虚ろ世界
虚空が漂い、重々しさが深く広がる世界。
その世界の名は地獄。
この世界は生前に何かしらの罪を負ったものが向かう場所。
人として、許されることない非道な者が送られては、永遠に罪を苛まれ続けるところ。
それこそまさに、身が砕け散り、心も抜けて、骨になり、灰になるまで。
そんな中で、咎人が砂と化した成れの果ての砂漠で、
唯ひたすらに虚空を眺める無言の少女がひとり縮こまって座っている。
それはまさに、意味もない時間をただ流しているように。
そもそも時間の存在なんて、この世界の住人。
咎人にとっては死すら許されないために意味もない話になるが。
虚空を見つめていた中。不意に誰かから声がかかってきた。
余りに意識を手放していたために気づくのが少し遅く気付いたのだが。
「…………………………。」
「おい。こんな所で何してんだ。」
声を掛けてきたのは、一人の男だった。
長身痩躯で、白髪を黒い覆面で右半分を隠しており、左目の鮮やかな紫の瞳が印象的だった。
男は少し汚れた着流しを身に纏っており、右側はあるものの左側の肩から下は布がなかった。
「………………?」
振り向いた少女は…。少女といっても少し大人びいており。年で言えば大体17か18ぐらい。
此処の掟によって、咎人の証である錆びた鎖が胸に繋がっている。
これは、生前の罪と永遠に地獄から抜け出すことが出来ないことを意味する。
肌は陶器のように透き通って白く、更に少女は瞳の奥は生きているものの、何処か虚ろで人形のように感じた。
「………………お帰りなさい。」
「あぁ?」
やっと口を開いて発した言葉は少女らしくこれも透き通っていた。
しかし、その声には淡々としており、機械のような音で感情を帯びることはなかった。
男は見知りもしない。ましては初めて話しかけたのにも関わらず、『お帰り』と彼女は言った。
そして、その言葉は終わったかと思いきや、また口を半端に開いては続いた。
「…………地獄の底に、…連れて……いかれたんでしょ?」
「知ってたのか?」
「……うん。…死神の事件、あったの、遠くで見ていたから。」
男は彼女の言葉に納得したか、『そうかよ』と素っ気なく返した。
単純に話すことに慣れないのか、はたまたワケ有なのか。少女は途切れ途切れに言葉を発する。
地獄の世界そのものが揺らぐかもしれないという大事件のことを話す。
そして、少女に話しかけた男はその大事件の首謀者だ。
男は己の自由を取るために、死神を地獄に連れて行っていく目論見があったのだが、
地獄の番人の力を得た死神代行に返り討ちに遭い、更に番人に重く多くの鎖に縛られては更に深い地獄の底に送られたのだ。
そして今。此処に舞い戻ってきた、と言ったものの結局地獄ということには変わりはしないのだが。
「アンタみたいなのが地獄に来るとはな、何したんだ?」
「……単純に、私の家族が、殺し屋だっただけ。」
「へぇ、それで?」
「………余りに敵作りすぎて、報復受けた。私は幸い逃げれたけど、結局殺されたの。」
特にこれということもないまま、淡々と感情もなく答えた。
つまり、報復は受けたものの余りに手をかけすぎたために此処に連れて行かれたという話のようだ。
「名前は?」
「………………ない。」
「あ?」
まさかの言葉の返答に思わず聞きなおすような返答をする。
彼女は最初のように重々しく無言になったあとに、小さく口を開いた。
「…………私の名前………無いの。」
「無ぇ訳がねぇだろ。」
「……ううん。無いの。……親からは“ドール”って………コードネームで、呼ばれてたから。」
ドール、即ち。人形のことだ。実の家族から人形と呼ばれるなんて、
人間としての愛情を受けなかったとでも言えるような名前というのが男の感想だった。
嘗ての家族に対する感情もあったから、男は余計にそう感じられた。
「で。何で此処に居るんだ?」
「………これ、多分両親だから。」
からん、と足元に頭蓋骨がある。どれも他の大量にある成れの果てのそれと大差がないように見える。
しかし、これを彼女が両親と答えるなら、恐らくそうだろう。
「……私、家族とか愛情とか、………よく解らなかった。
親から教えて貰ったのは………、銃器の扱いとか、巧い殺し方とかだった。」
愛情を知らずに育った少女。
少女は愛情を知らず、無慈悲に命を奪うことが生きる意味そのものとなってしまったのだ。
だからなのか。この少女がひどく壊れかけたような人形に見えるのは。
「………アナタは、…私を殺すの?」
虚ろな少女は、男に問いかけた。
愛情も知らず育っていた彼女は、こういった方法でしか繋がりを知らないのかとも思える言葉だった。
「少なくとも、何度殺しても此処では生き返る。つまり殺しても意味はねぇ。解ってんだろ?」
「………うん。」
そういえば少女は小さく縮込んでしまう。
殺しても意味はない。ここでは何度も何度も死と再生が繰り返される。
そして、身も心も折られ砕け散り、灰になるまで。無慈悲に再生が繰り返されるのだ。
「……私、どうしたらいい…かな?」
虚ろな少女は、まさかの言葉を発することになった。
親に与えられたのは、生を奪う手段。
それの家系に生まれたため、その家系の業故に堕とされた世界。
そして、与えた親は既に灰となってしまった。
つまり、縛りつけてきた者共は既に居なくなってしまったのだ。
空っぽ。というのが不思議に合っていた。
だから、少女は虚空の中に違うものが混ざったような目で、ただひたすらに男を見つめた。
「そうだな、アンタは…。いや、先ずは…。」
「?」
「“アンタ”でもいいが流石に“人形”とは言えねェしな。」
ぽりぽりと髪を掻きながら、男は少女をじっと見つめる。
人形とは言えない、という発言に今まで知らなかったものを内側でじわじわと感じた。
「………………。」
「そうだな…アンタの名前、どうすっかな…。」
名前。ドールではない、コードネームではない。名前。
“彼女”として許される名前。
それがどこか内心のどこかで熱くなったのか、人形のような真っ白い肌がほんわかと赤くなった気がした。
其時、ふと彼女のかつての記憶の奥底でひとつの名前が浮かんだ。
その理由は、覚えていない。もう、非情で曖昧な古い古い記憶。
「………白雅。」
「白雅?」
「……うん。…だ…だめ……かな…?」
彼女は戸惑ったような表情をしつつも、小さく頷きながら言う。
先程の非道な話とは違って、この場所に似合わないほど健気な表情を浮かべた。
「いや?いいんじゃねぇか?アンタの名前は白雅な。俺はコクトーってんだ。」
「!…うん。………ありがと。…あ、あと……。」
「?」
「…………よ、…よろしく。」
虚ろな瞳。人形のように動かない表情が、柔らかく笑えた気がした。
しかし彼女にとっては、生前には感じることがなかったため、非常に内心戸惑っていた。
虚ろ世界の一輪花
(白雅さ、ちゃんと笑えてんじゃねぇか。)
(!………あ、あの…。…へ、変……でした?)
(寧ろ逆だ。そのまま笑ってろ。そっちがいいからよ。)