緩む(1)
「……」
まただ、と思った。
見慣れた景色におかしなものが突然現れる。
宙に浮く、枠つきの扉。
それはやたらと存在を主張してくる。
ところ構わず現れては視界に入り込む。
なぜそんなものが自分にだけ見えるのかわからなかった。
歩みが遅くなると、事情を知る友人がわざとらしく溜め息をついた。
「端月(ハヅキ)、またかよ」
「…うん」
小さく答える。
友人はまた溜め息をついた。
「いっそのこと、開けてみれば?」
「え」
思いがけない提案に、端月は間抜けな顔で隣の友人を見た。
「そうしたらはっきりするんじゃないの、いろいろと」
正直反応が面倒くさい、と本音を付け加えつつ、友人は端月の背中をぽんと押した。
「…わかったよ」
友人に見送られ、端月は重い足取りで扉へと向かっていった。
宙に浮くそれは、近づくとどんどん人気のない路地へと移動した。
明らかな誘導──よほど端月に執着しているらしい。
扉は全て木製だった。
からからに乾いてあちこちささくれている。
おそるおそるノブに手をかけると、ざらりとした感触が皮膚を刺激した。
思わず顔が歪む。
「……」
意を決し、ノブを回そうと力を込めた、そのときだった。
握っていたノブが一気に朽ち果てた。
驚く間もなくドアが消え、木枠だけが残り、端月はその奥に吸い込まれた。
そのまま前のめりに着地するまで一瞬の出来事だった。
「…ってぇ……」
ゆっくりと上体を起こして辺りを見回す。
薄暗い空間。
どこも靄がかかったようにぼんやりしている。
「……」
この感覚を、端月は知っている。
なんともいえない不安と、不快。
──“悲しい”。
言葉として認識したとき、視界が滲み、自らの頬を何かが伝った。
頬に触れて確かめると、堰を切ったように次々と水滴が零れ落ちてくる。
そこでようやく自分が泣いていることに気づいた。
泣きたいわけではないのに止まらない。
しかし、なぜだか止めようとも思わなかった。
涙を拭うことも鼻水をすすることもしなかった。
だらだら流れて床に溜まっていく。