一年生 春 いち


まだ耐性が付いていないのです


 女子高生、それは恋多きお年頃。

 これは私の恋が芽生えて成就するまでのお話。───ではなく、私が好きな人にプロポーズされるまでのお話。───でもなく、私が青道高校で過ごした一年生の春から二年生の夏の終わりまでのお話である。

◇◇◇

「お、来たぜ倉持」
「ん? …あーー…」
「倉持先パーイ! くーらーもーちーせーんーぱーーーーい!」

 御幸が指さす方向に目線を向ければ砂煙を巻きあげる勢いでこちらに向かって走ってくるやつがいた。苗字名前、今年度入部してきた新一年生の女子マネージャーの一人である。わざわざスタンドからベンチまで迎えに来たようだ。どう対処したものかと逡巡しつつそちらに体を向けた。なにしろまだ出会って日が浅いし、学年も違えば性別も違う。なのに───。

「倉持先輩! おつかれさまでした! 今日もいっちばんかっこ良かったです! 私、誰よりも大きな声で応援しました! 塁上まで届きましたか!?」

 期待に目をキラキラ輝かせて人懐っこい空気感をもってして俺の返答を強請ってくるソイツは、初対面からこんな感じでぐいぐいくるのだ。正直言って俺は未だにコイツの俺への押し売りのような好意に毎回怯みっぱなし。だが、後輩に懐かれるということ自体は悪い気はしないもので。俺は仰け反って瞠目しつつも無性におかしく思えて吹き出した。

「ヒャハ、ああ、聞こえてたぜ。お前試合中どんだけ俺の名前呼ぶんだよ」
「っ、〜〜〜っ…!」

 すると突然苗字は胸を抑えて悶え苦しみ出した。

「お、おい。大丈夫かよ? どうした?」
「…あー、倉持、心配しなくていい。コイツはな、重症なんだよ」

 心配して覗き込む俺を御幸が制した。

「は!? 重症って…おい御幸、何の話だよ」
「何って、そりゃ…」
「ぅう、刺激が強い…」

 そんな悠長にしていて、手遅れになりでもしたらどうするつもりなんだ。そう思ったところで苗字が喋った。意識はあるようだ。

「苗字大丈夫か!? 刺激って何だよ?」
「倉持先輩が、ハァハァ」
「俺かよ!? 俺が何したっていうんだよ!?」
「軽率に…ハァ、笑いかけるから…っ」

 息を切らせてなんとかそれだけ言うと苗字は両手で顔を覆い、かと思えば今度は叫び出した。

「嬉しいですけど! でももっと慎重に接してもらわないと私、供給過多で死んじゃいますから! 死因:絶頂、なんて恥ずかしい汚点を晒して、先輩のお嫁に行く前に志半ばで人生終えることになっちゃいますから! どうかそういう危険な仕草と台詞はですね、私の免疫力がある程度育つまで小出しにするようお願いしたいところ…」

 苗字が叫び出したあたりからなんだ元気じゃねぇかと安心したのだが、息も絶え絶えになって力尽きるという代償を負ってまで主張した苗字の言葉を俺はまだ上手く処理しきれずにいて、御幸を見た。すると奴は肩を竦めて「まあこういうことだ」なんて言葉を濁すのでいちいち腹が立つ男だ。つまりこういうことか? 苗字は俺のことを、その……意識し過ぎるあまり俺の一挙手一投足に過剰に反応してしまう、と。

「中学生かよ」
「っま、ついこないだまで中学生だったわけだしな」

 思わず零したコイツへのツッコミに御幸の冷静な言葉が添えられた。本当に一言多いというか、口が減らない奴だ。それにしても───。

「…コイツどうする?」
「…」

 だが俺の問いかけをスルーして踵を返そうとする御幸の首根っこを掴んだ。

「おい逃げんな!」
「…だって、お前の責任だろ? 俺カンケーねーし」
「…う、」

 たしかに苗字の言葉を汲み取ればそういうことになるかもしれないが。俺一人が後始末を押し付けられるのはどうも気に入らない。
結局、御幸を逃がさなかったものの、バスまで俺が背負って苗字を運ぶことになってしまったのだった。


 翌日の昼休みも俺はその女に振り回されることになった。

「あ、倉持先輩! おかえりなさい」

 トイレから戻ったら自分の席に後輩の女子マネが着席していた。

「また来たのかお前!」
「えへへ」
「まじで倉持にゾッコンだぞコイツ。倉持以外の男はカボチャやピーマンなんだと」
「ちょっと、私そんなこと言ってません。カボチャもピーマンも大好きなんですから。カボチャとピーマンに謝って下さい」
「いやお前が俺に謝れ。生意気だな、先輩を嘗め過ぎなんだよお前は」
「いてっ」

