ひとまず気絶した小塚軍曹を引き摺って本人の部屋へと乱雑にぶち込み、春臣はそっと扉を閉めた。
部屋の場所は先程の問答で散々聞かされていたから嫌でも知っていたのだ。


「…で、どこから見ていた」
「さてなぁ」
「まあ良い。手伝ってくれてありがとう尾形上等兵。無事にお前も共犯者だ」
「軍曹殿の部屋の扉を開けただけだが」

そう言って、くつくつと笑う尾形に春臣は溜め息を吐き、軍曹によって乱さたままであった襟元を正す。
軍曹を処理し、取り敢えずと移動してきたのは自身らの兵舎にある誰も使っていない物置部屋であった。
かび臭く暗い部屋をぐるりと見回しながら「…で、」と尾形が続ける。

「どうするつもりだ。上官を殴ったとなれば、さぞ問題になるに違いないが」
「……あぁ面倒くせぇ」

本心から出たであろう春臣の不愉快そうな呟きに、尾形は心底面白そうに目を細める。
噂にもなるような白野 春臣という男の品行方正さがすっかりなりを潜め、まるで別人となっているのだ。
やはり尾形の睨んだ通り、ただの“お利口さん”ではないらしい。

「ははぁ、まるで別人だな」
「…だろうな。猫被ってるんだよ普段は」
「何故だ?」
「この顔で“お利口”にしていれば得をするんだと」

ああ“そっち”の意味じゃねぇぞ、と吐き捨てるように言って舌打ちをした春臣は、続けてぼそりととんでもない発言を零す。

「…目撃者は尾形しかいなかったんだし、やはりあのクソ野郎は殺して埋めておくべきだったか」
「おいやめろ、いい加減腹が捩れる」

どこで噂を聞いても規律を重んじ上官には非常に忠順だという話だったが、これはとんだ狂犬だ。
まともな人間の手本のようだった男がまともとは程遠い発言を平然としているのが尾形は可笑しく堪らなかった。

「小塚軍曹は自尊心が高い。部下を襲おうとして返り討ちにあった、などとは恥ずかしくて口が裂けても言えんだろう」
「そうか。なら、尾形が黙っていればお咎めなしだな。黙っていろよ」
「さて、どうだろうな」
「貸しだ。貸しにしておけ。そのうち返す」
「ハッ」

そのうちねぇ?と笑った尾形は顎に手を当て悪そうな顔で思案する。
上官を殴った事を広めて周りや春臣の反応を楽しむというのもなかなか捨て難いが、貸しを作っておくというのも悪くはない。
聞きたい話もあるしな、と口角を上げた尾形は春臣へと一つ頷いた。

「それを貸しにする前に聞きたいことがある」
「なに」
「“お利口”にしていろとは誰に言われた?」
「…」

尾形の問に春臣は少し眉根を寄せて黙り込む。
どういう訳かあまり言いたくはないようだ。
しかし尾形も退くつもりはなく、二人の間には暫く沈黙が流れた。


「……鶴見中尉殿にだよ」

その沈黙に耐えかねてか、はぁと溜め息を一つ零した春臣は渋々と口を開いた。
────鶴見中尉。
誰かの指示で“お利口”にしていると聞いた時から何となく予想はしていたが、やはり。

「……なるほど。確か、鶴見中尉殿の部屋によく呼ばれている、と小塚軍曹殿が言っていたな。噂でもよく聞く」
「俺は“お利口”だからな。中尉殿にはよく使いを頼まれる」

そう言って春臣はジッと尾形を見据え、首を傾げながら続ける。

「だが珍しいことでもない。月島軍曹や、尾形もよく呼ばれているだろ」
「…そう頻繁にはない」

実際は上官殴打の現場に居合わせる前まで鶴見中尉に呼ばれていたのだが、敢えて話さずに曖昧に答えておく。
知ってか知らずか、春臣は「そうか」とだけ言ってただ頷いた。

「…時間だ。そろそろ戻るぞ」
「そうだな。またな尾形。良いか、くれぐれも…」
「言わん」

挨拶もそこそこに、二人は少しだけ開けた扉から周囲に人の気配がない事を確認する。
そして静かに各々部屋へと戻ろうとするが、一つ聞き忘れていた、と尾形が春臣を引き止めた。

「それで、実際のところはどうなんだ」
「何が」
「軍曹殿の言うように上官の相手をしているのか」
「した事ねぇよ」

次聞いたらぶっ殺すぞ、とドスの効いた声で脅しの言葉を吐き、やや苛立たしげに去っていく春臣に、尾形はくつくつと可笑しげに笑う。
だが、それはすぐに嘲笑めいたものへと変わった。

白野 春臣。

容姿端麗でずば抜けて銃の腕が良く、普段から品行方正で上官たちに気に入られているあの男も、つまるところ鶴見中尉の息が掛かった部下だったわけだ。

「……つまらんな」

ボソリと呟いた言葉は静かな闇に溶けていった。


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