十九、猫の首に鈴

| 石切丸

 夜の帷は深く垂れ込めていて、さすがに活動を開始するにはまだ早いことくらい私にも分かる。それなら、まずは体を休ませようと満場一致で結論づけたのだけれど。私を一人きりにするのは心配だからと目の前の三振は誰一人として私の部屋を出て行こうとはしなかった。主は寝ろ、俺たちは見張ってるなんて言われてはいそうですかと答えるような図太さを持ち合わせていなかった私はうんうん唸った後ふにゃりと笑った。一緒に寝ましょう。幸い、新しい刀剣男士が顕現したら使うようにと政府から支給されている布団は押入れに沢山収納されている。太陽さんが元気に降り注ぐ快晴の日に皆で天日干しをしたのだから、そのことを三振とも知っているはずだ。良い案を出したからこれで解決ね!と笑うのは私だけで、なぜか三振は渋い顔をしていたけれど。ほらほらそうと決まればお布団を敷きましょうと、見た目では大なり小なりと様々な背中をぐいぐい押してやたらと腰を重たそうにする彼等を無理やり立ち上がらせたのだった。仲良く布団を敷いて川の字を書くように横になってみると、なんだか不思議な感じがして笑ってしまった。誰がどの位置で寝るかなんてことを膝を突き合わせて相談する三振に誰がどこになっても良いじゃないと唇を尖らせるのに。じとりとした目でこちらを見てくるのは山姥切と一期で、薬研はやれやれと苦笑を浮かべていた。難しいお年頃の男の子を見守るのは大変ね、とは口に出さないまま見守ることにして。結果的に私を挟んで横になるのは山姥切と一期だった。一番障子戸に近い布団で横になるのは薬研。夜更けの室内という条件では有事の際に一番動けるのは短刀である薬研だからという理由らしいけど。まあ、この子たちが納得したのならと大人しく眠ることにした。

空が僅かに白み始めた頃、朝ご飯でも作ろうかしらと厨へ行こうとする私の体を引き止めたのは初期刀と初鍛刀の二振。いやいやこらこらと首を横にブンブン振るから一体どうしたものかと頭を悩ませれば、あんなにしおらしく私の左腕に縋っていたはずの一期一振がすっかりいつも通りの真顔に戻っていた。びっしょりかいた汗が気持ち悪かったからと寝る前に着替えさせてもらいはしたけれど、せめて体を拭くかどうせならお風呂に入りたい。ついでに顔も洗いたいし、それならたまにくらい厨に立っても良いじゃない。そう言って唇を尖らせるのに山姥切も薬研も私の手を離そうとしなかった。もう、心配しすぎよ。見ての通り今日は何も起こらなかったし、これからのことはまた何かあったら考えれば良いじゃない。息を吐く私の背中に淡々とした声が掛けられる。主殿の手当ては私が致しますから、山姥切殿と薬研は朝餉の支度をお願い出来ますかな。どこか冷気のようなものを感じる声に、戸惑いの色を滲ませながらも山姥切と薬研は無言のまま頷くのだった。ええ…その戸惑い顔の意味、私は分かるわよ。分かるから、お願いだから。そのまま主は大丈夫かな、なんていう心配そうな表情を浮かべたまま部屋から出て行こうとするのはやめて欲しい。一緒に連れて行ってくれるわよね?という私の視線に山姥切と薬研は気づいてたはずで。気づいていて、置いて行こうとしている。ええ……そんな、薄情すぎない?二振は部屋の障子戸を閉めるその瞬間まで私と視線を合わせていたけれど。最後はうんとだけ頷いて音もなく戸を閉めた。閉めてしまった。二振の気配がゆっくり遠ざかるのを確認して、隣に座る一期が深い息を吐いて動き出す。一体どんなことをされてしまうのかしらと横目で動きを確認していたけれど、一期は何も言わずに私の体中に刻まれた青黒い落葉を塗り潰すかのように甲斐甲斐しく真白の包帯を巻いていった。その様をただ、無言で見つめるしかなかったことは言うまでもない。

***

「主は、幽霊を信じるかい?」

 隣に立つ長身の彼は真正面にある神棚へ視線を向けたまま呟いた。見上げた先にある立派な板葺の三社宮は政府にねだれば特に小言もなく支給されたため、有難く頂戴して神棚に設置している。ただ。豪華な見た目とは裏腹にその宮の中身は未だ空っぽのままだった。本丸内の神棚に三社宮を飾った日のように石切丸と並びながら高い位置に鎮座しているそれを見上げて。この中にはいつか必要になった時に適切なものを祀ろうねと言って柔らかに笑んだ顔は記憶に新しかった。

「そうねえ、考えたこともなかったわ」

まさか石切丸から幽霊なんて単語が出てくるとは思わなくて少しだけ笑ってしまった。九十九神である刀剣男士が幽霊なんていう概念を信じているのかと一瞬考えるけど多分そういうことが言いたいわけではないのだろう。石切丸はどうなの?と返せば、少し困ったように眉を下げていた。

「いや、君に纏わりつくものが何か気になってね」

彼が見下ろす先に居るのは、私。でも、石切丸が見透かそうとしているのは包帯に隠された内側。

「これが幽霊のせいなんじゃないかって思ってるの?」
「うーん、幽霊と称するのが正しいのかは私にも分からないな」

徐に持ち上げた手の平を包帯が覆う首元に当てる。肩を竦めた石切丸の言葉からも分かる通り彼は正体を突き止めたわけではないようだ。ただ、青黒い落葉にはなんらかの気配を感じると。幽霊って本丸にも出るのかしら。それは、不意に口から飛び出していった興味本位の言葉だった。