 御幸に亮さんのごとくチョップされた苗字が首を竦めて目を瞑る。あざとい反応だ。つーか……。

「…お前ら仲良くね?」
「良くないです!」
「良くねぇって!」

 これまたお約束という感じで見事にハモりやがった。この二人、やっぱり仲良くなってやがる。

「それはそうと倉持先輩、昨日私が気絶している間に私の体を弄びましたね?」
「ブッッ……っな!?」

 何を言い出すかと思いきや、身に覚えのないとんでもないことを言い出しやがったので思わず噴いた。

「意識の無い私の体をその逞しい腕で持ち上げてその鍛え上げられた背中でいやらしくも私の胸の膨らみとか感じ取ったんじゃないんですか!?」

 貶されてるのか褒められてるのかよく分からなかったが、恐らく嫌がられてるんだろうと踏んでとりあえず謝っておくことにした。

「……悪かったな、勝手に触って。そんなに嫌ならもう触…」
「なんたる屈辱」

 だが苗字は右手を拳にして震わせている。そんなに嫌だったのかよ。

「だから、悪かったって…」
「もう一度おんぶしてくれなきゃ許しません!」

 そうかもう一回おんぶか……、ん? もう一回? どういうことだ?

「……はぁ?」
「だから! もう一度、今度は私の意識がちゃんとある状態でお願いします! そんっな美味しいシチュエーションで意識が無かったなんて! 私は自分が許せません!」
「…」

 こいつ何言ってやがんだ? 言葉が見つからなかった。というより、何かを言う気力が失われていく。御幸は肩を揺らして声を殺して笑っていた。だが、俺は苗字のことを少し分かってきたような気がする。「さあ! 倉持先輩!」なんて元気よく俺を急かしてくる苗字は、昨日自分が息絶え絶えに主張したことを忘れているのだろう。そうか、コイツは馬鹿なのか。つまり、沢村と同じだ。いや、下手したらアイツ以上に馬鹿かもしれない。

「別に俺はいいけどよ、そしたらお前死ぬんじゃねぇか? 俺が触ったりなんかしたら」

 昨日も何故あんなに興奮されたのか全く解せない。正直コイツのツボは分からん。だが普通に会話しただけであんな呼吸困難になるなら、体を密着させるおんぶなんてものに意識を保っていられるとは到底思えない。そのことに気付いたのか、苗字は沈黙した数秒後、徐ろに顔を赤くしカタカタと全身を震わせ始めた。

「……さ、触っ、さわっ…、は、破廉恥! 倉持先輩のえっち!」
「はあ゛!? ふざけんな! もっぺん言ってみやがれ! 大体、テメーが頼んできたんだろーが!」

 とんでもなく不名誉な言いがかりに頭がきて立ち上がって啖呵を切れば、苗字も同じく立ち上がって俺に顔を近付けて叫んだ。

「倉持先輩の思春期! 発情期! 中学生…にっき…! …っ、」
「…!」

 叫んでいたはずが突然泣き出してしまった苗字に戸惑い、俺も御幸も息を呑んだ。教室中に沈黙が広がり、クラスメイト皆が苗字と俺を見つめている。
 俺も言葉が出せず、沈黙はしばらく続いたが、嗚咽を繰り返していた苗字がやがてようやく言葉を発した。

「倉持、先輩が、他の女の子に、ドキドキしたり、ムラムラしたりしたら、嫌…だっ…!」
「…何言って、」
「私以外の女の子にも、…おんぶ、してあげたり…するんでしょう?」
「…、」

 なんだ、コイツ、一丁前に嫉妬してやがるのか。嫉妬……嫉妬か。つまり、そういうことか。あーあー、めんどくせぇやつだなコイツ。
 右手を持ち上げて目の前の低い位置にある頭の上に乗せた。

「っ、」

 一瞬息を呑んだ苗字はおずおずと見上げてきて涙目と目が合った瞬間、少し鼓動が上擦った。思わず喉を鳴らして嚥下し、血が騒ぐのをそれとなく抑え込むように顔を逸らした。てかコイツ、こんなに可愛いかった……か? 安直にもそんな感想を抱いてしまう俺は確かに思春期だなんだと揶揄されても何も言い返せない有り様かもしれなかった。

「あー、その、先のことは分かんねぇけどよ、俺は今野球で手一杯だし、恋とかする予定ねぇから。そんなつまんねぇ杞憂すんじゃねぇよ」
「クラスにこんなに可愛い女子が沢山いて、説得力はあんまりありませんけど、まあ、そうですよね。今は信じてあげてもいいですよ」
「…てか、なんで俺が浮気したみてぇな空気出してんだよ。俺は何も悪くねぇよな。なんでお前そんなに上から目線なわけ?」
「…、?」

 苗字は瞬きを数回した後わざとらしく首をコテンと傾げた。目線を逸らしてお惚けのポーズである。

「ってめぇ! こっちが優しくしたら図に乗りやがってー!」
「コラコラ、女子に手を上げんなって」

 そんなこんなで、数日も経てば苗字は躊躇いも無く俺にベタベタと触れてくるようになった。やがて人目を憚らず抱き着いてくるようになる未来が来ることなど俺はつゆ知らず、自身の思春期を思い知りながら、まとわりついてくる苗字の手をなんとかして逃れるのに必死だった。




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