十七、かみさまの願い事
| 山姥切国広、薬研藤四郎
暖かな日差しが降り注ぐ縁側に、肩を並べた姿。線の細い小さな肩を抱くのは手袋に包まれた大きな手の平。華奢な体からはすっかり力が抜けていて、無防備に隣へと身を預けている。ただ頭を寄せ合っていたかと思えば、端正な顔の男が鮮やかな空色の髪を揺らし女の柔らかな黒髪へそっと唇を埋めた。甘やかに細められた蜂蜜色の瞳が今にも蕩けそうなほどの輝きを放っていることは、横顔からも十分見て取れた。形良い男の薄い唇は陽の光を反射して艶々と輝く長い髪を避けてこれまた端正な顔に落ちていく。切り揃えられた前髪が掛かる額に、閉じられたままの瞼に。それから鼻の頭へとゆっくりゆっくり落ちていき、唇が触れる度に小さな可愛らしい音を立てた。そんな幼子にも出来そうな触れ合いを先ほどから何度も、何度も繰り返している。男の大きな手の平は長い黒髪を丁寧に撫でていき、まるで唇から己の体温を移し与えるかのように白い肌へと触れていく。焦れったいと思ってしまうほどゆっくりと時間を掛け、妙なもどかしさを感じてしまうほど丁寧にしっとりと唇で愛でていく。溜息が出そうなほどに甘美な光景だと思った。淫靡などでは決してなく、艶美さに感嘆する。あの男が持つのは情欲だ。それは分かっているのに。あんなにも美しい情欲が存在するのかと驚いてしまう。これこそが雅だと言われるなら俺にも理解が出来るのにと思った。あの男は時折、あんな風に主へ触れることがあって。多分、それを知っているのは主の初期刀である俺と初鍛刀の薬研藤四郎だけなのだろう。この本丸に顕現されるものは皆、主を大切に思っている。各々が主にとっての父であり、兄であり弟であり、友人でもありながら戦友でもあった。少なくとも、あの男が抱える想いを持つものは他に居ない。あの男だけが異質だった。思い返せば、最初からそうだったのだ。あの男はこの本丸に顕現した時からおかしかった。己から溢れる炎で主を焼いた一期一振。そんな一期一振という刀剣男士はこれまでどの本丸でも確認された記録がないという。では、あの男は一期一振ではないのだろうか。その答えは否。あれは間違いなく一期一振である、というのがこんのすけの回答だった。そして一期の兄弟分である刀剣たちも口を揃えて言う。確かに彼は粟田口の長兄であると。自分にも兄弟が居る。相手との関係性は不思議と分かるらしい。赤の他人ですら一度結んだ縁はそう簡単に切れてしまうことがないのだから、兄弟という絆は特に強い結びつきになるのだとは思っている。だから、粟田口の刀剣たちが言う言葉に偽りはないとも分かっていた。薬研が以前言っていたことだ。いち兄は炎に対する執着が一等強いようだ、と。その言葉の意味するところは理解しきれないが、俺に話した薬研自身も同じなのだろう。そして、俺から見れば主にもある種の執着を抱いているように見えた。それは主にも当て嵌まるような気がしている。燃える一期一振を手放さず、抱き締め続けた彼女の背中は頑なだった。幾度か呟いていた燃えたことがあるという言葉はほとんど無意識に溢れているようだったし、主が何かに思い悩んでいることにも気づいている。主の奥底に眠る、炎の記憶。それが一期一振との縁なのだろうか。それこそ、一期と主が本人の与り知らぬところで共鳴をしているのだろうか。確かなことは何も分かっていない。これは気が向いた時に薬研と言葉を重ねることで整理した情報から膨らませた、只の想像の域を出ないのだ。
「随分とまあ、いじらしい逢瀬じゃねーか」
なあ、山姥切。いつの間にか後ろに立っていた薬研に目線を向ければ柔らかく瞳を細めていた。
「こんなところ、誰かに見られでもしたら……」
「はは、俺たちが変わらないんだ。誰が見たってどうもしねーだろうさ」
乱や加州の旦那なんかは面白い反応をするだろうけどな。肩を竦めながら言われた通りに想像すれば、ほんの少し笑いそうになって。慌てて口を押さえると薬研がにんまり笑うから睨みつける。
「ああ、長谷部の旦那は全力で割って入りそうだなあ」
「……あいつには畑の雑草抜き隊長を任命しておいた」
「くくく……知ってる」
「……性格悪いぞ」
遂には腹を抱えて笑い始めるから眉を釣り上げる。涙を流しながら笑う薬研は器用に声を殺していて。ひとしきり笑う姿を置いて背を向けないのは、すぐ傍の光景に後ろ髪を引かれるからだ。
「俺たち、苦労するな」
「そんなこと、最初から分かっていただろう」
薬研も俺も、あの日から分かっていた。己の炎で主を焼いた一期一振が折れないと言葉にした最初のあの日から。主が率いるこの本丸は恐らく普通には当て嵌らない。主本人と一期一振、そしてこんのすけの行動。きっとこの先、何かがこの平穏を脅かすのではと奥底で思っている。だが、何が起ころうとも俺たちは自分が信じるものを守るだけだ。大丈夫。あの日と違ってこの本丸には仲間が増えた。そしてこれからも増えていくだろう。見ていることしか出来なかった俺たちは確実に経験を積んでいるし、例え俺たちが動けなくとも背を押してくれる仲間が居るのだから。
「しかしなあ、山姥切は良いのか?」
「は?」
俺をからかってくることが多い薬研だが、向き合う顔にはいつになく真剣な表情を浮かべている。
「お、俺は別に……そう言う薬研こそどうなんだ」
強い光を宿した瞳は苦手だ。ついと視線を逸らすと、無意識のまま纏っている布を握ってしまう。
「生憎だが、俺っちは乱が結成したいち兄の恋を応援し隊に入れられちまったんでね」
肩を竦めて見せる薬研は、ついさっきまで浮かべていた表情を既に崩し意地悪い顔で笑っていた。
「……なんだそれは……」
「あんたも入ろうや、大歓迎だぜ?」
はあ。なんというか、呆れた。薬研にも、俺自身にも。吐き出した溜息は自分で思っているよりも随分と深く重たいもので。徐に拳を上げると薬研は無邪気に笑いながら倣うように拳を作り、俺と合わせる。こつりと触れ合った体温はすっかり慣れたものだ。もちろん拳がぶつかる感触も。そのくらいの時間を薬研と共にしてきたし、同時に主とも過ごしてきたのだということに気づいたのはいつの日だっただろうか。何をきっかけとしたのかは分からないが、多分もう俺たちが抱く主への想いは惚れた腫れたといった領域を超えてしまったのだろう。行き過ぎた結果に辿り着いたのは己の理解すら超えた場所。他でもない主の幸せを叶えてやるのが、いつの間にか薬研と俺の目的になってしまったのだと思う。そうするのが自然とでもいうように、肩を並べて寄り添う男女の姿を見てもこうして穏やかに見守っていられることが良い証拠だ。人間とは違って、祈るような神など俺たちには居ない。ならば、自分たちで切り拓くしかあるまい。誰よりも想ってやまない主を幸せな方向へ導いていく。この刀世で叶えたいのは、ただそれだけだった。やがて辿り着くであろう先に待つ主の隣に、心の底から笑う一期一振が居てくれたら良いと思っている。