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***



「…カノンノ、これも古代文字か?」
「…うん、多分そうじゃないかな」


バンエルティア号の改造計画が施行されてから数日が経った。古代文字の解読ができないと判断された俺達みたいなメンバーは、基本的に船内の掃除や古代文字の発見に駆り出されている。うるせえ戦力外通告じゃないやい。勉強してないからって読めないと決め付けるのいくないと思うの。てかキール、お前こそいちいち辞書引いて無駄に時間かけんなよ!大体こういうのってフィーリングだから!勘だから!!ごめんなジーニアス、このカタブツ頼んだよ。…そう言ったときのジーニアスのあの生ぬるい視線はなんだったんだろう。


「うし、じゃあここもリフィル達に報告…………カノンノ?」


発見したところをメモして、次に移ろうとカノンノを振り向く。
だがカノンノは、その場に立ち尽くしぼんやりとその古代文字を眺めていた。


「…カノンノ?」
「っ、な、なに?」
「具合でも悪い?ボーッとしてたぞ?」


疲れたならどっかで休ませないとな。そうだな、パニールに頼んで暖かいココアでも…


「ううん、大丈夫。…ただ…」
「…うん?」
「この文字、ね」


す、とカノンノが指で壁に記された古代文字をなぞる。
その瞳はどこか不安そうに揺れていた。


「所々、理解できる場所があるんだ……でも、なんとなく、だし…気のせいだよね」
「…!」


ぎゅ、と胸の前で手を握りしめるカノンノに、俺は僅かに目を見開く。


「カノンノ…」
「…うん、ごめんね!余計なこと言っちゃって!さ、早く次を探しにいこう!」


ぱっと表情を変え、カノンノは笑顔で俺の手を引く。
俺はもう一度壁の字を振り向いた。


「…あのさ、カノンノ」
「え?」


この文字だけど、と俺は古代文字を見た。


「…一緒だよ」
「?」
「俺もさ、」


なんとなく、わかるんだ。

そう言うと、カノンノが目を丸くした。
俺は苦笑してカノンノを見る。


「カノンノは、これ何て読んだ?」
「え…と、『要となる楔を嵌め込め』…かな」
「うん、俺もそう読んだ…」


壁をよく見ると、一ヶ所だけ縦長に細く溝が入っていた。多分、ここにその楔とやらを入れるんだろう。

カノンノが不安そうに俺を見てくる。俺は安心させるように彼女の頭を撫でた。

…カノンノに関しては、説明がつく。彼女はまだ知らないけれど。
でも、俺は?


――俺は、一体なんなんだ?


そんな俺達を、クロートだけがじっと見つめていた。



***



俺はこの世界の人間じゃない。たまたまこっちに来ただけの、異世界人だ。

各自が昼休憩をとるなか、俺は甲板の柵によりかかりぼおっと空を眺めていた。
今まで幾度となく言い聞かせてきた、言葉。でもだからって、俺はこの世界をゲームだとか夢だとか、そんなこと思ったことは一度もない。
全てがリアルで現実。
今はここが、俺の現実なんだ。


「…にゃーう」
「…んー?」


不意に、柵の上にいたクロートが鳴いた。振り向くと、そこには鳶色の髪を揺らしながら、じっとこちらを見つめる男が一人。


「…クラトス」


薄く微笑みを浮かべ、俺はクラトスを呼ぶ。クラトスは動かず、そこに立ち尽くしたままだった。


「どうしたんだよクラトス。こんな所で」
「…散歩だ。お前はどうした?」
「ん?俺はここでボーッとしてた」


ヘラヘラ笑いながらそう言う。クラトスはこちらに近寄るというわけでもなく、ただそこにいて俺を見ていた。


「…クラトスー。俺の顔に何かついてるー?」
「…いや」


じゃあなんでそんなに見つめるんだよ。
あ、もしかして俺に惚れた?いやごめん、クラトスが嫁さん一筋な事はよく存じております。


「…お前は、」
「ん?」
「お前は自分が何者か、まだ思い出せていないようだな」


どくん。


「――――――え」


心臓が跳ねた。


「…だが、その目は変わらない。その瞳に宿る、輝きは」


それだけ言うと、クラトスは踵を返して船内へと戻っていった。
それを呆然と見送った俺は、じっとクラトスを睨むように見ていたクロートに手を伸ばし、ぎゅっと抱き込む。
ずるずると、その場に座り込んだ。


「にゃう?」
「…………」


クロートが不思議そうに俺を見上げる。


「…ちがう」
「にゃ?」
「俺は、違うんだ」


違う。“俺”は違う。だって、“俺”には今まで生きてきた記憶がある。今まで佳凰澪音として生きてきた、記憶が。
だから違う、違うんだ。“俺”は、違う。クラトスが言った言葉は、違う。
“俺”は何も忘れてない、何も、何も、何も、何も、何も。



――――“私”、は。




「ひょっとして、貴女はディセンダーだったりして!」




カノンノの言葉が、頭の中で反響する。

違う、違うよカノンノ。
“私”は、そんな救世主なんかじゃない。“私”はただの、人間なんだよ。怒りも、悲しみも、妬みも、それと同じくらい喜びや愛しさも持っていて。
“私”は、人間なんだよ。恐怖も知ってる。綺麗な、真っ白な、恐怖も知らないディセンダーとは違いすぎ、る。

―――なのに。


さわ…と遠くで世界樹が風に揺れる音がした。


世界樹。母なる大樹。世界の要。

ディセンダーは、どうしたの。なんでこんなに話が進んだのにディセンダーがいないの。“私”がいるから話が変わったの?主人公がいない物語だなんて格好がつかないじゃないか。ねえ、







心のびは誰にも届かない



(思い出すことなんか、ないんだ)
(…ほんとうに?)




091211