十三、伝わらない祈り

| 一期一振

 ありがとうございました。どちらからともなく互いに深々と頭を下げた後にゆっくりと顔を上げる。にっこりと満面の笑みを浮かべ朗らかな雰囲気を醸し出す少女を見つめては、人知れず愛いなと思ってしまった。それは私だけではなく、少女の隣に立つ彼女の近侍も同じなのだろう。

「負けちゃったあ」

本日の演練の結果は我が本丸の方に白星がついている。華奢な肩を下げる仕草は年相応だろうか。

「だが、きみも僕たちも大変に良い経験をさせてもらったな」

甘やかに細められた瞳を隣に並んだ少女へ向け、彼女の近侍である歌仙兼定はゆったりした動きで小さな頭を撫でている。今でこそ和やかな雰囲気を漂わせる少女と歌仙だけど、模擬戦とはいえ戦いの場で見せた瞳には鮮烈な覚悟の灯火が浮かんでいた。きっと、このまま経験を積んで行けば少女と彼女が率いるこの本丸はもっと強くなる。そんな頼もしさを感じた。どうか腐らずにまっすぐ進んで行って欲しい。少女の想いはしっかりと刀剣男士たちへ伝わっていることが見ているだけで十分なほど伝わってくるから。何も心配することはないはずなのに、なぜか胸に浮かぶ心配は余計な御世話というやつだろう。老婆心もほどほどにしないとな、と僅かに苦笑する。

「それでは、我々は御暇しますね」
「あの!」

隣に並んだ近侍の男と共に会釈をしてから背を向け足を踏み出した瞬間。予想外の声が上がった。

「あの、私もっと頑張って皆と強くなります!そして、また演練させてください!」

主の突然の声を諌めようとしたのか歌仙が慌てているけれど、彼女の固く握られた両手を見て大きな息を一つ吐き出した。足を止め振り返った先に並んだ小さな主と付き従う近侍の彼を再び視界に入れる。歌仙は申し訳なさそうに形良い眉を下げ目で心情を語るものの、その口元は緩んでいる。随分と身長差がある男女の穏やかな様子を見て愛いなと思ってしまうのは何度目だろうか。

「ええ、またお会い出来る日を楽しみにしていますよ」

その時はまた。意識をしなくても自然と溢れた笑みを見せると、少女はまろい頬を赤らめて笑う。嬉しそうな、少しだけ照れ臭そうなはにかんだ少女の笑った顔は随分とあどけなくて可愛らしい。果たしてその時がいつやって来るのか、そもそも次があるのかどうかすら誰にも分からない。だけど、きっと互いに務めを果たし続けていればいずれ時は巡ってくるのではとなんとなく思っている。だって、一度結んだ縁はそう簡単に解けてはくれないだろうから。そんなことを考えながら今度こそ足を踏み出すと、背中に掛けられた挨拶。振り返ってみれば、めいっぱい広げた腕で力強く風を切るようにぶんぶん振られた手が本当に可愛くて思わず笑ってしまった。少しでも堪えようと持ち上げた手をゆるりと振ると、懐っこい笑顔が眩しい。今度こそ背を向けて歩き出す。つい先ほどまで赤黒い闘争心を纏ってぶつかり合っていたのが嘘のようだと思ってしまう。まだそう時間も経っていないのに一戦交えた後とはとても思えないほどの和やかさは心地が良かった。

「よーし!帰ったらレベリングだよ!」
「ははは、きみは単純だな」
「単純でもなんでも良いの!なりたくてようやくなれた審神者だもん!頑張るだけだよ!」
「ああ、そうだな」

背中で聞いた彼女たちの会話は酷く有り触れたどこにでも落っこちている純真な想いに満ちていて。彼女が審神者となった理由に特別なものなど一つもなく、これまでに幾度となく聞いてきたものと同じだと思った。審神者になりたくてなったあの子はいつの日か私をも追い越していってしまうのだろうか。そうしてまた相見える時、私はあの無垢な想いを前に敗れ膝をつくのだろうか。もし、もしもそうなのだとしたら。自然と下がっていってしまう目線をそのままに苦笑する。

