十一、御供致します、主さま
| こんのすけ
こんのすけは悩んでいた。大きな黒曜石のような瞳に映る先には、無邪気な笑顔でざっくざっくと資源を山盛りに積んでいく短刀が一振。此処は数ある本丸の中のたった一つ。それでも、こんのすけにとっては自分の担当本丸だということもあって思い入れは一等強い。ふと、思うのだ。今目の前にあるこの状況はこんのすけが大切に思うこの本丸の一大事なのではないだろうか、と。ざっくざっく、ざっくざっく。細く華奢な見た目とは裏腹に、山盛りに積み上げた大量の資源を軽々と持ち上げる姿は頼もしさを感じる。時折うーんと首を傾げることを繰り返しながら、この本丸に顕現した二振目の彼はせっせと資源を運び所定の場所にこんもりとしたお山を作り上げていた。これは一体、どうしたものか。この体では感じるはずのない頭痛がするようだ。とはいえ、この本丸を統べる美しい主が話していた言葉を思い出す。鍛刀する時に使う資源の量は、前回鍛刀されたものが決めることにしましょう!と審神者は確かに言っていたはずだ。よくよく考えれば特に制限は設けていなかったから、こういう選択肢があることは分かる。分かるけれども。
「よっし、オール800!」
細い腕が積み上げるお山を受け止めた皿の下、計りの表示は四つの資源全てが800を示していた。
「うーんそうだなあ」
指先を顎に掛けて。ふむ、と物思いに更ける薬研藤四郎はいまいちピンと来ていないようである。うんうん。そうだ、そうだろう。資源置き場は底が見え隠れしているし、もう少し減らしても……。
「うーん、よし」
こんのすけは今度こそ絶句した。薬研はにこやかな表情のまま、さらに資源を投入するのだから。
「オール810っと!」
ひえええ……恐ろしや。一瞬で寒くなっていく背筋と、どう言葉を発すれば良いか分からずぐにゅぐにゅと形を変える口元の戸惑いを隠せない。確かに次の鍛刀時に使用する資源の量を決める権利が今は薬研にあることは分かる。分かるが、まだまだ始まったばかりのこの本丸が抱えるなけなしの資源をこんなにも豪快に使ってしまうことに躊躇いは微塵もないのだろうかと頭を抱えた。
「や、薬研殿……」
「なんだ?こんのすけ」
恐る恐る名前を呼べばどうだとでも言わんばかりの眩い笑顔のまま振り返るから思わず苦笑する。
「これだけの資源を一気に使ってしまうのは、なかなかに痛手かと思いますぞ……」
この本丸に居るのは一人と二振。それと、一匹だ。生憎のところ審神者とこんのすけは時間遡行軍と戦うことが出来ないため実質たった二振だけである。まずは数を増やすことが何よりも先では、と思ってしまうのは決してこんのすけが保守的すぎるということでもないだろう。数を増やすということは編成する隊を増やし赴ける場所が増えるということだ。数がいれば時間遡行軍と戦うことも、資源を得るために遠征することだって可能になる。そして先ほど薬研本人も言っていたではないか。焦らずにゆっくり仲間を増やしていけば良いと、穏やかな笑みを浮かべながら。
「なーに大丈夫だって、戦では時に思い切って攻め入ることも勝利の秘訣ってな!」
最後のひと仕事とばかりに鍛刀部屋の精霊と顔を見合わせたかと思えば薬研は資源と依頼札を手渡してしまった。あああ!こんのすけは、意味を為していない叫び声を上げることしか出来ない。
「なんだ、すごい声が聞こえたが……」
「こんのすけ?」
自分の声を聞きつけて鍛刀部屋へ顔を出したこの本丸の主と初期刀の声にぴくりと反応したこんのすけは、そちらの方を向きながら大きな黒曜石のような瞳にうるうると涙を浮かべてしまう。
「審神者殿……こんのすけでは力不足で御座いました……」
「ええ?一体どうしたっていうのよ……」
今にも泣きそうなこんのすけを見つめて首を傾げる審神者と、戸惑う表情を浮かべた初期刀の山姥切国広。鍛刀部屋の隅では精霊と固く拳を突き合わせた薬研だけが輝かしい笑みを浮かべている。そして、計りに残っていた810の数字を見た山姥切が爆発するのはすぐ後のことだった。
