十四、無血の誉
| 鶯丸
「善い日だこと」
熱い茶で喉を潤す審神者は、長い睫毛に縁取られた大きな瞳を柔く細めながらぽつりと呟いた。ほう、と息をついた鶯丸はどんよりと広がる曇天の空を見上げながら、隣で肩を並べている己の主の心中を探る。善い日と表すには分厚い鉛色の雲に覆われた狭く見えてしまう空はあまりにも残念だし、手の平で抱いた湯飲みに茶柱が立っていたわけでもない。だが、一人と一振で肩を寄せながら縁側に座っている主はどこか満足気に白く滑らかな頬を緩めているようだ。それだけでなく華奢な体に纏う雰囲気も心なしかふわふわと漂うように軽やかだ。粟田口兄弟をはじめとする子供の姿を模した短刀たちと無邪気に遊んでいる時は別として、黙っていれば凛とした姿勢や視線をしていることが多い審神者の様子を思い返せば随分と珍しいなと考える。湯呑みを片手で支える鶯丸はあれこれと思案するものの、まあ細かいことを気にしても仕方があるまいと結論づけた。主が善い日だと思いそう口にするならば今日は善い日なのだ。そんな風に考えれば自然と口角が上がっていく。そうか、と頷けばまた一口茶を含む審神者が穏やかに笑い相槌を打った。
「主、今日は特別愛い見目をしているな」
そうして鶯丸が目線を遣れば、随分とあどけない表情できょとりと目を瞬かせて首を傾げていた。
「普段の君は髪を下ろしているか、簡単に縛る程度だろう」
視線と共に音もなく手を伸ばすと腰より下の床にまで垂れている髪の毛先を丁寧な動作で拾い上げる。筋張った無骨な手は掬った絹糸かと見紛うほどに繊細でたおやかな漆黒色の髪の束に優しく触れた。尻すら覆い隠してしまうほどに長い艶やかな黒髪は、幾つかの束に分けられて複雑に入り組み背中の方で毛先を一本に結われていた。その形というか、髪を結い上げる方法をなんと称するのかまでは鶯丸には分からなかったが淑女の嗜みのようなものだということは分かる。大きな手が弄ぶ自身の髪へと視線を向ける主はああ、と納得した顔をすると柔く目元を緩めていた。
「ふふふ、これは和泉守がやってくれたのよ」
「ほお、新しい刀は随分と粋な趣向を持っているのだな」
普段目にする豪快な口振りとは違って、その手先は随分と器用なようだ。粧し込んでいる理由の種明かしを受けたからこそ余計にまじまじと見てしまう。とても自分には出来るとは思えないなと感心すらしていた。粟田口の長兄を筆頭に弟のチビたち、加州や燭台切に歌仙などなど刀剣たちが主にあれこれとしてやるところを目にしていたが、なるほどと思う。何もかもを愛しむように大きな瞳を甘やかに蕩けさせる主を見れば、鶯丸もまた何かしたくて仕方ないと思ってしまったのだ。さて、一体何をしてやろうか。そんなことを思案しながら手に持った湯呑みを傾ける。
「鶯丸のお茶が美味しくて、今日も善い日だと思うの」
揃いの鶯色の湯飲みを大事そうに両手の平で包む審神者は、茶が発する熱の穏やかさにほっと息をついていた。吐き出される吐息を空気で感じほんの僅かな時間惚けていた鶯丸はそうかと頷く。
「それなら毎日、茶を淹れてやろう」
「本当?それなら毎日が善い日になるわね」
「主の毎日を善く彩れるなら、それは最早誉だな」
自分を見上げる素直な喜びの表情を見ていると鶯丸は胸がじんわりと温かくなるようだと思った。