2



「おや、お目覚めですか?」


急に第三者の声が耳に響き、俺は思考を中断した。
入ってきたのは、褐色の肌をしたまだ幼い子供だった。短く刈り込んだ金色の髪に、くりくりした大きな空色の瞳。頭にのせた大きな海賊帽には、何かの角のようなものがついている。耳で金環のピアスが揺れ、額にはどうやってつけているのか知らないが三角の乳白色の石がついていた。


「ようこそ、バンエルティア号へ!ボクはチャット。この船の船長です」


チャットと名乗ったその子は、年の割には非常に堂々とした態度をしていた。
…てか、やっぱりここはグラニデなのな。いやカノンノとパニールがいる時点で確信はしてたけどな。にしてもチャット可愛いなぁ。


「えと、澪音っていいます。好きに呼んでください。助けてくれてありがとうございました」
「いえいえ、御気になさらずに。まぁくつろいでください」


にこ、と人の良さそうな笑顔を浮かべ、チャットは笑った。
俺もつられてへら、と笑う。


「我々は海賊ですが…なに、漂着者から奪ったりなどはいたしません」
「あ、そうですか」


ニコニコと、笑顔を絶やすことなく俺はチャットに返した。
つか海賊って公言していいのか。ここって一応ギルドだろ。


「それにしても…空から降ってこられた、とか?海上で竜巻にでも遭われたんでしょうかね」
「さぁ、どうなんでしょーね。その辺全く記憶がないんで」


顎に手をやりながら考えるチャットに内心悶えつつ、俺は笑みを崩さずに答える。
いや、にやにやするのを誤魔化すのにはとにかく笑ってればいいんだって。彰がそう言ってたんだ!…別に俺はブラコンじゃないぞ?


「記憶が…ない?ですって?」
「はい。ここに来るまでの記憶が、ちょっとばかし抜け落ちてるんですよ。…一体何があったんだか」


ちょっと上のほうを見ながら、俺は言葉を紡ぐ。
嘘じゃないぞ。だって俺は、この世界の人間じゃないんだ。この世界に来たのも初めて。だからこの世界で生きていた記憶なんて、カノンノ達と言葉を交わした今の記憶を除けば一切ない。


「…それは、本気で?故郷などは覚えていますか?」
「覚えているには覚えているけれど……






きっと、帰れないから」


ここが異世界であるなら、帰る場所なんてない。家族もみんな元の世界だろうし。


「…帰れない、とは?」
「その辺については、本当に記憶が無いのであんまり触れないでいただきたい」
「記憶が…ない、帰れない…?」


カノンノが首をかしげながら呟く。
そういや。前作のテレジアのカノンノ……パスカ・カノンノは本当に記憶喪失だっけ。
なにかシンパシーを感じるものでもあるのだろうか。
…まぁ、彼女は《彼女》とはまた違うから、どうなのかは知らないが。


「ご自分のことなのに、随分落ち着いていますね……」
「ん?ああ、記憶がないって嘆いても記憶が戻ってくるわけじゃないですし。まぁどうにかなるんじゃないかなーって」


へら、と笑うと、チャットは小さく眼を瞠った。
もしこの船下ろされたら、どうにかして自分で生きていくだけだ。…不安がないとは言えないけれど、まぁ何とかなるだろう。


「それじゃ、この方ここにいてもいいんじゃないんでしょうか。船長さん?」


パニールが穏やかな声でチャットに言う。


「ええ、かまいませんよ」
「いやあっさり!?」


のんびりしたパニールに、二つ返事で了承したチャット。
いや、少しは悩むとかしないの!?
俺、自分で言うのもなんだけど結構怪しいよね!?


「ただし!《働かざるもの食うべからず》です!ボクの子分として、立派に働いていただくことが条件ですけどね。どうです?この条件のみますか?」
「アイアイサー!」
「よろしい!」


敬礼つきの俺の返事に、チャットはかなり満足げに頷いた。
と、その時。


「ニャー」
「…!?」
「ひっ!!ぎゃあああああああああ!!!」


急にのんびりした猫の声が響き、この場にいた全員が一斉に視線を下に落とす。
すると、開けっ放しだった扉から一匹の黒猫がこちらをじっと見ていた。チャットが悲鳴を上げて大きく後退る。
…? バンエルティア号に、猫なんていたっけか?


「あっ、そういえば…」


カノンノが思い出したように口を開く。
猫はみんなの足を縫うようにするすると通り過ぎ、俺の座っているソファーに飛び乗ってきた。


「その子、落ちてきたレインが抱えてたんだけど……覚えてない?」
「………………………」


じっと黒猫と見つめあう。
銀と青の異色の瞳。
それと艶やかな黒い毛並み。


「……いや、わかんない」
「そう…」


カノンノたちが、あからさまにがっかりしたように肩を落とした。
だって、コレはホントに記憶にない。
元の世界でもこんな黒猫、知らない。
だが黒猫は、俺の右手に頭を摺り寄せてきた。優しく頭を撫でてやる。

……お前は、なんだ?

心の中で訊くと、黒猫はまるでその言葉を聞き取ったかのようににゃあ、と一回だけ鳴いた。


「…ま、まぁいいでしょう。じゃあ…っと。これより!このバンエルティア号の一員として貴方方を迎えます!」


方、とついたのは、恐らくこの黒猫も含めてだろう。
俺は黒猫を撫でながら、ニコリと笑った。





緩やかに






(君の物語は)
(今 始まったんだよ)





090315