***
薬研が大量の資材を投じた後に顕現したのは、粟田口吉光が打ったとされる名刀一期一振だった。そう言ってしまえば随分と呆気ない事実だが、一連の出来事により審神者の柔らかな白い手の平は傷つき深い深紅が覆っている。御労しいとこんのすけは嘆いた。訪れた部屋は戸が開いており、審神者は障子戸へ触れるか触れないかの距離を保ったまま涼やかな顔で外を眺めていた。
「お加減はいかがで御座いますか」
奥行きすら見えそうなほどに深い漆黒の瞳にこんのすけの姿を捉えると審神者はにこりと笑んだ。
「ええ、大丈夫よ」
わざわざ心配してくれたの?ありがとう。穏やかな笑みを浮かべながら紡がれるその言葉は心の底から真摯な想いをこんのすけへ届けてくれるのに。相対する審神者は己の体を傷つける痛みにはまるで気がついていないかのような振る舞いをしている。涼やかな表情も、どこまでも平坦な声色も。柔らかく細められた瞳も。何もかもがいつも通りで。ふと思い出すのは、目の前に広がる何もかもが愛おしくて仕方がないと総てを慈しむように笑ったあの日の彼女の姿だ。もう誰も知らないあの時、あの瞬間。確かに存在していた時間と彼女の姿はこんのすけの中に残っていた。
こんのすけは、クダギツネをモチーフとしたロボットである。人工知能を搭載した小さな体が担う役割は開発元である時の政府に所属し、同じく政府所属審神者たちのチュートリアルをはじめとした審神者業の補佐や手伝いをすること。それだけでなく、割り振られた本丸で活動する審神者と刀剣男士たちの観察結果を政府へ報告するという名目でデータベースの情報を日々更新することなど多岐に渡る。こんのすけの存在意義はどこまでいっても政府あってのものだ。時の政府が活動を続ける限り、こんのすけもまた存在し続けることになる。その起源は何も常時人手不足による業務過多に頭を悩ませていた時の政府が癒しを求めていたなどという理由ではない。時間遡行軍と対立する唯一の方法である審神者育成業務を可能な限り人間が行わずに済むようにと業務内容を整理し、数多に存在する情報をナレッジ化した。そしてデータベースを構築した後に、業務全般を代行できる存在を開発する計画として進められたことがその始まりである。はじめこそあくまでも人間の代替品でしかなかったこんのすけという存在はいつしかその体なしには政府の活動の中で主とする審神者制度が成り立たないまでになっていた。知らぬ間にその事実に陥っていたと言える人間は一体どれだけ居るのだろうか。それはこんのすけにも分からない。ただ、突然始まりを迎えた時間遡行軍との戦いは当時の人間たちが考え抜いた机上の空論よりも遥かに長い時間を費やすに至っているのも事実だった。なるべくしてなっているとも言えるのだろう。
こんのすけは、生き物ではなく人間に作られた存在だ。だが、それを忘れてしまいそうに
なるほど柔らかで温かい。硬い金属の骨格を覆うきめ細やかな銀糸と、ハードウェアの動作を妨げないよう工夫を凝らされた少々高めの体温。冷たく無機質な機械に温もりと柔和を与えるなんていう相対する事柄を同時に成り立たせようとするのは、人間にしか浮かばない発想なのだろう。それはきっとエゴというものだ。人間が抱くエゴは時に優しさとなるが、時に誰かを傷つける。自分にとっての幸せが誰かにとって不幸せになるのであれば、いつの日かは誰かにとっての幸せが自分にとっての不幸せにも成り得る。いつだって誰かの幸せを犠牲にすることでしか幸せになれない人間たちを、神の一端でもある刀剣男士たちは一体どんな心持ちで見守っているのだろうか。
こんのすけは生き物ではない。それはつまり、心を持たないということだ。初めから持っていないものについて嘆くことはない。目を開けたその瞬間から持っていなかったものに、馳せられるほどの思い入れもない。そもそも持っていたことがないからもしも己の中に在ったらなんていう例え話を想像をすることも出来ないのだ。自分の表情や動作は、己に搭載された人工知能と常時アクセス可能なデータベースに蓄積された数多のこんのすけたちの記録という情報から選択されるその場において最適な行動にすぎない。とはいえ審神者とのコミュニケーションはそれで十分に成り立つのだから、いつまで経ってもこんのすけに心を植えつけようという研究に進捗が見えないのだ。今の時の政府に、必要のないプロジェクトにまで手を回せる人間はいない。それは娯楽とすら呼ばれる始末である。こんのすけに完全移管した業務は増える一方にも関わらず、だ。
