ダァーン、ガチャ、ダァーンと発砲、排莢を繰り返し春臣は軽快に的の中心を小銃で撃ち抜いていく。
そして最後の一発を撃ち終えると、射撃中ずっと感じていた隣からの視線に漸く目を向ける。
「随分といい腕だな」
あまり抑揚のない低い声であったが、発せられた言葉からは確かに称賛が感じられた。
「…、」
その猫のような大きくて黒い目から一度視線を外し、自身のものと同じように中心が撃ち抜かれた隣の的を見てから、また視線を戻す。
「優秀だとは噂で聞いたが、まさか射撃もここまでとは」
「…俺も噂で貴方のことは聞いていましたよ。まさかあの尾形上等兵殿に射撃の腕をお褒め頂けるとは、大変恐縮です」
「いや。俺は事実を言ったまでだ白野上等兵殿」
兵営にて、春臣と尾形は話すことはおろか面識すらなかったはずだが、どうやら互いに名前は聞き知っていたらしい。
それに加え、互いの特徴的な外見が人物断定の決め手となったようだ。
「まあ、この程度の距離ならいくら撃っても外さない自信はあるが。尾形上等兵殿はどの程度までなら撃てる?」
「そうだな、300m以内なら確実に狙った場所を撃ち抜く自信がある」
中心のみが見事に撃ち抜かれた的に一度目を向け、視線を戻しながら尾形が目を細めて笑って言えば、春臣は「ほう」と少しだけ驚いてみせる。
「300?それはすごい」
「この距離で全く外さないのなら白野上等兵殿とてできるだろう?」
「さて、どうかな。撃てるには撃てるだろうが…確実に、正確に狙いを撃ち抜けるかは少し怪しいかな」
首を傾け小銃の背で肩をトントンと叩き、笑いながら言う春臣に尾形は珍しく興味をそそられた。
謙遜の言葉を吐けども、その様子からしてきっとコイツは自身と同じように平然と300m先の獲物を確実に撃ち抜くのだろう、と確信めいたものを感じたのだ。
随分とお綺麗な顔をしているが、一体どこで銃の腕を磨いたのだろう。とても入営してから銃を持ったとは思えなかった。
「銃はどこで覚えた?」
「あー。そうだな、…山でマタギの爺さんに」
「では白野上等兵殿は谷垣一等卒と同じで元マタギか」
「いや、マタギではないんだが」
「?」
視線を外しどこか言葉を濁すような春臣の物言いに尾形が首を傾けた時だった。
射撃訓練止めの号令が上官から上がり、それまでずっと響いていた小銃の轟音がピタリと止んだ。
そこで二人はそういえば射撃訓練中だったなと顔を見合せ肩を竦める。
どれだけ撃てども的の中心以外を撃ち抜くことがない二人は、周りを置いてさっさと自分の持ち弾を撃ち終えていたのだ。
「ではまたな、尾形上等兵殿」
自身の小銃を肩に背負い、尾形へと一言挨拶を残すと春臣は上官を除いた誰よりも先に訓練場を後にする。
そんな後ろ姿を見送った尾形は静かに鼻を鳴らした。
射撃の腕がすこぶる良く、容姿も人柄も成績も、流れる噂さえも良い。
白野 春臣という男は一体どれ程立派で高潔な人間なのか。
自分との違いは何だ?
誰もに好感を持たれるその人間性は両親に祝福されて生まれたが故に授かったものなのか。
それが気になって尾形は声を掛けた。
しかし、何やら白野 春臣は噂通りのただの“お利口さん”ではないようで、その憶測が正しいのか尾形は益々確かめたくなった。
⌘
それから数日。
春臣と尾形は訓練、兵営内と、幾度か顔は合わせても特に会話をすることもなく、今までとなんら変わりない生活を送っていた。
そんなある日の夜、尾形が鶴見中尉に呼び出された後の帰り道に事は起こった。
薄暗い廊下を尾形が歩いていると不意に何やら言い争うような声が聞こえてきたのだ。
その時点で揉め事に巻き込まれるのは面倒だと踵を返しても良かったのだが、片方の声には聞き覚えがあった。
「ですから結構です」
「そう素っ気ないことを言うな。俺は上官だぞ」
「関係ありません。上官と言えどお断りです」
「ハ、嫌よ嫌よも好きのうちか?満更でも無いくせに。なに、こちらは個室だ。気にする事は───…」
「っだから…!」
丁寧だった口調が少し荒くなる。
揉め事を起こしている片方はあの白野 春臣だ。
話の端々を聞くに、どうやら夜の相手でも迫られているらしい。
男ばかりの兵営故に、欲の溜まった男同士が交合うこともそう珍しくはない。
まああのお綺麗な顔だからな、さぞかし誘いも多いのだろう。と密かに鼻で笑った尾形は死角で息を潜め、そのまま聞き耳を立てることにした。
「私なぞ誘わず、遊郭にでも行った方が余程有意義なのでは?」
「ははぁ、さては命令される方が好みなのだな?他の上官たちにもそうされているのだろう」
「ハ、何を馬鹿な…」
「しらばっくれるな。よく部屋に呼ばれているじゃないか」
鶴見中尉殿に────。
そう上官らしき男が零した次の瞬間、ボゴォとなんとも鈍い音が廊下に響き、尾形が潜む廊下の角へと男が吹っ飛んできた。
「!」
予想だにしないあまりにも突然のことだった為、並のことでは動じない尾形も肩をビクッと跳ね上げ、目を見開いて驚いた。
恐る恐る視線を落とせば、顔面が赤く腫れた男が意識を飛ばした状態で足元に転がっている。
どうやら顔の中心を思い切り殴られたらしく、顔面が腫れている上に鼻血まで出ている始末。
見るからに酷い有様で確証を持っては言えないが…この男はもしや小塚軍曹ではないだろうか。
同じ軍曹でも月島軍曹とは大きく違い、大した実力もない癖に上官だからと偉そうに宣うこの男のことは尾形も内心好ましく思っていなかったのでざまあないなと鼻で笑ってやる。
────と、
「誰が、誰と、なんだって?」
溢れんばかりの怒気を含んだ声が小塚軍曹を追うように近付いて来ると、遂には角からゆっくりと声の主が姿を現す。
「何一発で意識飛ばしてん、だ…」
そして既に地に沈んでいる小塚軍曹の胸ぐらを掴みあげた所で、ようやっと春臣は傍らに佇む尾形の存在に気が付いた。
「…、…」
「…」
「……こ、こんばんは…?」
「ハハッ」
片手は上官の胸ぐらを掴み、もう片方は拳を握り振り下ろす直前。
だと言うのに、まるで苦虫を噛み潰したような表情で夜の挨拶を宣う春臣に尾形は堪らず吹き出した。