「私は永遠に私自身を許せなくなってしまうでしょうね」

ふう、と吐き出した溜息は思いの外大きくなってしまった。これは努力すればどうにかなるようなものではない。時が進めば進むほど、きっとこの焦燥は大きくなっていくのだろうと思う。なぜなら初めからなかったものを在ったことには出来ないから。一体何をしようとも過去は変えられない。私や誰かの意志と行動の積み重ねで成り立っている過去という時間は、どんなに罪深く後悔するものだったとしてもまだ見ぬ未来という希望を作っている。不幸が幸福を生んでいるなんてそんな馬鹿げた綺麗事を信じているから、私は過去を変えられないとも変えるべきではないとも思っている。自分というちっぽけな存在が抱く罪悪感や苦しみのために、大勢の希望が折り重なって育まれた過去を変えるだなんてことは出来やしないから。とっくに過ぎ去ってしまった変えられるはずのない過去を想うからこその焦燥。それは酷い痛みとなって私の体を蝕むけれど、正しい道に背いてはならないという理性を食い尽くすほどの痛みでは決してない。それでもどこかで過去を変えたいと思ってやまないのは、私を信じてついて来てくれる愛しい子たちを裏切っているような気持ちがこんこんと湧き出てくるから。それは誰に聞いたわけでもなく、私が勝手に抱いてしまっている後ろめたさ。きっと、彼等は私を怒ることなどしない。優しく笑ってどんな私でも良いと言ってくれるのかもしれない。彼等のことはこれ以上ないくらい信頼している。大事に思えば思うほど、こう在りたいと焦がれる姿を体現しようとすればするほど。幾度振り返ろうとも『空虚な私』は、穏やかで愛おしいこの本丸の始まりが空っぽなことを誰にも言えなくなってしまう。想えば想うほどに誰かが傍に居ることが怖くなるだなんて。こんなにも皮肉なことが他にあるだろうか。自分自身ですら目にすることが叶わない心を満たすはずの気持ちは揺れるばかりで。自らが正しいと思う事柄を何よりも信じる気持ちと、今を生きて抱く後悔や罪悪感がぶつかる度に何かをすること自体に迷いを見出してしまう。私はまだ、心の奥底で無限に広がり続ける後ろめたさに蓋をすることが出来ていない。嫌でも自覚してしまうそれを覆い隠し、誰の目にも触れてしまわないように背筋を伸ばし凛とした声を出しているにすぎない。例え誰に後ろ指をさされても構わない。他でもない私という存在を主と慕ってくれる愛い子たちの信頼を裏切りたくなかった。結局のところ、私は臆病者だ。目が覚めた時には審神者と呼ばれ本丸で眠っていたけれど、日常を過ごすうちにふと思い立って何度となく自分の心を探ってみた。何をどう思い返してみても目覚める以前の記憶がなくて。そして気づいてしまった。私は空っぽだ、と。あの少女が話していたような眩い純真な想いなど持っていなかった。自分がなぜ審神者になったのかを問うても、答えてくれるものはいない。純真な想いでなくても構わない。どんなどす黒い理由でも良かった。ただ私は、自ら望んで審神者になったのだという確固たる自信が欲しかった。

「あなたが何を思い悩んでいるかは存じ上げませんが」

その声にはっとすると、隣を歩く一期一振が蜂蜜色の蕩けるような瞳で私の顔を見下ろしていた。

「主殿が我等の何もかもを許してくださるのだから、我等とて同じに思うのは至極当然」
「……私の代わりに、私を許してくれるの?」

いつも通りに雰囲気も何もかもを取っ払った無愛想な物言いだけれど。私を見下ろす表情は柔らかく、それでいてどこか悩ましげな感情が浮かんでいて。どうやらこの男は慰めてくれようとしているらしい。そう思えば自然と眉が下がってしまった。目線を落としながら口角を上げて笑う。

「少なくとも私は、どんなあなたとも添うことを決めた」

例えこの先、一体誰がどうなってしまおうとも私だけはあなたの味方だ。そんなことを澄ました表情のまま私へ言い聞かせるように話す一期はきっと、これから先の一度たりとも私に罰を与えてはくれないのだろう。じくじくと心を蝕み続ける痛みを忘れるくらい壊して欲しいと願っても、この男は何もせず今と同じように涼やかな顔のまま隣に居続けてくれる。非道い男だとは思う。

「ありがとう、一期」

心が晴れたかと言われたら決してそうではない。罪悪感は今もなお泉のようにこんこんと胸の奥で湧き続けている。それでも、甘やかに細めた瞳で私を見る男が贈ってくれる言葉が嬉しく暖かいと思った。何も知らないからこその言葉ということも理解している。でも、私の胸は溢れる愛おしさに焼かれて苦しい。こんな想いは幸せだ。空っぽの私でもこの瞬間に感じている幸せは本物だから。これから先、一期や他の子たちに全てを話す時がやってきたとして。その果てに待つ未来が想像通りの悲劇だったとしても、私にとっての不幸から繋がった更なる先の未来に訪れるのはきっと幸せだ。私の不幸せが一期たちの幸せに繋がるのならそれで良い。私自身を投げ打ってでも彼等の幸せを祈っていたい。そのためなら空虚な体でもなんでも差し出そう。誰かの思惑の果てに成り立つであろう自分の心など殺して、誰が目の前に立ちはだかっても勝ちを掴もう。