか?」
「いいえ♪」


レインは含みのある笑顔を浮かべたジェイドに不思議そうに目をぱちぱちさせていたが、それ以上追求することはしなかった。


「(意図的にではないのなら、本当に大したものだ)」


チャットとキールの腕を引き、前を行く黒髪を見下ろしながら、ジェイドはそっと眼鏡のブリッジを押し上げた。