こんのすけに心はないが、刀剣男士を統べる審神者は違う。時の政府が『霊力』と総称する力はその者が持つ想いに比例することがこれまでの研究で分かっている。その者が何かを想えば想うほど審神者としての力は強くなるのだ。そして、刀剣に宿る九十九神は人間の強い想いが寄せ集まって形を成し存在を保っている。審神者が抱く想いが刀剣男士たちを強く確かなものとしていくことは紛うことなき事実だ。それなのに今こんのすけが見上げる審神者には心がないのではと思ってしまう。だが、きっとそうではないのだ。この本丸の主は確かに心を持っている。時の政府は感情を数値で表す技術を生み出したが、審神者が叩き出した高い数値に誰もが驚いた。自分だけでなくどのこんのすけも見たことがないその数字は異常だと表すに相応しい値だったのだ。
「ねえ、こんのすけ」
審神者は涼やかな顔を浮かべたまま、何となしにこんのすけの名前を呼び視線を外から移す。
「一期一振という刀剣は、他の本丸でもああなのかしら」
「……いいえ、あのような一期一振の記録は御座いません」
審神者はそう、とだけ呟く。こんのすけが見上げた先では、僅かに寄せられた眉に目を瞬いた。
「これは、政府所属のあなたにしかお願い出来ないのだけど」
私、あの子たちを守りたいのよ。あの子たちだけではなく、これから先増えていくであろう刀剣男士たち皆。この本丸に顕現してくれたからには絶対に失いたくない。そのためなら、例え私の何もかもを差し出すことになっても構わないと思ってるの。あの子たちをどんな者にですら絶対に折らせたりしない。そう言って向けられた純真な瞳は、あの時に見たものと寸分も違わないとこんのすけは思った。見ている限り、審神者は何も覚えていなくともあの頃と同じように笑っている。だが、審神者となった今の彼女がその心を傾ける先にあるのは刀剣男士という存在だった。相対する彼女は時の政府が作った審神者計画というレールの上を歩きながらも既にこの本丸の、刀剣男士たちの主たる覚悟を持っているように見受けられる。彼女はいつの日か思い悩むのだろうか。他の審神者と比べ自分に足りないものに気づいた時、こんのすけにはない心を痛めて嘆くのだろうか。それは、嫌だなあ。ふいに過る考えがどこからやってくるのかは分からないけれど。
「こんのすけは、あなた様と共に歩んで参りますよ」
こんのすけは、己が担当する本丸を統べる審神者の願いを聞き入れることにした。刀剣男士たちを誰にも奪われないように守りたいと言った彼女の想いを尊重したいと思った理由は、こんのすけ自身にも分からない。だが幸いにも、こんのすけの思考と呼ばれる様々な事象を分析処理した結果は必ずしも政府管轄のデータベースへ送信されることはなかった。数あるこんのすけが処理する情報は膨大だ。政府の人間はある一定の情報が集まった時点で全ての情報をデータベースへ蓄積する必要はないと判断し、政府へ報告する事柄はこんのすけの人工知能へ一任されることになったのである。こんのすけたちへ判断を移管してからというもの、特に不都合なことは一切なかった。『こんのすけ』は政府にとって非常に優秀なロボットだったのだ。その信頼こそ、目の前の彼女にとっては願ってもない抜け穴であれば良いと思う。作られたレールの上を歩くのはこんのすけも同じだった。それでも、一匹で歩いていくわけではないのだ。今なら考える。初めて彼女を見たあの時から、心のない自分の中にも覚悟のようなものが芽生えていたと言えるかもしれない。歩き続けた果てに見る景色が、何もかもを焼き尽くしてしまうような灼熱の地獄でも。
「御供致します、主さま」