「この本丸を保つ君が信じるのなら、それもあり得ないとは言い切れないかな」
「なるほど。神様のあなたたちではなく、人間の私が信じればという話ね」

火のないところに煙は立たない、という諺が持つ意味からは外れてしまうとは思うけれど。人の想いが折り重なって実体を得る九十九神と同様に、幽霊という存在もまた人の心が作り出すものだと考えれば納得も出来る。私の体に刻まれた無数の痕は私が失くした心が生み出した影なのだろうか。出来るなら亡霊でなければ良い。そう願うことくらいは許されるだろうか。無意識のまま一等黒い鬱血が残る喉元へ添えた手に力を入れると、小さく溢れた石切丸の言葉に息を呑んだ。

「君は人間というより、どちらかというと私たちに近いような気がするけどね」

なんて、考えすぎかなと笑う石切丸はあまり気にしないでと穏やかな声を出すのに。なぜか、胸が苦しくなった。焦りとも痛みとも違うけれど。妙な息苦しさを感じて己を守るように肩を抱く。

「主?大丈夫かい?」

私と目線が合うように腰を屈め、心配そうに眉を下げて顔を覗き込んでくる石切丸へ笑い掛けようとするのに、どうしてか上手く表情が作れなくて。今までは特段何かを思ったことはなかった。それなのに、彼の神事を彷彿とさせる装いと纏う雰囲気に今度こそ息が出来なくなる。がたがたと震えだした体へそっと伸ばされた腕。柔らかく抱き止められて、ゆっくりと背中を撫でられた。

「大丈夫、息をゆっくり吸って、吐くんだ」

私に合わせてとひたすらに穏やかな声が降ってくるから、優しく包み込んでくれる大きな体に身を委ねることにした。まるで地上では酸素を吸収することが出来ない魚のようにはくはくと口を動かすだけの私を石切丸が何度も柔く撫でて宥めようとする。不意に頭の中で響くのは、シャリンと身を震わせる鈴の音。幾重にも鳴り響くその音を聞きながら、石切丸の懐をぎゅうと握る。大丈夫だよ、という心地良い声を耳元で聞きながら意識を傾けるように呼吸を合わせる。ゆっくりゆっくり呼吸を合わせることだけを続けていけば、自然と酸素が体に染み渡っていく感覚が分かる。緩やかに少しずつ長く深呼吸が出来るようになった頃、石切丸は私の側頭部に頬を寄せた。

「大丈夫。そう、主は良い子だ」

完全に力が抜けてしまったことで委ねていた体は徐々に力が入るようになりやがて全身に巡っていた震えも止まる。穏やかな声と優しく撫でられる大きな手の平にほうと息をついて柔く顔を綻ばせた石切丸と目を合わせれば、もう大丈夫そうだねと撫でられる大きな手の平が心地良かった。

「ごめんなさいね、石切丸」
「私は平気さ。それより、何か気に触ることを言ってしまったかな?」

抱えて貰っていた腕の中から抜け出すと、石切丸は穏やかな声を出す。例えそうであってもあの取り乱し様は異常だっただろう。とはいえ何かがあると気づいても彼は無理に掘り起こすような性格でもなくて。今はただただその優しさといつも通りの声色に感謝しつつ私は首を横に振った。

「いいえ。むしろあなたに感謝しているわ、ありがとう」

まさか礼を言われるとは思わなかったのか、その双眸を僅かに見開いている。頭の中で忙しなく響いていたシャリンという音はすっかり落ち着いたようだ。それでも、決してやんだわけではなかった。一定のリズムを刻んで鳴り響くのは、神楽鈴の音。清らかな巫女は柔らかな手の平で柄を握り反対の手には尾から伸びた五色布を乗せて舞う姿が脳裏を過っていく。繰り返し、繰り返し行われる舞は神への貢ぎ物だ。巫女たちは幾度となく舞っていた。それが必要であったために。

「ねえ、石切丸」

ようやく自分の足でまともに立てるようになった頃。石切丸は変わらずに表情を和らげている。

「このことは、まだ誰にも言わないで欲しいの」
「構わないよ。私だけの胸に留めておこう」

今のところはね、といたずらに笑う彼を見上げて私も笑みを返す。今は、それで十分だったから。

「てっきり忘れろと言われるかと思ったよ」
「まあ、そうね。でも、きっとこれは隠してはおけないから」

自分の背丈よりも随分と背が高い石切丸から目線を逸らし、今は話せないことを申し訳なく思う。

「では、主と私だけの秘密の時間を存分に楽しむことにするよ」

それは無意識なのだろうとは思うけれど。彼の言葉はいつもどこか砂糖漬けにされたような甘さを含んでいるなと思いながら苦笑する。この本丸はなぜかそういった刀剣男士が多いように感じることがあるけれど。お願いねと笑い掛けると固い指先で柔らかく頬を撫でられた。大きな手が離れた後、私は再び立派な三社宮へと視線を向ける。静々と流れるように舞う巫女が、一定のリズムを刻んでいく。シャリン、シャリン。冷たい空気に振動を伝える神楽鈴を使った舞は、貢ぎ物として必ず行われた。清らかな鈴の音が呼び寄せるのは神などではなくて。色白の肌に紅の唇が映える美しい巫女が舞う舞台は、神降ろしの儀と呼ばれるもの。ぼんやりとした顔の幼子を中心に置き、巫女は五色布をはためかせながら円を描くようにして舞う。私は、神降ろしの儀を幾度も見届けてきた。私を用いる巫女の舞が神降ろしの儀式には欠かせないからだ。そう、私は神を呼び寄せる神楽鈴。鈴彦姫と呼ばれる九十九神こそ、審神者として目覚める前の私の姿だった。